第135話 堺の豪商たち(1)

 小早川隆景こばやかわたかかげとその追手を撃退し、小早川さんを救出した二日後、何事もなかったかのように執り行われた即位の礼は滞りなく終了した。


 もちろん襲撃事件の事実を隠すようなことはしない。

 賊の正体を調査中であることを言い添えて、俺の方から報告を上げている。


 当然、その報告は列席者の一人である毛利元就もうりもとなりの耳に入っているはずだ。

 即位の礼の最中、終始、毛利元就が俺たちのことを睨んでいたのだから間違いない。


 もっとも調査の主眼は小早川隆景の生死。

 毛利もなかなかガードが固く、噂の域をでない程度の情報しか入手できなかった。


 武家で即位の礼に出席を許されたのは、一条さんと伊東さん、俺。そして毛利元就。将軍職にある足利義輝くらいは招待されると思っていたが列席予定者に名前はなかった。

 結局列席した大名は即位の礼を行う原資となった献上金を行った者たちだけ。

 そして特別に列席を許された俺たちは、末席で借りてきた猫のように大人しくしているだけだった。


 そんな慣れない式典の翌日。

 俺たちは阿喜多あきた殿を筆頭にこう殿やたま殿たちとの約束通り、堺へショッピングにきていた。


「随分と仰々しいですね」


 周囲を固める大勢の護衛たちを、小早川さんが見回して言った。


「予想はしていたよ」


 諦めた口調で首を横に振る一条いちじょうさんに続いて、伊東いとうさんと俺の声が重なる。


「少しピリピリし過ぎている気もしますが、こんなものでしょう」


「護衛の人数調整で使うエネルギー何て残っていませんよ」


 参加メンバーは一条さん夫妻、伊東さん夫妻、小早川さん、そして俺と恒殿。

 これに一条家、伊東家、竹中家から護衛が随行する。


 四国半国を統べる一条家、九州で対島津の大同盟を築きつつある伊東家、美濃と尾張を領有する竹中家。

 それぞれの当主とその正室が他国で観光をするのだから、護衛が多くもなるしピリピリもする。


「ピリピリしているのは護衛だけで、皆さんには余裕が伺えますよ」


 小早川さんが本質を突いた。


 その言葉通り緊張しているのは随行する護衛だけで護衛対象である俺たち三人は然程緊張していない。

 正室三人に至っては危険など微塵も感じていないようだ。


「確かにあまり緊張していません」


 俺はそう返し、さらに周囲を歩いている町人たちを視線で示して言う。


「目に見える護衛以外にも、何人もの忍者が周囲を固めていますから」


「俺たちよりも嫁さんたちの方が余裕ありそうだよ」


 一条さんの言葉通り、恒殿、喜多殿、珠殿の三人はキャイキャイと楽しそうに会話をしながら堺の街中を歩いている。

 怖いもの知らずというよりも世間知らずなんだろうな。


「恒殿はどんな反物が欲しいのですか?」


「羽織を一着欲しいので、それ用のものを一つ」


「せっかくの機会です。もっとたくさん買いましょう。仕立てもここでやってもらって、出来上がったら届けてもらうといいわ」


 喜多殿は恒殿にそう言うと、すかさず珠殿に同意を求めた。


「ね、義姉上もそう思いますよね?」


「ええ、そうね。私もそれがいいと思います」


 珠殿が気圧されるように首を縦に振った。

 嫁ぐ前に一条家で何があったのかは知らないが、兄嫁の珠殿よりも実妹の喜多殿の方が圧倒的に立場が上のようだ。


「街中でもカゴに乗るのかと思っていましたが、歩きなんですね」


 俺たちもそうだが護衛たちも下馬しているので、最後尾には京から堺まで乗ってきた馬とカゴが列をなして付いてきている。

 傍から見たらシュールな光景だろうな。


 列を振り返る俺の耳に伊東さんの声が届く。


「喜多殿が『三人でお話ししながら街中を歩いてみたい』と言ったので」


「伊東家と一条家の護衛がよく納得しましたね? 特に土居宗珊さん」


 喜多殿が発言した場にいなかった小早川さんが、不思議そうに一条さんと伊東さんを見た。

 苦笑して即答したのは一条さん。


「うちの連中は長年の経験から説得しても無駄だと分かっているからね」


「伊東さんのところも一条さんのところも相手の家の家臣たちに遠慮したんだと思いますよ」


 否定しきれずに困った顔をしている伊東さんに助け舟を出したが、あまり察しのよくない小早川さんもうなずく。


「そう言えば、公家の姫たちも喜多さんには恐縮していましたね」


 公家の姫どころか、ちょっとした大名だって喜多殿のことは敵に回したくないだろうな。

 

「阿喜多を敵に回すと、旦那の伊東家と実家の一条家を敵に回すことになるからね。緊張した姫たちは可哀そうだったなー」


 一条さんはそう言ってため息を吐いた。


「これから行く商人たちも喜多殿への対応は格別なものになるんでしょうか? 傍から見ている分には、なんだか楽しみですね」


「竹中さんも当事者だよ」


「分かっています。反物の買い物には付き合いますよ」


「反物だけじゃ終わらないと思うけどね」


 肩を落とした一条さんと双眼鏡を取り上げられたときの一条さんの顔がダブる。

 続いてまなじりを釣り上げて怒る喜多殿の顔が蘇った。


「一条さんが伊東さんを悪の道に引き込んだって、喜多殿、怒っていましたからね」


「それだよ。普段なら一晩寝れば怒りも静まるのに、何故か翌日にはさらに怒っていたんだよな、あいつ」


 何かを含むように伊東さんに視線を向けると、


「いやー、悪いとは思いましたが一条さんには悪者になってもらいました」


 申し訳なさそうな顔で伊東さんが一条さんに小さく頭を下げた。 


 あの日の夜、伊東さんと喜多殿の間で何があったのか何となく想像がつく。

 あの晩、俺も一条さんを悪者にした。


「別に悪者にされるのはいいんだけど、俺に対して強く出られるカードを阿喜多あきたにあまり与えないでね。苦労するのは俺だけじゃなくここにいる人たち全員だよ」


「確かにそうですね。気を付けます」


 出会って半日と経たずに、喜多殿は奥方たちのリーダー的な存在になっている。


「気が強いからな、あいつ」


 一条さんがゲンナリした様子で肩を落とすと、横を歩く伊東さんが苦笑する。


「一条さんに対しては強く出ますよね。家で比較的大人しいのは、まだ嫁いできて日が浅いから遠慮しているのでしょうか?」


「猫被ってるだけだよ。あいつ、外面はいいんだ」


「史実では嫉妬で愛人を殺してしまうんでしたっけ? 竹中さん」


 いや、小早川さん。

 そのセリフで俺に振らないで欲しい。メチャクチャ答えづらいよ。


「そうですね。そうだったかもしれません」


 俺が言葉を濁す横で一条さんが陽気に言う。


「言ってたねー。短い間だったけど、妙に納得できるなー」


「ちょっと、二人とも怖いこと言わないでくださいよ」


 伊東さんが慌てて前方を歩く喜多殿たちを見る。


「あれ? 忘れてた?」


「忘れてなんかいませんよ。愛人なんて作っていませんよ。私は喜多殿一筋です」


「一筋に思える女性がいて羨ましいです」


 伊東さんの言葉に小早川さんが反応した。

 よし、話を逸らすチャンス!


「小早川さん。先日言っていた、うちの桔梗を嫁に欲しいというのは本気ですか? もし本気なら私も真剣に考えますよ」


「本気です! 何度も言ったじゃないですか」


 何度も言われたけど、それは忘れよう。いまは史実の喜多殿の話題から話を逸らすのが最優先だ。

 俺の考えを読み取った伊東さんがすかさずフォローする。


「こういうことはある程度時間をおいても、気持ちが変わらないことが大切なんです」


「そうです、伊東さんの言う通りです」


「分かりました。京を引き上げるときに、もう一度聞いてください。そのときに気持ちが変わっていなかったら、桔梗さんとのことよろしくお願いします」


 距離を詰めて真剣な目で下から見上げてきた。


 小早川さんって、こんなに押しの強い人だったかな?

 疑問に思って伊東さんと一条さんを見ると、二人が同時に首を左右に振った。


 伊東さんも小早川さんの押しの強さを意外に感じているようだ。

 一条さんは『俺はしらないよ』と言ったところか。


 まいった。話を逸らすネタにしたつもりが、別の問題を掘り起こしてしまった。

 ハードルは幾つかありそうだが、ここは一肌脱ごう。


「分かりました。そのときに気持ちが揺らいでいなかったら、彼女の父親代わりである百地丹波に話をしてみます」


「ありがとうございます!」


 目に涙を浮かべて俺の両手を握りしめた。


「竹中さんならそう言ってくれると思っていました。信じていましたよ!」


 小早川さんを励ますように一条さんと伊東さんが続く。


「いやー、さすが竹中さんだ。仲間思いだなー。これで小早川さんも医学に専念できるね」


「良かったですね、小早川さん。竹中さんならどんなに難しい問題だってクリアしてくれます。信じて待ちましょう!」


 ダメだ。

 絶対に結婚までもっていかないとならない状況になったようだ。


 国に帰るまでに解決しないとならない問題がまた一つ増えたよ。


 俺は爽やかな笑顔を浮かべる一条さんと小早川さんを励ます伊東さんを眺めながら、家中の誰を味方に引き入れるべきかに思案を巡らせた。

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