第133話 お姫様とお茶会(2)
お茶会を開催する大広間。
主催者である一条さんを中心に俺と伊東さんが座り、予定になかった小早川さんが俺の左側、上座の端に座っている。
「疲れた……」
上座の中央に座った一条さんがため息交じりにこぼした。
そして恨めしそうな眼差しを一条さんの左右に座る伊東さんと俺に向けて言う。
「……裏切り者……」
「いや、一条さん。あの場は仕方がないでしょう。阿喜多殿たちだけでなく土居宗珊殿まで入ってきたんですから」
伊東さんの言う通りだ。
「一条さんには大きな借りができました。ですが、そのお陰で被害が最小限にとどめられました。本当に感謝しています」
思い返せば、阿喜多殿が一条さんに詰め寄ったのが運の尽きだったと思う。
▽
一条さんの肩越しに窓の外に広がる光景を目の当たりにした阿喜多殿が凍り付く。だが、一条さんはそれ以上に凍り付いていた。
何の対処もできずに固まっている一条さんから双眼鏡を奪うと、阿喜多殿はすぐさまそれを覗き込んだ。
勘が良すぎる。
そして響く甲高い声。
「兄上! 義益様を悪の道に引きずり込まないでください!」
万事休す。
すべてが発覚した瞬間だ。
阿喜多殿と珠殿、恒殿に続いて一条家家老の土居宗珊が入ってくると、阿喜多殿と土居宗珊の二人が呼応して一条さん一人を責め立てた。
俺と伊東さんはその場の空気を読んだだけである。
「殿! 軍事機密を他国の領主様と一緒になって覗きに使うとは……、情けなくて涙もでませんぞ!」
そこから始まる阿喜多殿と土居宗珊の説教。
その様子を見る限り、土居宗珊の信頼を得ているという一条さんの言葉は信用できない。あれなら、まだ俺の方が善左衛門に信用がある。
一条さんが説教されている間、俺は伊東さんと小早川さんの援護を受けながら、恒殿の説得に成功した。
△
大広間の上座限定の微妙な空気が流れるなか、小早川さんが話題を変える。
「それで、双眼鏡はどうなったんですか? やっぱり軍事機密ということで、土居宗珊さんに取り上げられたとか?」
適切な話題ではないが、この際、贅沢は言えない。
「取り上げられたよ、阿喜多に」
「え? 阿喜多さんに、ですか?」
俺は思わずそうつぶやいて伊東さんをみる。すると、伊東さんが乾いた笑い声を上げて首肯した。
そして諦めた口調で言う一条さん。
「阿喜多のヤツ、即位の礼が終わったら、今度は双眼鏡を持って京と大坂見物に行きたいそうだ」
「高台から双眼鏡で眺めたら楽しそうですね」
「もちろん、私も同行させて頂きます。その京・大阪見物」
俺と伊東さんのセリフが重なった。
続く疲れ切った一条さんの声と気まずそうな小早川さんの声。
「当たり前だ。全員だよ、全員参加で京・大阪見物するからね。逃がさないよ」
一条さんの機嫌が悪い。少し持ち上げた方が良さそうだな。
伊東さんに目配せしつつ話題を変える。
「私も望遠鏡の開発は考えていましたが、双眼鏡までは考えていませんでした」
「双眼鏡は助かりますよね。絶対に役立ちます。絶対に敵国には渡したくない技術の一つですよ」
俺に続いて伊東さんが一条さんを持ち上げた。
「お! 分かる? 作り方を教えるから二人のところでも作ってみなよ。後、作るならケプラー式の双眼鏡を先に作るのをお勧めするよ」
先ほど姫様ウォッチングに使ったのはガリレオ式だ。
「どうしてケプラー式なんですか?」
「ケプラー式望遠鏡の試作品を土居宗珊に覗かせたら、『天地がひっくり返った!』、ってもの凄く驚いて面白かったんだ。竹中さんも是非やってみなよ」
確かにそれは面白そうだ。善左衛門あたりに試してみたい。
だが……
それをやったら、一条さんと同レベルになってしまう気がする。
俺と伊東さんが返事に困って顔を見合わせていると、小早川さんが姫様たちの様子を気遣うことを口にする。
「京・大阪見物はさておき、出席されている姫様たちの顔色が優れないようです」
居並ぶ姫様たちに視線を向けると、小早川さんの言う通り、緊張しているように見える。
改めて大広間を上座から見回す。
大広間の左右に分かれて各家の姫様たちが座り、それぞれの姫様たちの斜め後方にお付きの侍女が控えていた。
姫様だけでなく侍女も緊張している。
冷静になって考えてみれば、双眼鏡で覗き見なんてしなくても、こうして間近で見ることができた。
なんともバカなのことをしたものだ。
俺たちが姫様たちのことを心配して見ていると、大広間の下座から凛とした声が響いた。
「本日はわざわざ足をお運び頂き、ありがとうございます」
阿喜多殿だ。
「ささやかではありますが、お茶やお菓子だけではなく、お食事も用意しております。皆様にはお茶と同様、お食事も楽しんで頂ければと思います」
さすが名門一条家の姫だけのことはある。居並ぶ名門の姫たちを前に臆することなく堂々とした振る舞いだ。
阿喜多殿の左右に座る恒殿と珠殿も、すっかり慣れた様子で平然としている。
「阿喜多殿、結構しっかりしているんですね。意外な一面を見ました」
「あれが素だよ」
驚き半分で感心する伊東さんに、阿喜多殿が猫を被っていたのだと、一条さんが言外に告げた。
それと同じタイミングで小早川さんが再び警告をささやく。
「竹中さん。姫様たちの様子を見る限り、あれは極度の緊張状態です」
「側室狙いの姫もいるでしょうからね。きっと今頃はプチパニック状態ですよ」
正室たちが同席するとは知らせていなかったから、例外なく全員が驚き緊張していた。
しかし、それ以上に姫様たちの緊張を煽っているのが阿喜多殿なのは間違いない。
日の出の勢いの伊東家当主伊東義益の正室にして、実兄は四国の覇者一条兼定である。
列席する姫様たちからすれば畏敬の対象だろう。
「それは……、気の毒ですね」
「まあ、これくらいは乗り越えられないと北条さんの正室もうちの久作の正室も無理です。ここはそれも含めて見させてもらいましょう」
大嘘だ。
阿喜多殿の威圧感がここまでとは予想しなかった。原因がどこにあるのかは別にして、いまさらどうすることもできない。
ここは大人しく様子を見るのが色々な意味で得策だ。
俺たちが内密の話をしている間に阿喜多殿の挨拶も終わり、姫たちの前にお茶とお茶菓子が運ばれてきた。
お茶とお菓子が乗った膳がそれぞれの前に並べられる。
お茶は特別なものではないが茶器は違う。売れば大人一人が一年は暮らせるだけの価値がある。
だが、姫たちの視線は眼前に並んだ、見慣れぬお菓子に注がれていた。
並ぶお菓子は
「やっぱり女の子ですね。甘いものに目が行くようですよ」
「違うよ、小早川さん。彼女たちはこれが甘いか辛いか何て知らないよ。もの珍しさから見入っているだけさ」
小声で答える一条さんに聞く。
「それにしても、金平糖なんてよく用意できましたね」
「作ったんだ。一条家で自作したものだ。即位の礼が終わったら、竹中さんにもお裾分けするよ」
お礼を言う俺に一条さんが口元を綻ばせてさらに言う。
「竹中さんの清酒には負けるよ。といっても、清酒をこの席にはだせないだろうけどね」
「お茶会の席で二十五人もの姫を酔い潰させた、なんてことになったら風聞が悪すぎます」
まだ名前の付いていない清酒に『姫殺し』とか『姫堕とし』などという名前が付きかねない。
百歩譲って清酒におかしな名前が付くのは許せても、俺の風評被害は勘弁して欲しい。
もっと言えば、後世の悪名は甘受するが、現世での悪評は何としても避けたい。
「公家の姫様二十五人を酔い潰したら歴史に名を残しそうですね」
「帝が敵に回りかねないな」
伊東さんと一条さんが楽しそうに口にした。
「そんなことよりも、北条さんの正室候補と久作の正室候補を教えてください」
「あの姫。真ん中辺りに座っているロリ姫が北条さんの正室候補」
「あの山吹色を基調にした十二単っぽいのを着た少女ですね」
幼い容貌ではあるが整った顔立ちの少女に目が止まった。
なるほど、平成日本の街中ですれ違ったら、未成年と分かっていても視線を向けてしまうほどの美少女だ。
「そうそう、それ」
「なるほど、少しというか、かなり幼い感じはしますが平成日本風の美少女ですね」
「だろう! 苦労したんだよ、あの姫を探すの」
手元の資料を見ると、三条家の遠縁に当たる姫を三条家の養女にした、とある。
「一条さんも顔を見るのは初めてですよね?」
「そこは忍者が大活躍。似顔絵を何往復させたことか」
「絵心のある忍者なんてよく見つけましたね」
「移住してきた忍者全員に似顔絵を描かせた。その上で絵の上手いヤツを五人選んで一条本家に送り込んだからね」
「やりますね、一条さん」
「楽しそうですね」
俺と伊東さんのセリフが重なった。
「楽しいよー。俺、こういう悪ノリって割と好きなんだよねー」
「知っていましたよ」
「そう? 俺としては意外に思って欲しかったんだけどな」
即答する伊東さんに気を取られている隙に、俺と小早川さんが口元を隠して苦笑いをする。
「それで久作の正室候補は?」
「ロリ姫の向かい側」
ロリ姫には劣るが十分に可愛らしい少女だ。年齢はロリ姫よりも上だろうか。
手元の資料を見て驚いた。
「ロリ姫が十五歳で久作の正室候補が十三歳ですか? どうみてもロリ姫の方が年下に見えますよ」
資料が間違っているのではないかと聞き返すと、一条さんが満面の笑みで答える。
「だからこそのロリ姫だよ。だからこそ、価値があるんじゃないか」
それは北条さんにとっての価値ですよね。
喉まででかかった言葉を飲み込んだ。
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