第132話 お姫様とお茶会(1)

 京にある四国一条家の別邸で催される、公家の姫様たちを招待してのお茶会開始まで後三十分弱。

 招待客である姫様たちを乗せた牛車が次々と門を潜る。


「おお! いるいる。着飾った姫様たちがたくさんいる」


 別邸にある二階の一室からその様子を覗き見ていると、一条さんの楽しそうな声が聞こえた。

 続く伊東さんの声。


「ここからだとよく分かりませんが……、随分と着飾っているようですね」


 残念そうな表情を浮かべる伊東さんに一条さんが得意げな笑みを向ける。


「伊東さん、俺を甘く見ないで欲しいな。お茶会の準備は万端だと言ったろう」


 そう言って傍らにあった木箱を引き寄せて言う。


「この日のために用意した秘密兵器だ!」


「秘密兵器?」


「物騒なモノじゃないでしょうね?」


「この日のため……?」


 俺と伊東さん、小早川さんの声が重なり、視線が一条さんと木箱を往復する。

 俺たちの意識が自分に向いたと分かると、一条さんが高らかに笑いながら木箱を開けた。


「これだ! ちゃんと人数分あるから安心していいよ」


 一条さんが木箱から取りだしたのは、二つの筒を並行に並べて繋げたモノ。

 絶句している俺たちを面白そうに見ながら一条さんが続ける。


「双眼鏡だ。これがあれば、ここからでも姫様たちの顔まで分かるはずだ」


 そう言うと、一条さんは身を隠すようにして窓の隙間から双眼鏡で姫様たちの様子を眺めだした。

 真っ先に我に返ったのは伊東さん。


「一条さん、この日のためって……。航海のときにだしてくれれば、もっと役に立ちましたよ」


「航海のために利用しても面白くないだろ。やっぱり双眼鏡はこういう使い方が一番ワクワクするじゃないの。最初に使うのはやっぱり覗きでしょう」


 気持ちは分からないでもないが、諸手を挙げて同意はできないなあ。

 同意はできないが、利用できるものは利用する。俺たち三人は一条さんから双眼鏡を借りると、同じように窓の隙間から到着した姫様たちの様子を覗き見ることにした。


 人類史上初。

 双眼鏡を使っての覗きをしていると小早川さんが言う。


「比べれば確かに侍女の着物は見劣りしますが、それでも十分に着飾っていますよ。公家は貧乏だという思い込みがあったので正直驚きました」


 小早川さんは村娘たちとしか接触がなかったから侍女の着物でも十分に着飾っているように見えるんだろうな。

 俺がそんな風に思っていると一条さんが小早川さんの脇腹を突いて怪しげな笑みを浮かべた。


「小早川さんも出席したらどうだ? 気に入った姫がいたら奥さんにしちゃいないよ」


「え? 私は――」


「身分なら大丈夫。沼田小早川家の領主に返り咲く予定だ、って言えばいい。それに生活費なら俺がだすんだ、そこらの大名よりもいい暮らしを約束する」


 小早川さんに嫁ぐ姫の実家には文句を言わせない。

 そんな口ぶりだ。


「領主となれるかは分かりませんし――」


 再び一条さんが小早川さんの声を遮る。


「まだ先の話かもしれないが、領主にはなってもらう。生活費をだすと言っても、医学所の責任者としての当然の報酬だ。それだけの仕事をするんだから、胸を張って受け取って欲しい」


「小早川さん、一緒に頑張りましょう」


 伊東さんが小早川さんの肩を叩いた。


 伊東さんは優しいな。

 この流れだと、俺が厳しいことを言うしかないか。


「私たち七人は歴史の表舞台に立ちました。次は小早川さんの番です。臆さずに踏みだしてください」


 帝への献金。これに名を連ねただけで、周囲の諸勢力から警戒されるには十分だ。

 まして、一条さん、伊東さん、今川さん、北条さん、そして私の五人は戦いの只中にある。もう引き返すことはできない。それは毛利を脱出した小早川さんも一緒のはずだ。


「そうですね。皆さんの言う通りです。分かりました、覚悟を決めます。ですが、あの姫様たちのなかから正室を選ぶつもりはありません」


 双眼鏡を握りしめて重々しく言った。


「お! 脱出してきた村に気になる娘がいたのかな?」


「毛利領から村娘をさらってくるのは難しくありませんか?」


「伊東さん、ナチュラルに『さらう』とかやめてくださいよ。忍者を使いにだして本人を説得しましょう」


 そう口にした俺を真っすぐ見つめて、


「実は一目惚れなんです」


 小早川さんが照れたように言うと、間髪容れずに一条さんが反応した。


「え? 竹中さんなの?」


 いや、やめてくれ。そういう趣味はない。

 共に天下を目指すのはいいが、床を共にするのはお断りだ。


「ち、違いますよ! 私にそんな趣味はありません!」


「そうですよね。おかしいと思いました。それで誰に一目惚れしたんですか?」


 安堵して聞き返す俺の横で、一条さんが残念そうにつぶやく。


「何だ、せっかく面白くなってきたと思ったのに」


「一条さん、悪ふざけがすぎますよ」


 苦笑いする伊東さんを横目に、小早川さんが耳まで真赤にして女性の名前を叫んだ。


「き、桔梗さんです!」


「え? 桔梗……?」


「桔梗さんって、誰?」


「初めて耳にする名前ですね」


 多分三人のなかで俺が一番驚いている。


「小早川さん。桔梗って、くノ一の桔梗ですか?」


「そうです。その桔梗さんです。初めて会ったときから心奪われました。一緒に逃げているうちに、どんどんと好きになっていきました」


 身を乗りだして熱い眼差しを俺に向ける小早川さんの横で、一条さんが伊東さんに聞く。


「吊り橋効果とか言うんだっけ?」


「ちょっと違う気がします。というか、男女の立場が逆ですね」


「戦国時代に毒されず、男女平等に行こうよ」


 二人とも驚いているようで、ずれた会話を始めた。

 ちょっと援護は当てにできそうにないな。


 冗談半分に『戦国時代にうとい俺でも、領主がくノ一を側室するのは前代未聞だと分かるよ』、などと会話している二人をよそに小早川さんに言う。


「桔梗を側室に迎えたいというのでしたら、彼女の親代わりである百地丹波に相談してみましょう」


 将来、一国の領主となる可能性を秘めた男がくノ一を側室に迎える。

 百地丹波の驚く顔が目に浮かぶようだ。


「違います。正室として迎えたいんです。側室をもらうつもりはありません。桔梗さん一筋です!」


 熱のこもった言葉が飛びだした。


 驚いたのは俺だけではなかった。

 一条さんと伊東さんもずれた会話を中断してマジマジと小早川さんを見ている。


「えーと、小早川さん。本気ですか? 桔梗はくノ一ですよ。身分を気にしない私たちでも、周囲から奇異の目で見られるのは容易に想像できます」


 桔梗が平成日本風の美少女なのは認めるし、転生者である俺たちの目を惹く容貌なのは確かだ。

 だが、ちょっと簡単に惚れすぎじゃないか?


「本気です」


「小早川さんが、桔梗さんを好きなのは分かった。でも、公家の姫と結婚するのは政略の一つだから。ここは恋愛感情とは分けて考え――」

 

「一条さん、私の気持ちは変わりません」


 即答した小早川さんを説得しようとする一条さんの言葉を遮って小早川さんが言い切った。

 そして俺と伊東さんが引き合いにだされる。

 

「それに竹中さんや伊東さんだって、側室を持つつもりはないんですよね」


「小早川さんの気持ちは分かりました。桔梗本人の気持ちも確認しなければなりませんし、親代わりの百地丹波の了解も得ないとなりません。この話は即位の礼の後に改めて話し合いましょう」


 この時代だ。嫁ぐ側の女性の気持ちは関係ない。百地にしても命令だと言えば従うだろう。

 とは言え、二人とも驚くだろうな。


「この件は竹中さんにお任せしましょう。それに私も側室を持つつもりはありませんから、小早川さんを応援しますよ」


 早々に味方を失った一条さんが降参する。


「分かった。この時代の常識に縛られた考えをするのはやめよう。俺も小早川さんを応援するよ」


 そう言って俺の方に視線を向ける。


「竹中さん。小早川さんが桔梗さんと結婚できるように説得してくれよ」


 いつの間にか説得する羽目になってしまった。


「分かりました。私が話を切りだすまでこの件は内緒でお願いします。雑談のなかでも口にしないでください」


「随分と慎重だね」


 不思議そうにする一条さんに言う。


「私たちだけが驚いたのでは悔しいじゃないですか。百地丹波や桔梗の驚く顔が見たくなりました」


「相変わらず人が悪いな」


「その席に私も同席させてください」


 口元を綻ばせる一条さんと伊東さんの横で、俺の両手を取った小早川さんが真っすぐに見つめて訴える。


「竹中さん、よろしくお願いします!」


 熱い。というか、暑苦しい。


「分かりました。何とか小早川さんの望みをかなえられるよう、頑張ってみます」


「さ、それじゃあ、姫様ウォッチングの続きをやろうか」


 一条さんが双眼鏡を手にして窓際に身を潜めた。

 よし、これに便乗しよう。


「そうですね! せっかくですから、覗きを楽しみましょう」


 自分でも何を言っているのか分からない。

 分からないが、このまま桔梗の話題が続くいては、小早川さんのボルテージが上がる一方な気がする。


 目配せをすると伊東さんがすかさず同調する。


「まさか姫様ウォッチングができるとは思いませんでした。さすが一条さんです」


「だろ、だろ! こういうの大好きなんだよねー」


 伊東さんも何を言っているのか分かっていないようだ。

 この場で自分の行動を理解しているのは、もしかしたら一条さんだけかもしれない。


 俺たち三人が窓際に身を潜めて双眼鏡を覗きだしたタイミングで引き戸の開く音がした。

 続いて聞こえる冷ややかな声。


「兄上、何をしているのですか?」


「重治様……?」


「兼定様……?」


 しまった!

 まさか、恒殿たちが直接迎えにくるとは思っていなかった。

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