第131話 京見物(3)

 京都見物を終えた夜、俺たちは予定通り一条さんの別宅に泊まることにした。

 予定通りと言っても、予定を知っていたのは俺たち四人だけなのはいつものことだ。


 各家の家臣たちは急遽決まったように見える、一条家別宅での宿泊の知らせを、同行した大名家の当主や名代に知らせるために走り回った。

 竹中家ではいつもの光景だったが、聞けば一条家と伊東家でもおなじみの光景だとのこと。

 

 それを知って、少しだけ罪悪感が払しょくされた。

 心も軽くなったことだし、これで善左衛門の小言も適当に聞き流せそうだ。


『疲れました』と憔悴した顔で訴える恒殿たち女性陣を先に休ませて、俺たち四人は離れにある一室に集まっていた。


「明日は早いから、本当はもう眠った方がいいんでしょうね」


 伊東さんが雲一つない、窓の外の夜空を仰ぎ見ると小さく笑って付け加える。


「眠るつもりもありませんけどね」


「当たり前だ。こうして四人で盃を酌み交わせるんだ。一睡もせずに明日のお茶会に出席したっていいよ、俺は」


「本当にやりそうですね、一条さん」


 そう言って笑う小早川さんを肘で突きながら、清酒の入った徳利を小早川さんに向かって突きだす。

 相変わらず恐縮して盃を差しだす小早川さんと、そんな小早川さんを陽気に笑いながらからかう一条さんとを見ながら言う。


『こうして皆さんにお会いできたのに、この四人だけで会話することなく眠るなんて、私にはできません』、そんなありきたりのセリフは飲み込む。


「あの部屋に入った瞬間、胸の奥から込み上げてくるものがありました……、それを顔にださないようにするのが大変でしたよ」


 不味いな……

 再び胸に暖かい何かが込み上げてくる。


「俺もだ……、涙があふれそうになったよ」


 急に静かな口調になった一条さんが、俺の盃に清酒を注ぐ。

 徳利を持つ手が微かに震えている。


「ただこうして、四人が同じ空間にいる。これをどれ程待ち望んでいたことか……」


 一条さんの震える声が途切れた。

 ダメだ。三人の顔を見ていると泣きそうになる。


 俺は自分の感情を抑え込むために手元の盃に視線を落とした。

 盃に満ちる清酒のなかで、冴え冴えとした月が揺れる。


 そのとき不意に小早川さんの声が聞こえた。


「茶室の翌朝、いつも思っていました。あの茶室は孤独を紛らわすために、自分で作りだした夢のなかの幻なんじゃないかって……」


 同じだ。この人も、俺とまったく同じ気持ちを、不安を、寂しさを感じていた。

 叫びだしたくなるような、あの胸を締め付けられるような不安と寂しさだ。


「小早川さん、辛かったよね。俺は伊東さんと早くに出会えたからまだ救われたよ。伊東さんには本当に感謝している」


「い、一条、さん……」


「一条さん、私の方こそ感謝しています」


 小早川さんと伊東さんの嗚咽が重なった。

 俺は盃に映る月を見つめたまま言う。


「四人。ようやく、かもしれませんが、それでも四人がこうして揃ったんです。それを喜びましょう。次は今川さんと北条さん。そしていつかは八人が笑って酒を酌み交わす日がきます」


 三人のむせび声が耳朶を打つ。

 俺の目からも熱いものが流れた。


「八人で酒を酌み交わす日か。楽しみだな」


「必ず実現させましょう」


「医学所、頑張ります。皆さんの寿命を絶対に伸ばしてみせます」


 むせび声がいつの間にか四つになっていた。

 無言の空間にむせび声だけが響く。


 ◇


 暖かく心地よい時間が流れる。


 自分がものすごく優しい人間になった錯覚を覚えた。

 いまなら、どんな悪人でも許せる気がする。信長とだって酒を酌み交わせそうだ。いや、悪魔とだって握手できそうな気がする。


 そんな心地よい妄想を一条さんが破った。


「いまだから言うけど、竹中さんが涙を堪えきれるとは思っていなかったんだよね」


「私と一条さんが初めて会ったときも、お互いに泣きましたからね」


 伊東さんが続き、小早川さんが頭をかき我ながら言う。


「私は、昨夜は号泣でした」


「小早川さんは他にも要因があるからさ」


「一条さん、お気遣いは無用です。昨夜、部下を失ったのは私だけではありません。それに、いつまでも引きずっていては田坂さんに顔向けができません」


「竹中さん、本当によく我慢しましたね」


 目を真っ赤に泣き腫らした伊東さんは、そう言って小早川さんから俺に視線を移した。

 俺もあんな顔をしているんだろうな。


「まさか、恒殿の前で泣く訳にもいきませんからね」


「まったくだ。俺なんて妻と妹の二人だよ。絶対に泣き顔なんて見せられないね。特に妹、絶対に後でネタにするよ」


「でも昨夜は阿喜多の前で、私たち三人とも号泣してしまいましたよ」


 伊東さんが一条さんを気遣うように言う。


「あれは、いいんだよ」


 静かに返す一条さんに、伊東さんが穏やかな眼差しを向ける。


「そうですね。あれは、我慢するところではありませんでした」


「皆さんには本当に返しきれない恩ができました」


「いいんですよ。助け合うって決めていたじゃないですか」


「ですが、竹中さん――」


「恩を感じる必要はない! ただ、小早川さんも俺たちと同じように、自分にできることを精一杯やってくれればそれで充分だ」


 一条さんが『なあ、そうだろ』と俺と伊東さんに同意をうながす。


「一条さんと伊東さんだけでなく、今川さんや北条さんも戦国大名として歴史の表舞台に上がりました。もちろん、私も、です。次は小早川さんの番ですよ」


「小早川さんの場合、世界の医術改革という大事業だから俺たちの比じゃないだろうけどな」


「期待していますよ」


「これは無理なんて言えませんね。時間はかかるかもしれませんが、必ず世界の医療を変えてみせます」


 泣き腫らした顔に決意の眼差しで応えた。


 ◇


「それはそれとして、明日の打ち合わせもしておこうか」


 一条さんが三枚の書状を自分と伊東さん、俺の前に並べて言う。


「これが明日のお茶会に出席する姫様リストね。一応、調べられる範囲で本当の出自も調べてある」


「本当の出自?」


 小早川さんも興味があるのか、出席しないのに食いついてきた。


「遠縁の姫を養女に迎えて連れてくるのは可愛いもの。村娘を遠縁の養女にして、それをさらに養女にして出席させようとしていた不届き者までいた」


 一条さんの裏話に伊東さんと俺の声が重なる。


「詐欺ですね」


「執念ですねー」


「それだけ俺たちと縁を持とうと、相手も必死ってことだよ。特に北条さんの正室は今回の特賞みたいなもんだからね」


「ロリの北条さんが特賞……」


 小早川さんが辛辣な一言をこぼすと、一条さんが笑いながら言う。


「姫様当人にとってもそうだろうけど、実家から見ても魅力的だよね」


「北条家の若き当主の正室となれば魅力的でしょうね」


「竹中さん、他人ごとではありませんよ。竹中家の当主の弟の正室も十分に魅力的ですよ」


 俺に注意をうながす伊東さんに一条さんがくぎを刺す。


「伊東さん、俺たちもターゲットだよ。側室狙いの姫たちもたくさんいるからね。一応、兄としては阿喜多を泣かせないで欲しいな」


「私は阿喜多殿一筋です。そもそも側室騒動が原因で毒殺されたかもしれないんですから、滅多なことはしませんよ」


「あれ? 一条さんって村娘に手を出して、重臣からそっぽを向かれるのが凋落の原因じゃありませんでしたっけ?」


 俺を見て史実の確認を取ろうとする小早川さんに、一条さんがすかさず返す。


「史実と同じ失敗はしない。村娘と言っても庄屋の娘に狙いを絞っているし、ちゃんと節度を持って接している。重臣の土居宗珊に対する心配りも万全さ」


「そうですか。それならいいんです」


 自身満々の一条さんを前に、あっさりと引き下がった。


「話がそれましたね」


 俺が笑いながらそう言うと、一条さんが即座に反応する。


「あーもう! 話が進まないなー! まずは明日の姫様たちのリスト確認! その後は姫様たちへのお土産の確認ね」


 そう言って姫様リストを広げ、次いでお土産リストを広げた。

 そのお土産リストを手にとった伊東さんがつぶやく。


「お土産と言えば、阿喜多殿は反物の良し悪しを簡単に見極めていたなあ。さすが名家一条家の出だと感心しましたよ」


「でも助かりましたよ。うちの恒殿なんて阿喜多殿を見る目が尊敬一色に染まっていましたよ」


 次々と眼の前に並べられる反物を自分たち用の反物とお土産用の反物とに即座に選別していた。

 いま思い返しても流れ作業のように寄り分けていたな。


 その後は恒殿たち同伴でのお土産ショッピングや京観光に話題が逸れながら、 夜中まで明日の打ち合わせが続いた。

 それはさながら茶室の延長のようだった。

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