第125話 逃亡(6) 三人称
瀬戸内を進む
「殿、海岸線にいくつもの灯り! 大量の松明です。何かに向かって移動しているようです!」
「どこだ? どこに見える」
すぐに飛び込んでくる灯り。
まるで漁師が魚を追い込むように灯りが包囲の囲みを狭めていく。
灯りが追う先に目を凝らす。
だが暗闇のなかで灯りも
だめだ、見えない。
小早川さんは、本当にあそこにいるのか?
兼定が内心で
「何かを追いかけているようにも、見えますな」
海岸線に視線を向ける一条兼定の傍らで、
兼定が叫ぶ。
「あの松明の向かう先に、
あそこに小早川繁平がいなければよし。
いた場合、このままでは死が待っているだけだ。
それが兼定に決意を与えた。
兼定の声に応えようと、船乗りも武将たちも我先にと動き出す。
戦場さながらの緊張感と喧騒が、瞬く間に広がった。
「ギリギリまで寄せろーっ! 座礁しても構わねえっ。大殿の許しは貰っている!」
「小早だっ、後続の小早を下ろせ!」
「毛利勢に
「この船をぶっ壊してでも、小早川繁平様をお救いするぞー!」
兼定の指示で走り回る者たちのなかに、悲痛な声が交る。
「松明の動きが早いぞ!」
「新手だ! 毛利側に援軍が到着したぞ! 急げっ!」
「毛利勢の援軍だ! 松明の数が一気に増えたぞ!」
その一言一言が、兼定の希望を削り、焦りを沸き起こす。
兼定が声を張り上げる。
「諦めるなっ! 決してあきらめるんじゃないっ! 矢を射かけろ! あの松明に向かって矢を射かけろ! ともかく、松明の足を止めるんだー!」
湧き上がった、負の思考を振り払うような号令。
兼定の意気が武将たちを刺激する。
「戦だ、毛利勢を叩くぞ!」
「矢だ、矢が足りんっ。もっと矢を持ってこい!」
「小早を急がせろ!」
「敵が追いつきます!」
船乗りの一人が兼定に向けて叫ぶ。
他方からも叫び声が上がる。
「先行させた小早でも、間に合いません! 敵の動きが、速すぎます!」
兼定の鼓動が一際大きく波打つ。
全身の毛穴から汗が吹き出す。手が震える。くずおれそうになる身体を、船べりを掴んで必死に支える。
周囲からは絶望的な声が次々と上がる。
喧騒のなかで、兼定の声が轟く。
「竹中重治殿は必ずくる! 近くまできている! 信じろ! 信じて矢を射かけ続けろ!」
竹中さん、頼むっ。間に合ってくれっ!
兼定が祈るように天を仰ぐ。
「と、殿! 新手です!」
「どこの軍勢だ? 旗指物は!」
叫ぶ武将が示す先に幾つもの松明が、我先にと入り乱れるように移動している。
あれが
そんな考えが一条兼定の胸をよぎった。
「旗指物がありませんっ。正体不明の軍勢ですっ!」
小早川隆景の手勢!
心臓を鷲づかみされたような衝撃が、兼定を襲う。
「新手です!」
「囲まれます!」
「騎馬の一団が迫っています!」
叫び声にも似た声が、あちこちから上がった。
「竹中家のものです! 騎馬の一団! 旗指物は竹中本軍! 竹中重治様率いる本軍の旗が
「きたかっ!」
兼定の心が震える。
迫る松明の灯りが、希望の光が、涙ににじむ。
「援軍がきたぞ! 殿の予想通りだ。あれは竹中軍だぞ!」
「殿は千里の先を見通す目をお持ちか!」
側に控えていた若い武将が、
「上陸部隊を用意しろ! 竹中軍と合流して毛利勢と一戦交えるぞ!」
喧騒のなか、兼定が指示をだす。
重治が間に合ったことが、兼定を突き動かす。
「小早をもう一隻用意しろ、俺も小早ででる!」
「お待ちください! 夜の海です。万が一があっては大変です」
「宗珊、止めても無駄だ! 次に下ろす小早で俺もでる!」
◇
京を飛び出した騎馬の一団。その先頭を走る部隊から伝令が駆け込んできた。
「大殿、前方に無数の松明の灯り! 灯りは何者かを追うようにして、海へと向かっています!」
「松明を灯した者たちはどこの手勢だ」
重治の問いに武将が答える。
「旗指物はありません! 正体不明の一団です!」
決まりだ。
重治の号令が轟く。
「松明の灯りが追う先に小早川繁平殿がいる! その松明を掲げた部隊は敵だ! 松明を掲げた部隊の脚を止めろ! 攻撃をしかけろっ!」
「海上に安宅船。一条家、長曾我部家、伊東家の旗を確認っ! 数は五隻以上っ。小早も幾つもでていますっ」
矢継ぎ早に、別の伝令の知らせが届く。
そのとき、海岸と海上とで入り乱れる、無数の灯りが重治の視界に飛び込んできた。
「どこだっ、小早川さんはどこにいる!」
焦る重治に
「海岸まであとわずかのところです。八郎太と桔梗が付いているので、間違いありません」
「百地、先導しろ! このまま騎馬で突撃をする!」
「殿、落ち着いてください。暗闇での乱戦です。危険過ぎます」
海上からは一条家と伊東家をはじめとした、幾つかの大名から混成軍。地上では正体不明の軍勢が追い、重治率いる軍勢が迫る。
同士討ちの可能性がある。
百地がそれを危惧し、重治を止める。
「ここで殿に万が一のことがあれば、我らはどうなります」
「私の我がままだ。ここで行かなければ、たとえ生き延びたとしても後悔する。行かせてくれ」
「それでもお止めしたら?」
「俺一人でも、突撃する」
百地が一瞬瞳を閉じて、夜空を仰ぐ。
覚悟を決める時間はそれで充分だった。
「承知いたしました。先導いたします」
百地が一団を抜け、海岸へ向けて騎馬を駆けさせる。
すかさず重治が駆けだす。
「続けー、続けーっ! 松明を掲げた部隊に突っ込むぞ!」
百地に続いて飛びだした重治を、歓声を上げて騎馬武者たちが追う。
◇
小早に同乗していた若い武将が海岸を指さす。
「殿、竹中様の軍勢が毛利勢に突撃をしました! 毛利の軍勢が耐え切れずに四散していきます」
「魅せてくれるじゃないか、竹中さん!」
兼定が口元に笑みを浮かべ、武者震いをする。
「殿、毛利勢と竹中様の軍勢が入り乱れだしました。弓矢が射かけられません!」
次々と同様の問題が飛び込できた。
一条・伊東の連合軍から放たれる弓の数が、急速に減少する。
「上陸だ! 上陸して、毛利勢を叩き潰せ! 竹中軍と合流して、毛利勢を叩きのめせ!」
歓声が上がった。
伝令の小早が海上を行く。松明が大きく回された。兼定の発した、上陸指示を伝える合図だ。
「殿、約束が違います。これ以上は見過ごせません」
歓声に負けることなく、土居宗珊が大きな声で兼定に詰め寄る。
兼定は笑みを浮かべて答えた。
「宗珊、何を言っているんだ。約束通りじゃないか。言っただろう『戦いは極力避ける』ってな」
「殿、新手です! また新手が現れました!」
宗珊の声をかき消して、兼定に届いた。
「どこの軍勢だ!」
「正体不明です。旗指物、見当たりません。毛利の手勢と思われます!」
交戦している兵数が逆転した。
◇
新たな軍勢が現れたことは、竹中軍でも捕捉していた。
「殿、新手です! かなりの兵数です」
「小早川隆景です! あれは小早川隆景の本軍です!」
百地配下の忍者が、悲鳴にも似た声を上げる。
その声に重治と百地が顔を見合わせた。
「速すぎる。隆景がなぜここにいる!」
「隆景殿の動きの速さを、見誤ったようです。申し訳ございません」
迫る隆景軍勢の勢いと数を目の当たりにして、百地丹波の心臓が大きく跳ねた。
竹中重治の部下となって、初めて見せる焦燥の表情が浮かぶ。
「敵の兵力が倍増した。全力で殿をお守りする。それ以外は考えるな! 繰り返す! 殿の護衛だけを考えろ!」
それは誰に向けた号令だったのか。
百地丹波の配下の以外の者も、彼の号令一下一斉に動いた。
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