第126話 逃亡(7) 三人称

 夜の街道を外れ、海岸線に向けて、何頭もの騎馬が怒涛どとうの勢いで駆ける。


「殿!」


 騎馬を駆けさせる竹中重治たけなかしげはるに、百地丹波ももちたんばが追いすがる。


「言うな! 引き返すつもりはない!」


 竹中重治はそれだけ言うと、正体不明の軍勢の足を止めるため、騎乗する馬にさらにむちを入れた。


「追え! 大殿を追い抜いて、毛利もうりの手勢に仕掛けろ!」


「殿の前にでろ!」


「後続は弓を射かけろ! 毛利勢の足止めをしろ!」


 百地丹波が指示を飛ばすまでもなく、竹中重治の本軍の武将たちが騎馬の速度を上げる。

 主である竹中重治と毛利勢との間に入ろうと、遮二無二しゃにむに駆ける。


「殿――」


 再び声をかける百地丹波の声を竹中重治が遮る。


「言うなっ! くどいっ!」


「違います。小早川繁平こばやかわしげひら様の一行が、待機させてある小舟の間近に到着しました」


「到着したのか?」


 竹中重治の胸の内に安堵が広がった。


 時を同じくして。


 小早川繁平一行が、合流を予定していた場所を眼前にとらえた。

 その瞬間、八郎太はちろうたが声を上げる。


「小早川様。待機させていた小舟が、小早川隆景こばやかわたかかげ勢の手に落ちていますっ」


 先行していた小早川隆景勢の一組が、待機させていた小早に到達していた。


 戦って奪い返すか?


「海へ飛び込みます」


 八郎太が逡巡する間に決断した小早川繁平が、夜の海へと飛び込んだ。

 

「小早川様っ」


「殿ーっ!」


 桔梗ききょうが悲鳴にも似た声を上げる。

 叫び声を上げて、田坂頼賀たさかよりよしが、小早川繁平の後を追って夜の海へと身を躍らせた。


「八郎太様っ」


「桔梗、我らも追うぞ」


 八郎太に指示を仰ごうと振り返った桔梗に告げ、二人そろって冬の海へと飛びこんだ。


 それを見ていた百地丹波が声を上げる。


「殿、小早川繁平様、配下のお方、八郎太と桔梗も海へ飛び込みました」


「どういうことだ! 何があった!」


「ここからでは分かりません。分かりませんが、恐らく待機させていた小早に、小舟に、何か問題があったものと思われます」


「確認するぞ! 小早川さんが飛び込んだところまで進めーっ!」


 竹中重治の号令をあざ笑うように、幾本もの矢が飛来する。


 矢は地面に鈍い音を立てて突き立つ。幾人もの武将や騎馬を貫く。

 驚きと警戒の声を上げる者、激痛を訴える者。それに馬の悲痛ないななきが交ざり合って、夜の海岸線に混乱が巻き起こった。


「て、敵襲ーっ!」


「小早川隆景と思われる軍勢から、我が方に向けて矢が放たれました!」


「殿、これ以上は無理です!」


「撤退を! 撤退をお願いします!」


「だめだ! 小早川さんを見捨てる訳にはいかなっ」


 竹中重治の騎乗していた馬が、大きないななきを上げて後ろ脚で立ち上がった。


「殿!」


「大殿!」


 辺りにいた武将たちが悲鳴を上げる。

 彼らの視線の先には、騎馬から放り出され、宙を舞う竹中重治の姿が映っていた。


 真先に動いたのは百地丹波。

 地面に投げ出された竹中重治の下に駆け付けると彼を抱え上げた。


 主である竹中重治に、大事だいじがないことを見て取ると、


「撤退をする! 殿が負傷された! 殿をお守りして撤退する!」


 百地丹波の声が混乱する竹中軍に響き渡った。


 ◇


 夜の瀬戸内海。小早の上で一条兼定いちじょうかねさだの声が轟く。


「小早川繁平殿が、海に飛び込んだだと!」


「はい、間違いございません」


「なぜだ……」


「恐らく待機させていた小早が、毛利勢に押さえられたものと予想されます」


 茫然とする一条兼定に向けて、冷静に告げたのは一条家の素破頭だった。


「急げ! 飛び込んだところへ小早を向かわせろ! 小早川さんを救出するぞ!」


 冬の海に飛び込む。

 自殺行為ではあるが、一縷いちるの望みはあった。


 一条兼定の部下たちは、それを信じる主の言葉にしたがって、小早を急がせる。


「急げ! まだ間に合うぞ!」


「灯りだ! 松明たいまつをもっと灯せ!」


「毛利勢のへなちょこ矢など気にするな!」


 船乗りと武将たちから、威勢のいい声が次々と上がる。


「海上に人影! 月明りにわずかに浮かびました!」


 素破頭の示す方向に、一条兼定も目を向ける。

 だが、見えるはずもなかった。


 それでも即座に指示をだす。


「この方向だ! 船を急がせろ!」


「これは……少々骨が折れます」


 小早を操る船乗りが、飛来する矢の数を見て歯ぎしりをした。

 

「小早川隆景か……」


 一条兼定のつぶやきに土居宗柵どいそうさんが即答する。


「毛利の新手、小早川隆景の一軍が加わったことで、毛利側に勢いがあります」


「竹中さんの軍勢の様子はどうだ?」


 一条兼定に問われた素破頭が即答する。


「よくしのいではいるようですが、小早川隆景の軍勢に押されています」


「小早川隆景の軍勢は予想外だもんな……頼みの竹中さんでも無理か……」


 かといって一条家、伊東家の軍勢を上陸させる余裕も、もはやなかった。

 

「小早川隆景、噂以上です。いくら兵数で有利になったとはいえ、あの混乱した状況を、こうも短時間で立て直すとは……」


 土居宗柵の言葉が一条兼定の胸をえぐる。


 もっと小早川隆景を警戒すべきだった。

 決して甘く見たつもりはなかった。それでも自分たちの予想の上をいく手腕に唇を噛む。


「増援です!」


「小早川隆景の軍勢の左翼に新手の軍勢が現れました!」


 新手の軍勢が現れた知らせに、土居宗柵が悲痛な声を上げる。


「まだ軍勢を控えさせていたのか!」


 一条兼定は新たな軍勢から、小早川繁平へと視線を巡らせる。


「小早川さんのところまで、どれだけかかる! もっと船を急がせろ!」


「弓の数が増しています!」


「これ以上近寄るのは危険です!」


 一条兼定の指示に船乗りと武将から、状況の厳しさを伝える声が上がった。

 次の瞬間。 

 一条兼定の乗る小早とその周囲にいた小早に乗った者たちから悲鳴が上がる。


「ふ、船です! 安宅船あたけぶねが後方から迫ってきます!」


「よけろ! よけろーっ!」


「伊東家の安宅船です」


「盾となれーっ! 絶対に矢を一条さんたちに届かせるなよ!」


 安宅船の船上から伊東義益いとうよしますの声が聞こえた。


「伊東さん!」


「一条さん! この船が盾になる! 小早川さんを何としてでも、助けてくれ!」


「承知した! 盾役、頼んだぜ!」


「おう! 任せておけ!」


「殿、このままでは座礁ざしょうをしてしまいます」


「構わん、この船は小早川隆景にくれてやる。 小早川繁平殿と交換なら安いものだ!」


 伊東家の安宅船の船上でかわされる会話を聞きながら、一条兼定が大声を張り上げた。


「あの安宅船が盾となる! 小早川さんの下へ急げーっ」


 その声をかき消すように夜の闇をつんざく轟音が響いた。


「何だ!」


「銃声です! 小早川隆景の軍勢の左翼に現れた軍勢です! 大量の火縄銃が一斉に火を噴きました!」


「五十丁か、百丁か! ものすごい数の火縄銃です!」


 周囲の報告に、一条兼定の背筋を冷たいものが伝う。


「バカなっ! ここで鉄砲隊を投入してきたのか!」


「小早川隆景の左翼に現れた軍勢の、旗指物を確認! 竹中軍!」


「火縄銃の一斉射撃をしたのは竹中軍の新手です!」


 次の瞬間、一条兼定は叫んだ。


「その軍勢は竹中さんの放った必殺の一軍だ! 小早川隆景を討ち取ることのできる軍勢だ! 呼応しろーっ!」


明智光秀あけちみつひで殿の軍勢です!」


「火縄銃の一斉射撃をしたのは、明智光秀殿の軍勢です!」


 安宅船の船上では伊東義益の声が轟く。


「竹中軍の増援が小早川隆景の本軍を捉えたぞ! あれを見ろ! 火縄銃の一斉射撃で小早川軍が崩れるぞ!」


 伊東義益の言葉通り、明智光秀の一軍が放った火縄銃の一斉射撃は、小早川隆景本軍を混乱におとしいれていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る