第123話 逃亡(4) 三人称
竹中重治が逗留先としている、
「誠に申し訳ございません」
普段、あまり感情を表に出さない
百地丹波の後ろに控えている五人の忍者に至っては全員が顔を蒼ざめさせている。中には青みがかかった唇を小刻みに震わせる者もいた。
「最後に確認できたのは播磨なのだな?」
「はい、大阪まで半日程のところで消息が分からなくなりました――」
目を閉じて思案する竹中重治に向けてさらに続ける。
「――ですが、
「どこかに身を潜めているということか……」
或いはこの状況を万が一の事態と判断し、『茶室』で交わした約束に通りに瀬戸内海に向かったのか?
竹中重治が思案を巡らせていると、百地丹波の声が耳に届く。
「手勢をさらに割かせて頂けませんでしょうか? ご許可を頂ければ京に配置した二百名を動かします」
それは捜索のためというよりも、小早川隆景の手勢と一戦交えることを前提とした申し出だった。
とはいえ、小早川隆景の手勢は二百名の忍者で太刀打ち出来る数ではない。
「半数だ、百名は京に残せ。お前の手勢は捜索に専念させろ――」
竹中重治の頭の中で小早川隆景との交戦を前提とした部隊が素早くはじき出される。
「――蜂須賀正勝と前野長康の部隊を大坂に向かわせる。もちろん私も本軍の一部を率いて向かう」
百地丹波からの報告通りならそれでも戦力は足りない。
もっと強力な部隊が、もっと素早く動ける部隊が、臨機応変に対応できる将が必要だった。
「殿、恐れながら申し上げます――」
傍らに控えていた
「――小早川繁平様は沼田小早川家の直系とはいえ、既に隠居された身です。京を警備する部隊を割いてまで探し出す必要があるとは思えません」
即位の礼の警備を任されているこの状況で、万が一京で問題が起きれば取り返しのつかない失態となる。
竹中重治の叔父である
光秀を真っすぐに見つめ返す竹中重治がゆっくりと口を開く。
「小早川繁平殿は掛け替えのない人物だ。これからの日本にとって必要な人だ。日本の医術を変える人材だ」
「医術? ですか?」
「そうだ。小早川さんを救出できれば日本の未来が変わる。いや、世界の医術を変える事の出来る只一人の人物なんだ」
竹中重治の口から飛び出した突飛もない話に、光秀だけでなくその場にいた者たち皆があっけにとられ言葉を発せずにいた。
短い静寂を竹中重治が破る。
「光秀、私は天下を取る! ――」
力強い言葉だった。
突飛もない話に変わりはないが、それでも今しがたの話よりも理解ができた。
「――後世の歴史家が天下を取った私の最大の功績としてたたえるのは、小早川繁平殿を救ったという事だろう。彼は世界にとってそれ程に重要な人物なのだ」
「私には理解しかねますが、殿が小早川殿を誰よりも重要な人物とお考えなのは、それだけは理解できました」
理解したと口では言っても納得していないことは分る。
それでも期待に応えてくれると信じて竹中重治は言葉を紡ぐ。
「光秀、お前に先駆けの一軍を任せる! 正体不明の敵を排除して小早川繁平殿を救出せよ! ――」
その言葉だけで十分だった。
時間との戦いで先駆けを命じられる。小早川隆景の軍勢と戦う事の出来る最大の戦力を任される。
最も信頼する者なのだと言外に語っていた。
「――種子島百丁を持っていけ!」
光秀の胸に熱いものが込み上げてくる。
湧き上がる思いを抑え込むように静かに言う。
「小早川繁平様は小早川隆景の向かう先にいる可能性が最も大きいでしょう。百地殿の手勢を何人かお借りしてもよろしいでしょうか――」
一瞬百地丹波を見やる。
「――小早川隆景に張り付かせます」
竹中重治が百地丹波に視線を向けた。
「何人用意できる?」
「今すぐであれば五人、少しお時間を頂ければ十人を用意できます」
「百地殿、その五人をお借りする――」
光秀は百地丹波の立ち上がりざまに百地丹波へ向けてそう口にすると、すぐに竹中重治に向き直る。
「――殿、時間が惜しいのですぐに捜索部隊を編成して出立いたします」
そう言うと光秀は溢れ出そうとする涙を堪えて部屋を飛び出した。
光秀と百地丹波の手勢五人が部屋を飛び出すと、部屋の外に控えていた明智秀満が光秀を追いかけながら口を開く。
「殿、いったい中で何が……」
振りむいた光秀の目からあふれる涙を見て言葉が途切れた。
光秀は涙を拭いもせずに口元に笑みを浮かべる。
「秀満喜べ! 殿より大役を仰せつかった! ――」
訳が分からずにキョトンとする秀満に告げた。
「――これより小早川繁平様の救出に向かう。小早川隆景の軍勢と一戦交えることになるだろう。そのつもりで準備せよ!」
「畏まりました!」
秀満の若く張りのある声が小気味よく返ってきた。
光秀は竹中重治の前で呑み込んだ言葉を口にする。
「殿の大恩に報いるのはこの時だと心得よ! 一命を賭しての一戦となる! 時間との戦いでもある。急げ!」
光秀が言うや否や高揚した秀満が『準備をいたします!』、そう言い残して走り去った。
◇
「毛利勢と一戦するつもりでいろ!」
安宅船の甲板から
その先、先頭を行く安宅船の甲板では
「松明を灯せ! 船を海岸線に寄せろ! いつでも小早を降ろせるようにしておけ!」
「殿、夜の海岸線を進むのは危険です!」
白髪が目立ちだした武将が甲板の上で陣頭指揮を執っている一条兼定に詰め寄った。
一条家の筆頭家老である
「危険なのは承知している――」
一条兼定が若者らしい快活な声で一蹴した。そして忙しく動き回っている船乗りたちに向かって声を張り上げる。
「――お前たちの腕で寄せられるところまで寄せろ! 怖いと思ったら岸から離れていいぞ、とがめたりはしないから安心しろ!」
「大殿が我らの腕をご覧になりたいそうだ! てめぇら、ここが腕と度胸の見せどころだぞ!」
その声に呼応して船のあちらこちらから声が上がる。
「瀬戸内の海なんざ、可愛いもんですよ!」
「大殿、見ていてください。他家の船では寄せられないところまで寄せて見せますぜ!」
周囲の勢いに戸惑う土居宗珊が声を上げる。
「馬鹿な、無茶なことをするな!」
その声をかき消すように一条家家臣団の面々からも声が上がる。夜の海の恐ろしさを知らない若い武将が真っ先に動いた。
「我らも遅れを取るな!」
「伊東家は小早の用意をしているぞ!」
「矢の用意もしている!」
後ろに続く伊東家の甲板では搬送のため安宅船に括り付けていた小早の綱が解かれていく。
弓や矢筒を抱えた小者たちが甲板を走り回る。
「総指揮を執っておられる殿に恥をかかせるな!」
「伊東家に続いて、長宗我部家の船が戦支度を始めたぞ!」
伊東義益も長宗我部も気が早いと思いながら、一条兼定が辺りの船を眺めていると若い家臣たちの言葉が響いた。
「一番槍は我らがもらう! 他家には渡すなよ!」
「真っ先に上陸するのは俺だ!」
「抜け駆けは許さんぞ!」
号令を待たずに上陸しそうな程高揚した若い武将たちに一条兼定が声を掛ける。
「俺が号令するまで上陸はするなよ! 目的は沼田小早川家の本来の当主である小早川繁平殿の救出だ! 繁平殿さえ無事に救出できれば毛利勢は見逃してやれ!」
「さすが殿、情け深い!」
辺りから笑いが沸き起こった。
その笑い声に固まっていた土居宗珊が我に返る。
「殿、話が違います!」
「違わないだろ。即位の礼に向かう途中、小早川繁平殿を搭乗させると言ったじゃないか」
「毛利勢と一戦するなどとは聞いておりません」
「宗珊、心配するな。上陸はしない、海上から援護するだけだ。船の上から矢を射かけるだけだ」
一戦すると告げた。
「殿! 我らは西園寺家と河野家を滅ぼしたばかりです。瀬戸内を挟んで隣接する毛利家と揉めるのは避けるべきです」
竜造寺や島津を敵に回そうとしている伊東家はあてにできない。竹中家との間には三好がいる。今、毛利と事を構えて矢面に立つのは一条家だ。
土居宗珊はそれを改めて口にした。
情勢を改めて聞かされた一条兼定が穏やかな笑みと共に口を開く。
「約束なんだ。竹中重治殿との約束だ。俺と伊東殿とで海上から援護するってな――」
尚も何か言おうとした土居宗珊を制して続ける。
「――毛利は海を渡って我らに仕掛けることは出来ない」
「第一に金も兵糧もない。領内の不作と取引の失敗でそれどころじゃないさ。第二に帝から釘を刺してもらう」
「は?」
「小早川隆景の手勢は正体を隠して行動している。今回、この正体不明の軍勢と交戦する訳だ。心を痛められた帝は治安回復を望まれ、正体不明の軍勢の調査を実際に交戦した我々と周辺の大名に命じられる。
「それは……」
一条兼定の口元が綻ぶ。
「帝の命で治安回復に動いている大名に攻め込んだら、大ごとだよなあ。まあ、あくまでもそうなるといいな、という希望だよ、希望」
そう言って一条兼定が振り仰いだ空は、彼らの腹の中のように真っ黒だった。
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