第116話 手紙を読んでみよう

「恐ろしいことをお考えになりますね」


 稲葉山城の一室、久しぶりに尾張から帰還した明智光秀あけちみつひでは、そう口にしてため息を吐いた。

 俺が無言でほほ笑み返すと、視線を本多正信ほんだまさのぶへと移す。光秀に睨まれた本多正信はまるで無実を訴える罪人のように、額に脂汗を浮かべて激しく首を横に振っていた。


 同席している善左衛門ぜんざえもん百地丹波ももちたんばを見やるが、本多正信に助け舟を出してやる様子はない。

 しかたがない、ここは俺が助けてやるか。


「今回の件、正信は何も知らない。私が伊東義益いとうしよします殿や一条兼定いちじょうかねさだ殿と示し合わせてやったことだ」


「そうでしょうとも。このような事、一国で出来るものではありません――」


 光秀はたった今読んでいた書状を眼前に積まれた書状の山の上にそっと置くと、聞きたくなさそうな顔で問い掛ける。


「――今川様や北条様もくみしていらっしゃるのでしょうか?」


 勘がいいな。言葉こそ疑問形だけど、絶対に関与していると決めつけている口調だ。

 今川さんと北条さんどころか、最上さんや安東さんも与しているけどそれには触れずにおこう。


「その通りだ。皆で協力しての計画だ――」


 俺は光秀の前に積まれている書状を顎で指していう。


「――そこにある報告書と書状の通り、相場操作と先物取引を行っている真っ最中だ」


 九州島津領が豊作だと分かった途端大量の米を放出して暴落させた。

 それを皮切りに価格を調整して適度に利益を出して行く。陥れたい大名や国人領主の収穫に合せて価格を乱高下させている。


 朝廷工作はもちろん、武器や南蛮の作物の買い付け、領地の開発費と何かと入用だ。それも今回の相場操作と先物取引で何とかまかなえるだろう。

 光秀は積み上がった書状の山を見つめ、考え込むように言う。


「一見すると先物取引の方が恐ろしいものに思えますが、こちらは手を出さなければ被害にあいません。ですが相場操作の被害は避けようがないのでは?」


「先物取引は利益を出すこともあれば損失を出すこともある。言ってしまえば五分の勝負だ。光秀の言う通り、欲をかいて手を出したりしなければ損をする事もない――」


 もっともらしい口調で大嘘を吐く。

 俺たちが相場を操作しているのだから百パーセント俺たちが勝つ。それどころか勝ち方の匙加減まである程度思い通りに出来る。


「――相場操作の被害に合う他国の大名や国人領主たちは何が起きたのかも分からないから大丈夫だ」


 もっとも一部の勘のいい連中は、何が起きているのかは理解出来なくても自分たちがめられた事には気付くかもしれない。

 たとえ気付いても恨むべき相手が俺たちだとは気付かないはずだ。


「そう、ですね。確かに気付かないかもしれません」


 思案げな表情の光秀に明るい話題を提供しよう。


「先物取引と相場操作のお陰で上洛前に十分な資金が確保出来る。朝廷への工作資金はもちろん、軍事物資の購入資金や領地の開発資金の心配もしなくていいぞ」


「確かに資金は流れ込んで来るでしょうが、恨みも買いそうです」


 光秀のヤツ、最近ネガティブな思考に拍車が掛かっていないか?


「恨みを買いそうなのは先物取引に手を出した商人たちと、一部の寺社くらいだ」


「まさか、他国の寺社にも先物取引を持ち掛けたのですか?」


 蒼ざめた顔で腰を浮かせて身を乗り出すと、すぐに俺から視線を外して、善左衛門、本多正信、百地丹波の顔を順に見回す。

 先日の善左衛門と本多正信の反応と同じ、まるで大事件でも起きた様な反応だ。


 百地丹波は目を閉じたまま無反応。善左衛門はツイと視線を逸らし、本多正信は申し訳なさそうな表情を浮かべるとすぐに下を向いてしまった。


 光秀が目を通していなかった報告書の山から、先物取引に応じた寺社の一覧とそれぞれの損益予想が記載された報告書を取り出す。


「先物取引に手を出してきた寺社は全て他国だ」


 領内の寺社で先物取引に手を出して来たところはなかった。どこも一攫千金など夢見ず、堅実な経営と奉仕活動を選んだ。

 これも俺の統治の賜物だろう。

 膝立ちになっていた光秀は糸が切れたように畳に座り込んだ。


 先日の善左衛門や本多正信のように静かになると思ったが、そこは光秀、一味違った。

 即座に気を取り直して話しを再開する。


「先物取引の被害者ですが、このままでは破産する商人や寺社も出て来ます。そうなれば当家と敵対する大名家に助けを求める者も出てくるでしょう。泣き付く先によっては厄介なことになります」


 寺社って破産するのか?

 疑問が脳裏をよぎったがそんな事を口にしたら怒られそうなのでやめておこう。


「潜在的に敵国となる可能性のある大名は米相場で大損をしている。余程の事がない限り戦なんて仕掛けて来ないんじゃないのか?」


 気の毒な事に不作の三好領や毛利領では米相場が高騰しているそうだ。


 底の方に埋まっている報告書には毛利が涙目で大量の銀を放出した事が子細に書かれている。大量の銀を放出して米を購入したようだが、大戦おおいくさを仕掛けられるだけの量は確保できていない。

 三好はもっと酷い。大戦おおいくさどころか小競り合いがやっとだ。下手したら米欲しさに近隣の弱小国相手に小規模な戦争でも起こすんじゃないか?


 本多正信が渋面を作って言う。


「いざとなれば商人に矢銭やせんを要求するでしょう」


 商人を脅して軍資金を出させるのか。あり得るな。

 金がいくらあっても兵糧が買えないようにしておくか? いや、現実問題無理な話だ。下手に動いて『何かしている』と思われても損だよなあ。


「まあ、そのときはそのときだ。こちらで何か対策を講じることもできないだろ?」


 俺の言葉に皆が神妙にうなずくと、光秀が次の問題を示唆する。


「先物取引に参加して損失をこうむった商人たちはどうされるおつもりですか?」


「借金はそのまま貸付にして毎年利子付きで返済してもらう予定だ。もちろん、その間はあれこれと便宜を図ってもらうつもりでもある」


 統廃合も考えたが、利益を集中させてしまっては、商人の発言力を高める結果に繋がりそうなのでやめた。


「借金漬けにして言う事を聞かせるんですか? なんだか酷い話ですな」


「善左衛門、人聞きの悪い事を言わないでくれ。本来なら即金で返済しなければならいところ、良心的な利率で貸し付けしているんだ。そこは感謝されるところだろ?」


 そもそも、商人たちがなぜ借金する羽目になったのかは触れない。


「原因を作ったのは殿です」


 善左衛門が間髪容れずに容赦なく突っ込むと、若干疲れた様子で光秀が続く。


「殿、間違っても貸し付ける商人相手にそんな事は言わないようお願いします」

 

「安心しろ。大切な金蔓だ、そんな間抜けな事はしない」


「そのお言葉をうかがい、安心いたしました――」


 あまり安心したように見えない光秀が今日一番の難しい顔で聞いてきた。


「――それで、寺社を陥れてどうされるおつもりですか?」


 先日、善左衛門と本多正信からも聞かれ、適当にはぐらかした話題だ。

 案の定、彼ら二人も身を乗り出すようにして耳を傾けている。はぐらかせるような雰囲気じゃないよなあ。


「陥れるだなんて酷いな。寺社の借金は実質帳消しにするつもりだよ」


 軽い口調と穏やかな笑みを心掛けてそう口にすると、光秀が鋭い視線と言葉を返して来た。


「実質? それはどういう意味でしょうか?」


「言葉通りだ。寺社から金を取るつもりはない。その代わり、我々の仕事を受けてもらう。もちろん正当な報酬も支払うつもりだ。彼らに損はさせない」


「質問にお答えいただけませんでしょうか?」


 食い下がるなあ。


「今から話す事はこの部屋から一歩外に出たら忘れろ! ――――」


 話した内容を『忘れろ』と言ったのはこれが初めてのはずだ。俺のセリフと口調に百地丹波までもが顔を強ばらせて居住いをただした。

 俺は彼らに極秘の計画を伝える。


「――――即位の礼が終わり次第、話し合いの場を設ける手はずになっている」


 俺が言葉を切るが口を開くものは誰もいない。

 秋の風が障子を掠めて部屋に吹き込む音が微かに聞こえ、遠くに虫の音色が響く。服のそでや手ぬぐいを額に押し当てては固唾かたずを呑む三人。


 ようやく口を開いたのは善左衛門。


「百地丹波、今の話は誠か?」


「申し訳ございません。私も初めて耳にいたしました」


 即答したよ! それも正直に!

 いつものように、不敵な笑みを浮かべるなり無表情なりで『存じておりました』と言って欲しかったんだがなあ。

 

 百地丹波の返答を聞くや否や善左衛門が再び俺に視線を戻す。


「殿、手はずが整っているとの事ですが……それはご出席される他の大名の皆様だけでなく――」


「全て整っている! 一条兼定殿から『すべての準備を終えた』、との手紙が届いた。それがこれだ――」


 善左衛門の言葉を遮り、一条さんからの手紙を懐からだして自分の前に置いた。

 皆の視線が手紙に集中している。


「――今から手紙を読み上げるが、先に言っておく。これは決定事項だ。異論は認めない」


 部屋に紙の擦れる音と手紙を読む俺の声が流れた。

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