第108話 野外食事会

 陽射し避けの布製の屋根を付けた馬車から周囲の景色を見やる。金色に色づいた稲穂がこうべを垂らす風景が広がっていた。

 稲穂が色付き整然と整備された水田が、周囲の緑が濃い景色の中で金に浮き上がる。


 錯覚なのだが、緑と金のコントラストに平穏を感じる。

 隣に座る恒殿にも田園の様子を見るようにうながす。


「恒殿も見てください。今年は稀に見るような豊作ですよ」


「青々としていたときよりも綺麗に見えます。それに田畑で仕事をする人たちにも笑顔が見えます――」


 稲だけでなく、サツマイモやジャガイモなどの他の農作物も順調に育っていた。領民たちも豊作の予感に自然と笑顔となっているのだろう。

 それを感じ取った恒殿が笑顔を俺に向けた。


「――これも重治様が頑張ったからですね」


 おお! 可愛らしい笑顔だ! よし、ここはもう少し頑張ってみよう。

 恒殿に笑顔を返し、


「秋の収穫を終えたら盛大に収穫祭を開催しようと思っています。また皆で美味しいものを食べましょう――」


 恒殿の顔がパアッっと明るくなる。


「――私は尾張の領主でもあるので、尾張から海の魚を届けさせます」


「お刺身ですね!」


 そうだ、せっかくだから美濃だけでなく尾張でも収穫祭を開こう。

 光秀に刺身の、いや違った。視察の準備をするように申しつけよう。


「一緒に尾張へも視察に出かけましょう。視察に合せて刺身、じゃなく、収穫祭の開催と視察の準備を進めるように光秀に伝えます」


「明智様にご迷惑が掛かるのではありませんか? 三日と空けずにお魚を届けて頂けるだけでも申し訳ないのに……」


 確かに稲葉山城にいながら週に二回以上も刺身が食べられるのは贅沢な話だ。

 これも光秀だからこそ。

 尾張を任せたのが善左衛門ぜんざえもんや叔父上だったら、絶対に生きた魚が届く事はない。活魚を要求しても『政務に励んでください』と書かれた書状が届くのが精々だろう。


「光秀は優秀です。魚を届けるくらい片手間にもなっていませんよ――」

  

 恒殿の不安を払拭しよう。

 光秀の負担になっていない事をアピールしておこう。

 

「――それに盛大な収穫祭を催せば領民も喜ぶでしょうし、安心もします。そこへ私と恒殿、若い新領主夫婦が参加すれば領民へ与える安心感は増します」


 そうだ、この線で行こう。


「そういうものでしょうか?」


「尾張は美濃のように豊作ではありません。お米を持って行って分けてあげましょう」


 尾張はどちらかと言えば不作に近い。

 不作と戦で困窮している領民に米やジャガイモやサツマイモといった新しい農作物を分け与える。人心掌握の手段としてはあざとすぎる気もするが有効なはずだ。


 思い付きだが良さそうな考えに思えてきた。帰ったら善左衛門と本多正信ほんだまさのぶ辺りに相談してみよう。


「まあ、食料を! それは喜ぶでしょうね」


 うんうん、無邪気にほほ笑む恒殿が実に可愛らしい。

 よし、ここはもう一つ!


「恒殿、今度泊りがけで旅行に行きませんか?」


「先月行った温泉ですか? それでしたら是非お願いいたします!」


 珍しく身を乗り出している。凄い喰い付きだ。これは予想以上に温泉を気に入ったようだ。

 そして御者をしている右京も反応する。ほんの一瞬だが、振り返った顔は期待に満ちていた。同行した善左衛門や右京たちも温泉を気に入っていたな。


「実は温泉もそうなのですが、今年の十一月に京と堺へ行く予定です――」


 恒殿が目を丸くした。

 右京、お前まで目を丸くして振り返るな。聞こえなかった振りをしてそのまま操車していろ。


「――堺で買い物をして、京では名所を見て回ろうと思っています。一緒に行きましょう」


「大丈夫なのですか? その、お隣と小競り合いがあったと聞いています」


「私が危険なところに恒殿を連れて行く訳がありません。心配しなくても大丈夫です――」


 一条さんが即位の礼を大々的に執り行うよう準備を進めていた。毛利はもとより三好や六角といった厄介な連中も協力的だと聞いている。

 足利将軍家をないがしろにしても帝はないがしろに出来ないようだ。


「――念のため軍勢を率いていきます。越前の朝倉家、近江の浅井家と六角家も私たちと一緒に行きます」


 右京の肩がピクリと動く。

 朝倉、浅井、六角、それに北畠具教に即位の礼への参列を許可する書状と、参列するなら『竹中重治の軍勢と共に上洛せよ』との書状が間もなく届く予定だ。


 金を出した者の強味だ。目いっぱい利用させてもらう。


「重治様が来いと言われるのでしたら、恒は付いて行きます」


 決まりだ。即位の礼には恒殿をエスコートして参列しよう。


「殿、まもなく到着致します」

 

 うわずった右京の声にうながされて前方を見やると、野点でもするかのように簡易的な座敷が用意され、人々が集まっている姿が目に入った。

 湯気や煙も見える。

 よし、準備は整っているようだな。


 ◇

 ◆

 ◇


 白米の炊ける匂いと煮物の煮える匂いや魚の焼ける匂いが漂い、辺りには領民たちの楽しげな笑い声が満ちていた。

 その様子を木蔵たちが用意してくれた、十二畳程の簡易的な座敷に恒姫と二人で座って眺める。


「お祭りみたいですね」


「いつもよりも大規模な視察と収穫祭の練習を兼ねたものです。あの列を見てください」


 食事の支度で忙しく動き回っている女たちと稲葉山城の台所から連れてきた料理人たちから、鉄蔵と木蔵を中心とした職人たちへと恒殿の視線を誘導する。

 並べられた折り畳み式のテーブルの前に用意した椅子に職人たちが座り、テーブルを挟んで大勢の領民たちが列を作っていた。


「彼らは何をしているのですか?」


「鉄蔵や木蔵たちが造った道具の使い勝手や改善して欲しいところを報告しています。来年はもっと使い易い道具を作ってもらいます――」


 広がる田畑と水路、川沿いに見える水車や揚水機を示す。


「――今は私の旧領地と稲葉山城の周辺だけの風景ですが、この風景を来年には尾張と美濃に広げます」


「それは良かった――」


 恒殿が安堵した優しげな表情を浮かべる。


「――尾張では戦で大勢の人々が不幸な目にあったと聞きました。泣き顔が少しでも笑顔に変わればいいですね」


 優しい娘だ。恒殿の肩に手を回そうとすると、善左衛門ぜんざえもんの声が耳に届いた。


「殿、百地丹波ももちたんば殿が来ました」


 視線をそちらに向けると善左衛門を先頭に百地丹波と本多正信ほんだまさのぶの三人が、祭り気分とは程遠い難しそうな面持ちで立っていた。


 ◇

 ◆

 ◇


 屋外に設置した簡易的な座敷に善左衛門と百地丹波、本多正信を招き入れ、人数分のお膳を用意させた。

 俺の眼前にお膳を挟んで三人が並び、恒殿が彼らのさかずきに清酒を注ぐ。


「関東の様子はどうだ?」


 周辺諸国に潜伏させている配下の者たちからの報告をまとめて伝えに来た百地丹波に尋ねる。


「長尾景虎の軍勢の動きが鈍いです。殿の予想よりもかなり遅れており、未だ下野の国に差し掛かったところです」


 史実よりも半月以上早く越後を出馬していた。それにもかかわらず行軍が史実よりも大幅に遅れている。

 北条さんの動きが原因なのは間違いないな。


「北条家による里見攻略の影響が大きいのか?」


 百地丹波が俺の問いに『はい』と小さくうなずく。


 八月の終わり、北条氏規ほうじょううじのりを総大将とした北条と今川の連合軍が里見義堯さとみよしたか率いる里見軍を一蹴した。

 もともと戦力差がある上、里見軍の士気は低く、当主である里見義堯も一戦して面目を保てば、早々に逃げ出して長尾景虎に泣きつくだろうと誰もが予想していた。


 そんな状況下、開戦と同時に里見軍の主力の一角である正木時茂まさきときしげ正木信茂まさきのぶしげ親子が裏切る。

 里見軍はあっという間に瓦解し、里見義堯は上泉信綱の弟子の一人に討ち取られたと報告があった。


「関東管領である上杉憲政うえすぎのりまさ様を担ぎ出した長尾景虎に傾いていた諸勢力が北条側に傾いております――」


 そう告げると、珍しく緊張した面持ちを見せた。


「――有力勢力で申し上げれば、芦名、那須、結城が配下の意見をまとめきれず、長尾景虎に付くか否かの態度を決めかねている様子でした」


「佐竹義昭と宇都宮広綱のところは態度を決しているのか?」


「はい」


 まあそうだろうな。先月の『茶室』でも佐竹と宇都宮を取り込むのは難しいと言っていた。


「それぞれの意見を聞きたい」


 俺は空になった盃を恒殿に差し出しながら、善左衛門と本多正信、百地丹波に視線を向ける。


「その、ここで、でしょうか?」


 善左衛門がチラリと恒殿に視線を向けた。


「もう十分に機密事項を話しているんだ。今更だろう? それにこの状況で重要な話し合いをしているなんて誰も思わないよ。諦めて意見を聞かせてくれ」


 善左衛門が無言でかぶりを振り、本多正信が引きつった笑みを浮かべている。

 そこへ行くと百地丹波は相変わらずのポーカーフェースだ。


 善左衛門が『では、私から』と切り出した。

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