第107話 浅井家からの使者

 百地丹波からの報告を聞き終えてすぐに待たせていた浅井家の使者が待つ部屋へと移動していた。

 同席は善左衛門と本多正信に百地丹波。

 対する浅井家からは二名の使者が来ていた。先日の貸与した種子島の返却とそのお礼のためだ。


「この度のご助力、誠にありがとうございます。お貸し頂きました種子島、大変助かりました」


 口を開いたのは六十歳前後に見える老人、浅井家からの使者である赤尾清綱あかおきよつな。もう一人は彼の傍らで口を引き結んでいる三十歳前後の青年武将、遠藤直経えんどう なおつねだ。


「お役に立てたなら私もお貸しした甲斐があるというものです。とはいえ、お貸ししたのはわずか五十丁。戦局に影響を及ぼす程の働きは出来なかったでしょう」


「竹中様がお目を付けた武器だけの事はございます。横合いからの一斉射撃で騎馬や雑兵だけでなく、指揮を執らねばならない武将たちまで驚き慌てておりました――」


 そう言うと口元に笑みを見せると、六角家の増援部隊を山の上から待ち伏せしたときの話に触れた。


「――敵の警戒する距離よりも、さらに遠方から攻撃できるというのは素晴らしいですな。高台から狙い撃った事もありましたが、どこからの攻撃なのかも分からずに狼狽うろたえておりました」


「赤尾殿が待ち伏せの指揮を執られたのですか?」


「はい、お貸しいただきました種子島五十丁は私と――」


 自身の隣にチラリと視線を向けると、遠藤直経は無言で頭を垂れる。


「――この遠藤直経の部隊で実際に使わせて頂きました」


「実際に使ったお二方の感想を聞かせてもらえないだろうか? 遠慮はせずに正直な感想を頼む」


 種子島の実戦投入の感想など聞かれるとは思っていなかったのだろう、俺の言葉に二人は揃って目を丸くした。

 その後二人から実際に種子島を利用した状況や感想を聞いた。


 二人の意見を総合すると、遠距離からの攻撃が出来る事と鎧兜を容易に貫通できる攻撃力は認めるが、連射性と機動性に欠けるとの判断を下していた。

 何よりも天候に左右され過ぎるため主力として用いるのは難しいだろう、という事だ。


「――――お貸し頂いたのに恐縮ですが、ご一緒にお貸し頂きましたクロスボウの方がより実戦的であるとの印象を持ちました。連射性こそ弓に劣りますが然したる訓練を必要としないので雑兵でも容易に使いこなす事が出来ます」


 脂汗を流して赤尾清綱が平伏し、それに倣うように遠藤直経も平伏した。

 竹中家自慢の種子島よりもオマケで貸したクロスボウの方が役に立ったと、竹中家当主を目の前にして言っているのだから脂汗も出るだろう。気の毒に。


「答えにくい事を聞いたのに臆せずに正直に答えてくれて礼を言う。赤尾殿、遠藤殿、感謝する」


 浅井家もまだ種子島の有用性に気付いていないようだ。

 もうしばらくは種子島と火薬の入手に困る事はなさそうだな。


 俺が鷹揚にそう口にすると、安堵の色をあらわにした赤尾清綱がもう一つの議題を切り出した。


「ところで、竹中様と当家との同盟を公にする時期についてご相談をさせて頂きたいと、浅井賢政より書状を預かってきております」


 一通の書状が差し出され、本多正信がそれを受け取るために進み出た。


 室内には紙の音とわずかな息づかいだけがかすかかに響く。

 俺が浅井賢政からの書状に目を通す間、室内には何とも言えない緊張感が漂っていた。


 俺の一挙手一投足を穴のあくほど見つめる赤尾清綱と遠藤直経。二人の異常な汗と乾いた唇が痛々しい。

 対して、俺の左右に座った善左衛門と本多正信は書状よりも、眼前の二人の様子が気になるようで値踏みをするように観察している。百地丹波に至っては部屋の片隅で泰然と構えていた。

 

 両家の立場を端的に表している。


 書状の内容は予想通りだ。

 出来るだけ早期に竹中家と浅井家だけでなく朝倉家を含めた三家の同盟を周囲に知らしめたい、とツラツラと書かれていた。


「なるほど、浅井殿の要望は理解した」


 読み終えた書状を善左衛門へ渡す。俺が言葉を発するのを待っていたように赤尾清綱が語り出した。


「当家としては出来るだけ早い時期に表明し、越前の朝倉家を含めた三国の同盟関係を周囲に知らしめる事こそ、三国にとって最も利がある事と考えております」


 そりゃあ、浅井家の立場からすればそうだろう。朝倉にしてもそうだろうな。


「まったく以て同じ考えだよ、私も」


 俺の言葉に赤尾清綱の顔が明るくなり、言葉に勢いが増す。


「当家は先の戦で六角家を討ち破り、勢いに乗っております。六角家を駆逐して、近江を掌握するのも時間の問題でしょう――」


 いや、さすがにそれは大きく出すぎだろ。

 それに六角を駆逐するには六角家が北畠家や三好家と接触する前に叩く必要がある。ボンクラの六角承禎ろっかくしょうていでも、既に当家に接触してきているのだから、当然三好や北畠にも接触していると考えるべきだ。


「――当家が近江を掌握すれば、竹中様も領有されたばかりの尾張と美濃の二か国の安定に力を注げるというものです」


 史実通り、野良田の戦い以降六角家が衰退して浅井家が勢いを増すだろうが、それが目に見えて明らかになるのはもう少し先の話だ。

 それに六角家にはもう少しだけ健在でいてもらわないと困る。


 善左衛門と本多正信に目配せすると、二人とも無言で首肯した。

 よし、予定通り話を進めるか。


「赤尾殿の仰るように越前の朝倉家と近江の浅井家、そして当家が同盟すれば、当家の当面の敵は伊勢の北畠家と三河の織田家だけとなる。さらにそれだけの同盟をしているとなれば、北畠家も織田家も迂闊うかつに仕掛けて来る事もないだろう――」


 赤尾清綱と遠藤直経が揃って期待の眼差しを向ける。


「――尾張国内も完全に掌握したとは言い難い状態なので、国内の掌握に兵力を割けるのはありがたい」


「おお! それでは――」


 身を乗り出した赤尾清綱の言葉を身振りで制する。


「だが、三国同盟を結ぶと浅井家と朝倉家に迷惑が掛かる――」


 今度は赤尾清綱と遠藤直経が揃って不思議そうな顔をしている。


「――越後の長尾景虎ながおかげとら上杉憲政うえすぎのりまさを押し立て、北条家を討つために関東に兵を向けているのはご存じかな?」


「噂には聞いております」


 赤尾清綱が答えた。


「北条家・今川家・武田家は三国同盟を結んでいるのだから、北条家に対して今川家と武田家から当然援軍が出る。公にはしていないが当家は今川家と同盟を結んでいる――」


 二人の顔色に大きな変化はない。竹中家と今川家との同盟を薄々感づいていたか知っていたようだ。

 決意の固さが伝わるように、一旦口元を引き締めてから力強く言い放つ。


「――竹中家は、今川家の要請に応じて北条家に援軍を出す!」


 とは言ったが援軍は形だけで、主力は伊勢への抑えと上洛の軍勢に割くんだけどな。

 突然明かされた他家の軍事計画に息を呑む眼前の二人と、話す内容を初めから知っていたので、余裕でポーカーフェースを決め込んでいる善左衛門と本多正信。赤尾清綱と遠藤直経の二人は冷静になったところでこの状況を思い出して恥ずかしく思うんだろうな。


 そんな二人に向けて


「浅井家・朝倉家と同盟している状態で北条家に援軍を出せば、長尾景虎の敵意が浅井家と朝倉家に向く事は間違いない。当家としてもそれは避けたい。浅井家にしても恩のある越前の朝倉家に越後の長尾景虎の敵意が向くのは避けたいのではないか? ――」


 さらに心を揺さぶる話を続ける。


「――仮に援軍を出さなかったとしよう。北条家はもとより今川家と武田家からも不義理のそしりを受けるのは間違いないだろう」


「決して竹中家のお立場を考えていなかった訳ではありません!」


 わずかに腰を浮かせて慌てて反論する。


「別に赤尾殿を責めている訳ではない――」


 そう言って笑顔を向けると安堵したように座り直した。

 どれ、冷水を浴びせようか。


「――だが北条家・今川家・武田家からは、浅井家と朝倉家のせいで当家が援軍を出せなかったと思われる可能性もある」


「そ、それは……」


 容易に想像が出来たようだ。赤尾清綱の顔に大粒の汗が幾つも吹き出し、流れる。


「今日は蒸すな。部屋に風を入れさせよう」


 その言葉が終わると廊下から『失礼いたします』と涼やかな声が響く。同時に引き戸が開けられ、くノ一が室内に入って来た。

 彼女が窓を開け放つ姿を目で追う二人の使者に向かって、不意に会話を再開する。


「表向きは当家と六角家が接近し、浅井家とは牽制し睨み合っている仲としているが、裏ではこれ以上ない固いきずなで結ばれていると思っている。当家と浅井家との盟約は公表しようとするまいと何も変わらない――」

 

 敢えて朝倉の名前は出さない。


「――表向き六角家と手を組み、伊勢の北畠家を牽制する。目的は上洛! 私は帝にお会いするため、今年の十一月を目処に京へと上がる」


「上洛されるのですか?」


 おうむ返しにそう聞くと赤尾清綱はアングリと口を開いたまま惚けてしまった。

 その横で遠藤直経が口を開いた。


「竹中様、上洛と言われましたが信義に欠ける六角承禎の事、不意打ちがあっても不思議ではございません。さらに六角家の向こうには松永、三好と信用できない者たちがおります」


 言外に上洛を思い止まるよう、言っているように聞こえる。

 万が一俺が討たれたりしたら浅井家としても大ごとだから、必死にもなるか。


 善左衛門、諦めた様な表情で何度も小さくうなずくのはやめろ。

 窓が一つ一つ丁寧に開けられ、室内に一層の光と風が入り込んできた。


「遠藤殿、心配してもらえるのは嬉しいが上洛は既に決定事項だ。私の他に一条兼定いちじょうかねさだ殿、伊東義益いとうよします殿も来られる――」


 使者二人の動きが止まった。

 善左衛門と本多正信の二人から、憐れむような視線を浴びせられている使者二人に向かってさらに続ける。


「――都合が付けば北条氏規ほうじょううじのり殿と今川氏真いまがわうじざね殿も来る」


「な?」


「何を言われているのでしょうか?」


 一声発するのが精一杯の遠藤直経と意味不明の言葉を口走る赤尾清綱。さて、どちらが大物だろうか。

 すべての窓を開け終わったくノ一が簾を窓に立て掛けていく。


「何しろ、十一月には帝の即位の礼が執り行われるのだからな。各大名家、迂闊な事はしないと信じているよ、私は」


 即位の礼が十一月に行われるのは現時点では一部の者しか知らない。

 当然知る由もない二人は言葉も上げられずにただ黙って俺の事を見つめていた。

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