第94話 津島(2)

 見えた、津島港だ!

 俺が視界に津島港を捉えるのと同時に誰かの声が上がった。


「港のあちこちから火の手が上がっています」


「海上もそうです。海上の船も燃えています」


 それらを無視して明智光秀あけちみつひでの声が響くと、


「戦況はどうなっている!」


 先程物見から戻った若武者の一人が、片膝をついて報告をする。


「北畠の軍勢を陸上からは稲葉良通いなばよしみち様の軍勢が、水上からは九鬼水軍が共に攻撃を仕掛けております」


 馬を寄せて来た善左衛門ぜんざえもんが口を開く。


「報告を聞く限り我が方が優位にあるようですな」


「目に見える範囲でも北畠の軍勢が少ない。おそらく津島港とその周辺の城を落とす程度の軍勢しか用意していなかったのだろう」


 目に見える範囲で判断するなら、決着は容易に付きそうだ。

 問題は決着したあとの北畠家との交渉だよなあ。


 善左衛門が稲葉良通の馬印を指して声を弾ませる。


「稲葉様の軍勢が北畠家の軍勢を押しています」


 言葉の通りだった。

 炎から逃げ惑う大橋重長おおはししげながの軍勢と、それでも何とか水際で押しとどまって各所で応戦する北畠の軍勢。海上の九鬼水軍と呼応した稲葉貞通率いる美濃勢が、完全に北畠を押し返していた。


「それにしても景気よく火を放ったな」 


 稲葉良通のヤツ、勝つ事しか考えていなかったな!


 まあ、機嫌を損ねられても困るからと、あまり細かい指示を出さなかった俺の責任もあるけどさ。それにしても派手に火を付けてくれた。

 港の木造施設は全て建造しなおさないと駄目なんじゃないか、あれ?


「海上でも船が燃えています!」


「燃えている船はどこの軍勢だ!」


 海上の様子だけを伝える武将にそう問い返す光秀の双眸そうぼうは、海上で燃え落ちる北畠家の旗指物を捉えていた。


「北畠の軍勢です! 旗印から敵の総大将は木造具政こづくりともまさと思われます」


 光秀はその答えに満足げにうなずくと俺の方へ振り向く。


「さすが九鬼嘉隆率いる九鬼水軍ですね。北畠の水軍とは動きが違います」


 不意を突かれて混乱したのもあるだろうが、こうして一望すると一目瞭然だ。船の動きが違いすぎる。九鬼嘉隆と九鬼水軍、これは予想以上にいい買い物をしたようだ。


「海上は九鬼嘉隆に一任だ! 我々は稲葉殿の加勢に回るぞ! 北畠を一気に蹴散らす! 尾張から北畠の勢力を叩き出せー! ――」


 俺の号令に呼応して喊声が上がる。

 連戦の疲れなど感じさせない士気の高さだ。


「――光秀、ここはいい。お前も自分の部隊を率いて島清興の部隊と共に北畠軍にあたれ! 急がないと明智秀満が暴走してもしらんぞ。しっかりと手綱を握っておけよ」


「手綱ですか……確かにそうですが……」


 光秀の不安そうな目が俺に向けられた。すぐにその視線は善左衛門へと移る。二人だけの秘密の合図でもあるのか、善左衛門が無言で深々と首肯を返した。

 何だか嫌なやり取りだな。


 もしかして、俺って前線ではまるっきり信用無いんだろうか?


「私なら大丈夫だ。槍働きをしようなんて考えないから安心しろ。護衛と一緒に後方で大きく構えている」


 返事がない。

 光秀と善左衛門が俺を挟んで無言で視線を交錯させた。


「殿、百地様がお戻りになられました!」


 馬回り衆の一人が声を上げた。彼の示す方へ視線を向けると、数名の騎馬武者を従えた百地丹波の姿があった。

 刹那、光秀の声がし、掛け声とともに馬に鞭を入れる。


「それでは私は自分の部隊に戻り、島清興殿と合流致します」


「殿、ただいま戻りました――」


 駆け出す光秀と入れ替わるように百地丹波が駆け寄り、同行した騎馬武者と縄で縛られた者たちを視線で示す。


「――ご命令通り、大橋重長殿の身柄を確保いたしました。さらに道中、大橋重長殿の奥方と三人の子息にも遭遇致しました。ご命令はありませんでしたが念のためと思い、身柄を確保いたしました」


「ご苦労! よくやってくれた、丹波! ――」


 今さら『やっぱり要らないから逃がそう』などとは口が裂けても言えない。

 ここは初志貫徹、捕らえた以上はダメ元でもいいから利用しよう。


「――大橋重長殿には今回の全ての責任を取ってもらう。その身柄は北畠具教きたばたけとものり殿へ送り届ける事とする」


 きっぱり言い切る俺を大橋重長が驚きと怒りをたたえた目で睨み付けた。

 そりゃあ、驚くよな。怒るよな。気持ちは分かるよ。


 だいたい『全ての責任を取ってもらう』と言われても、身に覚えなんてないよな。

 俺が工作して尾張勢が北畠に小競り合いを仕掛けた様に見せかけただけで、その責任を取らされるなど大橋重長からすれば理不尽な事この上ない。


 俺だってそう思うよ。


 さらに今回の稲葉良通殿が北畠勢に襲い掛かった事の責任とか言われても納得できないだろう。

 きっと、北畠具教も納得してくれないと思う。


 百地丹波、さるぐつわを噛ませたのはいい判断だ。

 うめき声で抗議をしているが文句は出てこない。


「殿、大橋重長殿の奥方と子息の身柄は如何いたしますか?」


 素晴らしい!

 絶妙なタイミングで善左衛門が話しかけてきた。俺は善左衛門の言葉を受けて、視線を大橋重長の奥方と三人の子息へと視線を巡らせる。


「大橋重長殿が覚悟を覆さない限り、あなた方に危害を加えるつもりは無いので安心しなさい――」


 大橋重長の抗議の呻き声が止まった。

 俺は馬から降りると地面に転がった大橋重長の側へと近寄り、覗き込むように顔を近づける。


「――奥方は信長殿の姉だ。ご子息共々、織田信長の下へ送り届ける、約束しよう。そうすれば織田信長の下で大橋の血と家は残る」


 大橋重長が肩を落としてうな垂れた。

 落ちたかな?


「殿、大橋殿の身柄は他の者に任せて、我々は稲葉様の軍勢に合流いたしましょう」


「そうだな、移動するとしようか」


 俺は善左衛門にそう返事をして、馬回り衆の一人に百地丹波の捕らえた者たちの身柄をあずけた。


 ◇

 ◆

 ◇


 別動隊として島清興を主将、明智光秀を副将として約半数の兵士を率いさせ、残る半数の大半を率い率いて稲葉良通殿の軍勢に合流した。


「稲葉殿! 稲葉良通殿は無事か?」


 稲葉良通殿の大声が兵士たちの喚声をものともせずに俺の耳に届き、


「おお! これは竹中殿、私はこの通り無事ですぞ!」


 切り結んだ跡もなまなましい、あちこちに真新しい傷のある鎧姿で現れた。

 血染めの槍を担いでいるよ。


「ご無事でなによりです。安心いたしました。これより掃討戦に入ります。海上は九鬼水軍に任せて我々は北畠の軍勢を叩き出しましょう――」


 そうはいっても、ここで稲葉良通の軍勢から手柄を横取りするなど以ての外だ。

 そんな事が重なれば仮の国主を引きずり降ろされかねない。


「――私の軍勢は落ち武者狩りを引き受けます」


「了解した! まだ戦える者は続けー!」


 俺の言葉に稲葉良通だけでなく周囲に集まっていた稲葉軍の兵士たちの顔が綻び、歓声が上がる。

 戦況確認もそこそこに走り出したよ。


「いやー、稲葉様は相変わらず勇猛ですな」


 確かに九鬼水軍と美濃勢とに挟撃されて浮足立っている、北畠軍を潰走させるのには有効かもしれないが、いつもあの調子では困る。

 軍勢の中に消えていく稲葉殿を目で追っていると、百地丹波が小声でささやいた。


「殿、海上は九鬼嘉隆率いる九鬼水軍がほぼ制圧したようです――」


 その声に視線を海上へと巡らせると、海上から一際大きな歓声が轟いた。その歓声に俺は百地丹波と目を合わせる。


「――何があったのか、すぐに調べさせます」


 そう言って配下の者数名を呼び寄せた。


 ◇

 ◆

 ◇


 津島港制圧戦、結果は圧勝と言ってもいいだろう。

 予想もしていなかった北畠の軍勢との交戦はあったが、そちらも圧勝。

 

 港の周辺施設が焼かれたり、稲葉良通殿の軍勢が予想以上に消耗したりという側面はあったが、概ね納得の行く結果となった。


 善左衛門の他人事のような響きを持った言葉が耳に届く。


「殿、この後の仕置きですが如何されるおつもりでしょう?」


「すぐに取り掛からなければならないのは、占領後の尾張の人心の安定と津島港の復興作業だな」


 尾張攻略が順調だったかと問われれば、津島港の周辺施設が焼けてしまった事を除けば『順調だった』と言えよう。

 兵力の損失も予定よりも少なかったし、仕掛けた調略も予定通りに進んだ。九鬼嘉隆と九鬼水軍を手に入れた事を考えればこの上なく望ましい結果だったと言えよう。


 そう、北畠家が余計な事をしなければ……

 何も考えたくない。


 現実逃避をしようとしていた俺を善左衛門と光秀の声が現実に引き戻す。


「そう言う事では無くですな、北畠との関係です!」


「幸い、大橋重長殿は無事に保護いたしましたし、木造具政こづくりともまさ様も無傷です」


 そう、木造具政――北畠家の現当主である北畠具教きたばたけとものりの実弟だ。それが無事だったのは僥倖ぎょうこうと考えよう。

 操船技術の差と不意打ちにより、九鬼嘉隆率いる九鬼水軍が木造具政率いる北畠軍を圧倒した。

 

 主将の木造具政に落ち延びる隙さえ与えないほどの圧勝だった。

 九鬼嘉隆と九鬼水軍、今後が楽しみな戦力だ。


「俺も疲れたが皆も疲れただろう。今日のところは眠らないか?」


 俺の逃避が交じった言葉に善左衛門があっけにとられ、光秀が冷静に返してよこす。


「は?」


「今日で出来る事は今日済ませてしまいましょう」


 島清興と百地丹波の二人は無言で俺に同情するような視線を向けていた。だが、助け舟は出してくれない。

 仕方がない、最低限の仕事だけはするか。


「大橋重長と木造具政殿は丁重に扱うように頼む。今ここで北畠と全面戦争に発展するのだけは避けたい――」

 

 北畠と戦争なんて始めたら、上洛が出来なくなってしまう。


「――大橋重長の奥方と三人の子息は、鳴海城に集めた人質と同じ扱いとし、すぐに織田信長の下に送り出してくれ」


 光秀と善左衛門に視線を走らせると、


「承知いたしました。では、そのように手配いたします」


「それでよろしいかと」


 即座に返事があり、続いて光秀から津島方面の仕置きの案が切り出される。


「続いて津島港の防衛案ですが――――」


 ああ、早く寝たい。

 ゆっくり眠って……早く『茶室』にならないかなあ。心底皆に知恵を借りたい、愚痴を聞いて欲しい。

 いや、曖昧な命令を出した俺が悪いんだけどさ。

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