第92話 熱田

 大高城の城代に伯父の杉山内蔵助すぎやまくらのすけを据え、お目付け役として安藤守就殿を同行させた上で、金森長近かなもりながちかを城主として鳴海城へ戻した。

 三河方面はこの二つの城を中心に防衛ラインを構築する。


 気持ち的には沓掛城まで手中にしたかったが、贅沢を言うのはよそう。

 先ずは、織田信長おだのぶながを三河に閉じ込め、寄ってたかって内部崩壊を誘発させつつ、調略を仕掛ける。さて、今から沓掛城の城主が誰になるのか楽しみだ。


 現在、三河との国境防衛のための戦力を残し、俺は全軍を率いて一路、千秋季忠の待つ熱田港へと軍勢を進めている。


「長近への使者はいつ頃出す予定だ?」


 隣を騎馬で並走する明智光秀あけちみつひでに向けて、馬蹄の音にき消されないようにと大声で叫んだ。

 

「金森殿へは、大高城出立前に申し送りを済ませてあります」


 手際がいいな。長近もさぞや驚いた事だろう。その驚く顔が見られなかったのは残念だ。


「そうか。では、古渡城の織田信清おだのぶきよへの使者はどうなっている?」


「織田信清殿への使者は昨夜のうちに立たせております――」


 それって、信清の下にもう着いているんじゃないのか?


「――予定通りであれば、 織田信清殿は既に鳴海城へ向けて出立しているはずです」


 光秀の小気味よい返事が馬上から返って来た。

 そのタイミングだと長近が鳴海に到着して程なく、帰蝶殿とお市殿を筆頭に捕虜を引き連れた織田信清が、鳴海に到着する事になる。


 やるな、光秀。というか、情け容赦なく人を働かせるよな。

 手際がいい上に人使いが荒い。『鬼上司』そんな単語が脳裏をよぎる。


 長近は鳴海城の城主として着任早々、帰蝶殿やお市殿をはじめとした織田軍の非戦闘員と捕虜を、信長の下に届けるという大役を任される形になる訳か。

 休む間どころか、気持ちの整理をする間もなさそうだ。気の毒に。


 まあ、長近にはしゅうと殿を付けて来たし、何とかなるだろう。


 それよりも、問題は熱田だ。

 元々、大高城攻略後に千秋季忠の屋敷へ寄る予定ではあったが、ここまで急いで向かう事になるとは予想もしていなかった。


 その予定を変更させる書状が、昨夜遅くに千秋季忠から届いた。

 九鬼嘉隆が俺に会いたいと、千秋季忠の屋敷を訪ねてきており、俺が到着するまで彼の屋敷に留まると言っているそうだ。


 予定外の行動を取る事にはなったが、僥倖ぎょうこうと考えよう。


 九鬼嘉隆。近いうちに勧誘するつもりでいたが、まさか向こうから来るとはな。

 口元から自然と笑みが零れる、手綱たづなを握る手にも力がこもる。ともすると、馬の走る速度を上げたくなる衝動を押さえて騎馬を駆けさせていると、光秀の大声が耳に届く。


「殿、千秋季忠せんしゅうすえただ殿からの書状ですが、念のため警戒しておいた方がよろしいかと!」


 随分と心配性だな。

 タイミング的に伊東さんと一条さんのプッシュだと思うが、光秀の言う事も一理ある。少し慎重になるか。


「千秋季忠の屋敷、内と外に兵を配置して警戒態勢を敷いてくれ! それと、蜂須賀正勝はちすかまさかつを会談の席に護衛として同席するように伝えて欲しい――」


 蜂須賀正勝の名が出た事で不思議そうな表情をする光秀に、


「――蜂須賀正勝は迫力があるからな」


 冗談めかしてそう言うと、もの凄く真摯な眼差しと予想外の答えが返って来た。


かしこまりました。それでは、強面こわもてで腕の立つ者を数名、至急選び出して周囲の護衛に加えます」


『やめてくれ、人相の悪い奴は蜂須賀正勝一人で十分だ。交渉相手の精神を削る以上に俺の精神が削られる』などと言えるわけもなく、


「出来るだけ、目立たないように護衛をさせるように頼む」


 それだけ伝えて、反対側を並走する百地丹波ももちたんばへと振りむく。


「――丹波、念のため忍者の護衛もいつもの倍、配置してくれ」


かしこまりました。既に数名の者を先行させて、千秋殿の屋敷に潜り込ませてありますが、それとは別にお近くに潜ませる護衛を増やしましょう」


 俺は百地丹波に『よろしく頼む』と答えると、再び光秀に向きなおる。


「光秀、稲葉一鉄いなばいってつ殿への使者は出ているな?」


「はい、殿の書状を持って、未明に出立しております」


 未明か、ギリギリだな。とはいっても、津島方面は北畠が出てこない限り問題ないはずだ。問題は北畠が出て来たときだが……

 刹那、稲葉一鉄殿の快活な笑い声とその笑顔が脳裏に蘇る。


 頼みますから、くれぐれも慎重に行動してくれますように。

 俺は祈るような気持ちで、稲葉一鉄殿を信じる事にした。


 ◇

 ◆

 ◇


 馬を駆けさせ、歩兵を置き去りにした甲斐があった。熱田へは予定よりも大分早く着くことが出来た。

 先触れに『出迎え無用、千秋季忠殿は九鬼嘉隆殿と共に部屋で待つように』、との書状を持たせていた事もあって、熱田の千秋季忠の屋敷に到着するなり、九鬼嘉隆の待つ一室へと案内された。

 

「千秋殿、遅くなってしまい、申し訳ありませんでした」


 案内された部屋に入るなり、待っていた九鬼嘉隆を無視して、千秋季忠に向かって声を掛けた。


「竹中様、首尾はお伺いしております。この度は実にお見事な手際でした。いや、この度も『お見事でした』、と申し上げるべきでしょう――」


 九鬼嘉隆に目もくれない事にわずかに驚いたようだが、すぐに表情から消した。


「――書状でもお知らせ致しましたが、こちらが九鬼嘉隆殿です」


「顔を上げてください、九鬼殿」


 平伏したままの男にそう声を掛けると、九鬼嘉隆は静かに身体を起こした。

 精悍な顔つきのよく陽に焼けた若者がそこにいた。九鬼嘉隆と紹介された若者は俺と目が合うと、


「九鬼嘉隆です」


 短く、己の名だけを告げた。


 船を操るだけあって陽に焼けている。袖の辺りからわずかに覗く腕は太く筋肉質である事が分かる。

 それにしても随分と若いな。


「私が竹中重治だ。私に会いたいとの事だが、どのような要件だ?」


「日向の伊東様の下でお取立て頂いた滝川一益様から、竹中様が船の操作に長けた一族をお探しと伺って、自分を売り込みに参りました」


 伊東さんと一条さんからプッシュしてもらい、九鬼嘉隆と会う。予定よりも早いが、仕掛けは筋書き通りだ。


 それにしても『自分を売り込みに参りました』か、随分と正直だな。

 駆け引きも何もなしで自分を安売りするとは、この時代の武将には珍しい。だいたいの武将は己を高く売り付けようと、以前の主君から貰った感状などを得意げに見せたり、手柄を語ったりする。


「一族、と言ったな。九鬼殿がご当主か? 確か、まだ幼いが甥――前当主の息子がいたと記憶しているが、私の記憶違いだったかな」


 九鬼嘉隆の目が大きく見開かれた。


「まさか、私どもの事をご存じとは思いませんでした」


「配下に加えたいと思う者やその一族、或いは敵対しそうな者たちの事は調べている」


「それは、どちらに転んでも恐ろしい限りですな」


 伊東さんや一条さんから村上一族の話を聞いた限りじゃ、もの凄く粗野な海賊だった。同じ海賊だし粗野、粗暴だろうと思っていたが、この九鬼嘉隆は意外と礼儀正しいな。


「どちらだと思う?」


「こうしてお会い頂けたのですから、前者だと思いたいものです。後者で、騙し討ちをするためにこの席を設けたのだとしたら――」


 ニヤリと口元に笑みを浮かべた。


「――私は失望の中で討たれる事になります。竹中様はその素晴らしい評判に傷がつきましょう」


「私の評判を気に掛けてくれるとは嬉しい。だが、あまりいい評判ではないだろうから、傷の方は気にする事はない」


「ご謙遜を。『今孔明』『神算鬼謀の天才軍略家』、他にも千里のかなたを見通す『神の目』をお持ちになるなど、竹中様を称賛する声は日に日に大きくなっております」


 口が上手いな。それに社交的でもありそうだ。


「そうか? 見えないところでは評判がいいのかもしれないが、家中の評判、特に近しいものからの評判は酷いものだ」


 苦笑いを浮かべて、両脇に座った善左衛門と光秀に視線を走らせるが、二人とも目を合わせようともしないでポーカーフェースを決め込んでいる。

 その様子に不思議そうな顔をしながら、


「お話を戻させて頂いてもよろしいでしょうか?」


 こちらを伺う様にそう言った。


 話を急いだ? 緊張しているのか? 


 改めて九鬼嘉隆の様子を観察すると、周囲に集めた強面の護衛たちを気にしている。

 なるほど。先程の『騙し討ち』の話と強面の護衛を関連付けて考えたのか。随分と想像力がたくましいな。


「九鬼殿、何を急いでいる? 話の内容は大事だいじだ。ゆっくりと時間をかけるべき話と思うが?」


 これは大嘘だ。

 俺としては一刻も早く津島方面の稲葉一鉄率いる軍勢と合流したい。


「そうでしょうか? 失礼かもしれませんが、我らの腹は決まっております。後は竹中様に我らを信用頂けるか否か、かと」


「先程の続きだが『我らの腹は決まっている』という事は――」


 戦に敗れて当主は討たれ、領地と城を失っている。このままでは一族は空中分解。

 そこへ伊東さんの密命を受けた滝川一益から『竹中重治が船を操れる一族を探している』と。まるで自分たちを必要としているような情報がもたらされたんだ、飛び付くよなあ。


「――嘉隆殿は当主ではないが、当主代行として、一族の総意として受け取ってよいのだな」


「甥はまだ幼く、一族の命運が掛かっているような決断は出来ません。私の言葉が一族の総意とお受け頂いて結構でございます」


 真剣さが伝わって来る。

 ここで話をまとめられなければ、嘉隆自身、一族から信用を失うんだろうな。それこそ当主代行どころの話じゃない。残りの人生冷や飯決定だろう。

 

「城を失って困っているようだな。取り返したいか? ――」


 すぐに返事をせずに話を変えてみるか。


「――それとも、新たな居城と領地を手に入れる事で、一族が立ち行けばそれでいいか?」


「波切城にしても田城城にしても、未練がないと言えば嘘になります。一族の者たちの中には固執する者もおります。ですが、一族が生き延びる事が最優先でございます。竹中様のご意向のままに」


 随分と正直で殊勝だな。だが今の言葉、一族の総意でない、九鬼嘉隆個人の思いが入っている事に気付いているのだろうか?

 まあ、気付いていようがいまいが、そう言わないと採用してもらえないと考えてもおかしくないか。


「九鬼嘉隆、私は尾張、美濃に続いて伊勢を手中にするつもりだ――」


 善左衛門がピクリと動いたような気がする。光秀が胃の辺りを押さえているのが目の端に映った。

 二人ともごめん。しゃべってしまったよ。


「――北は関東の北条家と東海を抑える今川家。南は日向の伊東家と四国の一条家。私が尾張から伊勢を抑え、行く行くは畿内を手中にすることで九州と関東を結ぶ海路が出来上る」


 善左衛門も光秀も何も言ってこないところをみると、承諾したか諦めたのだろう。


「そ、そのような事を……」


 九鬼嘉隆の言葉が途切れた。

 その先、何を言おうとしたのかは後でゆっくりと聞くとしよう。


「竹中家の水軍をあずかる者は、その一族は、畿内の海を縦横に動ける者たちでなければならない――」


 光秀が胃の辺りを押さえて蒼い顔をしているが、眼前の九鬼嘉隆の様子は光秀よりも重症のようだ。

 黒い顔が血の気を失うと、どす黒くなるんだな。


「――九鬼嘉隆、お前とお前の一族は私の期待に応えられるか?」


「し、失礼いたします!」


 千秋季忠が突然立ち上がり、庭へと転げ出たと思ったら、何やら嘔吐おうとしているような気配がする。

 気付かなかったよ、千秋季忠。お前の方が重傷者だったか。


 その後、九鬼一族を当家に迎える旨を書いた書状を持たせて、九鬼嘉隆を送り出した。

 さて、今回の尾張征圧の最後の仕上げ、津島方面へ向けて出発するとしよう。

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