第91話 代替案

 大広間に入るとすぐに、縄で縛り上げられた数名の武将の視線が俺と光秀の二人に突き刺さる。

 佐久間信盛が討ち取られてしまった事もあり、若干厳しい口調で問い質す。


清興きよおき、手荒な事はしないように言っておいたはずだぞ」


「申し訳ございません。こちらの者たちの抵抗が激しく、やむを得ず拘束いたしました」


 虜囚になってなお抵抗したのか。それでは清興を責める訳にも行かない。島清興にねぎらいの言葉を掛けてから、


「そうか、それでは仕方がないな。ご苦労だった」


 善左衛門たちが待つ上座へと向かう。

 上座へと向かう途中、拘束された武将たちから一般の武将、婦女子や子どもを中心とした非戦闘員へと視線を巡らせた。


 予想はしていたが、婦女子たちの顔色が非常に悪い。中には幼い子どもを抱きしめてハラハラと泣いている者までいる。

 どうやら、誰も彼もが悲惨な未来を思い描いているようだ。


 取り敢えず、不安を払拭ふっしょくするところから入るとするか。

 俺は上座の中央へ腰を下ろすと、虜囚たちを安堵させるため、すぐに口を開いた。


「既に聞いているとは思うが、皆の命は保障する――」


 そこで言葉を切って虜囚たちに視線を巡らせるが、安堵の表情は見られない。どこかまだ信用できないといった様子だ。

 幾分か声の調子を穏やかにしてさらに続ける。


「――落ち着いたら皆を、三河との国境付近まで送り届けよう。明確な期日までは約束できないが、恐らくは数日中には可能なはずだ」


「何が命の保障だ! 何が送り届けるだ! ふざけるな!」


 婦女子たちに安堵の色が見えたと思ったら、拘束していた武将の一人が身を乗り出して叫んだ。

 その怒声に虜囚たちの表情に再び影が落ちる。


「何か行き違いがあるようだな。言いたい事があるなら聞こう」


 ただし、恨み言や愚痴、文句しか言わないようなら、すぐに口をつぐんでもらうからそのつもりでいろよ。

 寛容な俺の態度に感謝の気持ちも見せずに男がさらにいきり立つ。


「我らは降伏の使者を出した! それを蹴って城攻めをしておいて今更何を言う!」


 エキサイトしているなあ。

 ところで、誰だろう?


「討ち死にされた佐久間信盛の弟、佐久間信辰さくまのぶときです」


 善左衛門が耳元でささやいた。

 ナイスだ、善左衛門。


「立派な最後を遂げられた佐久間信盛殿の弟殿か。武運つたなく敗れたとはいえ、信盛殿の勇猛さを我々は高く評価している――」


 口からの出まかせだ。そもそも信盛が勇猛かどうかなんて気にした事もない。それどころか、城攻めの際の弓隊の用兵を見る限りは凡庸だ。

 だが、目の前の男が佐久間信盛の代わりに生贄となるなら、ここは持ち上げておく必要がある。


「――先程、降伏の使者と言われたが、そちらからの使者は降伏条件の見直しを要求しただけだ。降伏の申し出とは程遠いものだった。我々としては既に降伏条件は提示してある。それが承諾しかねるなら即時開戦もやむを得ない結果だ」


「馬鹿な、条件交渉など普通の事だろう」


「生憎と、佐久間信盛殿程の勇将に時間を与えるなど、我々からすれば自殺行為だ。有能であればこそ、決着を急ぐ必要があった――」


 信辰の表情が和らいだ気がする。

 少なくとも、他の者たちの表情は変わった。俺へと向ける敵意の視線が幾分か和らいだ。


「――佐久間信盛殿は惜しい事をした。だが、光明はある。貴殿だ」


「俺、だと?」


 怪訝けげんそうな表情で問い返す信辰に向けて、静かにうなずく。


「佐久間信盛殿が降伏したあかつきには、行く行くは三河を任せようと考えていた。どうだろうか、信盛殿に代わって三河を治めるつもりはないか?」


「今度は俺をたばかるつもりか?」


 もう声を荒げてはいない。探るような視線と声音。


たばかるなど、そんなつもりは微塵もない――」


 いい勘をしている。だが、そんな事を認める訳には行かない。ここは心を鬼にして全力でだましに掛かろう。


「――信盛殿に代わって、信辰殿に『三河守』を名乗ってもらいたい」


 佐久間信辰は怪訝けげんそうな顔から驚きの色を浮かべ、それとは比べ物にならない程の驚きの表情を善左衛門、光秀、清興が見せていた。


「いや、それは、しかし……」


 官位や官職に弱いよな、この時代の武士って。目の前の佐久間信辰も例外じゃなかった。

 反応に困っている信辰へ追い打ちを掛ける。


「実は先日、朝廷へ献金をさせて頂いた」


 正確には一条さんが俺たちの連盟で朝廷へ献金をしたのだが、そんな事は伝える必要もない。


「朝廷へ献金をされた?」


「落ち付いた頃を見計らって、上洛するつもりだ。その際、官位を幾つかたまわろうと目論んでいる――」


 期待からか、佐久間信辰の目が大きく見開かれた。


「――その一つが『三河守』だ」


 驚きと喜色を浮かべる佐久間信辰とは裏腹に、善左衛門を筆頭とした美濃の同席者たちの顔が能面の様に変わって行く。

 あれ? 朝廷への献金や上洛の話って、しちゃまずかったのか?


「まだ正式なものではないが、佐久間信辰殿さえよければ、我々は貴殿を『三河守』と呼ぼう」


「いや、しかし、幼いとはいえ兄には男子がおります」


 表情や口調ばかりか、言葉遣いまで変わった。

 佐久間信辰の視線が佐久間信盛の遺児へと注がれる。


「佐久間家の当主は信盛殿の嫡男が継げばよろしい。官位・官職は朝廷より賜るもの、我らがどうこう言える様なものではない」


「ですが……」


「私だけではない、駿府の今川氏真殿も伊豆の北条氏規殿も同じように貴殿を『三河守』と呼ぶだろうな」


 今川さんと北条さんの名前に反応した。

 信辰だけでなく他の武将たちも目を見開いている。中には口を開けたままほうけている者まで見受けられる。


 二人には次の『茶室』で佐久間信辰へ『三河守』として、佐久間信辰はもちろん、織田信長へも手紙を出してもらうよう頼むとしよう。

 配下の国人領主が自分を飛び越えて『三河守』。信長、きっと怒るだろうなあ。


 その時の顔が見られないのが悔しい。


「そのお二方がなぜ?」


 なぜも何も、想像くらいはしたんじゃないのか? いや、今まさに心中で理由付けをしているところだろう。

 思案げな顔をしてはいるが、口元を綻ばせてもいる。


「我々三人は同盟者だ」


「現在空白地となっている三河を貴殿が切り取ってくれるなら、我々としても非常に助かる」


 その気になって織田家中を炎上させてくれよ。

 俺の期待に応えるように、信辰が一歩前進した。


「少し、家中の者と相談をさせて頂くお時間を頂戴出来ませんでしょうか?」


 よし、落ちたな。

 俺は鷹揚にうなずくと見張りの者を残して、善左衛門たちともに一旦別室へと引き上げる事にした。


 ◇

 ◆

 ◇


 別室へ移動するや否や、腰を下ろす間もなく光秀が問う。


「上洛とは何のお話ですか?」


「堺へ買い物へ行くついでに帝に挨拶をしておきたいって、以前に話しただろう?」


 言った、これは間違いなく言った。問い質そうとした光秀も憶えていたようで、言葉に詰まっている。

 だが別方向からの攻撃が突き刺さる。


「その上洛ですが、まだまだ美濃を取り巻く情勢は落ち着いておりません。上洛出来るかは不確かな事です」


「そう言うな。不確かではあるが、上洛という大事だいじを何の計画もなしには行えない。今から上洛するつもりで準備する。いざ上洛の段になって周囲の状況が許せば上洛、無理であれば取りやめよう」


 俺の言葉に一先ず納得したのか、善左衛門は小さく首肯すると次の問題へと話を切り替えた。


「では、上洛はそれでよいとして、官位の話など一言も聞いておりません」


「ああ、佐久間信辰への三河守の件か。あれは先程思いついた。佐久間信盛が討ち取られてしまったんで、仕方がなくその代案だ。織田家中に放り込む火種だな」


「そんな些末な事ではございません――」


 勝手に官位を贈る約束をするのが些細な事なのか。


「――朝廷から官位を頂くなど、議題に上ったどころか、寝言でも聞いた事がありません」


 そっちかよ。


「献金したんだし、官位くらいくれるだろ?」


 安東、最上、北条、今川、竹中、一条、伊東の連名で嘆願するんだ、下級の官位なんて安いものだ。

 何しろ史実では単独献金した毛利元就が従三位を贈られたくらいだしな。


「仮に官位を賜ったといたしましょう。それを佐久間信辰へくれてやるのですか?」


「官位をくれてやるまで、佐久間信辰が存命ならな」

 

 逆上した信長に手討ちにされる可能性もある。手討ちはまぬがれたとしても信長とは不仲になるだろう。


『それに官位一つで織田家中が炎上するなら安いものだ。そんなものくらいで目くじらを立てるな』


 そんな本音を俺は呑み込む。

 現代人の俺からすればそんな感覚だが、聞いている者たちは明らかに感覚が違う。


「官位を佐久間信辰あたりにくれてやるのは私も心苦しい。だが、帝のお力を回復するための手段であり、武器だと考えてくれ」


「武器ですか?」


「そうだ、武器だ。帝から賜った武器で逆賊を討つ。言いたい事は多々あろうが、ここは呑み込んでくれ。もちろん、本当に三河守を贈る前に帝にはご相談申し上げる――」


 官位を贈るまでもなく、佐久間信辰の自滅する未来が見える。


「――問題があるようなら、『三河守』の官位を賜らなければいいだけだ」


 朝廷から賜れたら贈る約束なのだから、賜らなければ贈る必要はない。


「分かりました。殿がそこまで仰るのでしたら」


 さすが善左衛門。お前が承諾すると光秀を筆頭に他の武将たちも黙ってくれる。

 この場に叔父上がいなくてよかった。


 一応、念を押しておくか。


「佐久間信辰が『三河守』を受けなくても問題はない。ここはヤツを持ち上げて、我々に悪感情を持たなければ十分だ――」


 理解しかねるといった表情の善左衛門と島清興。何かを察して顔を歪めている光秀。彼らの反応を確認してから、言葉を続ける。


「――ヤツが『三河守』を蹴ったとしよう。それでも、織田家中に戻った後で俺はもちろんの事、今川氏真殿や北条氏規殿から佐久間信辰殿を『三河守』と称した手紙が彼や信長へ届く」


 善左衛門と島清興の二人がほぼ同時に顔を歪め、善左衛門がポツリとこぼした。


「それは酷い」


 そう、佐久間信辰の対応がどうであろうと、彼を持てはやす手紙が幾つも信長の下に届く。


「善左衛門、信長はどうすると思う?」


「織田信長は怒りますな。そればかりか、地盤を失った佐久間一族に気を使う必要はもうありませんから、相当に厳しい対応をするのでは……」


 信長が家中の信頼を失えば、引き抜きも加速するというものだ。

 静まり返った居室で、俺は穏やかな笑みを浮かべてみせた。

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