第89話 大高城よりの使者

 陣幕を透かすように朝陽が射し込み、辺りには米の炊き上がる匂いが漂っている。

 戦場の朝食としては遅い気もするが、昨夜遅くまで陣地の構築をしていた事を考えればこんなものだろう。


 周囲に視線を向けると俺と同じように朝食を気にしながらも、忙しく走り回る兵士たちの姿がそこかしこに見られた。

 大高城攻めが迫っているとあって、誰もが厳しい表情をしている。


「米の炊き上がる匂いはいいものだな。何だか幸せな気持ちになるよなあ」


 朝食のおかずに思いを馳せていると、明智光秀あけちみつひでの事務的な声が返ってくる。


「朝食の前に軍議を行う予定になっております」


 間を置かずに善左衛門ぜんざえもんと元服したばかりの弟――竹中重矩たけなかしげのりの声が続く。


「殿、急いでください。もう皆さん集まっております」


「兄上が最後です」


 気のせいだろうか、まるで俺が大高城攻めよりも、朝食の方に感心があるとでも思っているような口ぶりだ。

 それに久作、元服した途端なんだか偉そうじゃないか? 重矩なんて呼んでやらないからな、お前は今後も久作だ。


「分かった、すぐに向かう」


 ◇


 軍議の席にと用意された陣幕に足を踏み入れると、善左衛門の言う通り俺たち四人以外、全員が席に着いていた。

 真先に目に付いたのは先鋒を任され、意気込んでいる氏家卜全うじいえぼくぜん殿と、初めて軍議に出席したためか、妙に落ち着かない様子の金森長近かなもりながちかの二人。


「氏家殿、今日は先鋒の大任、よろしくお願いします」


 用意された床几に腰かけながら声を掛けると、満面の笑みを浮かべた氏家殿が口を開く。


「先鋒とは言っても城攻めの先鋒ですからな。破城槌 《はじょうつい》で城門を壊すのが仕事です。城内になだれ込んだら、後は乱戦でしょう。まあ、出し抜かれないように励みます。それに――」


 金森長近と大沢正秀おおさわまさひでに視線を向ける。


「――もたもたしていたら、からめ手に先を越されかねません」


 氏家殿の言葉に列席した武将たち、特に西美濃勢の厳しい視線が金森長近に集中する。

 お目付け役として大沢正秀率いる部隊をそっくり付けてあるとはいえ、搦め手の先鋒に金森長近を据えた事に少なくない反発はあった。


 だが、俺の直属の軍勢が中軍、しゅうとである安藤守就あんどうもりなり殿の軍勢を後詰として、手柄から遠い場所に配置する事で納得をさせた。

 分かってはいたが、誰もが手柄に飢えている。


 やはり、多少の犠牲は出してもここで一戦交える必要がありそうだ。


 ◇

 ◆

 ◇


「――――大高城の包囲は完成、準備は万端という事か」


 一通りの報告を聞き終えたが、特に新しい事実も無ければ問題も持ち上がっていない。万事予定通り、順調に進んでいた。

 予定通り、大手と搦め手から同時に仕掛ける。 


 軍議が一段落した事もあり、出席者の間で雑談が飛び交い始めた。


「守山城、小幡城、末森城の小城ばかりか、古渡城と鳴海城でも手柄を立て損ねましたからな。この大高城攻めでは何としても手柄を立てませんと」


 守山城、小幡城、末森城は包囲しただけで降伏したからな。

 実際に戦闘が発生したのは古渡城と鳴海城から出された援軍を叩いた部隊だけだ。


「竹中様の下での戦はどうにも手柄を立てる機会が少ないのが玉にきずですな」


「大高城に籠る佐久間信盛には是非とも徹底抗戦をしてもらいたいものだ」


「この兵力差ですし、面目が立ったところで降伏するでしょう」


「まあ、あっても一当二当ひとあてふたあてが関の山でしょう」


 次々と美濃勢が自分こそが手柄を挙げる、と声高に語る声と大きな戦闘にはならないと高を括った声とが飛び交う。

 久作や明智秀満あけちひでみつといった元服直後の若武者が大将首たいしょうくびを上げている事もあってか、二十歳前後の者たちの鼻息が凄い。


 ◇


 軍議も終盤となり『朝食を終えたら、大高城攻めを行う』、と締め括ろうとした矢先、取り次ぎの武将が駆け込んで来た。


「殿、大高城の佐久間信盛さくまのぶもりより使者が参っております」


 なんてタイミングの悪いヤツ。

 軍議でボルテージの上がった国人領主や地侍たちの射抜く様な視線が、取り次ぎの武将に注がれた。その殺気立った視線の集中砲火に小さな悲鳴を上げる。


「降伏勧告を受諾するつもりかな?」


 俺のつぶやきに、出席者たちがさらに殺気立ち、善左衛門と光秀が慌てて反応する。


「まさか、条件交渉でしょう」


「あの条件で降伏しては、織田信長おだのぶながからどんな処分が下るか分かったものではありません」


 さすがに空気を読んだか、『降伏させる方向で話を進めましょう』とは口にしない。

 まあ、ここで佐久間信盛が降伏なんてしようものなら、同行した国人領主たちの反発を買うのは間違いない。気の毒だが佐久間信盛には犠牲になってもらうしかなさそうだ。


「条件交渉か、長引きそうだな」


「それ程長引くとは思えませんが?」


 隣で睨み付けている善左衛門とは違って、光秀が首を傾げた。


「いや、朝食を食べ損ねる事になりはしないかと心配になってな」


「殿、朝食よりも使者との会談を優先させてください」


 不思議そうに小首を傾げていた光秀の顔が能面の様に一変した。


「そうだ、会談の席で朝食を摂ろう。食事をしながらの会談だ。これなら無駄がないだろう?」


「それは幾ら何でも、あんまりでは……」


「光秀、勘違いするな。使者にもちゃんと食事を用意する。我々だけが朝食を摂って、使者に見せびらかす様な事はしない」


「そのような事、微塵みじんも考えませんでした」


 ちょっとした冗談なのに、妙にまじめに返して寄越したな。それに少し怒っているような気もする。


「そうか。では、使者との会談の用意を頼む」


 ◇

 ◆

 ◇


 結果、使者との会談は俺の要望通りに朝食を摂りながら、となった。

 佐久間信盛からの使者は一人。こちらの出席メンバーは俺と善左衛門、光秀に加えて、金森長近を同席させた。


 別に持て成すつもりはなかったが、一緒に食事をする相手という事で、朝食のメニューは俺と同じものを用意している。

 炊き立ての白米と玄米、出来立てのジャガイモの味噌汁がそれぞれ湯気を上げている。主菜はあゆの塩焼き。副菜に大豆の煮物、それに香の物が並ぶ。


 目の前のお膳を食い入るように見つめ、一向にはしをつける気配のない使者に食事をするよう、うながす。


「どうした? 毒など入っていないので安心して口にしなさい」


「お、恐れ入ります」


「鮎の塩焼きは私の好物の一つでな、城攻めの前にはこれを食べるようにしているんだ」


「そ、そうですか」


 軽い冗談のつもりだったのだが、緊張がゆるむ様子はない。

 同席している者たちに視線を巡らせれば、善左衛門と光秀は文字通り戦の前の腹ごしらえとばかりに黙々と食している。長近は味噌汁の中のジャガイモが気になるのか、しきりに箸でつついてた。


 駄目だ、同席者は当てになりそうにない。

 仕方がないので少しばかりスパイスを効かせて使者の反応をうながす。


「それで、ご使者殿のお話では『降伏勧告は受け入れられない』、という事だな」


「竹中様、それは誤解です。このままでは受け入れかねる、と申し上げております。ですので、こうして話し合いのために参りました」


「話し合い? 先程からお膳の上の鮎と睨めっこをしていて、まったく話し合いをする気配が感じられないが、私の気のせいか?」


「そ、それは。その、こ、この様なお持て成しを頂けるとは、そ、想像もしていなかったもので、その、少々、面食らっておりました」


「では、ここからは食事をしながらの話し合いという事でよろしいか?」


「はい、そのようにお願い致します」


 ひとしきり汗をぬぐうと、ようやく箸を手にした使者に向けて話しかける。


「こちらとしては、先の降伏勧告の書状に条件を記してある――」


 使者の箸が鮎の上で止まった。


「――それで、不満という事のようだが、そちらからの条件を聞こうか」


「我らも多くを望むつもりはございません――」


 腹を括ったのか、せっかく鮎の上まで運んだ箸を置いて居住まいを正した。


「――我らが主である佐久間信盛様からの要求は、籠城している者たち全員の助命と所領の安堵です」


 随分と贅沢な話だな。

 こちらの要求は降伏すれば全員助命の上、三河に放逐ほうちく。早い話が城を捨てて織田信長の下に逃げるなら命は助けてやる、というものだ。


「その条件を私が承諾するとどうなる?」


「ただちに城を明け渡し、以降は佐久間の一族一党、竹中様のために粉骨砕身働かせて頂きます」


 損害なく城が手に入る上、部下と兵力が増えるので個人的には魅力を感じる。だが、先程の軍議の空気を思い返すととても承諾できない。


「さすがにそれは虫が良すぎるとは思わないか?」


「双方にとって最も望ましい条件の様に思えます」


「こちらとしては、降伏を受け入れられないなら、力攻めでも一向に構わないのだがな――」


 朝食でにぎわう陣営内、その一際大きな声のする辺りにわざとらしく視線を向ける。


「――なにしろ手柄を立てたくて、うずうずしている者たちが多くて困っているくらいだ」


 本当、困っている。『戦わずして勝つ』事の素晴らしさを学んで欲しいものだ。

 使者に視線を戻すと、額に薄っすらと汗を浮かべている。


「じ、譲歩されるおつもりはない、という事でしょうか?」


「残念ながら」


 俺の一言に使者の顔は蒼ざめ、善左衛門は満足げにうなずく。


「わ、我らとしては、城を枕に討ち死にの、かく、覚悟が出来ております」


 とても覚悟が出来ているようには見えないぞ。


「よく言った! 手始めにお前を血祭りにあげて城攻めに掛かるとしよう!」


「な、し、使者に手を掛ける、おつもりか?」


「一般的だろ、そんなの――」


 次の瞬間、『ヒィッ』という悲鳴と共に、手付かずのお膳を盛大に引っ繰り返してくれた。

 腰が抜けたようで、立ち上がる事も出来ずに手足をバタつかせている。それでも俺から少しでも距離を取ろうとして座ったまま後退った。


 必死に何かを訴えようと口をパクパクと動かす使者に『お前にも生き残る機会をやろう』、と付け加えて言葉を続ける。


「――搦め手の守備兵を少し減らして欲しい。門のかんぬきが緩んでいると、尚いいな」


「な、なんの話を……」


「ただとは言わない」


 俺が控えている武将に目配せをすると使者の前に麻の袋が運ばれた。


「こ、これは?」


「永楽通宝で五十貫文ある――」


 俺の言葉と共に麻の袋が逆さにされ、永楽通宝がこぼれ落ちた。


「――嫌なら搦め手に手心を加える必要はない。その金を持ってどこへなりと逃げればよい。我々としても、お前の働きに期待はしていない。やってくれれば助かる、という程度だ。ただし、手心を加えてくれれば落城後、お前を取り立てよう。そうでなければ、討ち取らせてもらう」


「しかし――」


「ここで返事をする必要はない――」


 何か口にしようとした使者の言葉を遮る。


「――ご使者殿はお帰りだ。丁重にお送りするように」


 俺は控えている武将に指示して、使者を半ば強引に送り返した。

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