第85話 古渡城、攻略(2)

明智光秀あけちみつひで様が指揮される鉄砲隊、配置に就きました!」


島清興しまきよおき様の部隊、大手門正面に布陣を完了致しました!」


からめ手、岸信周きしのぶちか様の部隊を最後に全て配置を完了致しました!」


 こちらの布陣が着々と進む中、百地丹波ももちたんばが潜り込ませていた密偵が駆け込んで来た。


「大手、からめ手ともに城内の守備兵は織田信おだのぶきよ清様配下の兵で間違いございません――」


 よし、手はず通りだ。織田信清の手引きで古渡城の正門と裏門から同時に城内へなだれ込める。

 そう報告した密偵は大任を成した達成感から興奮気味に付け加える。


「――また、織田信清様から書状をあずかって参りました」


 差し出された書状に書かれていたのは合図とタイミング。


 村井貞勝むらいさだかつの身柄の拘束と、帰蝶きちょう殿をはじめとした織田信長おだのぶながと重臣の家族の身柄の保護が出来次第、狼煙のろしが上がる。

 万が一手はずと齟齬そごが生じた場合、三連続で狼煙のろしが上がる、と書かれていた。


 こちらも予定通りだ。

 善左衛門ぜんざえもんは俺の差し出した織田信清からの書状を受け取ると、目を通す前に島清興の部隊を視線で示して聞いて来た。


「正面に布陣した島清興の部隊に明智秀満あけちひでみつの旗印が見えますが、よろしいのですか?」


「構わない、私が許可した」


「殿が許可されたのでしたら」


「本人のたっての希望だ。河尻秀隆かわじりひでたかを討ち取って勢いもある。大目に見てやってくれ」


 俺の言葉に善左衛門は苦笑すると『別に反対をしている訳ではありません』とこぼして、


久作きゅうさく殿も大将首を上げた事ですし、若武者が台頭してくるのは当家にとっても良い事です」


 そう返した。

 

 直後、古渡城からのろしが上がった。数は一つ。怖いくらいに順調に進んでいる。

 俺の号令と続く善左衛門の声が辺りに轟く。


「本隊を残し、全軍、城内へなだれ込めー!」


「突撃ー! 正面の部隊がなだれ込んだら、島清興の部隊に本隊以外は、全軍続けー! 作戦通りに進んでいる、躊躇ためらうな!」 


 すると、轟く善左衛門の声をかき消す程の大音量の喊声かんせいが、配置した部隊から次々と上がる。


 喊声の勢いに乗って島清興の部隊が大手門に迫る。

 死角となって見えないが、からめ手からも喊声と兵士たちが突撃する音が聞こえて来る。大手門と同じように裏門へ迫っているのが分かる。


「大手門、抵抗ありません! 島清興様の部隊、城内へ突入致しました!」


 傍らの武将が興奮気味に実況する。

 そんな彼の横で善左衛門が楽しそうに声を上げた。


「明智秀満も度胸がありますな」


「まったくだ。何となくそんな気はしたが、速度も落とさず真先に城内に突入するとは驚いたよ」


 島清興率いる大手門への突撃部隊の先陣を切ったのは明智秀満。

 織田信清の配下により内側から開かれた大手門へ、毛ほどの躊躇ためらいも見せる事無く突入した。


からめ手からも城内への突入に成功したようです!」


 伝令の視線の先へ目を向けると、からめ手側に配置した伝令兵が旗指物を大きく振っているのが映った。


 大手門側も既に城内へと突入した島清興の部隊に遅れまいと、競い合うように城内へと駆ける姿が見えた。

 城内からも特に激しい抗戦をしている様子は伝わって来ない。

 どうやら大勢は決したようだ。 


 さて、そろそろ城内へ向かう準備を始めるか。

 皆に号令しようとする矢先、善左衛門は涙ぐむと感極まったように言い放った。


「織田信長と主力の留守を狙う。稲葉山城攻略以降、殿の思惑通りに事が運んでおりますな。殿の深慮遠謀、感服致しました!」


 改まって言われると後ろめたいな。しかも涙まで浮かべている。


 歴史の知識が有って、且つ『茶室』という不思議なシステムで遠隔地の大名と意思疎通が出来るからで、俺自身は至って平凡だよ。

 頼むから涙を流して尊敬したりしないでくれ。


 俺が心の中で懺悔していると、善左衛門とは対照的に口元に笑みを浮かべた右京と十助が続き、


「信長から勘気かんきこうむった織田信清殿を情と利益で引き込む。お見事です」


「敵の弱みを突くと言いましょうか、敵が欲しいものを欲しい時に与える。実に巧みですな」


 涙をぬぐった善左衛門が何度もうなずきながら言う。


「まったくです。殿の様な主君を得られて我らは果報者です」


 そ、そうか?

 お前たちが幸せなら俺も本望だよ。


 策を練っているときは楽しいが、その内容を改めて他人に言われるのは気分のいいものじゃないな。

 妙な罪悪感を振り払って馬の繋いである方へ視線を向けると、百地丹波の低音が耳に届く。


「家老の林秀貞はやしひでさだ殿に続いて一門衆の織田信清殿が寝返った訳ですから、織田信長も疑心暗鬼に掛かる事でしょう。これで謀略の幅も広がります」


 百地丹波、お前もか。


「織田信長の怒り狂う顔が目に浮かぶようだ」

 

 善左衛門、楽しそうだな。そんな楽しそうな善左衛門に右京と十助が再び加わる。


「信安殿の話では相当な癇癪かんしゃく持ちの様ですから、家臣に当たり散らすでしょうね」


「これで離反りはんもさせ易くなるというものです。ね、殿」


『ね、殿』じゃねぇ。


「そろそろ城内へ向かいませんか?」


 内蔵助、いい事を言った! 俺の中ではお前がこの戦の一番手柄だ!

 俺は笑顔で会話を続けている善左衛門たちに向けて言う。


「無駄話はそのくらいにして、織田信清殿から古渡城を受け取るとしようか」


 ◇

 ◆

 ◇


 大広間に入るとこちらの主だった顔ぶれと古渡城側の者たち――織田信清、村井貞勝、帰蝶殿、お市殿をはじめとした十名ほどの者たちが武装解除をさせられて座っていた。

 縛られている者はいない。


 中央に織田信清、左側に村井貞勝、右側に帰蝶殿とお市殿。

 村井貞勝の背後に三人の武将。

 恐らくあの三人が織田信清の弟と二人の家老。織田広良おだひろよし和田定利わださだとし中島豊後守なかじまぶんごのかみなのだろう。

 

「城内はもちろん、城下も落ち着いたようだ。投降した者は敵味方の別なく傷の手当と食事を摂らせている――」


 俺は部屋に入るなりそう切り出すと、織田信清や村井貞勝たちに話し掛けながら部屋の奥へと進む。

 上座へと座ると古渡城側の面々を改めて見回し、帰蝶殿に視線を固定して再び口を開く。


「――皆さんもここでの話し合いが終わり次第、食事と休息を取ってもらう予定です。少しの間ですので辛抱して下さい」


 穏やかな口調で話しかけたのだが、囚われの立場である人たちの顔は一様に強張っていた。

 真先に口を開いたのは織田信清。


「この度の古渡城攻略、おめでとうございます。見事な手際に感服致しました」


「無駄な血を流さずに済んだのも、織田信清殿の英断があったればこそ。我々の方こそ信清殿の決断に感謝している――――」


 しばし、俺と織田信清との間で苦渋の決断と、そこに至るまでの織田信長の度重なる横暴と判断力不足について言葉が交わされる。


 俺と織田信清との会話の間、囚われの身である村井貞勝たちは終始押し黙っていた。

 もちろん、心中穏やかであるはずがない。村井貞勝などは今にも掴み掛らんばかりの形相だった。


 織田信長の悪口を交えた一通りの引継ぎ報告を終えると、


「ところで、熱田はどうなりますでしょうか? ――」


 目と鼻の先にある熱田港――沖合の海賊と千秋季忠せんしゅうすえただが本当に寝返るのか気になったのだろう。織田信清おだのぶきよが心配そうな表情で問う。


「――海上にいる海賊も脅威ですが、熱田には千秋季忠がおります」


「熱田沖に集まっている海賊と千秋季忠との間で和議が結ばれた。二時間程前に千秋殿から使者が訪れた。少し遅れて海賊からも使者が来たので間違いない――」


 和議もへったくれもない。

 最初から海賊はこちらの味方だし、千秋季忠も寝返りを約束していた。その確約が届いたに過ぎない。


「――沖合の海賊が熱田を襲う事もなければ、千秋季忠の手勢がこの古渡城へ攻めて来る事もない。安心しろ」


「おお! それを伺い、一安心致しました」


 そう言って安堵の表情を浮かべる織田信清と、無言で目を見開く虜囚たち。ただ一人、村井貞勝だけが苦々しくつぶやく。


「すべて計略のうちという事か」


 いい勘をしているな。もう少し煽っておくか。


「戦とは戦う前に勝敗が決しているものだ。事前にどれだけ準備できるかが勝敗を分ける。戦って見なければ分からない、などという分の悪い賭けは私の望むところではないからな――」


 眼前の村井貞勝が唇を噛みしめ、周囲の諸将は感嘆の声と共に憧憬どうけいとも尊敬ともとれる視線を俺に注いでいる。


「――織田信長は全てにおいて準備不足だった。村井貞勝、帰蝶殿とお市殿はもちろん、降伏した者たちと城下で捕らえた信長配下の家族は無事に織田信長の下へ送り届ける。俺と織田信長との違いをお前の口から信長本人に伝えろ」


 本当は事前準備でも何でもない。違いは平成日本の知識と『茶室』を通じて遠隔地の転生者と連絡が取れるからだ。

 無言で睨み付ける村井貞勝をさらに挑発するように繰り返す。


「織田信長にそう伝えてくれ」


「ふ、ふざけるな!」


 間髪容れずに拒否の言葉が発せられた。

 そりゃあ、言葉そのままに伝えたらその場で手打ちに成りかねないよな、信長の性格からして。


「まあ、伝えたら怒るよな。言い辛ければ無理強いはしない」


 後で書状を書こう。書き出しは『村井貞勝から聞いたと思うが』だ。書状を読んだ織田信長は間違いなく怒るだろう。逆上する姿が目に浮かぶ。

 それで判断を益々誤ってくれればもうけものだ。


 再び無言で睨み付ける村井貞勝から穏やかな表情を見せている帰蝶殿へと視線を移す。


「帰蝶殿、今聞かれたように貴女もお市殿も無事に織田信長の下へお送り致します。言葉が正しいかは分かりませんが、ご安心ください」


「先の清須城での事もあります。竹中様の事は信用しておりますし、その配下の方々も竹中様の命令を反故にするような事はないと信じております――」


 ましてや、貴女は斉藤道三の忘れ形見だ。

 本人もそれを承知しているのだろう、


「――私だけでなく、他の者の身の安全もよろしくお願い致します」


 そう言って、隣に座ったお市殿と揃って深々とお辞儀をした。

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