第84話 古渡城、攻略(1)

 古渡城から二キロメートル程離れた場所で街道を封鎖するように陣を張っていた。

 夜の闇の中、古渡城では幾つもの篝火かがりびかれ、激しく動き回る兵士たちの影が篝火で浮かび上がる。


「慌ただしく動き回っているようですが、今のところ城内で争いが起きた様子はありません」


 密偵からの報告を待っていた俺は、かたわらから聞こえた百地丹波ももちたんばのつぶやきに振り向く。


「そこまで見えるのか?」


「はい、夜目や遠目の訓練もしておりますので」


 さらりと言ったよ。忍者、凄いな。


 だが、この距離と明るさで敵陣の様子がわかるのはアドバンテージだ。

 暗視スコープとは言わないが、せめて望遠鏡の開発は急ぐとしよう。それにはもっと良質のガラスを作る必要があるな。


 俺が忍者への劣等感から新たな開発への闘志を燃やしていると、伝令が到着したとの報告が来た。続いて通された伝令は三人。

 百地丹波が向かって左側に平伏している伝令を視線で示すと耳元でささやく。


「古渡城へ潜り込ませておりました密偵です――」


 続いて真中で平伏している伝令に視線を移す。


「――あの者は千秋季忠せんしゅうすえただ様の下へ走らせた使者です」


 通常の伝令が二人に古渡城からの密偵が一人か。

 俺自身も一番知りたいが、ここにいる皆が最も知りたいのは古渡城の情報だろう。そしてその情報がもたらされれば、眼前も古渡城攻略の話題になるのは間違いない。


 俺は敢えて古渡城からの密偵を後に回して、他の二人の武将を先に聞くことにした。


 ◇


竹中久作たけなかきゅうさく様率いる別動隊は蜂須賀正勝はちすかまさかつ様、前野長康まえのながやす様率いる分隊と協力し、鳴海城からの援軍を見事に蹴散らしました。壊滅させた敵兵、およそ六百――」


 最初の伝令からの報告に居並ぶ諸将が沸きあがる。


「――さらに、竹中久作様自ら敵将、丹羽氏勝にわうじかつを討ち取りました!」


 伝令が我が事のように得意げな顔でそう言い放つと、諸将のボルテージはさらに上がった。


「おお! さすが弟殿だ」


「久作様も大したものだ」


「出陣前に元服したばかりだというのに。さすが、殿の弟殿です」


「見事な初陣ですな」


「久作様は幼い頃から見どころがありました」


「これは将来が楽しみです」


 叔父上と相談して今回の戦で久作に手柄を上げさせる算段をしていたんだ。これで久作が手柄を上げられなかったら、それこそどこぞの公家の姫との婚姻話に影響する。


 それにしても、久作か……


 出陣前に叔父上示し合わせて、戸惑う久作を急遽きゅうきょ元服させたのだが……誰も『竹中重矩たけなかしげのり』の名で呼ばない。

 元服早々に手柄を上げたりするからこうなった気もするが、許せよ。


 呼び名はともかく、久作を印象付ける事には成功した。だが、俺は口々に久作を褒める諸将の言葉を遮るようにして話を先に進める。


「久作を含めて、別動隊の者たちは良くやってくれた。何と言っても守将の一人である丹羽氏勝を討ち取ったのは大きい。これで鳴海城の士気は大きく下がるだろう――」


 寝返りそうにない丹羽氏勝を討ち取ったのは大きい。これで金森長近かなもりながちかへの寝返り工作のハードルが一つ減った。

 そして六百人の兵士を潰走させた。鳴海城の三分の一近くの守備兵を削る事が出来たのはそれ以上に大きい。


「ご苦労だった、下がって休みなさい――」


 報告を終えた伝令にねぎらいの言葉を掛けて下がらせ、真中に座している伝令へと声を掛ける。


「――お前は千秋季忠の下へ遣わした者だな。報告しなさい」


「千秋季忠様よりお言伝を頂戴して参りました。『待ち人が到着されました』との事です」


 伝令のその一言に周囲の武将たちがキョトンとする中、俺と善左衛門ぜんざえもん明智光秀あけちみつひで、百地丹波、島清興しまきよおきの視線が瞬時に交錯した。


 早ければ今夜中にも来るだろうと、希望交じりに予想していたが、思惑通りだ。

 思わず口元が綻ぶ。

 俺だけじゃない、あのダンディな百地丹波まで笑みをこぼしていた。


「でかした! これで尾張掌握は成ったも同然だ!」


 俺は少し芝居がかった口調でそう言うと、居並ぶ諸将からの質問を適当に受け流しながら伝令を下がらせた。


 伝令が下がるとすぐに、皆を代表するように一人の国人領主が口を開く。


「殿、待ち人とは誰の事でしょうか?」


 気になるよな。

 だが、詳細は後回しにさせてもらおう。


「すまないが、詳しい話は他の部隊との合流後にさせてもらう。今は眼前の古渡城攻略に集中しよう」


 俺はそう告げると、おあずけをくらった様な表情の諸将から、三人目の伝令――古渡城へ潜り込ませていた密偵へと視線を移した。


 ◇


 最後に古渡城の密偵に報告するようにうながすと、一枚の書状を差し出した。


織田信清おだのぶきよ様からの書状です」


 差し出された書状を受け取りながら百地丹波が念を押すように低く静かに問う。


「この書状は織田信清様から直接手渡されたもので間違いないか?」


「はい、間違いござません。さらに申し上げれば、その書状が書かれるのをこの目で見ております」


 密偵の報告に百地丹波と俺の労いの言葉が重なる。


「ご苦労だった」


「良くやった」


 書状に目を通し始めてすぐに善左衛門が身を乗り出して聞いて来た。


「殿、織田信清殿は約束通り我が方に寝返って下さりますか?」


 周囲に視線を走らせると、善左衛門だけでなく集まった主だった武将全員が、気もそぞろと言った様子で俺の事を見ている。


「まあ、待ちなさい。今、目を通し始めたばかりで、私も何が書かれているのかさえ分かっていないよ。一通り目を通したら説明する――」


 書状の書き出し、挨拶もそこそこに約束通りに寝返る事が書かれていた。

 これで清須城で待機してもらっている稲葉一鉄殿の部隊をこちらに投入しなくて済む。


 俺は内心で胸を撫で下ろすと口元に笑みを浮かべる。そして落ち着きがにじみ出るように、努めて穏やかに話す。


「――それに織田信清が寝返らなかったからといって、今さら南尾張の征圧作戦を取りやめる訳にもいかないだろう?」


 続く『それとも敵将の一人が寝返らなかったからといって、美濃に引き返すか?』との俺の言葉に居並ぶ武将たちが気まずそうになった。

 俺は諸将に笑顔を向け、再び書状に視線を落とす。


 書状の内容に緊張を隠せないでいる反面、俺の落ち着いた対応に感心の眼差しを向ける諸将たちに囲まれて書状を読み進めた。

 両脇で書状を覗き見る事が出来る明智光秀と百地丹波の二人だけが、何とも名状しがたい表情をしていたのは気にしないでおこう。


 ◇


 じれる家臣たちを前に書状をゆっくりと畳んでから口を開く。


「織田信清は約束通り我が方に寝返る――」


 皆が一番気になる事を真先に伝えると、歓声とどよめきが上がった。

 俺の言葉に安堵して皆の表情が明るくなる。


「――ただし、村井貞勝むらいさだかつの寝返り工作は出来なかった」


 島清興が間髪容れずに聞き返す。


「失敗した訳ではないのですね」


「失敗ではない、どうやら切り出せる雰囲気ではなかったようだ――」


 まあ、相手が村井貞勝ならそう簡単に織田信長を裏切るとも思えない。下手に切り出して城内で乱戦になるよりも、騙し討ち出来るだけ良しとしよう。

 騙し討ちが成功すれば――内部からの攻撃とこちらの軍の城内への手引き、村井貞勝配下一千の兵は成す術なく降伏するだろう。


「――現在の古渡城だが、守将は織田信清と村井貞勝。兵は織田信清が二千、村井貞勝が千を有している」


 作戦内容と戦力差から大きな損害を出さずに済む事をはじき出した善左衛門が、安堵の表情で諸将に聞こえるよう大きな声で言うと光秀がそれに続く。


「実質の敵兵は千。城内に手引する兵が二千いるのでしたら被害も最小限に抑えられそうですな」


「清須城のようには行きませんが、今回も労せずに古渡城を手中に出来そうですね」


 善左衛門と光秀が何の疑問もなく騙し討ちを前提に話を進める。


「稲葉山城のように酒を使うのは無理でしょうが、織田信清殿に伝言して副将の村井貞勝を捕縛して人質とする事は出来そうですが、如何でしょうか?」


「人質を取るなら村井殿だけでなく主だった武将や部隊長数名を事前に捕縛しておきましょう」


 彼らに続く諸将たちからも特に異をとなえられる事もなく作戦会議が進んで行く。


帰蝶きちょう殿とお市殿を人質とするのが良策と思いますが?」


 一人の国人領主のその言葉に善左衛門が即座に反応する。


「殿は女や子どもを人質にする事を良しとはしません」


「それは甘――」


『それは甘い』とでも言い掛けたのだろう。隣にいた別の国人領主が彼に最後まで言わせる事なく、軽く肘で突いていさめた。


 不満げな善左衛門を視線で制して、俺は何事も無かったように話を進める。


「織田信清殿には事前に村井貞勝だけでも捕らえるように改めて指示を出す。だが成功するかは分からない。少なくとも村井貞勝の手勢との小競り合いは発生する――」


 諸将の顔に緊張の色がうかがえる。

 俺は穏やかな口調から一転させ、力強い口調で言い放つ。


「――鳴海城、大高城の前哨戦とは考えるな! この古渡城攻略は失敗どころか、大きな損害を出せば美濃に撤退しなければならないと思って、心して挑むように!」


 諸将から口々に承諾の返答が上がる。

 俺は彼らの返答が一段落するのを待って付け加えた。


「無駄な殺生をしない事と女子どもや無抵抗の者へ手出しをしないよう、周知徹底をするように。それと、帰蝶殿とお市殿をはじめとした信長の親族は今回も丁重に扱うよう、くれぐれも頼む」


 ◇

 ◆

 ◇


 諸将が古渡城攻めの配置に付くため退出すると、俺と明智光秀、百地丹波の三人だけとなった。

 光秀が百地を気にしながらも、ささやく。


「また、信長の下へ送り届けるのですか?」


「そうなるな。使者は村井貞勝に任せようと思う――」


 帰蝶殿とお市殿をはじめとした非戦闘員の事を指しているのだろう。俺は特に聞き返す事なく答えると、つぶやくように聞く。


「――甘いと思うか?」


 光秀は困った表情を浮かべると、俺の問に答える代わりに別の質問をして来た。


「殿は織田信長を配下に加えたいとお考えなのでしょうか?」


「信長を配下にするのか? それは怖いな――」


 言外にそんなつもりはない事を伝える。


「――人質が嫌いなだけだよ。無駄な殺生も嫌いだ。出来る事なら殺し合いなんてない世の中にしたいと思っている」


 俺たち転生者八人に共通している事。それは歴史に名を残すような武将や力のある者に対しては冷酷、とまでは行かないが厳しくあたれる。だが、名もなき人々や弱者には手を差し伸べたくなる。

 自分たちを脅かす事が出来る者には容赦しないのは、生存本能なのか、単に臆病なのか……


「それは……将軍家を盛り立てようという事でしょうか?」


「将軍家にその力があるなら、そうしよう――」


 光秀の顔が強張る。

 あれ? もしかして、謀反のフラグを立てちゃったか?


「――まあ、俺にはそんな力はないよ。今は尾張と美濃を手中にして、将軍家をないがしろにする三好家を何とかするための力を付けるのが先だ」


 慌てて取りつくろうが光秀の顔は強張ったままだ。

 気まずい雰囲気の中、百地丹波の低音が耳に届く。


「殿がお優しい方である事を私は知っております。殿が我ら一族に差し伸べて下さった恩、決して忘れる事はございません。私は、我が一族は殿のご期待に応えるだけです」


「殿が考えられている事があまりに大きく、先の事でしたので戸惑ってしまいました。この光秀、尾張と美濃を手中にした後は上洛して中央や帝とのえにしを結ばれるのが目的だとばかり思っておりました――」


 百地丹波の言葉を聞くと弾かれるように光秀が平伏した。

 光秀あたりでも尾張と美濃から先は考えていなかったという事か。そう考えると『天下布武』を掲げた織田信長はやはり偉人だ。


「――我が一族も殿のご恩に必ずや報いさせて頂きます」


不遜ふそんな願いかもしれないが、俺の望みは万民が安心して暮らせる世の中にする事だ。俺はその手助けが出来れば十分だ。その時、誰が将軍であっても構わないと思っている――」


 光秀だけでなく、百地丹波までその目が大きく見開かれた。


「――光秀、百地丹波。二人とも協力してくれ」


 二人が揃ってこうべを垂れた。

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