第82話 十面埋伏(2) 三人称

 左右の森と雑木林を抜けて敵の背後へと回り込もうとした部隊が壊滅した事は既に知れ渡っていた。

 その状況で集められた突撃部隊。


 何をするかは知らされていなくとも、危険な役割である事は容易たやすく予想出来た。

 河尻秀隆かわじりひでたかの前に集められた五十人の兵士。それぞれが数枚の木の盾を束ねたものを抱え、誰もがひどく緊張し悲壮感さえただよわせている。


 集められた五十人の兵士の前に進み出た河尻秀隆が一際大きな声で告げた。


「敵の馬防柵ばぼうさくを突破しろっ!――」


 突撃部隊に作戦内容が初めて知らされる。

 兵士たちは不安と驚きを共有するように、互いに顔を見合わせたり、小声で会話をしたりしていた。

 普段なら怒声を上げるところだが、特に注意することなく話を進める。


「――あの馬防柵を最初に突破した者に銭百貫だ! 褒美に銭百貫を与える! 最初に突破出来なくとも、突破した者には銭十貫を与える!」


 兵士たちの張り詰めた表情が一変した。

 口元に笑みを浮かべる者、小さくほくそ笑む者、あからさまに相好そうごうを崩す者と様々だが、急速に悲壮感が薄れていく。


「銭百貫だって!」


「最初じゃなくても十貫も貰えるのか?」


「おい、十貫だってよ」


「馬鹿、男なら百貫を狙わなくてどうするよっ」


「十貫だって、十分だろうが」


 種子島の恐ろしさを知らない五十人の突撃部隊。彼らの士気が上がって行くのを見回しながら河尻秀隆はほくそ笑んだ。


 秀隆自身、消耗の激しい作戦である事は理解している。

 だが、左右に展開した包囲網を築くはずの部隊が壊滅した今、消耗に目をつぶってでも最短の時間で馬防柵ばぼうさくを突破する決断を下した。


 夜の闇の中、松明の灯りでかすかに浮かび上がる明智光秀あけちみつひで率いる鉄砲隊。

 秀隆はその鉄砲隊へ視線を移し暗い笑みを浮かべる。


『あの鉄砲隊に弾丸を撃たせさえすれば十分だ。次の弾丸を装填する前に後続の兵士の槍が届く』


 古渡城を留守する副将としての矜持きょうじ、同僚に対する見栄と意地、主君である織田信長おだのぶながへの恐怖心、それらがない交ぜとなって秀隆を無謀な作戦へと駆り立てる。


「幾重にも重ねた厚い盾がお前たちを守ってくれる。臆せずに突撃しろ!」


 河尻秀隆の言葉に続いて、かたわらの武将が突撃部隊に隊列を組むように指示を出す。

 突撃隊の隊列が組まれていく中、別の武将が秀隆に耳打ちした。


「丸太を盾とした後続の槍部隊。これの半数をこれまでの戦で手柄を上げた者たちや、腕に憶えのある者たちに変更致しました」


 秀隆は無言で首肯する。


 捨て石ではない、本命の槍部隊を肝の据わった者や手練れの兵士、武将に変更していた。

 鉄砲隊が弾丸を撃ち終えた後、本命の槍部隊が突撃する。馬防柵さえ突破出来れば後は数で押し切れる。


 森の奥には伏兵がいたが、浅い部分に伏兵は見えない。

 敵も浅い部分は警戒をしていない。馬防柵の外側、森と雑木林の浅い部分をすり抜ける事が出来れば敵はさらに混乱する。


「河尻様、隊列を組み終わりました」


 秀隆が作戦の成功を思い描いていると、捨て石となる突撃部隊の準備が整った事がしらされた。


「よし、突撃させろ!」


 秀隆の言葉に続いて武将が声を張り上げる。


「突撃だ! 突撃せよ!」


 突撃部隊の兵士たちは己を鼓舞する様に喊声かんせいを上げて一斉に走り出した。


「続け、続けーっ!」


「進め、進めーっ!」


 武将の叱咤激励しったげきれいする声が飛び交う。

 

 最前列の兵士が馬防柵との距離百メートル程のところに達したとき、五十丁もの種子島が一斉に火を噴いた。

 轟音ごうおんが夜空に鳴り響く。


 轟音に続いて突撃した兵士たちが、そこかしこで悲鳴を上げて次々に倒れていく。

 突撃部隊に恐怖と混乱が沸き起こる。


 次々と倒れていく突撃部隊を冷静に見つめる河尻秀隆に傍らの武将がささやく。


「半数程が撃ったようです」


 うなずく秀隆の耳に、突撃部隊を鼓舞する武将の声が届いた。


「怯むな! 種子島は続けては撃てない! 今が好機だ!」


 倒れた兵士たちの間を縫うようにして幾重にも重ねた盾を構えた兵士が走る。

 突撃部隊の第二陣が、倒れている第一陣に差し掛かったところで、幾つもの火花の輝きを伴って再び銃声が鳴り響いた。


 再び兵士たちが悲鳴とうめき声を上げて倒れ込む。

 最初の射撃で倒れた兵士の上に折り重なるようにして、第二陣の兵士たちが倒れていく。


 喊声が悲鳴へと変わった。


「話が違うじゃねぇか!」


「撃ってくるぞー」


「逃げる、俺は逃げるぞ」


「弓矢よりも恐ろしいじゃねぇか」


「ヒーッ! 突き抜けている、胴丸を突き抜けているぞ!」


 阿鼻叫喚あびきょうかん

 突撃部隊の兵士たちの間に恐怖と混乱が広がった。恐怖と混乱から、突破すべき馬防柵に背を向けて戻ろうとする兵士と、突撃を継続する兵士とが街道でぶつかり合う。


 悲鳴と怒声にかき消されないよう、一際大きな声で武将が叫ぶ。


「何をしている! 下がるな!」


「敵は二射している! 今だ、突撃しろ! 突撃だーっ」


 だが、武将の叫びは恐慌におちいった突撃部隊に届かない。


「河尻様、このままでは敵に再装填の時間を与えてしまいます」


「言われるまでもなく分かっている! ――」


 苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てるように言い、前線に再度号令するよう若い武将に指示する。


「――槍隊を繰り出させろ! 下がる者は切り殺せ! 味方に殺されたくなければ突撃するように言え!」


「畏まりました」


 前線へと向かう武将の背中から供回りの武将へと視線を移す。彼を呼び寄せて自身が愛用する槍を乱暴に奪うと、


「ここが正念場だ! 敵の鉄砲隊は弾切れだ! 全軍、俺に続けーっ!」


 槍を高々と掲げて前線へと駆けだした。


 ◇


 鉄砲の威力に驚いて撤退する部隊と突撃する部隊とが都合よくぶつかり合い、『伏兵の突入までの時間が稼げる』と内心ほくそ笑んでいた光秀に明智秀満あけちひでみつの声が届く。


「殿、混乱した敵部隊が左右の森へと逃げて行きます――」


 十五歳、今回が初陣となる明智秀満は鉄砲の威力を目の当たりにして興奮している。

 彼の目には混乱し逃げ惑う敵兵しか映っていなかった。


「――追撃部隊を出しますか? 今なら兵士たちに手柄を立てさせてやる事も容易いかと思います」


 初陣ではあるが一門衆である自分に『追撃部隊を任せて欲しい』と態度と口調が訴えている。

 光秀は内心で『困ったものだ』と苦笑し、さとすように言う。


「追撃は不要だ。殿より『殲滅は不要』と言われている。何よりも我々の役割は逃げる敵兵の追撃ではなく、この馬防柵の死守だ――」


 秀満に話しかけながらも、光秀の視線は混乱し逃げ惑う前線の兵士の背後から迫る一団に注がれた。


「――我々の後ろにはわずかな兵を率いただけの殿がいる。ここを抜かれる訳にはいかない」


「それは分かります。ですが、敵は混乱しています。後は包囲網が完成するのを待つだけかと」


「そう都合よく事は運ばないものだ」


 そうこぼした明智光秀の目には混乱した味方の兵士を蹴散らしながら迫って来る、士気の高い一団が映っていた。

 数人の武将が織田勢の兵士たちを追い立てるように槍を振り回している。


 妻木広忠つまきひろただの視線も光秀と同じ一団を捉えていた。


「あれで鼓舞こぶしているつもりでしょうか?」


 妻木広忠があきれた様子で口にすると、光秀もしゅうとである妻木広忠の口調と物言いに苦笑しながら返す。


「鼓舞にしろ、叱咤しったにしろ、効果があるのは間違いありません――」


 光秀の視線の先では混乱していた部隊の半数以下しか街道上には残っておらず、半数以上は散を乱して左右の森へと駆け込んでいた。

 そして今も尚、逃げ惑う兵士は街道から森へと逃げ込んでいく。


 明智光秀は傍らで、森へと逃げ込む兵士たちを口惜しそうに見ていた明智秀満に声をかけた。


「――秀満、よく見ておけ。戦力にならない敵兵が間もなく消えて、士気の高い部隊の進路が出来上がる」


 光秀の言う意味が理解できずに不思議そうな表情を浮かべるが、それでも秀満は光秀と妻木広忠が見ていた一団へと視線を向けた。

 同じ一団を見ていた妻木広忠が光秀につぶやく。


「予想以上に早く道が空きそうですな」


「敵も必死だということだ。これは一当て二当てはありそうだな」


 光秀が多少の損害を覚悟した時、最前列から槍部隊の後方へと下がらせていた鉄砲隊の二人の部隊長から、予想以上に早く報告が上がった。


「鉄砲第一部隊、クロスボウへの変更、完了致しました」


「鉄砲第二部隊もクロスボウへの装備の変更完了です!」


 光秀は装備変更の速度に満足して首肯すると二人の部隊長に向けて号令する。


「第一部隊、第二部隊共に槍部隊の後方にて射撃準備!」


 百丁の鉄砲に代わって百丁のクロスボウが織田軍へと向けられた。


 最前列には鉄砲隊に代わって長槍部隊が配置され、その後方にクロスボウ部隊。さらに後方に弓部隊が配置されていた。

 敵を引き付ける間、光秀が部隊を鼓舞する。


「ここをしのげ! 島清興しまきよおき殿の部隊が突入するまでの時間を持ちこたえれば、我々の勝ちだ!」


 呼応するように兵士たちの間から喊声が上がった。

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