第81話 十面埋伏(1)
史実でも竹中重治が多用したと言われている
平たく言うと、『こちらが少数だと思わせて、敵が
こちらの囮部隊が敵を包囲できる場所まで誘導できるかなのだが、
「包囲の只中に入りました」
本人は慎重に進んでいるつもりなのだろう。
織田勢は街道の両脇に広がる森と雑木林の伏兵を警戒して、暗闇の中で狙いも定めずに矢を射掛けながらジリジリと進んでいる。
残念だったな。こちらの伏兵は弓の射程圏外から遠く離れた場所に伏せてある。
織田勢が把握している部隊は、街道を封鎖している明智光秀率いる囮部隊だけだ。
自然と俺の口元も緩む。
「今の河尻秀隆は奇襲を仕掛けて来た卑怯者を追い詰めた心境かな」
追い詰めたと思っている河尻秀隆と準備万端整えて迎え撃つ光秀が、お互いに舌なめずりをしている幻が見えるようだ。
松明の
「殿、街道の両脇に広がる茂みに敵兵が入り込みました――」
まあ、そうだろうな。馬鹿正直に
俺の目には幾つもの松明の灯りとその周辺にいる兵士が薄ぼんやりと闇の中に浮かび上がって見える程度だが、
「――さらに後列から丸太を数本持ち出してきたようです」
「丸太?
もしそうなら俺の配下に迎える必要のない人材だ。馬防柵を破壊出来るかもしれないが損耗が大きすぎる。
「丸太で街道を塞ぐように横たえました――」
何をするつもりだ?
百地丹波の口調からも敵の行動に疑問を抱いているのがうかがえる。
「――横たえた丸太の後ろで兵士たちがうつ伏せになっています。それが丸太の数だけ、五列出来ました」
なるほど、丸太を盾にして
「少しは考えたようだな。それに――」
街道の左右に広がる森や雑木林に兵士を展開させるのも、丸太を盾にしての
「――種子島の射程距離を知っているし、恐ろしさも知っているようだ」
さすが織田信長配下の武将だ。
「街道脇の茂みに入り込んだ兵士はそのまま明智様率いる部隊の側面から背後に回り込むつもりかもしれません――」
途中に罠が仕掛けてあるが、さて。
「――時間をかけて慎重に移動している様子からみて、罠を突破して来そうです」
自分の部隊に打撃を与えた少数の敵を目の前にしたんだ、それこそ突撃でもしてくるかと思ったが、意外と頭に血が上っていない。
「丹波、光秀に伝令だ。予備戦力とした忍者部隊を投入すると伝えてくれ――」
今から伝令を走らせれば敵が陣形を組んでいる最中に到着できる。そこから光秀の部隊の左右の森に控えさせている予備戦力――それぞれ五十人ずつの忍者部隊を投入する時間は十分にある。
「――忍者部隊の指揮も光秀に任せる。念のため、クロスボウの射線には注意するよう、忍者部隊に再度周知を頼む」
「
百地丹波のその言葉が終わると、彼の背後に控えていた忍者が二人消えた。
「不安か?」
珍しく緊張した面持ちの百地丹波に尋ねた。
「訓練したとはいえ、初めて使う武器ですので、やはり不安です」
今回、百地丹波配下の忍者部隊の大半を予備部隊とし、新兵器であるクロスボウを所持させていた。河尻秀隆が賢くなければ投入せずに済んだのだが、予想に反して賢かった。
「特に暗闇でもよく見える者で部隊を編成しているのだろう? 織田勢は罠を一つ一つ解除しながらの移動だ。間違いなくこちらが先に敵を見つける」
先に見つけさえすれば後はクロスボウを放つだけだ。
まだ不慣れな部分もあるので狙撃は無理だが、一斉射撃による面での攻撃で敵を捉えることは出来る。
「そうは申されても、私は殿と違って小心者ですので、落ち着きません」
「まあなんだ。我々に出来る事はもうない。後は部下を信じて待つとしよう」
俺は展開しているはずの方向へと視線を向けた。
◇
◆
◇
― 三人称 ―
河尻秀隆の眼前では彼の立案した作戦の準備が着々と整えられていた。秀隆は街道に横たえた丸太とその丸太を盾にするように地面に伏せる兵士たちから、街道の左側に広がる森へと視線を移してほくそ笑む。
街道の左右に広がる森に入り込ませた部隊がそろそろ街道を封鎖している敵兵――馬防柵の向こう側で種子島と弓を構えている連中の側面へと回り込んだ頃だ、と。
秀隆の頭の中では街道の左右と背後から自分の手配した兵士が一斉に躍り出て、敵を包囲し翻弄する姿が浮かぶ。
慌てふためく敵兵。一度崩れた軍勢は脆い。ましてや敵兵の大半は接近戦に不向きな種子島だ。
秀隆は己の作戦で成す術もなく崩れ、狼狽する中で討ち取られていく敵兵の幻に酔いしれる。
先程手痛い打撃を与えた忌々しい敵を包囲殲滅する。込み上げてくる笑いを抑えてそんな空想に浸っているところに伝令が飛び込んで来た。
「河尻様。右の森から鉄砲隊の背後へ回り込ませようとしていた部隊が壊滅致しました。わずかに戻って来た者も手傷を負っており――」
「何だとっ! どういう事だっ!」
武将が報告の途中であるにもかかわらず河尻秀隆の怒声が轟く。
楽しい空想に浸っていただけに引き戻された厳しい現実とのギャップに苛立っていた。
「森の中には幾つもの罠が仕掛けてあり、また、伏兵もいて回り込むのは困難だとの報告です」
「伏兵の数はどれ程だ?」
場合によっては増員して再度の回り込み作戦を行う。
だが、報告に来た武将の報告で秀隆の頭に浮かんだ考えが見事に打ち砕かれる。
「敵の数は不明。攻撃がどこから来たのかも分からないとの事です。尚、敵の武器は弓矢のようで――」
「森の中で弓を射掛けて来たのか?」
秀隆が思考を巡らせようとする矢先、別の武将が駆け込んできた。
「河尻様、雑木林を抜けて敵背後へ回り込ませようとしていた部隊が壊滅致しました。戻って来た兵は三人だけです」
「三人だと? 左右、それぞれ百人の兵を割いたのだぞっ!」
そう言って押し黙る河尻秀隆に向けて、最初に報告に来た武将が恐る恐る付け加える。
「その、森から回り込もうとした兵も半数以上が討ち死。戻って来た者たちも負傷しております」
二人の報告に目まいを覚えた秀隆は自問するようにつぶやく。
「何が起きた? 何が起きている? ――」
敵を包囲するための要となる部隊だ。負傷した兵士たちの中から無傷の者を、選りすぐった兵士を割いた。
その大半が討ち死になり負傷して戦力外となっている。
「――敵は俺の作戦を読んでいたとでも言うのか……」
「如何いたしますか、河尻様」
「迂回して背後に回り込むのはやめだ。突撃部隊を用意しろ。雑兵をかき集めるんだ。盾を数枚重ねて縛ってまとめろ」
「まさか、
「盾を数枚重ね合わせれば大丈夫だ。種子島は続けて使えない。全ての種子島が撃ち終われば、もう弾は飛んでこない。後は馬防柵を乗り越えて敵を切り伏せるだけだ」
種子島の恐ろしさを知っている自分には出来なくても、『何も知らない雑兵なら出来る』と確信にも似た思いが秀隆の中に湧き上がる。
「しかし、それでは犠牲が大きくなります」
「多少の犠牲は仕方がない。もう一度回り込ませるよりも、余程被害は少なくて済む」
「既に半数近くの兵士を失っております。ここは一旦、古渡城へ戻るべきです」
秀隆にとって最も考えたくない選択肢を示した武将に向けて怒声が浴びせられる。
「
「守山城に到着してもそこには五百人からの美濃勢がおります。我々が守山城に入っても身動きが取れなくなるだけです」
ここを突破したとしても犠牲が大きく、五百人の美濃勢を撃退する兵力が残らないと暗に訴えた。
「今更戻ることは出来ないっ!最小限の犠牲であの馬防柵を突破して守山城へ入る。つべこべ言わずに準備を進めろっ!」
◇
◆
◇
街道上に
「織田勢が突撃を仕掛けて来ました。街道に横たえた丸太を盾にしている部隊に先行する形での突撃です」
「捨て石か」
突撃してきた兵士を迎え撃つ銃声が夜の闇に響き渡り、続いて突撃してきた兵士たちの悲鳴と
丸太を盾にして
河尻秀隆も
「敵が左右に回り込ませた部隊は忍者部隊が沈黙させたようだな」
「あのような無謀な突撃を仕掛けてくるところを見ると恐らくは」
再び夜の闇に銃声が轟く。
敵中央の松明の灯りが大きく崩れた。
「敵中央に混乱が見られます」
「島清興の部隊だな」
予定通りなら、敵中央に最初に突撃する部隊は島清興率いる槍兵を中心とした兵士四百。
「はい、島様の旗印が見えます」
見えるのかよ。
長く伸びた織田勢の隊列、その中央が大きく崩れる。中央は混乱し、完全に部隊が分断された。
「後方に配置されてる兵士たちが逃げ出しました」
随分と早い
「森か雑木林へ逃げ込んだのか?」
「いえ、街道を真っすぐに逃げ帰っています」
街道を逃げては駄目だ。善左衛門の部隊が待ち受けている。
「闇夜での包囲作戦なのだから、適当に森の中に逃げ込めば助かる可能性も上がるだろうに――」
闇は互いに隙を作る。闇の中での包囲作戦だ。殲滅など出来る訳もないし、こちらも殲滅など考えていない。
「――まあ、善左衛門の部隊と鉢合わせれば左右の茂みに逃げ込むか」
俺と百地丹波の会話の最中も戦場は動いている。
敵の掲げる松明の灯りが更に乱れた。
「他の部隊も森を抜けて街道に到着致しました」
島清興の部隊に続いて、森や雑木林の奥に潜ませていた部隊が、次々に敵兵を押し返して街道へと姿を現したようだ。
大勢は決した。
後は包囲網を狭めるだけだ。隙を突いて逃げる敵はリスクを冒してまでは追わない。
それでも、河尻秀隆の部隊はここで壊滅する。
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