第80話 島清興、合流

 街道の先にかすかに見え隠れする灯りが、高速で移動している。俺と同じ灯りを見ていた明智光秀あけちみつひでの声が聞こえた。


「殿、島清興しまきよおき殿の分隊と思われます」


「そのようだな――」


 あの速度なら騎馬での移動だろう。敵の追撃も見当たらない。どうやら作戦は成功したようだ。

 俺は内心で胸を撫で下ろしながらも、それとは気付かれないよう、鷹揚にうなずく。


「――島清興の部隊が到着したら報告のため私の下へ来るよう、伝令を出してくれ」


かしこまりました」


 光秀はそう言って背後に控えていた武将を振り返る。すると、光秀に視線を向けられた武将は無言で首肯してすぐに走り出した。


「光秀、お前自身は清興の率いて来た鉄砲隊を速やかに引き継いで街道を封鎖。以降は引き継いだ鉄砲隊を含めた四百人を独立部隊として指揮。敵兵の突破を許すなっ!」


「承知致しましたっ! ご期待に応えさせて頂きますっ!」


 言葉と同様勢いよく上げられたその顔は、頬を紅潮させ目を輝かせていた。昂揚こうようしているのが伝わってくる。

 光秀は『失礼致します』と口にして、脱兎のごとく駆け出した。


 俺は走り去る光秀の後ろ姿から視線を外し、再び夜の街道を見下ろす。


 作戦は十面埋伏じゅうめんまいふくの変形バージョン。光秀と清興が持ち場について配置が完了する。


 正面のおとり役に、百丁の種子島を有する鉄砲隊を島清興から引き継いだ明智光秀の部隊。槍兵五十と弓兵二百五十を合わせた総勢四百。

 街道上に馬防柵ばぼうさく幾重いくえにも設置し、追撃してくる織田勢を真正面から迎え撃つ。


 包囲を図る部隊は九つ。街道の左右に広がる森と雑木林に伏せる部隊が八つ。島清興に任せる部隊のみ四百人で編成、他は各部隊二百人前後で部隊を編成していた。

 善左衛門率いる二百人の別動隊を敵の後方に迂回うかいさせて包囲殲滅を計る。


 最後に、森の途切れた先の高台――位置的には光秀の指揮する街道封鎖部隊のさらに後方、もはや戦場とは呼べないような場所に本陣を配置してある。

 

 ◇

 ◆

 ◇


 街道からは見えないように高台に構えた本陣に興奮しきった島清興の声が響き渡る。


「古渡城から守山城へ向けて出馬した河尻秀隆かわじりひでたか率いる軍勢、一千。街道途中にて大打撃を与える事に成功致しました! 予想通りなら負傷兵を残して追撃してくるはずです」


「よくやった! この後の十面埋伏の計もそうだが、古渡城、鳴海城、大高城の攻略とある。島清興、お前の働きに期待しているぞ!」


 今後、取り立てて一軍の大将と育ってもらわなければならない人材だ。

 殊更に褒め、期待している事を陣営全体にアピールする。


「ありがとうございます。身に余るお言葉! これも全て殿の深慮遠謀があればこそです! ――」


 感極まったのか、涙を流して一気に吐き出す。


「――今川家と示し合わせて織田軍を三河に引き込む見事な策謀。海上は村上だけでなく九鬼の海賊まで味方に引き入れる手際。近江も裏で浅井と手を結んで六角を手玉に取る手腕。『今孔明』と世間で噂されておりますが、まだまだ足りません!」


 いや、口止めはしていなかったけど、割と軍事機密だから、それ。

 島清興のよく響く声に、周囲の武将たちの驚きの表情と尊敬の眼差しが俺に向けられていた。なかには仕事をしている振りをして聞き耳を立てている者もいる。


 何れにしても尾ひれ背びれが付いて噂が広がるのは避けられそうになかった。

 半ば諦めながらも、俺は急ぎ話題を変える。


「お世辞はそれくらいで止めてくれ。それよりも、こちらの損害はどれくらい出た? 敵にはどの程度の打撃を与えた? 大体で構わない」


「未確認ですが三百人以上の兵が死傷したものと思われます。我が方の死傷者はありません」


 興奮をしてはいるが、清興の事だ、大きく数を見誤る事はないだろう。

 何といっても死傷者ゼロは期待以上だ。


「上出来だ――」


 これで追撃してくる兵数は多くても七百人以下。対してこちらは、十面埋伏に直接かかわる兵数だけでも、三倍以上の二千四百人余り。


「――だが、我々の戦いはまだまだ続く。損害を最小限に留めるよう、くれぐれも頼んだぞ」


「承知しております」


「それで、残りの部隊も手はず通りか?」


「はい、本隊二千人の指揮を蜂須賀正勝はちすかまさかつ殿に引き継ぎました」


 島清興から部隊を任された蜂須賀正勝は、襲撃地点から大きく迂回うかいして古渡城と襲撃地点との間に再び兵を伏せる。


 河尻秀隆が傷ついた兵士を率いて古渡城へ戻るようであればこれを襲撃。

 傷ついた兵士だけが戻るなら見逃す算段だったが、どうやら見逃す事になりそうだ。


 興奮冷めやらぬ島清興に向かってほほ笑む。


「清興、休む間もなくて申し訳ないが、迎え撃つ準備に移ってくれ」


「承知致しました。では、すぐに持ち場に戻ります」


 島清興が指揮するのは十面埋伏の計における最大兵力。敵の横っ腹に突撃を仕掛ける、明智光秀率いる部隊と並んで要となる部隊だ。

 今回の戦では明智光秀と島清興の二人に手柄を立てさせるのも課題なのだが。


 さて、期待に応えてくれよ 


 島清興が自分の指揮する部隊へと向かうと、かたわらに控えていた百地丹波ももちたんばが口を開く。


「古渡城の兵力を削ぐ作戦は予定通りの様ですな」


 織田信清おだのぶきよに頼んだ通り、河尻秀隆かわじりひでたか率いる一千の兵士が守山城の援軍として出馬していた。

 これで古渡城の兵力は三千。留守する将は主将の織田信清と副将の村井貞勝むらいさだかつ


「ああ、ここまでは織田信清が上手くやっているようだ。古渡城は織田信清の働きで大した損害を出さずに手中に出来るだろう」


 古渡城での問題は村井貞勝をくだらせる事が出来るかだ。

 これから国が大きくなる。大きくなればなる程、内政に秀でた人材が必要となる。貞勝は何としても欲しい人材だ。


「村井貞勝殿が古渡城の城攻めに巻き込まれるような事のないよう、織田信清殿の手引きで既に何人か潜ませてあります」


「丹波、あてにしている」


 もちろん、丹波が潜り込ませた忍者が村井貞勝を無傷で捕らえられるよう、織田信清も隙を作ってくれる手はずにはなっていた。


 百地丹波が無言で首肯すると、一人の武将が駆け込んできた。 


「百地丹波様の配下の者が取り次ぎを求めております」


「すぐに通せ」


 さて、古渡城か鳴海城を見張らせていた忍者か。或いは、河尻秀隆の追撃状況を監視していた忍者か。距離的に大高城を見張っていた者という線はないよな。


 程なく人が走って来る音がした。今しがた取り次ぎのあった忍者だろう。

 百地丹波の視線の先――暗がりを走る忍者がいると思われる方へ目を凝らす。だがだめだ、そこに人がいる事すら分からない。


 諦めるのと同時に百地丹波の低音が聞こえる。

 

「殿、鳴海城を見張らせていた者が戻って参りました」


 超人かよ。


 ◇

 ◆

 ◇


 鳴海城を見張っていた忍者から一通りの報告を聞き終えると、百地丹波が念を押すように聞く。


「では、鳴海城から小幡城へ向けて援軍が出たのは間違いないのだな?」


「はい。大殿がご用意された偽の急使が到着して間もなく、援軍が出ました。援軍の旗印は丹羽氏勝にわうじかつ。規模は六百人程です」


「鳴海城の金森長近は見事に騙されましたな。殿の謀略に踊らされたようです」


 指示したのは俺だが手配したのは明智光秀と百地丹波、お前もだからな。俺一人が悪人みたいに言わないでくれ。

 とはいえ、鳴海城の兵力を六百も削る事が出来たのは大きい。


「鳴海城の兵力は二千程だったな」


「はい、これで残る兵力は一千四百となります――」


 珍しく百地丹波の口元が綻ぶ。


「――金森長近かなもりながちか様へ再度の調略を仕掛けますか?」


「仕掛けよう。だが、仕掛けるのは古渡城を落としてからだ」


「古渡城を落としてからですか?」


 いぶかしむ百地丹波に向けて、静かに告げる。

 

竹中重治たけなかしげはるは敵国の住民であっても、自国の住民と同様に分け隔てなく扱う。略奪や暴行は厳しく取り締まり、違反した者は厳しく処罰する。敵兵であっても降伏する者に危害は加えない。望むなら竹中の家臣として召し抱える。敵将の家族といえども手荒な扱いはしない。人質などではなく、賓客ひんきゃくとして扱う――」


 俺が一つ一つ話す間にも、周囲の武将や忍者たちは目を丸くして驚いていた。

 だが、あまり驚かれても困る。


 北尾張を制圧するときには既に『略奪と暴行を禁じ、違反すれば厳しく処罰する』と、周知徹底した。

 さらに清須城を落としたときは『敵将の家族といえども手荒な扱いはしない。人質などではなく、賓客として扱う』という事項を追加している。


「――この事を住民に触れ回れ。当然、軍内には雑兵に至るまで周知徹底させろ」


「畏まりました」


 百地丹波が深々と平伏した。


 ◇

 ◆

 ◇


 街道を見下ろす高台に少数の兵士を率いて隠れていると、傍らの百地丹波が低音でささやく。


「殿、来ました。河尻秀隆の率いる軍勢です」


 俺の目には遠すぎるのと暗さとでよく分からないが、松明の灯りに浮かぶ旗印は河尻秀隆のものに見える様な気がする。


「光秀様の部隊に気付いたようです」


 河尻秀隆率いる尾張勢の進軍速度が急速に落ちたと思うと、暗闇の中でうごめくように隊列を組み直している。


 彼らの前方には光秀の指揮する鉄砲隊を配置してある。

 先程、島清興の部隊から受け取った百丁の種子島を有する鉄砲隊を、街道に設置した馬防柵と共に配置した。

 指揮を執るのは光秀。


 前方にこちらの部隊を発見したとはいえ、動きが遅すぎる。


「何をやっているんだ? 動きが遅すぎる……」


 俺が疑問を口にすると百地丹波が間髪容れずに答える。


「河尻秀隆殿はかなり用心されているようです。速度を落とし、周囲の森や雑木林に向けて矢を射掛けながら進んでおります」


「島清興に伏兵で叩かれたのが余程こたえたようだな」


 まあ、今更慎重になっても遅い。

 河尻秀隆、悪いが光秀や清興の手柄になってもらおうか。

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