第75話 清須城、集結(1)
清須城の城内に軍勢が到着した事を報せる声が響き渡り、軍勢が集結するに従って武将たちの士気は自然と高まって行く。
特に上層部の武将たちの士気は高い。
なにしろ三河に出馬した織田勢の主力が、既に松平軍と戦端を開いた報せは我が軍の雑兵まで知れ渡っている。
織田軍の主力は尾張に引き返す余裕はない。
残る留守の軍勢のみ。それこそまとまった戦力のあるのは古渡城、鳴海城、大高城、そして熱田に立て籠もる地元勢力だけだ。
支城や砦がこちらの手に落ちたとの報せを毎日のように受ける
「殿、口元が緩んでおります。今は引っ切り無しに人が訪れる状況です。気を引き締めて下さい」
「すまない、気を付けるようにしよう」
そう言って、開け放たれた部屋の入口から庭先へと視線を向ける。
光秀の言う通りだ。部屋に訪れる者たちだけでなく、庭先を横切る者からも部屋の内部は丸見えだ。
数人の雑兵が槍の束を抱えて庭先を横切るのを見ていると、廊下を誰かが駆けてくる音がした。
「殿、
光秀の右腕でもあり、戦線指揮官の一人でもある斉藤利三と光秀の義父である妻木広忠の到着を報せる声が響くと、光秀がこちらへ視線を向けた。
俺は光秀に鷹揚にうなずく。
「光秀、これでお前の部隊はすべて揃ったな。念のため確認してきなさい」
本当は確認作業など必要ない。舅である妻木広忠への気遣いだ。嫁さんの父親に対して礼を失する事のない様にとの俺の配慮である。
「ありがとうございます。では、すぐに声を掛けてきます」
礼を述べて立ち去る光秀の背中を見送り、たった今報せを持ってきた武将に視線を移す。
「
「畏まりました」
そう述べて、足早に立ち去る連絡係の武将と入れ替わるように
「殿、お忙しいところ申し訳ありませんが、少しお時間を頂けますでしょうか」
「おお、これは舅殿。どうされました?」
俺は
「実は鳴海城の事でご相談があってうかがいました――」
鳴海城の守将は舅殿の義理の弟にあたる
だとすると、古渡城の軍勢を鳴海に撤退させるのも面白いな。
「――守将である金森長近に竹中家への寝返りを勧めていたのですが、見事断られました」
舅殿の快活な笑い声が辺りに響く。
残念、失敗したか。まあ、調略などというものは、そうそう成功するものでもないよな。
「敵ながら見上げたものではありませんか。これだけ追い詰められている状態で尚、鳴海城を守り抜こうという
真偽の程は分からないが、金森長近は義理堅いとの評判も聞く。
何と言っても、金森長近の正室は舅殿の妹だ。まだこちらに寝返る可能性が潰えた訳じゃない。どこで間違って俺の言葉が金森長近に伝わらないとも限らない。ここは持ち上げておこう。
「――とはいえ、このままではその見どころのある武将をみすみす討ち死にさせてしまいます。それは、あまりに惜しい」
「長近をそこまで買って頂けるとは、嬉しいですな。まったく、この場に引きずり出して聞かせてやりたいくらいです」
金森長近に対する俺の評価が予想以上に高かったのだろう、驚いたように返してきた。
「古渡城を落とした後で、金森長近殿には再度調略を仕掛けましょう。場合によっては大高城を先に落城させてもいい。ともかく金森長近殿だけでも我が方に迎え入れたい」
有能である事も大切だが、それ以上にしがらみで
恩や義理などという不確かなものでだけなく、血縁や婚姻で縛られ、尚且つ義理堅い人物は歓迎する。
「殿にそこまで評価頂けるとは長近も幸せ者です。次の調略は私が直々に長近を口説きに向かいましょう」
いや、やめてくれ。
ただでさえ人材が少なくて困っているんだ。ここで舅殿に死なれるのは迷惑行為でしかない。何と言っても恒殿が悲しむ。
「いやいや、舅殿には戦線の指揮官を務めて頂かなければなりません。手慣れた百地丹波の一党に任せましょう」
「いや、しかし長近は私の妹を妻にしています――――」
尚も自分が直接説得すると主張する舅殿を何とか言い含め終えたところで、百地丹波と島清興が姿を現した。
◇
◆
◇
そろそろ全ての軍勢が揃う頃だろうか。西の空に視線を向けると、夕陽が空を茜色に染め、飛ぶ鳥をシルエットのように黒く染めていた。
「
「また誰か来たぞ。あの旗印は誰だ?」
「野々村様の旗印ですっ!」
「
「こっちだ、
「水と食事が足りないぞっ! どうなっているんだっ!」
遠くから聞こえてくる武将たちの声が、軍勢の集まってきている様子を伝えている。
部屋の入口を背にした島清興が静かにつぶやいた。
「皆さん、到着されたようですな」
「今夜、夕食後に評定を開く。その席で古渡城攻略の配置を決定する――」
俺は今しがた百地丹波と島清興に説明した内容をもう一度繰り返す。
「――百地丹波、古渡城が鳴海・大高の二つの城と連絡を取るのを未然に防いでもらう。伝令を全て捕らえろ。華々しい戦働きは望めないが許してくれ」
「承知致しました」
平伏して言葉短く返事をした百地丹波から、彼の隣に座る島清興へと視線を動かす。
「島清興、お前には俺の部隊の三分の二の兵士を任せる。さらに与力として、
島清興が
竹中家の最大兵力となる部隊、その指揮官を任された事に緊張しているのが分かる。
「――安藤守就殿の軍勢と協力して、鳴海城・古渡城から小幡城、守山城、末森城に差し向けられる部隊を撃破しろ」
「大役、承知いたしました」
百地丹波同様、平伏して承諾の返事をした。
作戦は単純だ。
少数で立て籠もる小幡城、守山城、末森城を包囲し古渡城の兵を引っ張り出す。
古渡城の兵が
平成日本の知識を持った俺からすれば、せっかく集めた古渡城の兵力をわざわざ分散してまで、支城の援軍に兵力を割くなど愚策にしか映らない。
戦力にならない支城は見捨てて戦力を一カ所に集中した方が合理的なのだが、それぞれの支城に配置された城主や武将たちはその一帯を治める国人領主だったり、その配下の武将たちがそれぞれ守備する城の付近に土地を持っていたりするので、どうしても城や土地に固執する。
今回も小幡城、守山城、末森城の三城を守るのは、それぞれの城の付近を治める国人領主たちだ。城が落ちれば自分たちの領地と領民が奪われる。
当然それは看過出来ない。
この時代の国人領主や土豪はドライだ。援軍を出さない主君など簡単に見限ってしまう。
結果、戦力の分散が愚策であると分かっていても、主君側は援軍を出さない訳には行かない。
この場合、主君側の筆頭は古渡城に詰める織田信清、次点が鳴海城を守備する金森長近だ。
そして、古渡の守将である
「さて、主だった者たちも、そろそろ揃うだろう。評定の間へ向かうとしようか」
そう言って、百地丹波と島清興をうながした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます