第73話 稲葉山城、評定(1)

 越後の長尾景虎ながおかげとらが関東管領である上杉憲政うえすぎのりまさを奉じて関東へ向けて出馬したとの報告が入ってきた。


 攻撃目標は北条氏規ほうじょううじのり

 対する北条家は後継者と目されている北条さんを旗頭に、同盟国である今川家と武田家が協力して迎え撃つ動きを見せている。

 

『長尾景虎、関東侵攻』の報せが駆け巡っている最中、近江では主筋である六角家に対して、若い当主に代替わりしたばかりの浅井家が弓を引いた。

 近江で六角承禎ろっかくしょうてい浅井新九郎あざいしんくろうとの戦いが勃発。


 史実でいうところの野良田のらだの戦いだ。この戦いに先駆けて浅井賢政あざいかたまさは浅井新九郎と名を改め、六角の家臣から嫁いできた嫁を離縁し送り返している。

 さらに父であり、浅井家の当主であった浅井久政あざいひさまさを隠居させて、新九郎が新当主として六角に戦を仕掛けた。


 この辺り、史実と多少順番が異なる気がするが、概ね史実通りに事が運んでいる。

 問題は三好の動きだ。三好長慶と松永久秀の動きが早い。


 浅井新九郎が六角家へ戦を仕掛けたと見るや、三好長慶みよしながよしが足利将軍家に圧力を掛けた。

 それに影響されてか、畠山高政はたけやまたかまさ松永久秀まつながひさひでとの間で不穏空気が立ち込めている。


 さらに、まだ明るみには出ていないが、九州では島津包囲網を完成させるべく伊東さんが暗躍していた。四国では一条さんが西園寺を討って瀬戸内に領地を確保する戦いが今にも始まろうとしている。

 そんな中、織田信長が今川氏真の領有する三河に攻め入った。


 まったく以て、戦国時代とはよく言ったものだ。


「世の中が乱れている。なげかわしい事だ」


 評定の間に集まった家臣、美濃と北尾張の一部の国人領主や土豪を前でつぶやいた。


 集まった者たちの大半はうなずいたり、『まったくです』『殿のお嘆き、同意致します』などの賛同を示したりする者たちがほとんどだ。

 なかには何か言いたげな表情をする者もいたが、それは見なかった事にしよう。


 一同が静まったのを見計らって切り出す。


「先般、今川家より使者が来た。書状には織田信長の三河侵攻を受けての今川家の対応と、当家への依頼が書かれている」


 今川さんからの書状を自身の顔の横に掲げると、皆が息を飲む。


「今川家としては三河の防衛に大きな戦力を割くつもりはないそうだ。旧松平家の家臣を中心に防衛に専念する。さて、そこで当家への依頼だが――」


 既に先の評定で、当面は当家から北条家への援軍を出さない事は伝えてあるし、織田信長おだのぶながを封じ込めて欲しいとの今川さんからの要望も伝えていた。

 今日の評定で、俺が尾張侵攻を号令する事は既に周知してある。


「――今川家が織田信長を三河に引付けている間に、我々に南尾張を切り取って欲しいと言ってきた」


 列席者の間から歓声とどよめきが上がる。

 織田家との決着を予感して昂揚こうようする者と顔をさらに引き締める者とに分かれた。


 昂揚した者たちが口々に騒ぎ出す。


「これで、宿敵である織田家を討てますな」


「この日を待っていたぞっ!」


「尾張と美濃、二国を治めるとなると、忙しくなるのう」


「その前に、手柄よ」


「今度こそ父のかたきを討って見せますっ!」


「織田勢に目にもの見せてくれる」


 どよめく室内に明智光秀あけちみつひでの声が響いた。


「皆様、お静かに願います。殿の話はまだ終わっておりません」


 光秀の声に皆が一斉に静まり、視線が俺に注がれる。


「織田軍は既に三河に出馬した。織田信長が尾張を留守にしている間に当家が尾張を統一し、織田家を三河に封じ込めるっ!」


 再び室内にどよめきが広がる。そのどよめきの中、稲葉一鉄いなばいってつ殿の一際大きな声がとどろいた。


「それは随分と我らにとって都合の良い話に聞こえますが、何か条件があるのでは?」


 もちろん、条件はある。


「長尾景虎を撤退させた後、今川家と当家とで織田家をすり潰す。この時、三河は今川家の所領となる。つまり、織田家を亡ぼす三河攻めでは当家への見返りはない」


 稲葉一鉄殿の口元に笑みが浮かぶ。


「南尾張を先払いですか。悪くない条件ですな」


「悪くないどころか、当家としては願ったり叶ったりの条件だな」


 稲葉一鉄殿の隣に座った氏家卜全うじいえぼくぜん殿はそう言い、豪快な笑い声を室内に響かせた。


 ◇


 評定の最中、小姓の一人が商人の到着した事を報せにきた。

 商人は全部で十人。この評定に合わせて呼んだ商人で、いずれも最近頭角を現してきた新興の商人たちだ。


 俺が目配せすると、光秀が心得たとばかりに列席する武将に向けて言う。


「皆様、これより商人を入室させますので、打ち合わせ通りにお願い致します」


 畏まって『打ち合わせ通りに』などといっているが難しい事は要求していない。余計なことは言わずに無言で威圧するように伝えてある。

 そもそも、一芝居うって欲しい等と言ったところで、出来るとも思えない。


「失礼致します」


 小姓の声と共に引き戸が開けられ、十人の商人が姿を現した。

 全員、入り口で固まっている。無言だ。心無し蒼ざめているようにも見える。そりゃあそうだよな。商談と伝えただけで、美濃と北尾張の主だった国人領主や土豪が集まっている席だとは言っていない。


 そんな彼らに光秀が無情にも入室をうながす。


「何をしている、入って来なければ話も出来ないではないか」


 反応したのは小姓だ。

 自分がしかられたと思ったのか、入室しようとしない商人たちの背を押して、半ば無理やり室内へと招き入れた。


 部屋の奥、上座の中央に俺。左右に叔父上と進行役の光秀。部屋の左右には評定に出席している国人領主や土豪、竹中家の重臣が並んでいる。

 その中央、俺の目の前に十人の商人たちは押しやられる形で入ってきた。


「あの、竹中様……」


「た、竹中様、何かの間違いでございます」


「これは、いったい……」


「私どもが、な、何か、仕出かしましたでしょうか?」


 辛うじて四人の商人が言葉を発したが、いずれもしどろもどろであったり、途中で言葉を失ったりしている。他の者たちは評定の間の雰囲気に驚いたのか一言も発しない。


「間違いでも何でもない。お前たちは入札に来たのだろう?」


 俺の言葉に全員が無言でうなずく。


 俺は小姓の一人から十枚の用紙を受け取ると、次々と目を通しながら商人に話し掛ける。


「さて、商談に来たところ申し訳ないが、少しだけで良いので世間話を聞かせてくれ」


 用紙にはそれぞれの商人が持ってきた種子島と火薬、米の数量と、こちらへの売値が書かれていた。入札形式と事前に説明をしていただけに値段はかなり抑えられている。


「世間話、ですか……」


「堅苦しく考えなくていい。越後からは長尾景虎が出馬した。隣国の近江では六角家と浅井家が今にも衝突しそうなのだろう? さらに当家と因縁の深い織田家も何やら動き出したと聞く。畿内でも三好が足利将軍家にちょっかいを出そうとしているらしいじゃないか」


 一通り目を通し終えた用紙を光秀へと渡すと、数人の商人が用紙を目で追う。


「よ、よくごぞんじで……」


「私どもよりお詳しいのではありませんか?」


「私が知っている事など極わずかだ。実際にあちこち歩き回ったり、大勢の人と接したりするお前たちにはかなわないさ――」


 光秀に視線を走らせると、無言で小さく首肯するのが見えた。

 どうやら、商人たちが持ち込んだ物資は数量・価格ともに問題ないようだ。


「――正確な情報でなくても構わない、商人の間でささやかれる噂話も含めて、いろいろと聞かせてもらいたいと思ってな」


 俺の言葉に続いて、光秀が困惑する商人たちに向けて告げる。


「この度、入札形式と事前に説明してあったが、殿を満足させられるだけの噂話を提供出来た者から順に買い取る事にする。それぞれここに記されている種子島と火薬、米。ここに書かれている数量を書かれている価格で買い取らせてもらう」


 光秀の言葉に、商人たちは我先にと噂話を語り始めた。

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