第71話 四面楚歌
「
「種子島は?」
「
その言葉に俺が無言で首肯すると、『浅井賢政殿は殿に大変感謝をしていらっしゃいました』と丹波が付け加えた。
浅井賢政とは表向きは敵対し、裏で武器や兵糧・資金の支援をしている。今回、その支援の最終となる種子島五十丁の受け渡しを百地の手の者に任せていた。
「よくやってくれた。話は変わるが、
「その前に、浅井賢政様よりお
そこで一旦言葉を切った百地に、浅井賢政からの言伝を先に話す事を承知すると、すぐに続きを語りだした。
「――南尾張の織田信長から浅井賢政様へ、織田信長の妹である、お市の方との婚姻のお申し出があったそうです」
こちらが浅井家と敵対しているように見せかければ、織田信長から浅井家へ接触があるとは思っていたが、この状況で史実通りの浅井賢政とお市の方の婚姻を提案してきたか。
「それで、浅井賢政殿はどうすると言っていた?」
「殿のご指示に従うと申しておられました」
「浅井家さえ良ければ承諾してもらっても構わないと思うが、二人はどう考える?」
今まで無言で傍らに控えていた叔父上と
「婚姻を承諾されるのは危険です。ここは予定通り、浅井家には織田家との見かけ上の同盟に留めてもらうべきでしょう」
叔父上の意見にうなずいていた善左衛門が、叔父上を支持する意見を口にする。
「
まあ、普通に考えればそうだよな。
俺は視線を叔父上と善左衛門とは逆側、左側に控えている
即座に口を開いたのは光秀。
「重光様と善左衛門様の仰る通り非常に危険です。殿は織田信長の悔しがる顔を見たいのかもしれませんが、ここは思い止まられるべきでしょう」
「私もお三方と同意見です。幾ら得るものがあるとはいえ、敢えて火種を作り出す必要はないでしょう」
何だろう、この雰囲気は。まるで俺が織田信長を
「織田信長の手にお市の方という外交の手駒がいつまでもあるのは落ち着かないんだが、それは俺だけかな?」
「殿だけでしょう」
「織田信長の妹の嫁ぎ先の心配よりも、南尾張の攻略が優先ですな」
叔父上と善左衛門の思考は謀略には向かないようだ。
「織田家と浅井家の見かけ上の同盟にしても、織田信長がお市の方との婚姻を断った浅井賢政をどこまで信用すると思う? 下手したら武田や北畠、或いは三好あたりと接触する可能性もあるよな?」
俺が話している間も叔父上と善左衛門の表情は変わらない。反対票の二票は覆りそうもないな。
俺は諦めて謀略向きの頭を持った二人、光秀と正信へ視線を向ける。
先に口を開いたのは年長者でもあり、竹中家家中での先輩格にあたる光秀だ。
「浅井賢政殿を利用して、織田信長からお市の方という外交の駒を取り上げれば、織田信長もさぞや悔しがるでしょう――」
俺に賛同するような事を口にしてはいるが、すました顔をしている。絶対に手のひらを返すだろ、お前。
「――ですが、浅井様がお市の方に情が移り、織田方に寝返る危険性があります。今の我らにとって浅井家は得難い近隣の味方です。ここは味方を失う危険は避けるべきでしょう」
案の定である。これで反対意見が三票。だが、三人とも言っている事はもっともだ。
肩を落とす俺に向かって正信が追い打ちを掛ける。
「浅井様には、殿の人脈を使って公家の嫁をご紹介しては如何でしょう。浅井家としても落ち目の織田信長と親戚になるよりもそちらの方が嬉しいでしょう」
もはや反対意見どころではない。次の手立てを提案している。
四面楚歌。
俺は
「分かった、浅井賢政殿にはお市の方との縁談を断るように返事を出す。百地丹波、浅井殿には公家の娘を紹介する旨も書き添えるので書状を渡してきてくれ」
自分でも危険なのは承知している。ここは重臣たちの顔を立てて言う事を聞いておくとしよう。
織田信長を悔しがらせるのは別の手段をとろう。
「畏まりました」
周囲の四人から安堵のため息が漏れる中、百地が静かに平伏した。
百地が顔を上げるのを待って話を再開する。
「先程の話の続きだが、小早川繁平殿へ忍者を派遣してくれたか?」
「はい。ご指示の通り、十代から四十代の男を七人、十代と二十代の女を三人。合計十人の忍者に殿の書状を持たせてあります。全員、小早川繁平殿ご本人に直接書状を渡すよう、指示も出しました」
「ご苦労だった。小早川繁平殿からの書状があれば最優先で俺に届けくれ」
再び平伏して命令を承諾する百地を横目に、光秀が遠慮がちに口を開く。
「殿、小早川繁平殿は緩やかな幽閉状態にあると報告を受けております。小早川家は
何とも居心地悪そうな表情を浮かべて語る光秀に、叔父上と善左衛門が先をうながすように光秀に視線を向ける。
光秀は広い額に浮かんだ汗を拭うと背筋を伸ばして話を続けた。
「――殿がどのようなお考えで接触されているのかご説明頂けませんでしょうか」
気の毒に。光秀のヤツ貧乏くじを引かされたな。
叔父上にしても善左衛門にしても自分たちが光秀に言わせていると、俺が気付いている事を分かっているのだろう。叔父上と善左衛門を睨むと二人そろって流れるように視線を逸らせた。
正信も承知しているようで、先程から下を向いて顔を上げようとしない。
まあ、このメンバーなら、ある程度の事情を話しておいても構わないだろう。
俺はこの場にいる五人――叔父上、善左衛門、光秀、正信、百地の順にゆっくりと視線を巡らせ、『これから話す事は家中でも他言無用というだけでなく、私がいないところで口にする事を禁じる』と念を押して、雰囲気を出すためにゆっくりと静かに語りだす。
「小早川繁平殿は
初めて明かす俺たちの構想に、その場にいる者たちが息を飲むのが分かった。
全員何か問いたげな顔をしているが、皆が俺の言葉の続きを待っているようで、誰も口を開かない。
「――小早川繁平殿が無事に小早川隆景の手を逃れて、一条兼定殿の下にたどり着けるか否かで日本の将来が大きく変わる」
正確には俺の寿命が大きく変わる。
小早川さんの医療知識があれば日本の医療技術に革新が起こるのだから日本の将来が大きく変わるのは嘘ではない。
「一条兼定様の下へ、ですか?」
善左衛門の質問とも独り言ともとれるつぶやきに続いて、光秀と正信が言葉を発した。
「果たしてうまく逃げられるでしょうか? 逃げたとしても一条兼定様は毛利元就を敵に回す事になります。一条家が毛利を敵に回せば必然と当家も毛利家の敵とみなされましょう」
「小早川家を取り戻すというのは成功の確率が低い様に思えますが……」
「当家は尾張と美濃を手中に収めた後、遠くない将来、畿内を手中にする」
再び皆が息を飲む。室内が異様な雰囲気で静まり返る中、叔父上が膝の上に置いた拳を固く握りしめて震える唇を開いた。
「尾張と美濃までは手中に出来るでしょう。しかし、畿内となると同時に幾つもの有力大名を敵にする事になります。間違いなく同盟を組んで当家に当たるはず……危険です。あまりに無謀な構想です」
百地を含めた他の四人も同じ意見なのだろう、誰も何も言わない。果たして俺の反応を待っているのか叔父上の次の言葉を待っているのか。
無謀か。『茶室』の繋がりを知らない、俺たち八人が転生者である事をしらない彼らからすれば、無謀に見えるのだろう。
「叔父上、危険は承知です。無謀に見えるかもしれませんが、私が無謀な賭けをする、そんな男にみえますか?」
精一杯の誠意を込めた、真摯な俺の言葉に、叔父上だけでなく他の四人も困惑の表情を浮かべている。
どうやら無謀な賭けをする男と思われていたようだ。
だが、ここで諦めては駄目だ。皆の表情には気付かないふりをして話を続ける事にした。
「畿内を掌握するには多くの敵を倒さなければならない。多くの大名や諸勢力が一度に敵に回るだろう。だが、それを見越して当家は今川家、北条家、一条家、伊東家、さらには東北の最上家と安東家とも同盟を結んだ。そして今、浅井家とも盟友となった。北条家と今川家を通じて武田家とも
困惑が驚愕に変わる。
「武田と? いったいいつ……」
「浅井とは盟友となって間もないのに、既に朝倉とも話を進めていたのか」
光秀と善左衛門が驚きの声を上げた。
驚くのは無理もない。誇張がある。武田と朝倉とはまだ何も話していない。構想段階だ。
驚く彼らに俺は自信満々の態度で話の締めくくりに入る。
「確かに敵は多いかもしれないが、味方も多い。これからも味方は増やすつもりだ。約束しよう、決して無謀な賭けはしないと――」
叔父上と善左衛門をはじめとし、全員の表情が幾分か和らいだ。
「――皆はどう思っているか知らないが私は臆病な男だ。何の準備も勝つ算段もなしに打って出たりはしないよ。周囲からは無謀な賭けと思われている稲葉山城攻めも、北尾張の切り取りも、事前の準備と勝利の算段があったからやったのは皆も知っての通りだ」
光秀が真先に平伏し、百地が続く。少し遅れて正信が平伏した。
「殿のお気持ち、なさろうとしていること、わずかではありますが理解致しました。この光秀、ご恩に報いるべく殿に付いて行きます」
「私も光秀様と同じ気持ちです。この命、自由にお使いください」
二人とも平伏しているが涙声だ。何が涙腺を刺激したのか今一つ分からないが、取り敢えず二票獲得。
嗚咽する光秀の横で、やや困惑気味の口調ではるが、正信が続いた。
「この正信、松平家家臣という、罪に問われてもおかしくない身であり、戦働きも出来ない身体にもかかわらず殿に拾って頂きました。必ずやご恩に報いさせて頂きます」
三票獲得、これで俺の勝利だ。俺は平伏する三人から叔父上と善左衛門に視線を移す。
「先の稲葉山城攻めも北尾張の切り取りも見事でした。何よりも遠方の大名家と同盟を結び、朝廷ともつながりを持つに至ったのは確かな実績です。この重光も殿を支持致しましょう」
「傍から見れば無謀な賭けであるのは間違いありませんが、その裏で殿が地道な努力をされていたのも事実。私も殿を支持致します――」
叔父上と善左衛門が了承した。これで満場一致だ。
俺が勝利の余韻に浸っていると、光秀が『殿、一つ提案がございます』と切り出した。
「何も毛利元就と敵対する必要はないかと。当家が一条家と毛利との間を取り持つ事も出来るのではないでしょうか? 幸い当家は一条家とも懇意にしておりますし、毛利とも明確に敵対しておりません」
光秀の意見に叔父上と善左衛門が喜色を浮かべて賛同する。
「おお、それは素晴らしい案だ。よく言った、光秀」
「そうだな、敵は多いよりも少ない方がいい」
叔父上と善左衛門に釣られるように正信が口を開く。
「両家の仲を取り持つ事が出来れば、一条家には恩を返せます。毛利としても無駄な争いは望まないでしょう」
皆の視線が一斉に俺へと集中した。
「畿内を掌握した後、当家が帝をお守りする。畿内を手中にし、帝をお守りする我らを毛利元就が放って置くと思うか?」
俺の言葉に本日何度目かになる、驚愕の表情が五つ並んだ。
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