第69話 木霊する銃声 三人称
夏の陽射しを避けて、木陰に用意された陣幕に囲われた会談場所に六人の武士が集まっていた。木製の大きなテーブルを挟み、やはり木製の椅子に腰かけている。
一方の三人はテーブルと椅子に慣れた様子で、その
里見氏の領地に程近い北条領、その
鳴り響く銃声に驚いたのか、青々と葉の繁った枝を揺らして野鳥が飛び立つと、落ち着かない様子で椅子に座っていた三人の武将が慌てて腰を浮かした。
木霊する種子島の銃声を遠くに聞きながら、
「安心してください、野鳥です。それとも、遠くに聞こえる種子島の銃声が気になりますか?」
氏規はこの日、百丁の種子島を十丁ずつの部隊に分けて、時間差をつけて訓練させていた。
銃声がよく木霊する山間 《やまあい》に向けて発射されると、まるで無数の種子島が火を噴いたような錯覚を起こさせる。それが規則的な間隔で繰り返されていた。
三人の武将が無言で椅子に腰かけるのを待って、氏規は正面に座る武将に向けて切り出した。
「わざわざ出向いてもらい、感謝しています――」
氏規の正面に座っているのは
「――書状に記したように正式に領地をお返ししたかったのと、同族である正木弘季の一族との
「元々、あの領地は我々のものだっ!」
銃声が気になるのか、正木時茂は落ち着かない様子でチラチラと視線を山間へと向けながら、吐き出すように返した。
話題としている領地は弘季が治めていた領地で、正確に言えば弘季の一族の領地である。
「あの領地は弘季の領地です。本来『返す』という言葉すら、おかしい事ですよ」
「正木一族の領地だ。一族を裏切った以上、所有する資格はないっ!」
氏規の予想した通り平行線になると判断して、話を切り替える。
「その一族の領地ですが、今は北条家の家臣である正木弘季が領有しています。武力で奪いますか? 北条家はいつでも受けて立ちますよ――」
穏やかな言葉遣いと口調、それとは裏腹に氏規の射抜く様な視線が時茂に向けられる。
時茂が武力に打って出られないのは氏規も分かっていた。時茂が独断で北条に仕掛ければ、主君である里見氏から
顔を赤くして押し黙る時茂に向けて、氏規は意識して穏やかな口調で語り掛ける。
「――それとも、この場で和解に応じて一兵も損じる事無く手に入れますか?」
選択肢などあるはずもない。
時茂の両隣に座る護衛の武将は、主である時茂が
当の時茂にしても氏規の申し出に応じる以外無いのを承知して尚、意地が邪魔をしているのが氏規には手に取るように伝わってきた。
「条件は……条件は何だ?」
絞り出すような時茂の言葉に、氏規は一言『和解』とだけ答えた。
時茂は氏規からそれ以上の言葉を引き出せないと判断すると、氏規から彼の傍らに座る正木弘季へ視線を向ける。
「本当に和解だけでいいのか? お前たちの家族や配下の者たちはどうするつもりだ?」
この場で弘季の家族を心配する時茂の人の良さに軽い驚きを覚えたが、それでも弘季は氏規と事前に取り決めたシナリオに沿って、時茂を挑発するように返す。
「殿から五倍以上の領地を頂戴した。むしろ配下の者が足りなくて困っているくらいだ」
「五倍だと……」
いくら広大な領地を持つ北条家とはいえ、誰の領地でも無い場所など存在しない。ましてや弘季が持っていた領地は決して小さくはない。その五倍の領地の出所と氏規の気前の良さに言葉を失った。
茫然とする時茂にさらに挑発する。
「心配してくれるのなら、領民の中から二十人ほど侍に取り立てさせてくれ」
弘季は氏規の指示で、領民の中からめぼしい若者を侍へと取り立てた後だった。
「何を馬鹿な事を――」
「里見に未来は無いっ! ――」
時茂が抗弁しようとする矢先、それを制するように氏規が一際鋭い口調で言い放つ。
驚いた様子で氏規を見る時茂に向かってさらに続ける。
「――里見に義理立てをしていては一族を破滅に導く事になるぞ。戻って来た先祖伝来の領地を里見の下で守って、共に滅ぶのもいいだろう。だが、別の未来を考えてみてはどうだ?」
「それが条件なのか」
「条件ではない。可能性の話をしているだけだ――」
氏規は再び穏やかな口調へと戻ると。
「――私はこんなくだらない争いをいつまでも続けたくはないんだよ。争いのない平和な世の中に来て欲しいとは思わないか? 飢えや寒さに苦しむ事の無い、穏やかな日々を過ごしたいとは思わないか?」
「夢物語だ。滑稽な限りだな。隣人の無茶を誰が止める、誰が裁いてくれる」
時茂が落胆したように、戦国の世を端的に言い表す。
「関東管領には無理だろうな。将軍家にも無理な話だ。さりとて長尾景虎に出来るかと言えば、これも無理だ――」
「――もちろん北条にだって出来やしない。だが、帝の下に一つになれば実現出来る」
突然飛び出した『帝』などという単語、普段の時茂であれば鼻で笑い飛ばすところだ。だが今は、場の雰囲気にのまれて短い言葉を絞り出すのが精一杯だった。
「簡単に行くわけがない」
「容易な事だとは思っていないよ。何事にも第一歩はある。正木時茂、その第一歩を踏み出してみないか? ――」
息を飲んで押し黙る時茂へ向かって、たった今思い出したように『そうそう、紹介を忘れていたね』、そう言って氏規は左隣の人物へと視線を向ける。
時茂と護衛の二人がつられて視線を向けた。
「――隣国、今川家当主、
百八十センチメートルを越える見事な体躯の若武者は、ポカンと口を開けたままの三人の武将に向かって、口を開く。
「氏規殿の義理の兄でもある。今度の里見攻めでは共同戦線を張らせてもらう事になってな。そのためって訳じゃないが種子島の合同演習に来ていたんで同席させてもらったよ――」
種子島の銃声が遠くに木霊する中、氏真は快活に笑う。
「――豪の者だって? 噂は聞いている、戦場ではお手柔らかに頼むな」
会談の席に静寂が訪れた。
静寂の中、混乱しながらも時茂の頭の中を様々な単語が目まぐるしく浮かんでは消える。
今川氏真だと? なぜそんな大物がこんな席にいるんだ? どうやって呼んだ? 北条氏規は隣国の当主を簡単に呼べるだけの力があるというのか? いや、そもそも本物なのか?
時茂の額に流れる汗は決して夏の暑さだけではなかった。
汗まみれの時茂は混乱し、狼狽しているのが
肝心のキーワードは伝わっただろうか。
近々、今川家と共同戦線を張って里見攻略を行う。それも大量の種子島を用意して。
不安に駆られた氏規が、内心を表に出すことなく時茂に繰り返すように語り掛けた。
「帝の下、一つになる意思のない里見は滅びる。帝の名の下に北条家と今川家が滅ぼす――」
そう言い、懐から一通の書状を取り出す。
数日前、一条兼定からの早馬で届いたものだ。一条兼定の取り計らいで、氏規が朝廷から『
「――安房は私が治めます」
「わ、私は……」
思考が停止したようにただ、氏規を見つめる時茂に向かって、氏規は独り言のようにつぶやく。
「もし、正しい事を成そうと思うなら、第一歩を踏み出す勇気があるなら、国人領主や土豪の説得をして下さると助かります。無駄な血が流れずに済みます。きっと帝もお慶びになるでしょう」
時茂はただ、ただ首を縦ことに精一杯だった。
そこに一人の武将が駆け込んで来た。
「殿、
氏規は新たな来客を告げた武将の労をねぎらうと、時茂に向かって話し掛ける。
「正木時茂殿、誠に申し訳ありませんが次の約束の時間になってしまった様です。この席はこのままにいたしますので、少し落ち着かれるまで
氏規の言葉が終わるのを待っていたように、大徳利と杯が運ばれてきた。
「――これは美濃と尾張を治める竹中重治殿から頂いた清酒です。
そう言い残すと、氏規と氏真に続いて弘季が陣幕を後にした。
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