第63話 領内視察(5)

 家臣や領民たちが料理をしている間、俺はジャガイモを恒殿と小春に見せる。すると遠巻きにしていた手の空いている領民たちも、押し合い圧し合いしながら覗き込みだした。

 ジャガイモを三つほど手に取って二人の前にかざす。


「これがジャガイモです」


 恒殿は俺の手からジャガイモを受け取ると両手で回しながらシゲシゲと見ている。


「土の塊みたいですね。それに意外と重いのですね」


「土の塊ですか。そうですね、見た目にはそう見えるかもしれません。ですが、これは食糧です。山芋の仲間だと思ってください」


 俺の説明にうなずくと料理をしている家臣たちの方を見やる。その視線の先には大きな鍋が三つ程並んでいる。


「これを今から煮て食べるものですか?」


「煮ても食べられますが、今回はふかしジャガイモとポテトチップを作ります」


ふかし? ぽて? 何でしょうか、それは?」


 先程までは彼女にとって意味不明の事を言うと、不思議そうに小首を傾げていた。だが、さすがに今回はからかうような口調となったためか、拗ねるような目で睨まれてしまった。


 ◇

 ◆

 ◇


 いつの間にか増えていた領民たちも交えて、ふかしジャガイモとポテトチップの一大試食会となった。

 俺が用意したのは大量の塩だけなのだが、ふかしジャガイモに味噌を付けて食べている者たちがチラホラと見て取れる。


 他にも『煮込み汁に入れよう』だの、『鍋に入れたらどうだろう』といったメニューの案もそこかしこから聞こえて来た。

 この分なら放っておいても食文化は発達しそうだ。


 改めて辺りを見回すと、皆が夢中で食べている。

 調理中は巨大な蒸し鍋や油で揚げる調理に興味を示していた者たちが、今はふかしジャガイモとポテトチップを口に運ぶので忙しい。


 最初こそふかしジャガイモの方に手が伸びていたが、ある程度腹が満たされるとポテトチップへと手が伸びていた。

 今も水筒を片手にポテトチップを口に運んでいる者たちが大勢いる。


 領民たちから恒殿へと視線を移すと、折り畳み式の木の椅子に座っていた。

 俺はポテトチップを器用に箸でつまんで食べている恒殿に背後から声を掛ける。


「どうです、美味しいですか?」


「え? は、はい。美味しいです」


 夢中で食べていたのか、慌てて折り畳み式の椅子から立ち上がると、背筋を伸ばして身体ごとこちらを向く。


「それは良かった」


「先程、作太郎さんから伺いましたが、このジャガイモはとてもたくさん収穫出来るそうですね」


「ええ、このジャガイモの作付けが成功すれば美濃と北尾張の領民は飢えずに済みます――」


 単位面積当たりの収穫量は、この時代に栽培されている他の野菜など比較にならない。


「――皆が美味しそうに食べてくれているのでホッとしています」


「本当に美味しいですよ、この、ぽて?」


「ポテトチップです」


「そう、それです。もちろん、ふかしたジャガイモも、とても美味しいです」


 勢い込んでそう言うと、頬を染めて下を向いてしまった。


「今日は無理やりでも連れて来た甲斐がありました」


「私の方こそ、今日は外へ連れてきて下さり、ありがとうございます。今日はとても楽しませて頂きました」


「それに、とても無邪気で楽しそうな重治様を見る事が出来ました」


「私が無邪気で楽しそう、ですか?」


 十四歳の女の子に『無邪気』と言われる事に本来なら抵抗を覚えそうなのだが、恒殿の笑顔を見ていると『それもいいか』と思えて来る。


「ええ、稲が育っているのを見ているときも、鯉が元気に泳いでいるのを見ているときも、揚水機や水車小屋のお話をしてくださっているときもそうでした。ですが、もっと楽しそうだったのはポテトチップという料理を作っているときでした」


 良くない。全然、良くない。

 夢中になって恒殿が理解できないような話をしてしまったのを思い出す。


「女性には難しい話をしてしまったようで申し訳ないと思っています」


「馬車のお話もそうですが、私は重治様のお話下さった内容はほとんど分かりませんでした――」


 一瞬だが、少し寂しそうな、どこか申し訳なさそうな表情がよぎる。だが、次の瞬間には花のような笑顔をみせた。


「――ですが、とても便利なもので、民の暮らしを豊かにするものだという事だけは分かりました」


「難しい事は分からなくてもいいのです。恒殿には私がやろうとしている事の本質を分かってもらえればそれで十分です」


「女の私では難しい事を分かるのは無理なのでしょうね――」


 再び寂しそうな表情がよぎる。

 恒殿は、俺の目の前にいる愛しい女性は、俺のしている事、やろうとしている事を理解したがっているのか?


 もしそうなら、もっと恒殿と会話をしよう。

 女性だからとか、この時代の人だからとかは関係ない。俺のやろうとしている事を理解したいと思ってくれるのなら、精一杯会話をして理解してもらおう。


「――それでも、一つだけ分かりました。重治様は民の生活を豊かにしたいのですね」


 平和な世の中と豊かな民の生活の上で、貴女と長生きしたいと思っています。

 恒殿が視線をふかしジャガイモを頬張る子どもたちへと移す。


「この領地は本当に豊かなのですね。領民の皆さんも重治様を尊敬の目で見ているのが分かります」


「もっと豊かになりますよ。ここだけじゃありません、美濃の国も尾張の国も豊かにします」


 口をついて出そうになる『何れは日本全部を豊かな国にしてみせます』、その科白を呑み込む。


「領民の笑顔は心が軽くなります。逆に戦は嫌いです。死んでいった者も哀れですが、残された者も辛いのです。それを知っています」


 寂しそうにそう言うと、恒殿の視線が少し離れたところで領民たちと会話している小春へと向けられた。

 小春か。

 他にも身近に戦で親兄弟を失った者たちを知っている可能性もある。


「ですから、皆が笑顔でいる重治様の領地がとても好きです。皆を笑顔にしようとしている、重治様が大好きです」


「恒殿は民が笑顔でいる事、明日を信じて安心して眠りにつける事を喜んでくださるのですか?」


「はい」


 屈託のない笑顔で振り返る。


 戦国の世に転生して半年余り、ただ早死にしたくない一心で頑張ってきた。何と小さな目標だったことだろう。

 だが今、大きな目標が定まった。


「では、私は貴女の目に見える範囲、聞こえて来る範囲だけでなく、さらにその向こうまで、見る事の出来ない民まで笑顔にしましょう」


 そのためには多くの血が流れる。


 それでも、信長や秀吉、家康が流させた血、それよりも随分と少なくて済むはずだ。小早川さんは無理にしても俺たち七人が手を組む事で最小限の流血で日本を平和にできる。豊かにできる。

 平和と引き換えなら、天下を背負ってもいい。恒殿の笑顔を見ているとそんな気になって来る。


 俺もつくづく馬鹿だな。


 恒殿から視線を外して、領民たちの笑顔を見やる。

 戦国時代という平和とは掛け離れた時代。今この場限りかもしれない平和を楽しんでいる笑顔がある。いや、一年後はともかく明日明後日くらいの平和は信じているかもしれない。


 だが、その程度だ。


 俺と他の転生者たちで力を合わせれば、どの程度の時間の平和をもたらす事が出来るだろう。


 それは数十年の平和かもしれない。だが、それで十分だ。俺と恒殿が生きている間、そのほんの何十年かの平和が欲しい。

 冷たいようだが、その後の平和は俺たちの役割じゃない。その時代に生きる者たちの役割だ。


 よし、決めた。

 俺は恒殿に看取られて老衰で死のう。そのときは残された者たちに『頑張れよ』と無責任に言い残そう。まだ見ぬ若者たちの表情が今から楽しみだ。


「重治様? どうなされました? ――」


 無言で振り向いた俺の視界に、恒殿の穏やかなほほ笑みが飛び込んでくる。続いて涼やかな声が響く。


「――何だかとても楽しそうに景色を見ていましたよ」


「そんなに楽しそうでしたか?」


 口元を押さえてクスクスと笑う恒殿に問い掛けると、軽やかな返事が戻って来る。


「はい、とっても」


 前言撤回だ。

 残された者たちに掛ける言葉なんてどうでもいい。まして、そいつらの表情なんて笑顔だろうが泣き顔だろうがどうでもいい事だ。


 一言、恒殿に『ありがとう』と伝えて死ぬことにしよう。

 そうだな、取り敢えず、百歳まで生きてみるか。


 ◇


 右京を筆頭とした護衛たちが騒めいたと思うと、一頭の騎馬がこちらへと駆けてくるのが見えた。


「殿、明智殿のようです」


 俺は右京の言葉に首肯する。

 光秀が自ら馬を飛ばして駆け付けるなんて、滅多にある事じゃない。火急の用事である可能性が高い。


 そう思ったのは俺だけではない。

 恒殿と小春は顔を蒼ざめさせ、身体を強張らせている。領民たちの間からも楽し気な声が消え、沈黙の中、光秀の乗る騎馬を見つめていた。


 光秀の駆る騎馬はみるみる近づき、俺から数メートルのところで、光秀は馬上から飛び降りると眼前へと駆け寄る。


「殿、失礼致します」


「何事だ?」


「只今、今川氏真様より急使が参りました。越後の長尾景虎が関東へ向けて進軍中とのことです――」


 しまったっ、小田原攻めかっ! 平成日本で得た知識が脳裏をよぎった。

 確か大きな被害を出さずに済んだはずだったが、楽観はできない。


 光秀は懐から一通の書状を取り出し俺へと差し出す。


「――ご使者は城内でお待ち頂いております。そしてこちらが今川氏真様からの書状になります」


 先日、浅井賢政から『まもなく六角家へ仕掛ける』との連絡を受けたばかりだ。

 これが長尾景虎の小田原攻めだとしたら、少しばかり骨が折れそうだ。


 俺は逸る気持ちを押さえて、光秀の差し出した書状へと手を伸ばした。

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