第62話 領内視察(4)
若い男が水車のような形状をした足踏み式の揚水機を
運ばれた水は夏の陽射しをキラキラと反射させながら用水路を流れて行った。
用水路に沿って視線を移動させると
この水田は実験施設も兼ねているのでわざわざ二種類の揚水機を近い場所に設置してある。
昭和時代に初めて導入された足踏み式揚水機と、アルキメデスの考案した
俺は川に設置された足踏み式揚水機を指さして恒殿に説明を始めると小春もその横で耳を傾ける。
「足踏み式の揚水機で川から大量の水を一気に用水路へと運びます――」
二人だけでなく皆が俺の説明に耳を傾ける中、指をゆっくりと動かして皆の視線を用水路に沿って螺旋式揚水機へと誘導する。
「――用水路に運ばれた水をさらに
揚水機から水田へと注がれる水を見て、恒殿と小春が瞳を輝かせていた。感嘆の声を上げる小春の横で、恒殿がその瞳以上に笑顔を輝かせて振り返る。明るく軽やかな声が響く。
「本当に低い所にある水を高い所へ流せるのですね。何だかとても不思議な出来事を見ているようです」
「これがあれば、川よりも高い場所に水田を作っても少ない労力で水を引くことができます――」
感心しきった様子で俺の話を聞く恒殿と小春に向けて、『それだけではありませんよ』と、さらに続ける。
「――川よりも高い場所に水田を作ることで、万が一川が
そんな俺の説明に恒殿だけでなく、感心して話に聞き入っていた家臣たちや一部の領民たちまでもが感嘆の声を上げた。
そんな中、庄屋が声を詰まらせながら、恒殿と小春の二人に向かってゆっくりと語る。
「ご領主様のお陰で、今年は領民たちも十分な食料が期待できます――」
幼い子どもを抱えているのだろうか、人垣となった領民たちのうち、若い者たちが涙ぐみながらうなずいている。
食料難の時、真先に口減らしの憂き目にあうのは老人と幼い子ども、特に幼い女の子だ。
「――そればかりか、寺に作らせた
他国からの領民の移住や流民受け入れを大々的に行ったのだが、その中に相当数の
その
庄屋の言葉に小春が安堵した表情で聞き返すと、すかさず庄屋が答える。
「孤児院の事は、お殿様から伺っています。孤児院の子どもたちにも食料は行き渡るのですね」
「はい。
竹中の領内に限っていえば、庄屋の言うように、今年の秋は劇的に石高が上がる。
一つは新たな農地の拡大。
揚水機の導入によりこれまで農地に適さなかった場所も農地とすることが出来た。さらにツルハシやスコップの新しい道具の導入と移民を募ることで農地の拡大に成功した。
もう一つは作業効率のアップと単純な労働力の増大。
従来からの農具も鉄を利用した物に変えただけでなく、新たな農法や手法の導入を行った。さらに、移民を募り労働力の確保をしている。
「その、食料が行き渡るのは秋の収穫後、ですよね?」
小春の疑問に庄屋が驚いたような表情で口を開く。
「収穫後は領内の食料だけでまかなえる、という事です。今はご領主様が他国から食料を購入されて、私どもや
庄屋からすれば、侍女の小春はともかく、正室である恒殿が何も知らされていない事に驚いたようだ。『もしかして不用意な発言だったか』、と不安気な視線を俺に向けた。
俺は庄屋に向かって笑顔でうなずいて問題ない事をしめす。
その間にも庄屋の告げた事実に恒殿と小春が感嘆の声を上げ、俺は二人から矢継ぎ早に質問が浴びせられる。
「重治様、いつの間にそのような事をされていたのですか?」
「お殿様、食料は、食料は秋まで大丈夫なのでしょうか?」
恒殿も農地開墾と開拓後の食糧生産の労働力として、俺が移民を募ったり、流民の受け入れをしたりしているのは知っていた。
だが、犯罪に直結しそうな
小春は現実的で、純粋に食料の備蓄と供給の心配をしている。
「お寺に
不安だよね。でも大丈夫。
春先に大事件があったからこそ、寺は俺の言いなりなんですよ。それにまだ誰にも言っていませんが、近い将来、彼らの総本山である本願寺とも接触を図る予定です。
「そうです。そんな所で子どもたちの身の安全は本当に大丈夫なのでしょうか?」
子どもたちの食料を取り上げたり不当に扱ったりしたら、『命であがなってもらう』と伝えてある。幾らなんでも無体なことはしないはずだ。
ただ、子供たちにも下働きはしてもらう。
俺は恒殿と小春の質問に丁寧に答えて二人を安心させると、水車小屋へと向かった。
◇
水車小屋では川の流れを動力として利用し、粉を挽く様子を見せる。
人力を使わず水力を利用して粉を挽く仕組みと実際に粉を挽く様子に恒殿と小春の二人だけでなく、水車小屋の内部を初めて見る家臣や領民たちも驚き感心していた。
水車小屋での説明を終えて外へ出ると、恒殿が子どもがはしゃぐ様に声を弾ませる。
「人の手を使わずに水の力だけであの様な事が出来るなど、夢にも思いませんでした」
「今は粉を挽くだけですが、他にもいろいろな作業が出来るようにします」
具体的に何を出来る様にするかは触れていないが、俺の言葉に恒殿と庄屋を筆頭とした領民たちが一斉に声を上げる。
何だか異様に期待されているな。
その期待に満ちた視線をよそに、水車小屋の説明の間に集まっていた、作物の試験生産を頼んでいる者たちへと声を掛ける。
「わざわざ済まない。頼んでおいたものは持って来てくれたかな」
「はい。ご命令通り、準備を整えてあります」
作物の試験生産のリーダーを任せている作太郎は得意気にそう答えると、少し離れた場所に用意された荷駄車を手で示した。
俺と作太郎のやり取りに恒殿と小春はもちろん、一瞬拍子抜けしたような顔をしていた領民たちの顔にも再び期待の色が浮かぶ。
よし、よし、その期待に応えようじゃないか。
俺は右京にあらかじめ持参していた油と塩、
俺と作太郎が歩き出すと何も言わずとも皆が後に続く。
「作太郎、今回収穫したジャガイモはイの一号畑だったな」
「はい、その通りです。収穫量もご領主様の予想通りの量でした。他の畑も同じくらいの量が収穫できるようでしたら食糧事情が一気に改善されます」
俺は作太郎たち数十人の者たちに命じて、ジャガイモとサツマイモをはじめとした外国との貿易で入手した作物を試験栽培させていた。
ジャガイモであれば、イの一号からイの十号までの十カ所の畑で栽培している。今回、作太郎たちが収穫して運んで来たのはこのうちのイの一号畑で収穫したジャガイモだ。
俺と作太郎の会話を、俺の後ろを歩きながらキョトンとした顔で聞いていた恒殿と小春に補足の説明をする。
「どれくらいで収穫するのが一番いいかを実験しているんですよ。例えばジャガイモなら、イの一号畑からイの十号畑までそれぞれ十日ずつずらして植え付けしています。植え付けから収穫までの日数を微妙にずらしながら、適した収穫時期を探っているのです」
俺の説明に恒殿は小首を傾げて、質問した。
「あの、ジャガイモとは何でしょうか?」
しまった、ジャガイモがどんなものか説明していなかったな。
「作太郎たちが持ってきてくれました。実物を見て、その後で実際に食べてみましょう」
馬車から油と塩を抱えて歩いて来る右京の姿を視界の端に捉えて、これから作るジャガイモ料理に思いを馳せた。
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