第61話 領内視察(3)

 馬車で移動する事、数百メートル。俺は恒殿と一緒に、侍女の小春を伴って水車小屋の側へと降り立った。

 俺たちが馬車から降りると、見知った顔の領民たちが集まり出し、いつものように領民や子どもたちが親しげに声を掛けて来る。


「これはご領主様、本日はどのようなご用件でしょうか?」


「お陰様で稲も順調に育っております」


「田んぼに放した鯉も随分と大きくなりました」


「ご領主様、この鯉は秋の収穫前に食べてもいいの?」


「こらっ! 鯉はこの後、溜池に移動させるんだから食べちゃだめだよ。食べるのは来年っ!」


 今の子どもの母親だろうか、子どもたちを叱りつけて追い払うと『申し訳ございません』と詫びて来るのだが、その視線は恒殿と小春にチラチラ向けられていた。

 俺が結婚した事は広く知れ渡っているはずだが、聞き辛いのかもしれない。


 だが、子どもたちは遠慮が無かった。六・七歳の少女が二人、恒殿と小春を見比べながら無邪気に口を開く。


「お姉ちゃんたち、誰? ご領主様のお妾さん?」


「いきなり二人って事はないよ。こっちの綺麗な着物を着ているお姉ちゃんがお妾さんで、こっちのお姉ちゃんは下女か何かだよ」


 どこで憶えたんだ、そんな言葉。それに何でお妾さんなんだ。お嫁さんって発想はないのか? 

 俺が少女たちの口から出てきた単語に世の中の世知辛さを感じていると、近くにいた大人が顔を蒼ざめさせて少女たちの口を押さえつけた。そして、俺たち三人にひたすら恐縮して頭を下げている。


 恒殿と小春はというと、少女二人の言葉に笑顔が引きつらせるかと思ったが、予想外の事にあっけに取られているようだ。

 俺は顔を蒼ざめさせている領民たちの前に恒殿と小春を軽く押しやる。

 

「紹介が遅れてすまない。こちらの女性が私の妻だ。そして、こちらが侍女の小春」


「こ、これはお方様、大変失礼致しました」


「ご無礼をお許しください」


 庄屋とその跡取り息子の謝罪の言葉に続いて、皆が口々に詫びを口にしながら慌てて平伏し出した。大人だけでなく幼い子どもたちまで平伏している。

 

 すぐに反応したのは恒殿だ。


「皆さん、顔を上げてください。子どもの言う事ですから気にしておりません」


 穏やかな口調でそう言うと、隣にいる小春に向けて『貴女も気にしていないわよね?』と、周知するように少し大きめな声で言う。

 小春は多少不機嫌な様子ではあったが、『もちろんです』と半ば反射的に答えていた。


 俺は安堵の表情を見せる領民たちに向かって話を切り替える。


「今日は視察に来たんだ。道中、馬車から稲の様子を見ていたが順調そうだな」


「やはり、これが馬車でしたか」


 先程まで田んぼに入っていた若い領民が馬車を見ながら目を輝かせてそう言うと、木蔵が苦笑しながら答える。


「喜助、お前たちに使ってもらう馬車はこんなに立派じゃないからな。屋根のない、荷台を繋いだだけの物だ。あんまり期待するなよ」


「分かっていますよ。棟梁とうりょうのところで作っている最中の馬車をちょっと見せてもらいましたからね」


 搬送用の馬車も試作品の一台は完成していると言っていたから、おそらく、それを見たのだろう。


 喜助が馬車の質問を切り出したからだろう、庄屋親子が『喜助が失礼致しました』と恐縮しながら話しかけてくると、数人の男女と子どもたちが再び集まり出した。 


「ご領主様、今年は稀に見る豊作になりそうです」


「いえ、豊作間違いございません。これもご領主様のお陰です。本当に感謝の言葉もございません」


 恒殿の周りに集まって、しきりに謝罪している者たちを除けば、皆の笑顔が明るく、浮かれているのが分かる。

 俺は庄屋親子に向かって『実は頼みがあるんだ』、そう告げると恒殿と小春を取り囲んでいる領民たちから引き離しにかかる。


「嫁さんに揚水機と水車小屋を見せようと思ってね。案内してくれるか?」


「もちろんでございます」


 庄屋はそう言うと息子をうながして水車小屋の鍵を取りに走らせる。

 俺は恒殿と小春を呼び寄せると、庄屋と数人の男女を伴って揚水機の設置してある場所へと歩き出した。


 ◇


 当然、右京をはじめとした護衛は付いてくる。

 合計十人五人の行列と作って揚水機へと向かって歩いていると、恒殿と小春の二人が田んぼの中をしきりに覗き込んでいた。


「恒殿、どうしかしましたか?」


 田んぼの中を不思議そうに覗き込んでいた恒殿と小春に声を掛けると、恒殿が田んぼを覗き込んだまま楽しげに答える。


「先程、子どもたちが田んぼの鯉がどうとか言っていましたが、こんなにたくさんの鯉がいるとは思いませんでした」


「稚魚の鯉をこうして田んぼで泳がせておくと、雑草や害虫を食べてくれるんです。農民たちの仕事の手助けにもなっているんですよ」


「手助け? ですか?」


 不思議そうに俺を振り仰ぐ恒殿に、庄屋がここぞとばかりに口を開いた。


「はい、お方様。これまでは雑草や害虫に苦労しておりましたが、私どもに代わって鯉が食べてくれますし、田んぼの土も適度に掘り返してくれます」


 庄屋の説明に恒殿と小春が感心したように相槌を打つと、


「こんな小さな鯉が皆さんのお役に立っているのですね」


「鯉が田んぼの役に立つなんて初めて聞きました」


 庄屋も満面の笑みで話を続けた。


「田んぼの形を整えたり、田植えの方法を変えたり、農具もこれまでの物とは比べ物にならない程便利な道具を幾つも我々に与えてくださいました。これからご覧頂く、揚水機と水車小屋もそうです。今、木蔵が作っている荷馬車もそうです――」


 恒殿が笑顔を向けると庄屋は『それだけではございません』と、さらに饒舌になる。


「――ジャガイモやサツマイモなどの外国から取り寄せた新しい作物の栽培と、私どもでは考えも及ばない事を次々とやってくださいます。治水や街道の整備もそうです。さらに、寺社の横暴を退けて楽市楽座を取り入れてくださいました。私どもがどれほど感謝している事か……」


 庄屋は自分で話していて感極まったように涙を流し始めた。

 庄屋だけではない。よく見れば護衛を含めて、付いて来た者たちのうちの数人が声を押し殺して涙している。


 そのうちの一人である右京が『まるで夢のようです』とつぶやくと、涙をぬぐって語りだす。


「美濃一国を平定されたと思ったら、宿敵である織田家を尾張半国に押し込めました。近隣には勇名を馳せたばかりでなく、さらには上ら――」


「右京、その辺までな――」


 何を口走ってやがる、お前はっ! 評定の雰囲気からは想像できなかったかもしれないが、上洛は極秘事項だぞ。

 俺は後ろから右京の口を塞ぐと、庄屋に向かって声を掛ける。


「――湿っぽいのは、なしでたのむ」


 庄屋は涙を拭うと、心得ましたとばかりに話を再開した。


「シイタケの栽培などもしております。来年には大量のシイタケが収穫できます」


 さすがにシイタケとその価値は知っていたようで、恒殿と小春の顔色が変わる。


「シイタケが大量に? ですか?」


「凄い事ですよ、お方様」


 二人の反応に気を良くした庄屋はさらに得意げに語る。


「――それもこれも、全てがご領主様の発案です。ともかく、ご領主様は私どもの生活を豊かにしてくださいました。明日を楽しみにして夜眠りにつけます。この半年余りで私どもの生活は想像もできなかったくらい良い方向に変わりました。これからも変わって行くでしょう。私どもはご領主様にとても返しきれない程の恩を受けております」


 庄屋の褒め言葉を、恒殿が我が事のように喜んでくれている。いいぞ、庄屋。もっと褒めてくれ。後でたっぷりと褒美を取らせよう。


 それでも庄屋をはじめとした周囲に集まった領民たちが、俺に対して感謝し、尊敬の念を抱いているのは伝わったようだ。


 やはり、自慢話は自分で熱弁を振るうよりも第三者が語ってくれる方が何倍も効果的だな。

 今後はこの方法を採用しよう。


 再び涙ぐみだした庄屋をはじめとした周囲の領民たちを励ますように、恒殿が声を掛ける。


「皆さんのお役に立てているようで私も嬉しいです」


 彼女の傍らにいた小春が、突然涙ぐんだと思うと、


「竹中様のご領地は本当に素晴らしいところなのですね」


 そう言って泣き崩れてしまった。

 

「小春っ、急に、どうしたの?」


「申し訳ございません、お方様。大丈夫です、何でもありません」


「何でもない事はないでしょう?」


「いくら勝ったとはいっても、戦の後だというのに領民の雰囲気が明るくて不思議に思っていました――」


 小春は心配する恒殿をなだめるように穏やかな口調でそう言うと、どこか遠くを見るような焦点の定まらない瞳を俺に向け、少し寂しそうな表情で噛みしめるように口にする。


「――竹中様のご領地は本当に素晴らしいところですね。ここに住む人たちがとても羨ましいです」


 父親や兄の事を思い出していたのだろうか? 或いは己の身の上を振り返っていたのか……

 小春の遠くを見るような瞳と寂しさをまとった様子に、安藤守就殿から聞かされていた言葉を思い出す。


『小春は恒のために本当に良く尽くしてくれている。竹中殿、恒だけでなく小春の事もよろしくお願いいたします』


 上座に座って頂いていた舅殿しゅうとどのは、そう言うと深々と頭を下げた。部屋には俺と舅殿しゅうとどのだけだったとはいえ、突然の事と予想外の出来事に、俺はあっけに取られるだけだった。

 その一言から独白するように舅殿しゅうとどのの言葉が続いた。

 

『小春も不憫な娘でな、早くに母親をなくし、父親と兄たちに育てられたのだが、その父親と兄たちも戦で死なせてしまった。私の采配が悪かったのだ、死ななくてもすんだ……』


 恒殿の祝言のときに初めて見せた涙。それとは明らかに違った涙が流れた。


『申し訳ない事をしたと思っている。罪滅ぼしではないが、十二歳のときから私が引き取って恒の侍女にした』


 俺は、舅殿しゅうとどのの何倍ものごうを背負う可能性に戦慄しながら、うつむいたまま酒杯を口に運ぶ姿を居たたまれない思いで見ていた。


 舅殿しゅうとどのの姿と言葉を思い出していると、小春の元気な声と庄屋のどこかおどけた調子の声が俺を現実に引き戻す。


「お方様っ、小春は大丈夫です。お殿様のご領地があまりに立派でしたのでちょっと驚いただけですよっ」


「私の説明が悪かったようですな、申し訳ございません」


「いえ、お忙しいのにありがとうございました」


 恒殿は庄屋に向けて説明のお礼を述べると、その笑顔を一緒に付いて来た領民たちと、集まっていた子どもたちに向ける。

 すると、六・七歳の男の子二人が突然しゃべりだした。


 子どもの無邪気な笑顔と言葉が、場の雰囲気を一瞬で明るくする。


「お方様、今はまだ小さいけど、来年にはこの鯉も食料になるんだよ」


 そろそろ終わりにして揚水機の見学をしたいのだが、ここで子どもたちを止めると場の雰囲気が悪くなるばかりか、俺の評価が下がりそうなので見て見ないふりをしよう。


「溜池で一年間育てれば皆で食べられるようになるんだ」


 鯉を食べる事を想像しているのか、妙に楽しげに話す男の子二人に恒殿がほほ笑みながら答える。


「食べられるようになるのは来年なのね。それまで我慢ね」


「そうなんだ、一年間待たないとだめなんだってさ」


 恒殿が子どもたちと鯉の話をしていると、小春が小声で問い掛けて来た。


「鯉は放っておいても大丈夫なのですか?」


「田んぼに放流している間は放っておいても大丈夫。池に移してからはエサを与えないとならないけど、かいこのさなぎとかもあるし、問題にするほどの事でもないよ」


「かいこ? とは何でしょうか?」


 蚕の事を正直に話して、恒殿が絹の肌着を着けるのを嫌がるのは困る。


「気にしなくてもいい、魚のエサだと思ってくれ」


 釈然としない様子の小春をよそに皆を揚水機へとうながした。

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