第60話 領内視察(2)

 恒殿と小春が馬車内のベンチシートに並んで腰かけ、興味深げにキョロキョロと見回している中、軽い鞭の音と馬のいななきに続いて馬車がゆっくりと動き出す。


 馬車の中はシンプルで、三人が座れる大きさのベンチシートが二つ、進行方向に対して横向きに座る形で馬車の左右に設置されていた。

 木製のベンチシートには座布団と背もたれ用のクッションとが置いてあるのだが、慣れないベンチシートと背もたれに恒殿と小春がしきりに脚と背中を気にしている。


「如何ですか、乗り心地は?」


 対面のベンチシートに腰かけた俺が、落ち着かない様子の二人に声を掛けると、恒殿と小春がすぐに反応した。


「重治様の言われた通り、牛車よりも揺れが少ない様に感じます」


「私はお方様のお伴で乗ったくらいですが、揺れが少ないのは分かります」


 牛車と同じ速度で走っているのだから揺れが少なくて当然だ。問題は速度を上げてからの反応なのだが、二人とも牛車の揺れ具合をあまり憶えていないようで、参考にはなりそうにない。


 二人と会話を続けながら、馬車の側面と後方に設置してある窓に手を伸ばす。

 窓は二重の引き戸になっており、一枚目の引き戸を引くとスリット状に窓が開く。二枚目の引き戸を引くとそのスリットがなくなり完全に窓が開く仕組みだ。全開したときはロールスクリーン状のすだれを降ろす事で遮光と外からの視線を遮るようにしてある。


 一枚目だけを開け、窓をスリット状にすると、二人はスリットの隙間から外を覗きながら笑みを浮かべる。


「あら、程良い明かりが入り、風が抜けますね」


「ホッとしますね」


「前方と天井にも窓が付いているんですよ」


 サンルーフが付いている事を説明しながら、前方の窓を開けると御者である木蔵の背中と馬車を牽く四頭の馬が見えた。

 四頭立てか、我ながら慎重がすぎるな。


 設計と実験段階では一頭でも十分に牽けるのだが、十分に街道の整備がされていない事もあって二頭立てを標準として考えている。

 今回は初乗りでもあるし、恒殿も一緒なので失敗は許されない。倍の四頭立てとした。


 俺はベンチシートに戻ると窓から外を覗いて小声で会話している二人に向かって声を掛ける。


「揺れ具合もそうですが、気付いた事があれば教えてください」


「中がとても広いのに驚きました。それと、お城で使っている座布団よりもこちらの方が厚くて柔らかくて座っていて気持ちいいです――」


 恒殿はにこやかにそう言った後で、ちょっと遠慮がちな表情に変わり、申し訳なさそうに続ける。


「――ただ、背中の座布団は必要無いかもしれません。それと揺れるときに脚が動いてしまいます」


 なるほど、すそを気にしているのか。次の機会には膝掛でも用意しておくとしよう。


 会話の最中に馬車の速度が上がっていく。揺れは次第に大きくなっていくが、二か月前に試乗した牛車とは比べ物にならないくらい揺れが少ない。

 合格と言ってよい出来だ。次は板バネを標準搭載した馬車と荷車の量産だな。


 次第に速度の上がっていく馬車の窓から、青々とした田んぼが広がる景色とそこで働く領民たちを見やる。

 窓の外に見える領民たちの驚く顔を見ながら、彼らの表情が違った意味での驚きや感謝の表情に変わって行く様に思いを巡らせていると、恒殿と小春の声が耳に届いた。


「重治様、速度が出ると随分と揺れますね」


「口を閉じていないと舌を噛みそうです」


 だが、恒殿と小春の口から出て来た言葉は俺の感想や予想を軽く引っ繰り返してくれた。

 改めて二人を見れば、ベンチシートの脇に据え付けられた手すりを両手で掴んで真っ青な顔をしている。


 どうやら、俺の感覚とこの二人の感覚に大分ずれがあるようだ。


 ◇

 ◆

 ◇


「素晴らしいです、これを重治様がお作りになったんですね。これ程早く移動できるなんて夢のようです――」


 停車させた馬車の傍らでうつむく俺の顔を下から見上げる恒殿の必死の笑顔が眩しい。いや心に突き刺さる。

 恒殿に目を合わせると、若干引きつった感じの笑顔でさらに励ましてくれる。


「――速度を上げたときは口を閉ざしていれば済む事ですから、気にされる程の事ではありません」


 果たしてそうだろうか。


「作ったというか、私は考えただけで実際に作ったのは職人たちです。職人たちは私の要望通り、良くやってくれました。どうやら私の考えが足りなかったようです」


 自分でもネガティブ過ぎるとは思う。

 だが、恒殿を喜んでもらおうとして連れ出したのにもかかわらず蒼ざめさせる結果となった。


 いや、もっと悪い。

 今も落ち込む俺を気遣って声を掛けてくれている。何とも自分が情けない。


「私や小春は男の方と違って体力もありませんし、乗り物にも不慣れですから。女の戯言たわごとと受け取ってください」


「ありがとう、恒殿は優しいですね。私はこんな出来た嫁を貰えて本当に果報者です」


 恒殿の腰を取って抱き寄せると、家臣たちが周囲の領民たちの視線を俺と恒殿から逸らさせるため駆け出す。

 木蔵とその部下たちや小春は、何も言わずとも流れるように背を向けていた。


「あ、あの重治様っ、皆が見ております」


「大丈夫ですよ、恒殿。私の家臣たちが領民たちに視線を逸らすよう走り回っています。まもなく誰からも見られなくなります」


「そ、そういう問題ではございません。見られていなくても、恥ずかしいではありませんか」


 俺の腕の中から抜け出そうと身体をよじるので、少しだけ抱きしめる力を弱めて、腕の中で動けるようにする。

 案の定、恒殿の胸が俺の身体に押し付けられ、彼女の動きに合わせて形が変わるのが感触として伝わって来た。


「そんな風に胸を押し付けられたら、貴女をこのまま馬車に連れ込んで、二人きりになりたくなってしまいます」


「し、重治様っ! な、何を言っているんですか」


 耳元でささやく俺の言葉に、腕の中で顔を真っ赤にして反応する。


 うん、実に可愛らしい。連れ出してよかった。

 俺の心の傷も癒えたところで恒殿を解放し、眼前に広がる田園を示す。


「恒殿、見てください。あれが稲です。秋には収穫されてお米になります。今年は豊作間違いなしですよ」


 俺たちの前には七月の陽射しの中、稲で青々とした田園風景が続いていた。


「安藤の領地と何が違うのでしょう? 随分と綺麗に見えます――」


 恒殿は小首を傾げると、いつの間にかすぐ後ろまで来ていた小春を振り返る。


「――小春は分かる?」


「私にも分かりません。ですが、お方様の言われるようにとても綺麗に見えます」


 今年は人手が足りずに全ての田園を四角くする事は出来なかったが、それでも随分と形や大きさを整えることが出来た。

 特にここから見える一帯はほとんどの田畑に手を加える事が出来、整然とした田園風会が広がっている。

 来年の今頃はこの整然とした田園風景が、領地全体に広がる事だろう。


「田んぼの形と大きさを揃えたからですよ」


 俺の種明かしに二人は食い入るように再び田園へと視線を戻す。


「分かります。田んぼが四角い形をしています。大きさも同じですね。まるで先日、重治様が作らせた障子の様です」


「形が揃うとこんなにも違って見えるものなんですね」


 無邪気にはしゃぐ恒殿と惚けたように感心する小春の声とが重なった。


「『豊作間違いなし』と言われましたが、このくらいの時期に分かるものなのですね。その、私はこういう事に疎くて……」


 俺も分からない。領民たちの言葉を鵜呑みにしただけだ。


「いえ、恒殿はつい数か月前まではお姫様でしたから、知らなくて当然ですよ」


 聞けば城からほとんど出た事の無い生活をしていたそうだ。知らなくても当然だろう。

 近くの稲を見つめていた小春が口を開いた。


「私も詳しくありませんが、安藤様の領内よりも稲の育ちがいい様に見えます――」


 小春は記憶を手繰っているのか考え込むような表情でそう言うと、川沿いに設置された揚水機とさらにその向こうに小さく見える水車小屋を指して言葉を続ける。


「――それにあのへんな形の道具や建物はお殿様のご領地でしか見た事がございません」


「あの変な形の道具は揚水機といって、水を低い場所から高い場所へ移動させるための道具です。その向こうに見える建物が水車小屋です。水の力を利用して粉を挽いたり、動力として利用したりします 」


「水を低い場所から高い場所へ、ですか?」


 不思議そうな顔で感心する恒姫とその傍らで疑い深そうにしている小春。だが、二人とも興味を持ったようだ。


「ちょっと立ち寄って見て行きましょう」


 俺は次の自慢のネタである、揚水機と水車小屋へ向かって移動すべく恒殿と小春を馬車へとうながした。

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