第59話 領内視察(1)

 当家の評定を終えた翌日、大工職人の木蔵に依頼していた馬車が届いた。この時代牛車はあっても馬車なんて物は日本に存在しない。

 馬車が届いたことを報せに来た小者も『特注の牛車が届きました』と伝えに来ていた。


 それにしても『特注の牛車』か。困ったものだな。

 木蔵には『馬車』という名称は伝えてある。となると馬車を届けに来た者か、受け取りにかかわった小者の誰かが、『馬車』という名称を勝手に『牛車』に置き換えた事になる。


 情報を正確に伝える訓練をする必要を感じながら、俺の後ろに続く右京へと声を掛ける。


「私は恒殿を連れてすぐに向うから、右京は先に馬車に行って準備をしておきなさい」


「お方様に馬車をご覧頂くのですね」


 右京が顔をニヤつかせて聞いて来た。

 どうやら俺が馬車を恒殿に見せて、自慢しようとしていると思っているようだ。甘いな、右京。


「見せるだけじゃないぞ、せっかくの初乗りだ。一緒に試乗してそのまま領内の視察に向かう」


 どうせなら箱馬車という閉鎖された空間で恒姫と二人きりになりたい。まあ、侍女の小春が付いてくるだろうけどな。


「お方様をお連れになるのですか?」


「そう言っただろう」


 慌てる右京に向かってからかう様にそう告げると、右京の顔色が変わった。


「では、護衛の数を増やします」


 護衛か、右京も気苦労が絶えないな。


「恒殿だけでなく、侍女の小春も同行させる事になると思う」


 護衛対象となる女性が恒殿だけでなく、侍女の小春も加わる事を伝えると、右京は『承知いたしました』と一言発し、すぐに馬車が到着した正門へ向けって駆け出した。


 ◇

 ◆

 ◇


 右京と別れて、恒殿の部屋へと向かって歩き出すと、すぐに百地丹波の手の者が俺の後ろに付いて歩き出した。

 どこにいたんだ? 毎度の事だが感心する。


「いつも済まないね。護衛、ありがとう」


「勿体無いお言葉です」


 言葉短く、そう言ってこうべを垂れると再び無言で歩き出した。

 無言で後ろを付いてくる男に、俺も前を向いたまま話し掛ける。


「聞こえていたとは思うが、これから恒殿を伴い、『馬車』という乗り物で領内の視察に向かう。お前は馬で付いて来るのか?」


「私は馬には乗れませんので走っておとも致します」


 走るのか。何だかもの凄く忍者らしいな。

 いや、待てよ。今回は無理だが、馬車の屋根や底に忍者の隠れるスペースを用意するのもありだな。そっちの方が走って付いてくるよりも、何となく忍者っぽい気がする。


「今度、馬車にお前たちの隠れる場所を用意しよう。馬車の底に張り付くとか、馬車の屋根に伏せるとか出来れば走らなくても済むぞ」


「ご命令でしたら、馬車の底でも屋根でも張り付きます」


 何だか今回からでも馬車の底に張り付きそうな勢いだな。


「いや、今回は普通に走って付いて来てくれ」


 歩きながら百地丹波の手の者と他愛の無い会話をしていると、恒殿の部屋が見えて来た。


 ◇


 恒殿の部屋の側まで来ると、引き戸を全開にしてロールカーテンの様に上から垂らしたすだれが降ろされている。

 夏の暑さ対策としてすだれを導入したが早速利用してくれていた。


 俺は部屋の少し手前で、部屋の中へと声を掛ける。


「恒殿、恒殿はいますか?」


「はい、ここにいます」


 座っているのだろう、左手で簾を軽く持ち上げ、右手を床について身を乗り出すようにして顔だけを覗かせている。

 仕草の端々に子どもっぽさは残っているが、実に可愛らしい。


「恒殿、今日は何かやる事はありますか? 予定は?」


「予定ですか? 小春と一緒に縫物をしようかと思っておりました」


「ではそれは後回しにして、私と一緒に領内の視察に行きましょう」


「はい?」


 突然の提案に半ば思考停止した状態の恒殿に向かってさらに続ける。


「制作を頼んでいた馬車が先程届いたのです。私はこれから、それに乗って領内の視察に向かいます。恒殿も一緒に行きましょう。是非とも私の領地を見て欲しい」


 馬車は箱馬車なので恒殿が外から丸見えになる事はない。何といっても板バネを採用する事で衝撃吸収の機能も備えている。乗り心地も悪くないはずだ。

 恒殿の感心する顔を想像しながら声を掛ける。すると、小春が簾を跳ねのけるようにして部屋から転がり出て来たかと思うと、彼女の慌てた声が響く。


「お、お殿様。今日は陽射しが強くてお方様の外出には不向きだと思われます。日を改めては如何でしょうか?」


 続いて小春の話す間、無言でコクコクと首肯していた恒姫の声が口を開いた。


「し、重治様。小春の言うように今日は少し陽射しが強いようです。私はあまり丈夫では無いので倒れてしまうかもしれません」


「心配はいりません。ちゃんと日笠ひがさも用意しています。それに私も一緒に乗るのですから何の心配もいりません。もちろん、護衛の手配もしてあります」


「いえ、そうではなく。その、領民たちの前に出るのは……」


 自信なさげに口ごもる恒殿に向けて、多少強引に言い放つ。


「気にするな、私に付いてきなさい――」


 すると、『はい』という小さな声が聞こえた。俺は鷹揚にうなずくと廊下でへたり込んでいる小春に向けて笑顔で伝える。


「小春、お前も心配なら付いて来て構わないぞ。馬車にも乗せてやろう」


 女性が恒殿一人では何かと困る事もあるだろう。

 小春の事だ、ダメだと言っても付いて来るとは思うが、念のため意思の確認をした。


 ◇

 ◆

 ◇


 俺が恒殿と小春を伴って正門に到着すると既に出発準備を整え終えていた右京が恒殿に向かってうやうやしく出迎えた。


「お方様、本日の同行役、精一杯務めさせて頂きます――」


 そう言うと、彼の背後にいる壮年の男を示し。


「――念には念をと思い、差し出がましいようですが医者も同行させる事に致しました」


 見覚えがあると思ったら医者だったのか。


「あ、ありがとうございます」


 俺の事を気にしながらも礼を述べる恒殿に向かって、右京は再び頭を垂れると、


「体調が優れないようでしたらすぐに仰ってください。『視察の途中であっても馬車を戻して良い』と重光様から了解を頂いております」


 既に叔父上に根回しをしてある事をシレっと口にした。


 知恵が回るようになったじゃないか、右京。頼もしいぞ。

 頼もしいと思ったのは俺だけではなかった。恒殿と小春二人して胸を撫で下ろすと、右京と隣の医者に向かって『よろしくお願いします』と答えていた。


 恒殿から馬車へと視線を移すと、馬車の裏側から木蔵が姿を現した。そして得意げな笑みを浮かべて自信満々に言う。


「ご領主様、ご要望通りに仕上がりました」


「ご苦労さん、これから領内の視察を兼ねて試乗させてもらうよ」


「もし、改良する点などございましたらすぐにお申し付けください」


 いい心掛けだ。帰ったら早速馬車の底と屋根に人一人隠れられるスペースを増設してもらおう。


「そうだね、実際に使ってみると設計段階では気付かなかった事が出てくるかもしれない。そのときはよろしく頼む」


「畏まりました。本日は私が御者を務めますので、都度お申し付けください。その場で書き留めるように致します」


 木蔵に向かって『よろしく頼む』と伝えると、恒殿へと視線を移す。すると彼女は小春と並んで、扉が開いた状態の馬車を興味深げに見ていた。

 恒殿と小春のつぶやきが聞こえる。

 

「これが馬車ですか?」


「牛ではなく馬が繋がっていますね」


 なかなか馬車に乗ろうとせずに、扉から中を覗き込んでいる二人に、背後から声を掛ける。


「馬の方が速く走るので急ぐには馬車の方が向いています」


「牛車でも揺れが激しいですから、速く走る馬となればもっと揺れるのではないでしょうか?」


 右京の余計な一言に恒殿と小春の顔がわずかに蒼ざめる。怯える二人には気付かないふりをして右京に話しかける。


「右京は心配性だな。大丈夫だよ。大きく揺れないように板バネという新しい機構、仕掛けを取り入れてある。牛車なんか比べ物にならないくらい乗り心地が良くなっている」


 俺もまだ試乗していないので、あくまで机上の空論だ。

 だが、今の話が聞こえていたはずの木蔵の表情からは微塵の不安も感じられない。夏の強い陽射しの中、涼しい顔で御者席へと収まった。


 木蔵が御者席に乗り込んだのを確認した俺は恒殿と小春に声を掛ける。


「さあ、二人とも乗って。これから領内の視察に向かいますよ」


 二人は俺に急かされるようにして馬車へと乗り込んだ。

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