第58話 評定の日々(3)

 三日間続いた竹中家の評定もようやく終了し、叔父上と善左衛門、明智光秀、本多正信、島清興、百地丹波の六人を残して全員が引き払った。

 ほとんどの者が胃を押さえて蒼白い顔で退出していたが、幸い、しばらく戦の予定も無いのでゆっくり養生してもらうとしよう。


 閑散とした評定の間に善左衛門の押し殺したような声が響く。


「殿、お話がございます」


「奇遇だな、私もだよ、善左衛門」


 軽い口調でそう言うと、善左衛門がもの凄く嫌そうな表情で、こちらをうかがうように問い返す。


「まだ何かあるのですか?」


 察しがいいな。

 いや、俺のやり方に慣れて来たのか?


 だがその表情と目はいけない。明らかに俺の事を疑っている。

 光秀を見習って欲しい。

 目が据わっている。少ない経験ではあるが、戦国の世で息詰まる外交と凄惨な戦場を経験した俺には分かる。あれは覚悟を決めた男の目だ。


「さすがに評定に参加する武将、全員に伝える訳にはいかない機密事項もあるからな――」


 俺のその一言に光秀を除く四人が凍り付いたように動きを止めた。

 気のせいかな、善左衛門と叔父上の二人が怒っているようにも見える。


 事前に何の相談もせずに下準備を進めた俺に諫言の一つも言うつもりだったようだが、出鼻をくじかれて押し黙ってしまった。

 静まり返った皆に向けて話を再開する。


「――今川家だけでなく、遠方の最上家や一条家といった名家の名前が出てきて驚いたことと思う」


 閑散とした評定の間に俺の声だけが妙に響いた。

 俺がそこで一旦言葉を切って皆を見回すと、善左衛門が達観した様子で力ない笑みと共に零す。


「それ以上に帝への献金や上洛の方が驚きました」


「それを言ったら久作の婚礼だ。本家一条家に連なる姫ですか、本当なのでしょうね……」


 叔父上はそう言うと、最後は何かを考え込むように『何が飛び出すか想像もつかんな』とつぶやいた。


 俺は皆に向かって『順番に行こう』と前置きをして語り出す。


「桶狭間の事や地理的に近い事から今川家だけしか話に出さなかったが、北から、安東家、最上家、北条家、今川家、小早川家、一条家、そして九州の伊東家。この七家と当家は互いに固い盟約で結ばれていると認識してくれ」


 新たに登場した大名家に叔父上と善左衛が顔を蒼ざめさながらも疑問を口にする。


「随分と突然ですな」


「その様な遠方の大名家とどうやって……」


「話すのは突然だが、以前からお互いに素破や乱破を通じて連絡を取り合っていた」


 もちろん嘘だ。『茶室』の事は百地丹波にも話せない。

 皆の視線が百地丹波に注がれる。


「殿より密命を受け、動いておりました。皆様方に黙っていたのは大変心苦しかったのですが、『決して明かさないように』と厳命されておりましたので」


 百地丹波をそう言うと深々と頭を垂れた。


 これも半分は嘘だ。

 俺は百地丹波に、安東家、最上家、北条家、今川家、一条家、伊東家。この六家と連絡を取り合っている事を伝えた後で、『詳しい事は言えない。何も聞かずに、全てお前の配下を使って連絡を取り合っていたことにしてくれ』と、それだけを告げた。


 まるで雲をつかむような命令だ。

 聞きたい事もあっただろう。気味が悪かったかもしれない。それでも全てを呑み込んで、たった一言『承知致しました』と答えて平伏していた。


 今、皆の目の前で平伏しているのと同じように。

 すまない、百地。いつか必ず報いてみせる。

 俺は心の中で百地丹波に謝罪と感謝を述べながら彼に向けて言い放つ。


「百地丹波、顔を上げなさい。お前は何も悪くはない。全て俺がやらせた事だ、責められるべきは俺であって、お前ではない」


 次の瞬間、皆の視線が俺に注がれ、皆が次々と百地丹波をかばった。

 真っ先に口を開いたのは光秀、さらに本多正信と島清興が間髪容れずに続く。いい傾向だ、日の浅い本多正信までもが、百地丹波を武将として認め出している。


「そうです、我々は百地殿を責めるつもりはございません」


「殿の仰る通りです。百地殿、顔を上げてください」


「むしろ難しい密命を見事やり遂げたのですから、胸を張ってしかるべきです」


 さすがだ、島清興。百地の功績を的確に評価している。

 そして、善左衛門と叔父上が続く。


「我々は臣下なのだから、殿から命じられれば、その密命に従うのは当然だ」


 いやー、そうかー? 文句の一つ、疑問の一つも口にせずに俺に従うのは百地とその配下くらいだぞ。


「そうだな、もし責められるとすれば、それは殿だ」


 ほら来た。というか、話がおかしな流れになっていないか? このまま叔父上と善左衛門にしゃべらせておいたら、俺が悪者になってしまう。


「誠ですな。この様な事が続くと、戦場ではなく胃の病で命を落としかねませんな」


 善左衛門、俺なら戦場で死ぬよりも布団の上で死ぬ方を選ぶぞ。胃潰瘍とか胃がんは願い下げだけどな。


 俺はさらに何か言おうとする叔父上と善左衛門を押し留めるようにして口を開く。


「先程私が口にした大名家との繋がりに当家としても最も重きを置く。もちろんそれ以外の大名家や他国の国人衆とも繋がりは持つが一線を画すると了解してくれ――」


 皆を見回し、全員が無言で首肯するのを確認したところで、さらに続ける。


「――この間に近江の六角と浅井とも百地の配下の者を使って接触した」


 突然の六角と浅井の名に皆が不思議そうな表情を浮かべ、代表するように善左衛門が口を開く。


「浅井家とは既に内々に盟約を結んでおりますが? 他に何かあるのでしょうか?」


「浅井家との不可侵については表に出さない。表向きは六角と同盟し、浅井家とは膠着状態に見せかける――」


 俺は六角と浅井に対する当家の表向きの対応を告げて、懐から二つの書状を取り出す。


「――これが六角義賢からの書状。そしてこちらが浅井賢政からの書状だ」


 叔父上が光秀に目配せをし、善左衛門がその傍らで首肯するのを見た光秀が『拝見してもよろしいでしょうか?』と俺に問う。

 いい傾向だ。

 この手の仕事は光秀を中心に据えている事をこのメンバーが理解している事の現れだ。 


 俺は鷹揚にうなずくと光秀が書状に目を通している間に話を進める。


「書状の内容を掻い摘んで説明するとだな――」


 先ずは六角義賢からの返事について触れる。


「――六角義賢は当家との同盟に乗り気ではない。態度保留状態だ。付け加えるなら、対等の同盟を申し出たのだが、返答は『属国としてなら話を聞こう』というものだった」


 実際に書状は上から目線でこちらを完全に見下している。


「翻って浅井だ――」


 浅井は俺の意図を事前に伝えているので話は非常にスムーズだ。


「――先程も触れたが表向きは繋がりを見せずに膠着状態を装う。いや、正確には当家が六角家と接触する事で不仲となるよう演出する」


 善左衛門が眉間にしわを寄せて聞き返す。


「つまり、当家は表向き六角家と同盟して浅井家と敵対しているようにみせるが、その実、裏で浅井家と繋がって六角家を攻めるという事でしょうか?」


 明らかに無謀だと言わんばかりの口調と顔つきだ。

 南に織田信長、東に武田晴信西に北畠・六角・浅井。さらに北には朝倉がいる。織田信長を押さえきれていない状況で六角に仕掛けるとか自殺行為だよな。


「そんな危険なことはしないさ。六角家は浅井家に滅ぼしてもらう。うちは陰ながら支援する程度に留めるよ」


「支援?」


 キョトンとしてそうつぶやいた善左衛門に続いて島清興が続き、


「支援ですか? どのような支援でしょうか?」


「『陰ながら』という事は、美濃の状況を鑑み、兵を出さずに資金提供のみという事でしょうか?」


 さりげなく光秀が『兵を出せる状況に無い』と釘を刺してきた。


「兵は出さない。光秀の言うように資金と武器を提供する。鉄砲も貸し出す――」


 資金と武器の提供とは違い、鉄砲の貸し出しを口にすると皆の顔色が変わった。口を開きかけた叔父上を軽く手を挙げて制して言う。


「――浅井家にはある役割を担ってもらう。一つは織田信長へのエサだ」


 俺は皆を見回してからシナリオの説明を始める。


「当家が六角家と接触した事で浅井家が慌てて織田信長と接触する。目的は織田信長と浅井家との同盟締結だ。浅井家はこの同盟で六角家に対抗する。織田家は当家の南進を押さえたい」


 別に竹中家は六角家と同盟を締結する必要はない。浅井家が焦って織田信長と接触する口実が出来れば十分だ。

 考え込むように光秀が口を開く。


「表向きは織田家と浅井家の思惑が一致するわけですな。ですが、当家にとっての利益はどこにあるのでしょうか?」


「浅井賢政殿には織田信長との同盟締結の証として、信長の妹であるお市の方を嫁に迎えてもらうよう動くことで合意している」


 史実通りお市の方と婚姻関係となれば願ったり叶ったりだ。

 理想通りに事が運べば、織田信長はお市の方という貴重な外交の駒を無駄に失う事になる。


「なるほど、諸刃の剣ではありますが、腑に落ちました」


 何か思索を巡らせているのか、光秀はそう言うと目を閉じたまま口元を綻ばせる。その傍らでは本多正信が『さすがです、殿』と言わんばかりに目を輝かせている。

 そんな二人を横目に叔父上が口を開く。


「殿、今光秀が申しました様に諸刃の剣です」


 浅井賢政がお市の方可愛さに信長と本当に手を結ばないとは言い切れない。


「分かっている。ここは浅井賢政を信じてみよう。お市の方に惑わされて舵取りを誤るような男ではないと俺は信じている」


 俺がそう言うと間髪容れずに百地丹波が付け加える。


「浅井賢政様は部下思いのお優しい武将である面もありますが、怜悧に損得勘定を弾く一面もございます。何よりも、殿の事を信頼されているご様子でした」


 話半分としても十分だ。

 俺たちも敵は多い。無能な六角義賢と組むよりも余程マシだ。


「先程、浅井家に担ってもらう役割について『一つは』と言われましたが、もう一つはどのようなものでしょう?」


「六角を討ち、三好との盾となってもらう」


 六角は討てるだろう。問題は素直に三好の盾になってくれるかだ。

 俺の心の内を見透かしたように光秀が言い、


「六角を討つのは浅井家の悲願と言っても過言ではありません。多少の損得勘定を抜きにしてやってくれるでしょう。ですが、三好との盾は難しいのではないでしょうか」


 さらに本多正信が後に続く。


「織田信長の妹であるお市の方を嫁に迎えていては尚更でしょう。実の兄である織田信長を嵌めただけでなく、自分自身まで嵌められて浅井家に嫁に出されたとあっては浅井家の家中でどう動くか分かりません」


 なるほど。お市の方が浅井家中で影響力をもって動く事は考えていなかったな。

 だが、お市の方を外交の駒として有効利用されるのは困る。お市の方の嫁ぎ先は改めて考えるとするか。

 

「光秀、正信。二人の指摘事項ももっともだ。だが、お市の方を外交駒として残しておきたくない。その嫁ぎ先を含めての方針を日を改めて話し合おう」


 この場の全員に向けて『皆もそれでいいか?』と確認すると、一斉に了解の返事が戻って来た。


 ◇

 

 その後、近隣の諸大名との外交政策について話し合った後で、安東さんと最上さんの下へと送り出した忍びについて百地丹波から報告を受ける。


「三日ほど前に、それぞれ一党を引き連れて、安東茂季様と最上義光様の下へ出発致しました。さらに私の配下の者を小早川繁平様の下へ五人程向かわせました」


 百地丹波のその報告に光秀が身を乗り出す。


「先程殿が口にされた小早川家とは、小早川隆景殿ではないのですか?」


「ああ、本来の当主である小早川繁平殿の方だ――」


 光秀のあきれたような顔を視界に収めつつ周囲の者たちの反応をうかがう。


「――将来、毛利家と敵対する可能性もあるだろう? その布石だと思ってくれ」


 余程毛利元就が怖いらしい。一斉に反対の声が上がった。光秀、本多正信、叔父上と三人の声が同時に響く。


「殿っ! 毛利家とは手を結ぶべきですっ!」


「悪戯に敵を増やすのは下策でございます」


「毛利は強大です。うかつに刺激するのは避けるべきです」


 手遅れなんだよ、これが。

 今頃、毛利元就は朝廷への献金が先を越された事で歯噛みをしているんじゃないかな。


「いや、敵対すると決まった訳じゃない。その可能性もあるのでその準備の一つだ。軟禁されている武将の様子を見に行ってもらっただけだ、気に掛ける程の事でも無いだろう?」


 俺と百地丹波以外の全員の間に緊張感が漂っている。軽く流す俺の言葉とは明らかに温度差がある。

 善左衛門と叔父上がいつものように代表して聞いて来た。


「本当ですね、毛利家に何か仕掛けたりしていませんな」


「ともかく慎重に行動してください」


「分かっている、これからは皆にもよく相談してから動く。俺だって馬鹿じゃない、毛利家相手に喧嘩を売ったりしないよ」


 穏やかな口調でそう答えると取り敢えずは全員が納得した。

 小声で何やら言っていたが聞かなかったことにしよう。


 その後、ちょっとした外交の補足と内政に関する役割分担を告げて、幾つか課題は残したものの、三日間に及ぶ評定を終わりとした。

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