第57話 評定の日々(2)

 列席する武将たちが注視する中、百地丹波が旅装のまま姿を現した。


「只今、戻りました」


 一言、そう挨拶すると末席へと収まる。


 旅装のまま評定の間に入ってきて評定に参加する百地丹波に対して、怪訝な顔をしたり眉をしかめたりする者は最早もはやいない。

 この場の全員が俺の特命を受けて百地丹波が動いていた事を知っている。


 少なくともここに列席する者たちの彼に対する認識は、竹中家の外交の要であり、俺の懐刀だろう。

 残念ながら、まだ諜報部門という概念は根付いていない。


「ご苦労さん、いつも遠出ばかりさせて申し訳ない」


「過分なお言葉、恐縮でございます」


 百地丹波には幾つもの仕事を頼んであるが、今この場で報告して欲しくない事も多々ある。

 彼もそれを心得ており、俺が口を開くのを待っていた。


「先ず、土佐一条家からの回答を聞こうか」


 俺の口から突然飛び出した『土佐一条家』との言葉に、列席する武将たちは揃ってキョトンとした表情を浮かべる。

 そこへ百地丹波が心得たように追い打ちを掛けた。口元が綻ぶ俺とは対照的に涼し気な表情を見せている。相変わらずクールでダンディなヤツだ。


左近衛中将さこのえちゅうじょう様からの書状をお預かりしております」


 彼の口から発せられた官職名に武将たちの間に緊張が走り、何人かは互いに目配せをし合っている。

 俺が一条さんと百地丹波を通じて書状のやり取りをしているのが不思議なのだろう。無理もない、今まで一条家との繋がりには一切触れていないからな。


「書状は後で構わない。要約して皆にも伝えてくれ――」


 皆が茫然とする中、百地と二人で流れるように話を進めるのは実に楽しい。

 俺は光秀や善左衛門を筆頭とする武将たちの反応に気分を良くしながらも、気になった一言を百地丹波に問う。


「――とその前に、一条兼定殿は左近衛少将さこんえのしょうしょうではなかったか?」


「一条様と直に面会させて頂いた際に、都からの使者が到着され、左近衛中将になられました」


 さすがにこれにはざわめきが生じた。

 俺の使者とはいえ、一介の家臣である百地丹波が一条さんと面会出来た事に驚いたようだ。


「それはめでたい。後で一条兼定殿に祝いの使者を送るとしよう」


 それにしても左近衛中将か。一条さんも動きが早いというか、抜け目が無いな。

 次第に大きくなる周囲のざわめきなど聞こえないかのように、俺は鷹揚にうなずきながら『続けてくれ』と先をうながす。


「弟君、久作様のご婚約者として、五摂家である本家一条家の血筋から良い姫君をご紹介して頂けるとの事です」


 ざわめきが消えた。評定の間を静寂が覆う。


 列席者の半数以上が虚を突かれた様に動きが止まり、目には知性が感じられない。残りの者たちは口を開けたままだ。

 何と言うか、間抜け面が鈴なりになっている。自分で仕掛けておいてなんだが、これが俺の家臣団かと思うと少し情けない気がしてきた。


「良くやってくれた。それで段取りの方は何か言っていたか?」


「厳選した姫様をお一人、推挙されるとの事です――」


 さすがに、数人の候補を上げて『お好きな姫をどうぞ』とはいかないか。

 一応、久作の好みの容貌を箇条書きにした書状を渡してあるので、それなりに気を使ってくれるとは思う。だが、贅沢は言えない。健康で血筋が良ければそれで十分だ。


「――また、結納については『相場を上回るものを用意して欲しい』と付け加えておいででした」


 まあ、そうだろうな。

 相手がいくら貧乏貴族とはいっても足元を見て結納をケチってはこちらの格が下がるというものだ。


「当然だな、竹中家の威信を示すつもりで結納の品を用意しよう。いやあ、久作の驚く顔が目に浮かぶようだ」


 次の国政を取り決める評定の席――三日後に開く、美濃と北尾張の重鎮たちが列席する場で発表しよう。

 皆の驚く顔が今から楽しみだ。


 改めて列席する武将たちを見やるが、意見を述べそうな者は見当たらない。

 この二日間、俺の提案に反対された事だし、少し意地悪をしてみるか。


「ここでの話はまだ決定ではない。聞いていたように一条本家に連なる姫君の紹介をしてもらえるだけだ。反対意見があるなら遠慮せずに言ってくれ」


 何人かの武将が引きつった笑みを浮かべたが、その他の武将たちは意見を述べるどころか微動だにせずにいる。

 唯一、善左衛門の乾いた笑いに続いて、『反対など出来る訳ないでしょう』とつぶやくのが聞こえたくらいだ。


 そんな善左衛門の声など聞こえなかった振りをして百地丹波をうながすと、すぐに次の事項へと移る。


「一条様に於かれましては、殿の上洛のご計画を大そう喜ばれ、『今川家と同様、みかどに「竹中家をよしなに」との書状を送った』との事です」


「そうか、一条殿も私の上洛を期待していましたか――」


 上洛を反対された時の切り札として用意したのだが、無駄になった。

 家臣たちを見回し、努めて穏やかな口調で続ける。


「――しかも、上洛を見越して帝に書状まで。いやあ、これは何としても上洛を果たさねばなりませんね」


「上洛の時期が決まったら書状にて連絡を頂きたいそうです。可能であれば一条様もそれに合わせて上洛し、『京の都で共に酒を酌み交わしたい』と仰せでした」


 この流れで俺と一条さんが酒を酌み交わしたりしたら、うちの家臣団からすると、悪だくみをしているようにしか見えないんじゃないのか?


「分かった、後程書状を用意する。今度は配下の者に持たせてくれ」


 そう、百地丹波に告げると、彼は無言で平伏し、再び頭をもたげる。


「帝の、正親町天皇おおぎまちてんのうの即位の礼、毛利元就もうりもとなりさきんじる事ができ、『連名にて献金をした』との事でした」


 やってくれたっ、一条さんっ! 今、俺の中で一条さんの株がうなぎ登りだ。

 家臣たちの中には脂汗を流して顔を蒼ざめさせている者もいる。列席する者のなかで何の話をしているのか理解できない者もそろそろ出てきそうだな。


「毛利元就に先んじて連名で献金した、と間違いなく言ったのだな?」


 連名とは当主である北条氏康が健在な北条さんと軟禁状態の小早川さんを除く六家。北から安東家、最上家、今川家、竹中家、一条家、伊東家。

 名を連ねた事も大切だが、毛利元就を出し抜けたのはさらに大きい。


「はい、間違いございません」


 俺は百地丹波の報告と皆の反応に口元を綻ばせて、『土佐一条家はそのくらいにして、次の話を聞こうか』と、百地丹波に話題を切り替えるよう言う。


「今川氏真様より私の配下の者が書状と言伝を預かって参りました」


 今川さんから伝言と書状? 何だろう、最上さんから朝廷への手紙の件か?

 

「今川氏真殿からの書状と一条兼定殿からの書状をこちらに――」


 小姓に視線を走らせて百地丹波が預かった書状を受け取りに行くよう伝え、再び百地丹波に視線を戻す。


「――言伝はこの場で皆に聞かせても構わない。言ってくれ」


「今川氏真様から最上義光様へ書状を出されたそうです。内容は最上義光様から朝廷へ宛てて、『竹中家が上洛するので、よろしくお願いする』との内容と伺いました」


 百地丹波はそう伝えると、『詳しい事はそちらの書状に記されているとの事です』と続けた。


 やはり最上さんの書状の件か。


「そうか、最上家も間に合ったか。これで、最上家、今川家、一条家からの、『推薦状』と言ってもいい書状が朝廷に届く訳だ――」


 さて、武将たちの顔色を見る限り、そろそろ限界のようだ。

 そんな中、俺は一人、上機嫌で話を続ける。


「――これは三家の顔を潰さないためにも、帝への献金も弾まなければいけないね。金額次第では官位も頂けそうだと思わないか?」


 俺は笑顔を善左衛門に向けた。すると、顔を蒼ざめさせて脂汗を浮かべた善左衛門が、


「殿、後でお話がございます――」


 胃を押さえながら、絞り出すように声を響かせる。


「――評定が終わりましたら、時間を頂けませんでしょうか」


 それは好都合だ。この評定が終わったら俺も善左衛門たちに話がある。


「分かった、じっくりと話し合いをしよう」


 俺の返事に善左衛門だけでなく、叔父上と光秀、島清興までもが目を鈍く輝かせてうなずいていた。


 もしかして、少しやり過ぎたか?

 まあ、反省はしないがな。

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