第二部

第56話 評定の日々(1)

 竹中家では月に二つの評定を定期的に行う事にした。一つはこれまで通り、竹中領内の軍事・政務を取り仕切る評定。もう一つは美濃の国主代理としての、言わば国政を取り仕切る評定だ。

 だからと言って、二回評定に出席するだけで事が済んだりはしない。


 廊下に騒々しい音が響き、取り次ぎ役を命じていた武将が足早に知らせに来た。


「殿、織田信安様が直々にお見えでございます」


 まだ犬山城に出立していなかったのかよ。これで三日連続の訪問じゃないか。

 犬山城の城代として据えたというのに一向に犬山城へ出立する様子がない。


 俺が思わず舌打ちすると、善左衛門に小声で『殿、顔に出ております』と注意された。善左衛門は何事も無かったかのような顔で、取り次ぎの武将に向き直ると織田信安を通すように伝える。


「お通ししろ」


 そう、竹中家の評定は今月に入って三回目となる。いや、正確には三日連続で評定が行われていた。


 評定がなかなか終わらないのは、織田信安だけが原因ではない。

 俺の希望が通らないため、手を変えて連日議題に上げたり、他の山積する問題を処理するための情報が足りず、保留にしたりしている懸案事項が主な原因だ。どちらかと言えば、自業自得だったりする。


「ああ、大丈夫だ。場所は分かっている――」


 廊下から織田信安の声が聞こえて来た。さて、話の内容は昨日と同じだろうが、聞こえてくる上機嫌な声の調子からすると何かしら用意していそうだな。

 開け放っている入口に織田信安が姿を現す。


「おお、皆さんお揃いですな。今日は一つ提案を持って参りました」


 織田信安が評定の間に入るなり上機嫌で切り出すと、間髪容れずに光秀の厳しい一言が飛ぶ。


「織田信安殿、順番がございます。少しお待ちいただけませんでしょうか」


 城代とはいえ一城の主相手に臣下である光秀が浴びせるには、どうかと思う言いようだがそこは触れずにおくとしよう。

 

「光秀、そう言うな。織田信安殿も犬山城への出立を控えてお忙しい中、こうして来られたのだ。優先して話を伺おうじゃないか」


「おお、さすが竹中様。寛容でいらっしゃる」


 織田信安は満面の笑みでそう言うと中央へ進み出た。

 どうやら嫌味が通じていないようだ。


「それで、お忙しい最中さなか、どのようなお話ですか?」


「昨日も申し上げたように、私としても一刻も早く清須城へ移りたいと考えておりましてな――」


 何を言っているんだ、お前は? 昨日も言っただろう、あんたを清須城の城主なり城代として据えるには手柄不足だって。

 俺が何も言わずにいると織田信安はさらに続ける。


「――もちろん、私が至らぬために北尾張を褒美として頂けないというのは十分理解しております」

 

「それでしたら、これでお引き取りを頂けませんか?」


 帰れっ!

 大体、なんだよ、『北尾張を褒美に』ってのは。そんな約束一言だってした憶えはないぞ。


「そこでご提案です。現在南尾張に逃げ込んだ信長の配下から要人を調略してご覧に入れましょう」


 北尾張を渡す訳にはいかないが、調略は興味を惹かれる。


「調略の対象は誰ですか?」


「信長配下の一門衆の筆頭となる織田信清です」

 

 いや、それは無理だろう。あんた、織田信清と領地を巡って命のやり取りをするような喧嘩したじゃないか。


「さすがに難しいでしょう」


「いやいや、信清とは多少のいさかいはありましたが、幼い頃から面倒を見た間柄。私の言う事なら必ず聞きます」


 どこからその自信が来るのか分からないが、織田信清の調略はこちらでも動いている。

 余計な事をしないで欲しいな。


 さて、どうするか。


「多少のいさかいと言われましたが、かなり壮絶だったと聞き及んでおります。逆にこじれてしまいませんか? 何でしたら当家からも人を出します」


「それには及びません。大船に乗ったつもりで吉報をお待ちください」


 止めても勝手に動くよな、このおっちゃん。


「実は織田信清への調略は当家の者も既に動いております。お互いに邪魔にならないよう配慮頂けるならいいでしょう」


「分かりました。この織田信安にお任せください。見事尾張を手に入れて見せましょう」


 いつの間に攻略対象が織田信清から尾張になったんだ?

 ひとしきり高笑いを響かせた後で、『善は急げと言いますからな』などと言い残して評定の間を退出していった。


 ◇


 織田信安の足音が聞こえなくなったところで、光秀足音が消えた方にチラリと視線を向けて口を開く。


「よろしいのですか?」


「光秀、後で相談がある。叔父上と善左衛門、島清興、本多正信、お前たちもだ」


 後は百地丹波が戻れば百地も出席してもらおう。

 五人が静かにこうべを垂れた。


 さて、次だ。


「昨日と一昨日に引き続きだが――」


 俺がそう切り出したところで、光秀、善左衛門、叔父上と続き、


「上洛など無謀すぎます。もっと慎重に行動なさってください」


「自殺しに行くようなものですな」


「お方様を悲しませるような事は控えてください。例え無事に戻ったとしても、家を空けている間、心配されるでしょうな」


 その側で島清興や本多正信を初めとする、列席している家臣たちが同意するように小さく首肯していた。

 人の話を最後まで聞かずに全否定とかちょっと酷くないか?


 ほんの数日前までは『世間では今孔明ともてはやされております』とか『神算鬼謀と噂されております』などと持ち上げていた連中が、手のひらを返したように俺の案に否定的だ。

 まあ、昨日一昨日と俺の方も情報の出し惜しみをして、単に『上洛ついでに京を見物して、堺に買い物に行きたい』などと、暗愚な殿様みたいな事を言っているのだから仕方がない。


「言いたい事は分かる。分かるが、京と堺に数日逗留するだけだ」


 そのついでに朝廷に献金と挨拶をしてくる。


「今の時期に上洛など、正気の沙汰ではございません」


「さすがにそれは無理があるかと思います」


 すかさず止めに入る光秀と叔父上に視線を据えて、簡単な事の様に言ってみる。


「上洛と言っても軍勢を率いて都へ行くわけじゃない。少数精鋭でコソコソッと堺に買い物に行ったついでに、京に寄って献金してくるだけだよ」


「そちらの方が難しいかと」


 光秀が瞬時に否定すると、善左衛門、叔父上が続く。


「殿は三好や六角を侮り過ぎております」


「今は国内の安定と武田、織田、朝倉への対応をどうするかを優先すべきです」


「難しいかな? 見返りは大きいと思うんだけどな」


「無理ですな」


 光秀が感情を抑えた口調で俺の意見を退けると、本多正信が光秀を阿吽の呼吸で援護する。


「ここで敢えて危険を冒す必要性がございません。買い物であれば、これまで通り百地丹波に申し付ければ良いでしょう。将軍家への献金であれば、使者を立てましょう」


「献金は将軍家ではなく、朝廷へだ――」


 俺は評定の間を見渡し、伏せていた一枚目のカードを切る。


「――今後、当家は将軍家よりも朝廷との結びつきに重きを置く」


 一条さん、今川さん、最上さんがいるのだから朝廷の権威を利用しない手はない。


 さすが、『足利将軍家は先がない』とは言えない。言ってはいないが、俺が足利将軍家に見切りをつけたと悟った者もいるようだ。

 評定の間に列席した武将たちの顔色が変わり、誰もが押し黙ってしまった。


 押し黙ってはいるが否定的な意見は出てこない。

 同じく名ばかりで何の武力もないのなら、将軍家よりも朝廷の方が周囲の大名に対して影響力がある。それは皆も分かっているようだ。


 気まずそうに押し黙っている武将たちを俺が面白そうに眺めていると、光秀が沈黙を破った。


「朝廷と一言で申しましても伝手がございません」


「伝手ならあるよ。今川氏真殿から『よしなに』との書状が届いているころだ」


 それに加えて、一条さんと最上さんのところからも書状が届いているはずだ。三家から時期を同じくして『竹中家をよしなに』との書状が届けば、さすがに無碍むげにはしないだろう。

 それに献金についても、秋の相場操作で十分な資金が用意出来る予定だ。


 俺が二枚目のカードを切ると、列席する武将たちの表情に驚きと納得の色が見えた。朝廷への橋渡しを今川家がしてくれるとは予想していなかったようだ。

 それは光秀も一緒で、ポカンとした表情でつぶやく。


「今川家、ですか?」


「ああ、桶狭間の戦いの後に何度か書状のやり取りをしているが、その中で『朝廷との結びつきをそろそろ考えた方がいいだろう』、ってことになってね」


「確かに得るものは大きいかもしれませんが、危険は変わりなくあります」


 光秀も立場上、形だけは危険を示唆するが、綻んだ口元と何かを期待するような目、そして衝動を抑えきれないでいる口調は『上洛しましょう』と言いたいのが伝わって来る。

 光秀から叔父上、善左衛門、本多正信、島清興へと視線をゆっくりと巡らせ、さらに評定の間に集まった武将たちへと向きなおる。


「これは戦だっ! 準備をして危険を出来るだけ小さくしよう。だが、危険だからと言って亀の様に甲羅に閉じ籠もっていては何も出来ない」


 列席する武将たちを見回すが、誰一人として下を向く者はいない。皆の目が、『戦場に赴くのに死を恐れてなどいない』そう語っている。


「お前たちの中に死ぬのを恐れて戦場に出ないものはいるかっ? 上洛するのは秋の収穫以降だ。それまでに十分な準備を進める。軍備だけでなく外交も含めてあらゆる手を打つっ! そのために協力をしてくれっ」


 俺の言葉が終わるや否や、島清興がわずかに進み出ると即座に声を響かせる。


「承知いたしました」


 続いて、蜂須賀正勝と前野長康がほぼ同時に声を発した。


「何なりとお申し付けください」


「畏まりました」


 彼らに続くように、次々と賛同する声が上がる。もちろん、叔父上や善左衛門、光秀もだ。


 評定の間に落ち着きが戻ると、待っていたかのように取り次ぎの武将が姿を現すと、抑揚のない口調で伝える。


「殿、百地丹波様がお戻りになりました」


 さて、三枚目となるカードが手に入ったか? それとも……


「すぐに通せ」


 俺は口元が綻ぶのを片手で隠しながら、百地丹波を通すよう、取り次ぎの武将に伝えた。

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