第48話 稲葉山城での雑談

 俺は菩提山城へは戻らずに、清須城から岡部元信の籠る鳴海城を経由して、稲葉山城へと戻っていた。

 といっても、居城を稲葉山城に移した訳じゃない。俺が稲葉山城を陥落させた事が、美濃の国内外に知れ渡った時、速やかに防衛に移れるように詰めている。


 だが、防衛に専念させてくれるような優しい人はいなかった。

 つい先程まで、執務室として使っている一室に俺と善左衛門、重光叔父上、明智光秀の四人で詰めて、今回の戦いの恩賞について下打ち合わせをしていたところだ。


 恩賞の分配にいい加減煮詰まって来たところで、善左衛門が筆を置くと突然話し出した。


「殿、鳴海城の方は計画通りに事が運びましたが、大高城からは一向に返事がありませんな」


 計画通りだよ、善左衛門。お前をこのメンバーに選んで正解だ。

 案の定、事務処理の苦手な善左衛門が真っ先に手を休めて現実逃避を始めた。


 俺は流れる様な動作で善左衛門に続いて筆を置くと、傍らに控えた小姓にお茶の用意をするように伝え、部屋から追い出してから答える。


「大高城は今川方の敗残兵が立て籠もっているだけだからね。彼らからしてみれば、『城を明け渡すような話を、こっちへ持ってくるなっ』といったところだろう」


 城を明け渡すだけの権限のある武将はいないはずだ。仮に大高城を竹中家に明け渡したとして、その挙句に織田家へ返還されたとあっては、責任を取らされて打ち首の可能性もある。軽はずみな事は出来ない。

 そう考えると、俺も随分と酷な手紙を送ったな。


 俺が大高城へ出した手紙について反省していると、叔父上が話に加わってきた。


「本命は駿府に宛てた書状ですか。そうなるとしばらく時間が掛かりそうですね」


 口は動いているが手も動いている。光秀と叔父上の二人は手を休めて会話をする俺と善左衛門の横で、手を休める事無く今回の功績があった者たちを書き出していた。

 やはりこの二人を選んだのは正解だ。俺と善左衛門が手を止めてもつられる事無く作業が進んでいく。


「ご心配無用です。鳴海城同様、大高城の方も問題なく今川家から了承が得られるでしょう。もちろん、織田家への返還も承諾されます」


 噂では今川さんを危機一髪のところで北条さんが助けたらしい。今川さん単独だったらあれこれ難色を示されたり、人材の引き抜きで大幅譲歩を迫られたりしたかもしれない。

 だが、話の分かる北条さんに借りがある以上、無茶なことは言わないはずだ。


 手を休めたままだった善左衛門が腕組みをし、考え込むような顔で言う。

 

「鳴海城の引き渡しは一ヵ月後でしたな」


 善左衛門の言葉に鳴海城へ立ち寄った際の岡部元信との会談を思い出した。


「豪勇と鳴り響いた岡部元信も、主君の今川義元が討たれた後の今川家が心配らしい――」


 今川義元の首級と佩刀である宗三左文字を返還すると、泣いて感謝された。

 そして、美濃からの支援を約束した上で、鳴海城をどの程度の期間守り抜けるのかを聞いた俺に、『美濃の支援があるなら、半年でも一年でも守り通せます。ですが、今は殿の亡き後の今川家が心配です。出来る事なら今すぐにでも戻りたい』岡部元信はそう答えた。


 首級の入った漆塗りの桶を抱きしめ、涙を堪えて今川家の将来を憂いる岡部元信に、要求出来た期間は一ヵ月。

 こちらが精一杯頑張って鳴海城に兵を割けるようになるまでの期間だ。


 岡部元信の涙に負けて、自分たちにとってギリギリの時間を設定してしまう辺り、俺もまだまだ非情に成り切れないよな。


「――今川義元の存在が大きかっただけに、当主交代で今川家が乱れるかもしれないと、考えているようだったな」


 俺の答えに善左衛門が心配そうな表情で聞いてくる。


「荒れるでしょうか?」


「多少は荒れるだろうけど、問題になるほどには荒れないよ。不穏分子のあぶり出しに丁度いいんじゃないのか」


「それは殿が支援を表明したから、という事でしょうか?」


 俺は『美濃だけじゃないよ』と言い、未だ筆を置いたままの善左衛門を余所に筆に手を伸ばす。


「今回、今川氏真の窮地を救った北条だって、間違いなく支援する。支援を表明しなくても周囲は今川と北条の関係が強固だと見る。土豪や国人領主だけでなく、武田や織田もそう簡単には手出し出来ないよ」


 情報の伝達が遅く精度が低いこの時代、乱破らっぱを使って意図的に拡散させたこの情報を無視はできないはずだ。

 何しろ、町民や農民にまで広がっている。都合の悪い情報を意図的に伝えずに、自分たちの都合だけで戦を仕掛けようとしても無理だ。


 俺の言葉を感心したように聞いていた叔父上が口を開く。


「そうなると我々も美濃の平定を急がないとなりませんな」


「美濃の平定か……」


 稲葉山城を俺の居城とするのは問題なさそうだが、国主として収まるとなると、不要な敵を作ることになりそうなんだよなあ。

 俺が押し黙って思案しかけると、今まで黙々と筆を執っていた光秀が、突然筆を置くと会話に加わってきた。

 

「その件ですが、土岐頼次様を迎えては如何でしょうか?」


 この三日間、光秀だけでなく、叔父上からも何度か進言のあった案だ。

 それは案として十分に検討するだけのものではあるのだが、如何せん、交渉相手が悪すぎる。


「土岐頼次様は大和の松永久秀の下だよな?」


 そう、問題はこの松永久秀だ。歴史や書籍の情報を思い出しても、野心家の上、陰謀を巡らせる陰険な爺さんだ。間者からの情報を思い返しても信用ならない人物で間違いないだろう。

 俺の問い掛けに光秀がわずかに渋面を作って答えた。

 

「あまり良い噂を聞きませんが、土岐頼次様が松永久秀の庇護下にある以上、彼と交渉するしかありません」


 光秀も避けられるなら避けたいと思っているようで安心した。正直、松永久秀なんて織田信長以上に手を組みたくない相手だ。


「傀儡君主を立てるために松永久秀を内に取り込むのか?」


「取り込めれば、尾張だけでなく伊勢攻めでも連合出来ます」


 それは理想だろう、光秀。


「叔父上も同じ意見でしたね? ――」


 俺の言葉に無言で首肯する叔父上から善左衛門に視線を移す。


「――善左衛門はどう思う?」


「難しい事は分かりませんが、他に選択肢が無いように思えます。このまま殿が国主に収まれば、昨日、光秀が言っていたように、買う必要のない反感を買う事になります。得策とは言えないでしょう」


 視線を叔父上から光秀へと巡らせると、彼の目が語っていた。『他に道はありません』と。

 

 俺は深いため息をつくと、光秀へ視線を戻す。松永久秀との交渉準備を光秀に命じようとする矢先に、百地丹波が登城したとの報せが届いた。


 ◇


 百地丹波には現在の最重要事項、織田信長の動きを監視させていた。百地丹波は平伏した姿勢から顔を上げると、侍女や女中たちに人気のあるその低音の声で告げる。


「織田信長は約束通り古渡城へ引いて、それ以降は下尾張で大人しくしているようです」


 百地丹波の報告に同席していた三人も胸を撫で下ろす。

 まだ三日しか経っていないんだ、早々活発に動かれても困る。それよりも気になるのは嫌がらせの方だ。


「津島と熱田の様子、それと北畠家の動きはどうだ?」


「津島と熱田を中心に海側は相変わらず海賊に悩まされているようです――」


 おお、海賊、頑張っているじゃないか。次の『茶室』では伊東さんと一条さんによくお礼を言っておこう。

 津島と熱田には積極的に仕掛けて信長の収入を減らしてもらわないとな。


「――ですが、北畠の動きが芳しくありません」


「どうした? 渋い顔をして。何か想定外の事でも起きたのか?」


「詳しい事は調べさせていますが……」


 もの凄く言い難そうな表情の百地丹波をうながすと、『今日のところは、噂話程度に聞き流してください』そう前置きをして続けた。


「どうも、沿岸に海賊が頻繁に出没するようで、北畠家もその対応に追われているようです」


 海賊、頑張りすぎだろ。

 百地丹波は俺が裏で海賊たちを使って津島と熱田、その周辺の漁場を荒らさせている事を知っている。そりゃあ、言い難かったろう。


「そ、そうか。海賊が頻繁に出没するのか。それは北畠家も困っているだろうな」


 俺も困る。

 これは次の『茶室』まで北畠家はあてにできないな。大和の筒井家と松永家をけし掛けるか? いや、今からじゃ間に合わない。


 困っているのが顔に出たのか、百地丹波が心配そうに俺の顔を覗き込んで言う。


「詳しい調査を急がせましょうか? 必要とあれば伊勢の人員を増やしますが、如何しますか?」


「いや、それには及ばない。引き続き今の規模で頼む」


「畏まりました。それと、本田正信殿との接触に成功したとの一報が入りました」


 俺はその報告に思わず身を乗り出した。


「それで、どうだった?」


「まだ接触に成功した、としか連絡がございません」


「分かった。本田正信殿には、俺が直接会って話をしたがっていた、と伝えてくれ」


「承知いたしました」


 百地丹波が一通りの報告を終えて退出しようとしたとき、取り次ぎ役の武将が次の来客を告げる。


「殿、蜂須賀正勝殿がおいでです」


 蜂須賀正勝だと? さては、今回の美濃と尾張の戦いを見て俺の家臣になる決心がついたか。

 俺は百地丹波にこの場に残るように伝えると、取り次ぎの武将へ蜂須賀正勝を通すよう返事をした。


 ◇

 

 蜂須賀正勝ともう一人、見知らぬ武将が俺の前で平伏している。蜂須賀正勝は頭を上げると、ひげ面に満面の笑みで口を開く。


「この度の稲葉山城攻略並びに北尾張制圧、お見事でございました。おめでとうございます」


 蜂須賀正勝一人かと思ったが、横の武将は誰だ?

 彼の腹心か何かか? 或いはこれを機会に誰か推挙でもしようというのだろうか?


「おお、わざわざ済まない。それよりも、決心してくれたか?」


「はい、この蜂須賀正勝、竹中様の家臣として仕えさせて頂きます」


 そう言うと再び平伏する二人に俺は、『頭を上げるように』とうながし、鷹揚に答える。


「よろしく頼む」


「早速ですがご報告とお願いがございます」


「言ってみなさい」


「こちらの者は、私の義兄弟で前野長康と申しますが、私と共に竹中様の家臣とさせて頂きたくお願いに上がりました」


 前野長康だと? 最初に声を掛けた時に断られた武将だ。

 俺が蜂須賀正勝から前野長康に視線を移すと、前野長康は三度平伏し、そのまま頭を上げる事無く言葉を発した。


「以前お声がけを頂きながらお断りした手前、誠に恐縮ですが、義兄弟の伝手を頼り、こうしてお願いに上がりました」


「何、以前は私にも力がなかった。後を継いだばかりの、小領主の世迷言と受け取られても仕方がない。これからはよろしく頼む」


「では?」


 予想していたよりも簡単に事が運んだのだろう、驚いたように顔を上げた彼に念を押すように告げる。


「今から竹中家の直臣として扱う。一族郎党、引き連れて再度登城しろ。その人数に見合うだけの、家屋敷と俸禄を用意しよう」


 稲葉山城と尾張から持ち帰った金銀、兵糧は十分にある。さらに領内の商売でも十分な利益が上がっている。支払う原資に不安はない。


 感謝の言葉と共に四度平伏する前野長康を横目に蜂須賀正勝が『さらに報告がございます』と言い、先を続ける。


「実はお会いして頂きたい方がもう一人おります。別室にて私の配下の者と控えております」


「会うのはやぶさかでないが、誰だ?」


「加木屋正次の居城に軟禁されていた土岐頼元様を、この前野長康が――」


 横で平伏したままの前野長康に振り向き、彼の手柄である事を強調するようにしてさらに続ける。


「――先の桶狭間の戦いの最中に、加木屋城を攻め落して救出して参りました」


「土岐頼元?」


 土岐氏の関係者か、また面倒な奴を連れてきてくれたな。俺がそう思うや否や、傍らに控えていた光秀が突然声を発した。


「殿、土岐頼元様とお会いください」


「どういうことだ?」


「殿が後見人となり、土岐頼元様には美濃の当面の国主として立って頂きましょう」


 土岐頼次に代わる避雷針かっ!


 俺は前野長康に向かって問い質す。


「土岐頼元様救出の際に、城主であった加木屋正次はどうした?」


「加木屋正次は捕ら――」


 俺は前野長康の言葉を遮り、こちらの趣旨を伝える。


「そうかっ! 土岐頼元様を軟禁していた反逆者、加木屋正次は見事に討ち取ったのだな。でかしたっ! 土岐頼元様救出と逆賊である加治木屋正次を討った褒美は改めて渡す――」


 ポカンとしている前野長康から彼の横にいる蜂須賀正勝へ目を向ける。 


「――蜂須賀正勝、この働きについてはお前も同様の手柄とみなす」


 俺の決定に蜂須賀正勝と前野長康が何度目かになる平伏をした。


「ありがとうございます」


「畏まりました」


 平伏したままの彼らに穏やかに語り掛ける。


「別室にお待たせしている土岐頼元様をお連れしなさい」


 よーしっ!

 これで面倒な松永久秀との交渉はしなくて済む。すべて美濃国内で解決する上、邪魔者はいない。


 知らずに笑いが零れてしまう。

 俺は同じように笑いを堪えきれずにいた、叔父上と光秀の二人と視線を交錯させた。

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