第47話 半兵衛と上総介

 清須城から数百メートル。俺と林秀貞が会談をした場所に再び会談の席を用意した。

 さすが、二度目ともなると早い。あれよあれよという間に会談の場所が出来上る。万が一に備えての乱破(らっぱ)の配置もスムーズに完了した。


 会談場所は、遠距離からの狙撃が出来ないように周囲を陣幕で囲ってある。

 鉄砲による狙撃が行われたのは、もう少し未来の事だったような気がするが、そこは慎重にいく事にした。


 列席するメンバーは双方七名ずつ。

 こちらからは、俺を筆頭に稲葉一鉄殿、氏家卜全殿、明智光秀、善左衛門、島清興、百地丹波。さらに、帰蝶殿と奇妙丸殿、お市殿を同行させている。


 そして俺の眼前には織田側の代表である、七人の怒れる武将が並んでいた。


 乾坤一擲。


 今川に勝利して意気揚々と戻ってみれば、居城は奪われ、家族は人質に取られている。しかもその手引きをしたのが、信頼して城と家族をあずけた筆頭家老だ。

 そりゃあ、心中穏やかじゃないのは容易に想像がつく。


 第三者視点で見れば、気の毒な事この上ない。

 俺は信長に同情しそうになるのを堪えて、『正面に座っている、眼光の鋭い武将が信長なのだろうな』等と予想しながらお辞儀をする。


「竹中半兵衛重治です」


 俺が頭を上げるタイミングで、中央に座った目つきの鋭い武将の声が轟く。


「織田上総介信長であるっ!」


 やはり、というか、俺の正面に座っているのが信長だった。

 何とも堂々とした名乗りだ。貫禄と迫力がある。何だろう、漂う雰囲気もそうだが、片や『上総介』、片や『半兵衛』、名前の字面で既に負けているような気がする。

 

 決して体格に恵まれた武将ではない。中背でやや線が細い感じだ。だが、眼光の鋭さは尋常ではない。信長の第一印象を問われればその眼光の鋭さを誰もが上げるだろう。


 代表者である俺と織田信長の挨拶が済むと、信長は射貫くような視線で俺に問い掛ける。


「双方七名ずつ、とそちらからの要望であったが、これはどういう事だ?」


「我々も七名ですよ――」


 俺は座ったまま背後を振り返り、我々と同じように床几に座っている帰蝶殿と奇妙丸殿、その隣のお市殿を確認すると、信長へと向き直って言葉を続ける。


「――お三方をお連れしたのは、信長殿に対する我々の気遣いです」


 人質としての意味合いも含んでいるが、本来の目的は使者への託(ことづけ)が嘘ではない事を知らしめるためだ。


 信長は『まあいい』と言い捨てると、


「今回の尾張への侵攻は国主である斉藤義龍の差し金か?」


「国主は今回の件を存じております」


 行き成り切り込んできた。斉藤義龍死去を知らぬ顔で問い掛ける信長に、国主について必要以上に触れずに返答する。

 信長は見えるはずのない清須城の方角へ視線を走らせ、見透かしたように言う。


「旗印を見る限り、西美濃勢ばかりにみえるな」


「美濃もいろいろと守らなければならない城や砦が多くて、思う様に兵を割けませんでした。今はこれが精一杯です」


 よく見ているな。だが、これで美濃を二つに割ったと思ってくれるか?

 俺の話を聞いているのか、聞いていないのか、信長が突然、不機嫌そうな口調で話題を変えた。


「林秀貞の姿が見えないのはどういう事だ?」


 今回、信長側から林秀貞を列席させるよう要請があった。どんな理由かは知らないが、火種になりそうなので敢えて清須城へ置いてきている。


「林殿には今回苦渋の決断をして頂く事となりました。今も心労で臥せっているところです」


「いつからだ?」


「つい、数時間程前に発熱され――」


「秀貞はいつから美濃と通じていたっ?」


「こちらから書状を出させて頂いたのは、おそらく信長殿が桶狭間に向けて出発した直後の事ですので――」


 またも、俺の言葉を遮るように信長の怒声が響く。


「俺を舐めているのかっ! 昨日今日に出した書状一枚で寝返るものかっ!」


 うわ、滅茶苦茶怒っているよ。

 背後にいる家来たちまで、一緒になって顔を赤くしている。主君が我を見失った時こそ、お前らが諫めないと駄目だろう。俺は恨みがましい視線を、一瞬だけ織田側の武将へ向けてから信長に語り掛ける。


「嘘は申しません。帰蝶様をはじめとした清須城の皆さんや、清洲の町の住民に戦禍が及ばないよう、配慮されての苦渋の決断です」


 続いて、『見上げたご判断でした』との俺の言葉に、眼前の信長が鬼の形相に変わっていく。どうやら俺の言う事を頭から信じていないようだ。

 信長が自身の膝を手で叩いたタイミングで背後に控えていた武将が信長に話し掛ける。


「殿、ここで無駄に時間を過ごすのは得策ではありません」


「分かっているっ。続きだっ! 停戦の話の続きだっ!」


 いや、続きも何も、停戦の話なんて一言も出来ていないだろう、お前のせいで。いろいろと言いたい事はあるが、それらを呑み込んで使者に渡した書状について触れる。


「ご使者の方にお渡しした書状には目を通されている事と思いますが――――」


 そこから、書状に書いた内容を復唱するように、改めて伝える。

 書状の内容が、現在の織田側にとって決して承諾出来ない内容ではない事は、列席した織田側の武将たちが物語っていた。


「――――我々としても無駄な争いは避けたいと考えております」


 間髪容れずに信長がこちらを挑発するように口角を吊り上げて言う。


「無駄な争いを避けたいのであれば早々に兵を美濃に引き上げろっ。追撃はせずにいてやろう」


「随分と強気ですね。落とせますか? 清須城」


「お前たちこそ清須城を守り切れるのか?」


「こちらとしても守り切れない城を要求するつもりはありません」


 言外に清須城以外の、停戦条件に列記した城と砦が守り切れることを伝える。


「ほう。清須城は守り切れると言うのか?」


「さあ、どうでしょう。織田家は東だけでなく西にも手を焼くことになるでしょう。それに海からの来訪者もいます。清須城に、いえ、我々美濃にかまけている余裕はないのでは?」


 信長だけでなく、居並ぶ織田家の武将たちがギョッとする。

 だが、信長だけはすぐに言葉を発した。


「こちらの留守を狙ってかすめ取った割には大きい事を言うな」


「留守を狙う事が出来た、と受け取ってくださるといろいろと見えてくるのではないでしょうか」


 先の書状からこちらと今川家との関係が強固である事は容易に想像がつくはずだ。

 清須城を落とせたのも、『今川と通じて桶狭間の戦で留守の時を狙ったからだ。まともにやり合ってはとてもじゃないが落とせない』そう取り違えてくれると嬉しい。


「今川か」


「はい、今川家から報せを頂きました」


「斉藤義龍は何をしている? 嫡男の龍興とその取り巻き、特に斉藤飛騨はどうした?」


 行き成り話が飛ぶな。


「義龍様は少々風邪をこじらせております。今回の今川家と呼応しての尾張攻めに参加できなかった事を嘆いておいででした――」


 そこで一旦言葉を切ったが、『先を続けろ』とばかりに無言でこちらを見ている。

 まあ、義龍が死亡しているのは知っているようだし、こちらが綱渡りのように義龍の死去を隠していると、面白がっているんだろうな。


「――先程も申し上げましたが、龍興様は美濃の他の城や砦の守備をしなければなりません。美濃の留守をされております」


 話の後半、考え込むようにしていた信長が口元を綻ばせて言う。


「美濃を二つに割ったという事か?」


 掛かった、のか? 

 美濃が二つに割れている前提で、停戦条約を呑んでくれるのが俺たちにとっては最善だ。俺は逸る気持ちを抑えると、苦虫を噛み潰したような表情で答える。


「はて、何の事でしょうか? 稲葉山城と睨みあいながら尾張と事を構える。そんな事は私も願い下げです」


「願い下げか?」


「はい、願い下げです」


「もし、美濃を割ったのなら、斉藤龍興と手を結んで西美濃をすり潰してくれる」


 信長の鋭い視線から、慌てて視線をそらせ、


「この話はこの程度にして、そろそろ停戦の条件について話し合いませんか?」


 冷や汗よ、流れてくれっ! そう願いながら、その言葉だけを絞り出した俺に向かって、信長は満足したようにうなずいた。


「いいだろう、停戦の条件を呑もう。だがその前に質問だ。この度の停戦条件でどうにも腑に落ちないことがある。その一つが、今川義元の首級だ。そんなものをなぜ欲しがる?」


 来たっ!


 西美濃勢と竹中家は今川家との手を結んで、斉藤家に反旗を翻したばかりである。

 その勘違いをより強固なものにしてもらおう。


「今川氏真殿とは懇意にさせて頂いていましてね。父親の首を奪われたままというのがどうにも気の毒で」


 義元の首を俺が手に入れれば、信長には鳴海城の岡部元信との取引材料がなくなる。代わって俺が鳴海城を手に入れるための取引材料にさせてもらう。


 織田側にとって有利な停戦条件、美濃の内情は安定しておらず、西美濃勢の独断で尾張に攻め込んだ可能性が高い。


「殊勝な事だな」


「これも人の付き合いというものです」


 そう答える俺に『最後だ』とつぶやくと、俺の背後にチラリと視線を走らせて言う。


「竹中重治。相談だが、市を嫁にするつもりはないか?」


 冗談じゃない。

 お市殿を欲しがった美濃勢は多くいた。それを全て却下してこの停戦条件を作成したのに、俺がここでお市殿を嫁にしたらそいつらから恨みを買う。恨みを買わないまでも信頼は失われる。


「先般、結婚したばかりです」


「側室で構わんっ」


 俺の背後にいるお市殿が、どんな顔をしているのか何となく想像できる。信長似のあの眼で信長を睨み付けている事だろう。


「お市殿は噂に違わず、お美しい姫君ですね。今回の褒美にお市殿を希望する方が多くて困りました――」


 俺の言わんとしている事を理解したのか、信長の目に諦めの色が浮かぶ。その諦めの色に幾分か安堵してさらに続けた。


「――大勢の者たちの希望を撥(は)ねつけて信長殿へお返しする。その調整の苦労を汲んでくださると助かります。信長殿からのご提案とはいえ、それを私のような若輩者が我がものにするなど争いの原因になります」


「つまり、まだまだ美濃を掌握しきれていないという事か」


「掌握も何も、私は偶々(たまたま)今回の総大将を務めさせて頂いただけです。本来であれば――」


 俺の左隣に座った稲葉一鉄殿と右側に座った氏家卜全殿へ交互に見て、


「――稲葉一鉄殿や氏家卜全殿が総大将を務めるところ。何の間違いか――」


 俺の話を遮って信長が言い切る。


「では、この話はまた改めてするとしよう」


 いや、人の話を最後まで聞けよ。それに『改めて』って何だよ。諦めてくれよ。

 だが、ここでそんな話をする訳にもいかない。


「それで、停戦の条件として我々の提案を受け入れて頂けますか?」


 さて、こちらの思惑通り早々に停戦して兵を引き上げてくれるか? 逆上して短期決戦を仕掛けてくるか? 或いは、城を包囲して長期戦覚悟で仕掛けてくるか?

 あれだけの軍勢を急遽呼び寄せたんだ、津島や熱田の守備が手薄なはずだ。


 信長が桶狭間に大量の兵士を割かざるを得ない事を、海賊たちは当然知っているし、伊東さんと一条さんから指示が出ているはずなので当然動く。

 北畠にも報せてある。北畠にしても、この好機を、ただ指をくわえて見ているとは思えない。というか、百地丹波配下の工作が功を奏すれば、積極的に信長の領地を荒らしてくれるはずだ。


 長引けば信長の背後、今の信長にとって最も重要な収入源である津島と熱田が荒らされる。

 ここで長期戦を仕掛けてくる事は無いと思いたいが、さて。


 俺があれこれと思いを巡らせていると、突然信長の甲高い声が響き渡る。


「停戦の条件、書状の通りで承知した」


 よしっ!

 古渡城に引かせたら、後は手はず通りに皆で寄って集って人材のスカウトだっ!

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