第45話 交渉に向けて

 清須城の一室、当座の作戦指令室として利用している部屋に、入れ代わり立ち代わり武将や兵士たちが訪れていた。


 今も氏家卜全殿の配下の武将が慌ただしく入室したと思えば、


「信長の軍勢が清洲の町の外に集まっています。信長の本体三千余に、恐らく古渡城と末森城から合わせて二千の兵が到着したようです」


 その報告が終わるや否や、百地丹波配下の乱破らっぱが飛び込んでくる。


「岩倉城の村井貞勝が五百の兵を率いて城を出ました。行先は不明。今、別の者が追跡中です」


 俺の右側に控えていた善左衛門が感心したように言う。


「清須城の異変に気付くのが早かったのでしょうが、動きが予想以上に早いですな」


 続けて、『騙し討ちは出来そうにないか』と悔しそうに零した。善左衛門のその一言に、部屋に居た武将や兵士たちのほとんどが、同意するようにうなずく。

 どうやら本気で騙し討ちをするつもりだったようだ。


 そもそも、真っ昼間に清洲の城下町を九千の大軍が堂々と闊歩かっぽしてきたんだ。それで信長に情報が漏れないと考えるのがおかしい。

 それに斥候や間者が町の住民に聞き取りくらいやっているはずだ。まあ、ばれるよな。


 だが、騙し討ちが無理だという事を作戦失敗とでも受け取ったのか、数人の国人領主たちがざわつき出し、部屋にいる他の武将たちにも次々と伝搬していく。

 その様子を一瞥した稲葉一鉄殿が、俺へと鋭い視線を向けた。


 あれは『何とかしろ』、ってことだよな。

 俺は余裕の笑みをたたえると、努めて明るい雰囲気で皆に聞こえるように大きな声で言う。


「まあ、最初から騙し討ちできる可能性は低いと思っていたから、これも想定のうちです――」


 俺は皆に『心配には及びません』と伝えて、さらに続ける。


「――捕らえた先触れの者の話が正しければ、信長の兵は六千以上になるでしょう。だが、それでも一万対六千。こちらは籠城している上に兵糧も武器も潤沢です」


 信長軍、六千。その数は百地丹波の放っていた忍びからの報告と一致する。

 

「翻って、彼らはどうでしょうか?  ――」 


 そこで言葉を止めて、部屋にいる者たちを見回すが、答えるものは誰もいない。そこで俺は光秀に話を振る。


「――どう見る、光秀」


 光秀は小さくお辞儀をすると、部屋の中にいる者たちへ向けて語りだした。


「敵の主力は桶狭間で戦を終えたばかりです。帰還した数からも激戦であったことは間違いございません。勝ち戦ですので士気は高いでしょうが疲労もしています。長期戦となれば勝ち戦で恩賞や褒美を期待していた者たちの不満も高まりましょう。ここは清須城にて籠城するのが得策と思います」


 光秀の回答に皆が感心しているのを見計らって、話を再開した。


「今、光秀が言ったように、主力となる信長率いる三千数百の兵士は桶狭間の合戦で疲弊している上、兵糧や武器などの物資も不足しています。兵士はもちろん、兵糧や武器の補充を古渡城や末森城からするでしょうが、たかが知れている――」


 本当は古渡城と末森城からどの程度の兵糧や物資が持ち込まれたのかは知らない。


「――それに、こちらには人質もいる。上手くすれば一戦も交えることなく信長を古渡城辺りに引かせることが出来るかもしれません」


 さりげなく籠城よりも交渉の方が上策であると話をすり替える。そして皆が感心したところで、『勝つのは我々です』とうそぶく。

 次の瞬間、稲葉一鉄殿と氏家卜全殿をはじめとした、数人の国人領主たちの快活な笑い声が響く中、氏家卜全殿が口を開き、稲葉殿が続いた。


「さすが竹中殿だ。軍略、兵法に通じているだけの事はある」


「いやいや、ここまで竹中殿の立てた作戦通りに運んでいるではないか。我らが浮足立つ必要は何もない」


 そう言うと彼の傍らにいた氏家卜全殿に、『そうだろう』と同意を求めた。同意を求められた氏家卜全殿も笑いながら言う。


「稲葉殿の言われる通りですな。我々には有利な材料が多数揃っている。だが、信長にはどんな有利な材料があるというのか。まったく以て、竹中殿の戦略には恐れ入る」


 実に単純な話だが、今の一連の会話で先程まで不安げな表情をしていた者たちも安堵の表情に変わっている。

 それどころか、一部の者は高揚感から信長を討ち取るなどと口にしていた。


 討ち取ってくれるなら願ったり叶ったりだが、騙し討ちにも等しかった稲葉山城奪取戦でさえ身の危険を感じたのに、五割増し程度の兵数差で真向勝負とか願い下げだ。

 となると、人質を上手く利用して織田軍に引いてもらう方向に話を持って行くのが良さそうだ。


 さて、そうなると大高城、或いは鳴海城を手中にするのを諦める必要がある。皆をどう説得するかに思いを巡らせようとする矢先、一人の国人領主の言葉を皮切りに野戦案に火が付いた。


「その通りだ、数で勝っているのだから野戦で一気に片を付けましょう」


「数の上でも我々が勝っています。さらに言えば、我ら美濃兵は強兵ですが尾張兵は弱兵です。野戦で容易に蹴散らせるでしょう」


「尾張の弱兵など我々の敵ではないわっ」


 何だろう、この根拠の無い精神論は。大体、尾張兵が弱兵というのは聞いたことがあるが、美濃兵が強兵だなんて初耳だよ。

 それに弱兵って本当かよ。弱かったら勢力拡大できないだろう。いや、それ以前にたかが地域差で人間の能力、強弱がはっきりするほどの開きが生まれるとは思えない。


 傍らにいる光秀がささやく。


「殿、これは拙い方向に話が進んでいます」


 騒いでいるのはここまでに手柄を上げられなかった者たち。

 野戦を主張する国人領主の一人が立ち上がったのを見計らう様に、稲葉一鉄殿の怒声が響き渡る。


「静かにせんかっ!」


 まさに鶴の一声。話し声がピタリと止んだ。こういう事は俺には出来ないし、俺の配下にさせる事も無理だ。

 稲葉一鉄殿はこれからも頼りにさせてもらおう。


 部屋の中にいた者たちの視線が当然のように稲葉一鉄殿に注がれる。彼は頭を掻いて笑い出すと、


「いや、これは失礼した。どうにも気が短くていけませんな――」


 がらりと口調を変えてそう言うと、皆と同じように彼の怒声に驚いて固まっている俺に視線を向け、話をうながす。


「――竹中殿、話の続きをお願いいたします。我らに今後の方針をご指示頂けませんか」


 俺は『では、早速ですが腹案をお話させて頂きます』と前置きして切り出す。


「ここまで非常に順調に事が運んでいます。とはいっても、非常に危うい状況であると言わざるを得ません。今の我々は美濃一国の支配すら出来ていない状況です。つまり、これから美濃を統一するための戦が待っております――」


 何人かの国人領主が今まで忘れていた事を思い出したような顔をするのが見えたが、気にせずに続けよう。


「――欲をかいて尾張でいたずらに兵を失うのは下策。ここは人質を最大限に利用して尾張の一部を領有することを認めさせましょう」


 清須城は渡したくないよなあ。それと犬山城などの美濃国境付近の支城は軒並み欲しい。

 逆に要らないのは現在今川の手にある鳴海城、大高城。そして北畠に近い支城だ。


「一戦もせずに尾張の領有を認めるとは思えんが、その辺りはどうお考えですか、竹中殿」


 青木氏の一門衆の一人が稲葉一鉄殿を気にしながらも聞いてきた質問に、言葉短く答える。


「一戦、あるかもしれません」


 列席する武将たちの顔が引きしまった。戦国武将、それも小なりとはいえ領主といったところか。

 俺は全体に緊張が広がるのを待たずに話を再開する。


「信長も今川家に勝利したと言っても被害は甚大です。そしてこれまで通り、海賊と北畠に悩まされます――」


 桶狭間で失った兵士だけじゃない。林秀貞と彼の配下、一千の兵士を失っている。この状況で海賊はさらに勤勉に働く。北畠もこの隙を見逃すはずはない。

 俺は今まさにこのとき、海賊が迫っている事には触れずに先を続ける。


「――ここで人質と兵を失う事よりも一時的に領地を失っても、『何れ取り返せる』と思わせて引いてもらいましょう」


 そうだ、熱田と津島を失わなければ、いつでも清須城を取り戻せる。美濃勢を北尾張から追い出せる。そう思わせて停戦する。


 光秀に声を掛けて、尾張周辺の地図を広間の中央に広げさせた。

 皆が地図を覗き込んだのを見計らって信長との交渉の材料を一つずつ列挙していく。


「具体的には――――」


 俺は幾つかの案を皆に提示し、最終的に林秀貞との会談と同じように清須城の外で信長と会談する事で話がまとまった。


「――――では、先程捕らえた先触れの兵士を使者として信長の下へ向かわせましょう」


 島清興に向けて先触れの兵士をここへ連れてくるよう、手短に告げた。

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