第43話 清須城、開城

 清須城の大広間に織田家中の主だった者を集めていた。

 おそらくは評定を行う場所なのだろう、彼らを包囲するように武装した兵士を配置しても十分に余裕がある広さだ。


 対するこちらの主だった者たちは、竹中家の者と林秀貞だけである。

 他の美濃勢――稲葉殿と氏家殿を筆頭にこの場に列席することを辞退した。稲葉殿曰く、『今回の総大将は竹中殿です。我々古参の国人衆が並んで埋もれては申し訳ない。ここは全てお任せ致します』と。


 体(てい)よく逃げやがった、あいつら。

 そう、俺の眼前にいる女性。清須城の主だった者たちを庇うようにして最前列に座っている女性、信長の正室である帰蝶殿から逃げやがった。


 気持ちは分かる。

 信長の正室であること以上に、彼女はかつての美濃国主である斉藤道三の娘なのだから。


 嫁ぐ前の彼女を知る者もいただろう。いや、それこそ、幼少の頃の彼女を知る者もいたはずだ。

 戦国の世、敵味方に分かれての事とはいえ、気分の良い事ではない。


 そりゃあ、避けられるんだったら避けるよなあ。


 滅茶苦茶睨んでいた帰蝶殿が震えながら口を開いた。


「この裏切り者っ、恥知らずがっ」


 林秀貞に向けられた言葉に、真先に下を向いたのは明智光秀だった。

 そうか、光秀も幼少の頃の帰蝶殿を知っていると言っていたな。気の毒だが、ここは我慢してもらおう。いやまあ、容易に想像は出来たんだけどね。


 そんな光秀とは対照的に表情一つ変えずに林秀貞が答える。


「奥方様、誠に申し訳ございませんが、これも戦国の世のならい。覚悟を決めてくだされ」


 その一言に大広間に集められた清須城の者たちから小さな悲鳴や息を呑む声が上がった。


 おいおい、何、勝手に話を進めているんだ、こいつはっ。


「林殿、そう悪ぶるものではありませんよ――」


 俺は柔和な笑い声に続いて、傍らに座っている林秀貞に向けてそう言うと、帰蝶殿へ向きなおる。


「――清須城を守るのは千名の兵士。対する我々は九千。いくら籠城戦とはいえ勝敗は火を見るより明らかです」


「だからと言って――」


 身を乗り出すようにして抗弁しようとする帰蝶殿を、視線と強い語調とで押しとどめる。


「籠城戦となれば互いに多くの死傷者がでますっ! もしかしたら、城へ突入した際に女性や子どもに被害が及ぶかも知れませんっ――」


 帰蝶殿がおとなしく話に耳を傾けたので、ゆっくりと、言葉を切りながら語り掛ける。


「――林殿は、主君の奥方である貴女や、嫡男である奇妙丸殿の命を救うために、苦渋の決断をされたのです。皆さんの命は保障致します。信長殿が生きて戻って来たなら、解放致しましょう」


 もちろん、信長が俺の提示する条件を呑めばの話だ。


 帰蝶殿が奇妙丸を抱きしめたまま泣き崩れた。

 彼女だけではない、続く俺の言葉に周りに居る者たちも、安堵から泣き出す者や脱力する者が続出する。


「それでは私と林殿、光秀は一旦この場を退出させて頂きます」


 俺は帰蝶殿にそう言い、驚いた様子の林秀貞と光秀を伴ってその場を後にすると、美濃勢の主だった者たちが集まる居室へと向かった。

 

 ◇

 ◆

 ◇


「そうですか、帰蝶殿は信長に返されるのですか。いや、それは良かった。私も胸のつかえが取れました」


 そう言って快活に笑うのは稲葉一鉄殿、その傍らで氏家卜全殿が胸を撫で下ろしていた。彼だけではなく、部屋に集まっている美濃勢の主だった国人領主たちもほとんどが、同じように胸を撫で下ろしている。


 氏家卜全殿が腕組みをし直して聞いてきた。


「嫡男の奇妙丸だけでも我らの手元に置いて人質とする訳にはいかなかったのでしょうか?」


「帰蝶殿は奇妙丸殿を可愛がっています。ここで人質として引き離しても帰蝶殿を悲しませ、信長と帰蝶殿双方から恨みを買うだけです――」


 次の人質候補の茶筅丸(ちゃせんまる)についても念のため釘を刺しておく。


「――茶筅丸殿についても同様でしょう。それに嫡男を返して次男を人質としても大した効果は期待できません。それよりも我々の潔(いさぎよ)い対応を周りに知らしめた方が得策と考えました」


 恐れられるというのは、それはそれでメリットはあるがデメリットも大きい。やはり情に厚い、思いやりがあると思われる方が、後々メリットがある気がする。


「承知いたしました。稲葉殿が言われたように我らは竹中殿の指示に従いましょう」


 氏家殿がそう言い終えると稲葉殿が、本題だとばかりに真剣な面持ちで聞いてきた。


「それで、信長は戻ってくるでしょうか?」


「戻ってきます。それも今川家に勝利しての帰還です。場合によっては義元の首を持って帰ることでしょう」


 まだそれほど大きく歴史は変わっていないはずだ。念のため百地丹波の配下を偵察に出している。彼らからも逐次報告が入る手はずとなっている。


「それでは、手はず通り、戻って来たところを……」


「ええ、騙し討ちで討ち取れれば最高です」


 騙し討ちが成功する確率は極めて低いと思っている。敵は歴史の寵児、信長だ。いくら戦に大勝利しての帰還とはいえ、偵察や先触れも無く能天気に近づいてくるとは思えない。

 さらに岩倉城の村井貞勝や敗走させた織田信清辺りから何らかの知らせが行っていると考えるのが妥当だろう。


「果たして上手くいきますか?」


 稲葉一鉄殿の考え込むような問い掛けに、あっさりと両手を上げて答える。


「難しいでしょうね。ですから、第二第三の手立てを用意しましょう」


 俺の言葉に部屋に集まっていた国人領主や配下の者たちの、息を呑む声が聞こえた。そんな彼らに向けて、『私が既に今川氏真殿と手を結ぶ約束をしている事はお伝えしたと思いますが』そこで一拍おいて本題を話し始める。


「今川義元殿の首級を信長が持っていれば、その首級と引き換えに清須城に捕らえてある者たち――帰蝶殿や奇妙丸殿を返そうと思います」


「今最も大切なことは、美濃と今川家との信頼の強化です。表向きは今川家と竹中家で同盟を結び、当家としては武田家をけん制しつつ、南尾張に追い込んだ織田信長を叩きます」


「幾つかお聞きしたいが……伊勢と近江はどうしますか?」


「伊勢には我々が織田信長を駆逐するまで混乱してもらいましょう。伊勢国内の混乱は百地丹波の手の者が請け負います」


 俺が百地丹波に視線を向けると国人衆の視線も彼に注がれる。そのタイミングで『簡単でいいので皆さんに説明しなさい』と百地丹波にうながす。

 百地丹波は一度平伏すると頭を上げて美濃勢に向けて口を開いた。


「具体的には小勢力の国人衆や伊勢、大和等の地元に根差した乱破(らっぱ)や素破(すっぱ)を調略、或いは武器を提供して内乱を支援致します」


 百地がそこまで説明したところで、俺が後を引き継ぐ。


「海からも仕掛けます。現在、尾張の海を荒らしている海賊は伊東家と一条家の息のかかった者たちです。彼らに協力を仰ぎ、伊勢の海を荒らしてもらいましょう」


 国人衆の一人が驚いて聞いてくる。


「どのように海賊に協力を?」


「伊東家とも一条家とも連絡を取り合っています。それなりの対価は用意しなければならないでしょうが、問題はありません」


 織田と決着がつく前に、伊東さんと一条さんに協力してもらって海を抑えることで伊勢の力を削ぐ。それが出来れば伊勢など尾張と美濃の二国を領有する我々の敵ではない。


 集まった国人衆はもちろん、俺の家中の者たちからも驚愕の表情と共に感嘆の声が上がるのが見て取れた。

 皆がざわめく中、稲葉殿と氏家殿が小さく頭(かぶり)を振って言う。


「何と言うか、竹中殿はそこまで読まれて今日まで準備を進めていたのですか。感服致しました」


「まったく、我々には想像もつかない。まさに深慮遠謀とはこの事ですな」


 彼らに続いて、次々と湧き起る俺への賛辞を遮り、


「いえ、偶々(たまたま)事が上手く運んだだけです。それに皆さんのご協力がなければ、私の首は今頃稲葉山城の中庭に転がっていましたよ」


 そこで俺が扇子を懐に収めると、それを合図に明智光秀と島清興が口を開く。


「何を言われます。かつて幼き殿のあまりの利発さに斉藤道三様も畏怖されたと伺っておりましたが、殿の下に仕えて合点が行きました」


「お仕えして間もない若輩の私ですが、殿の打たれた手が外れるのを見た事がございません」


 その二人に触発されたように他の国人衆まで俺へ賛辞を向ける。


「私は竹中殿に従いますぞ」


「当家も竹中殿に従います。是非ともご指示をください」


 そんなこそばゆい賛辞やらよいしょ、が幾つも続いたところで、稲葉殿が豪快に笑いながら止めを刺す。


「差し詰め、安藤守就殿の先見の明は竹中殿以上という事ですな。いや、素晴らしい婿殿を迎えた安藤殿が羨ましい」


 すっかり戦勝気分で『側室は如何されますか?』『世継ぎがまだと伺っております。是非とも私の娘を』などと、賛辞から娘や孫娘の売り込みに変わっていた。


 まだ、近江の対応を話していないんだが、聞かなくていいのかな、この人たち。

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