第42話 清須会談
こちらの希望通り、清須城から五百メートルほど離れた場所での会談となった。弓矢や鉄砲で狙撃されないよう、周囲を二重三重に陣幕で覆って外部からの視線を遮断してある。
その臨時で設けた会談場所のほぼ中央に二つの床几が用意され、俺と林秀貞が向かい合うように腰かけていた。
林秀貞が落ち着いた様子で笑みを浮かべ、周囲に張られた陣幕を見回す。
「随分と警戒されたものですな」
彼の背後には二人の武将が控えている。護衛という事で随行させているはずなのだが、後ろに控えている武将はどう見ても護衛には不向きな線の細い武将だった。
早い話が文官タイプの武将だ。
目の前にいる狸親父に向かって『まどろっこしい事は無しだ。自分を高く売り付けたいのだろう? 高く買う、条件を言え』、そう切り出したいのを我慢して軽くジャブを放つ。
「こんな
主を侮辱されたと思ったのか背後に控えた武将がもの凄い形相で俺のことを睨んでいる。見えないけど、俺の後ろに控えた島清興や百地丹波も睨みつけて威嚇とかしているんだろうな。
その事に俺が苦笑していると、林秀貞が『ほう』と声を上げて探るような視線をむけた。
「先程、チラリと稲葉殿の旗印が見えましたな」
この軍勢の総大将を稲葉一鉄と思っているのか。差し詰め俺は斉藤龍興の代役として派遣された程度にしか思われていないようだ。
まあ、無理もないよなあ。さて、どのタイミングで切り出すかな。
蜂須賀正勝との会見が俺の脳裏を過る。
「この度の尾張切り取りは私の発案で、総大将どころか全て私の下知にて行われたものです」
「国主である斉藤義龍殿はご病気とうかがっておりますが、さすがにそれは主家をないがしろにした発言ですな」
非難めいた口調の林秀貞に混乱の材料を提供する。
「暫定ではありますが、この、竹中重治が美濃の国主です」
林秀貞が小さく息を呑む音が聞こえた。目を大きく見開き微動だにせず、正面に座った俺の事を凝視している。
背後に控えた二人の武将は只驚いている。
そりゃあ、驚くよな。何しろ暫定の国主なんてまだ決まっていないんだから。
「いや、それは……」
そこで口ごもり、『ちょっと、信じられないんだけど?』といった様子の林秀貞に向けて言い切る。
「この竹中重治、誰の代理でもありません。美濃一国と尾張半国をあずかる竹中家当主としてこの席に着いています。そして、林秀貞殿を当家の直臣として勧誘に来ているのです」
俺の言葉と勢いに、林秀貞が息を呑む。みるみる表情が変わる。
彼の背後に控えた二人の武将は驚きと緊張を浮かべているが、林秀貞は逆に落ち着き考えを巡らせているのが見て取れた。
そして双方に流れる沈黙を林秀貞が破る。
「これは困りました。何とも私の予想外の事ばかり口になさる。これでは、お聞きしたい事が多すぎますな――」
そう言うと朗らかに笑い、『一つ、はっきりさせたい事がございます』そう前置きすると、真剣な顔つきで口を開く。
「――なぜ私を調略しようとなさったのですか?」
蜂須賀正勝の様に怒り出さなかったのは幸いだ。さて、これからが交渉の本番だ。
「織田家は滅びます。林殿を織田家と共に失うのは惜しいと思っただけのこと――」
既に何度も同様の事が書かれた書状を出していた。そして竹中家への臣従を了承する旨の返信も受け取っている。
そして、書状には書かなかった事を伝える。
「――近い将来、私は織田家を滅ぼし、美濃と尾張を領有する。林殿には私の傍らで政務を取り仕切って頂きたい」
高値を付けたつもりだったが、食い付く素振りもなく笑みを浮かべている。
「織田家が滅びるとは穏やかではありませんな」
「現在、織田家は今川義元の侵攻を受けていますね。それに先駆けて南は正体不明の海賊、西は北畠との小競り合いが激化していつ
尾張の内情が筒抜けである事実に林秀貞と護衛の二人の武将の表情が曇る。
「――そして北には我々、美濃がある」
「その斉藤家も反意を持った国人衆が多くて大変なようですな」
林秀貞が口元に笑みを浮かべて言い返した。
まだ嫌味を言うだけの余裕があるようだ。
「そうですね、斉藤家は大変でしょう。何しろ当主である義龍が病死したのも、ついこの間の事。そして昨夜は、新当主となったばかりの龍興が討たれましたから、ね」
「なっ?」
小さな叫び声を上げると考えるように押し黙った。
こちらの真意を計り兼ねているのだろう。普通ならこちらの不利となる義龍の死去は、もちろん秘匿されるべき事だ。
そこに加えて新当主である龍興が討たれた、との情報を俺が平然と伝えたのだ、それは混乱もするだろう。
「織田家が滅亡する前に斉藤家が滅亡してしまいそうですが?」
冷や汗を浮かべながら言い返してきやがったよ、こいつ。
「そうですね、逆賊たる斉藤家には、早々に滅亡してもらおうと思っております――」
逆賊である斉藤家を討った竹中家が今後の美濃の舵取りをする。うん、シナリオとしていはいいんじゃないだろうか。
「――実は昨夜、稲葉山城を落城させた際に、私の配下の者が龍興の首級を上げましてね。こうして、早々に美濃勢をまとめあげて尾張にお邪魔している次第です」
これは大嘘だ。
まとめるどころか、西美濃以外は混乱の中にある。いや、正確には斉藤龍興討ち死にと、竹中家による稲葉山城奪取が広まることで、これから混乱する。
「信じられん……稲葉山城が落ちたなどと初めて聞いた……」
次々と明かされる新情報とデマに相当混乱したのだろう、絞り出すようにそうつぶやく林秀貞に向けて、彼とは対照的な弾んだ口調で話す。
「稲葉山城を私が落としたのは昨夜の事ですから、知らなくて当然です。それと、これは極秘事項です、他言無用でお願いしますよ」
俺は言葉を失っている状態の林秀貞に向けて、『こういう状況ですので、美濃をご心配されるには及びません』と念を押して問いかける。
「如何でしょうか? 是非とも私の下で手腕を振るってみませんか? 先程も言いましたが、美濃を、行く行くは美濃と尾張を領有した際に政務の片腕となる人材を欲しています」
本音を言えば片腕ではなく、丸投げ出来る人材が欲しい。尚も考え込むように押し黙る林秀貞に向けて揺さ振りをかける。
「たとえば、林秀貞殿――」
俺はそこでわざと一拍おいて、林秀貞の顔を見つめた。そしてこの場で彼が一番聞きたくないであろう人物の名を告げる。
「――たとえば、村井貞勝殿」
「村井貞勝ですか?」
心中が顔に出る、という程では無いが、表情が固くなった。
「ええ、ここへの道すがら、岩倉城へ書状を送らせて頂いております――」
明らかに動揺のうかがえる林秀貞に向けて、
「――そうそう、ちょうど下書きを持っております。これを村井貞勝殿へ、そしてこちらを城下にばらまいてまいりました」
控えの書状を差し出しながら、『いやー、尾張の皆さんは温厚な方が多くて助かりました。お陰でここまで、襲撃一つ受けずにたどり着けました』と付け加えた。
林秀貞の表情が変わる。書状を持つ手が震えている。
まあ、信秀の代からのライバルである村井貞勝が、自分の対立候補として俺のリストに上がっているとあっては心中穏やかじゃないよな。
暫し、目を閉じて居たかと思うと、今しがたの焦りと動揺はどこへ消えたのか、
「何と言うか、信じられないようなお話が次々と出てきますな。竹中殿は人を驚かすのがお上手なようだ――」
楽し気な笑い声に続いて穏やかな口調で続けた。
「――はてさて、今のお話し、どこまで信じて良いやら」
意外と頑張るじゃないか。
さて、俺も負けていられない。ここは悠然と構えるとするか。
「どこまで? 何を言っているのですか。全てですよ、全て信じていいんですよ」
俺の言葉になおも懐疑的な表情をする林秀貞に、『それではもっと驚く事をお話ししましょう』と、これから起きるであろう桶狭間とその後について、声を潜めるように語って聞かせる。
「信長は桶狭間で今川義元を撃退するでしょう。もしかしたら、義元の首級を上げるかもしれません。いえ、上げる可能性が高い」
驚いた表情の彼らに向けて『私としては信長に是非とも義元の首級を上げて欲しいんですけどね』と零す。
「それでは我が織田家の大勝利となりますな」
「そこからが織田家衰退の始まりですよ――」
というか、衰退してもらうシナリオだ。
「――後を継いだ今川氏真は北条の支援を受けて弔い合戦を早々に仕掛けます」
北条さんは支援の方向で動いてくれるだろう。問題は北条氏康がそれを了承するかだ。仮に支援が了承されなくても、支援しているかどうかは外からは分からない。そこはどうとでもハッタリが効く。
「竹中家は今川家と同盟します。これは既に氏真殿と内諾を済ませております――」
目を白黒させている彼ら三人に向けて、
「――まあ、ここで林殿が竹中家に臣従しなかったとしても、我々としては、このまま清須城を攻め落とすだけです」
城下に展開している美濃兵九千が彼らの脳裏を過ったことだろう。
何かを言い掛けた林秀貞を軽く左手を上げて制して、彼に聞く。
「清須城を失った林殿を信長がどう扱うかは私よりも織田家の人間である林殿の方がよくご存じなのでは?」
「約定通り、竹中殿の家臣となりましょう。清須城は無血開城致します」
林秀貞が深々と頭を下げた。
何だよ、こんな事なら信長の怖さ前面に出して交渉すれば良かった。
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