第41話 清須城、目前

 俺たちは織田信清を犬山城方面へ敗走させて、真っすぐに清須城を目指していた。

 岩倉城に立て籠もる村井貞勝からは、俺の送った書状に対する返信もなければ、ここまでに嫌がらせの出兵も無い。

 

 明智光秀が俺の隣で馬を並走させながら口元を綻ばせる。


「計略通り、村井貞勝を岩倉城に留めておくことが出来たようですね」


「兵力差から出兵できずにいた可能性も高いが、城内の兵士や民衆を揺さぶるのに、書状もそれなりに役に立ったと信じたいな」


 まもなく清須城だ。今更、岩倉城から出てきてももう遅い。それに書状の本当の狙い、効果を期待するのはまだ先の話だ。


 そのとき、前方から伝令が急いだ様子で駆け寄り、


「清須城ですっ! 清須城が見えましたっ!」


 そう叫びながら後方へと駆け抜けていった。


 清須城に籠城する兵士は一千余、これに非戦闘員である女や子ども、下働きの下男下女がいる。

 こちらの兵力に比べれば少数ではあるが、ここで一戦交えるか否かで、今回の桶狭間の戦いへの便乗作戦が大きく変わってくる。


 一戦交えたなら、最悪は清須城を落とすだけ落として放棄しなければならない。最善でも清須城を守り切って織田信長を南尾張へ追いやってお終いだ。

 だが、無血開城できるなら……あわよくば、信長が帰ってきたところを騙し討ちできる。


 信長を騙し討ち出来れば、それに越したことはない。だが、何となく騙し討ちは出来ない気がする。

 何よりも上手く行くことを前提として作戦を立てるのは危険だ。

 

 信長はまだ丸根砦にも到着していないだろう。

 桶狭間の第一報が届く前に清須城を手中にして信長を待つ。俺の方はそれでいいとして、後は今川さんの頑張り次第だな。


 いや、今川さんは岡崎城で松平元康を待ち伏せしているだろうから、今川義元の頑張り次第ってことだよなあ。

 理想は義元と信長の刺し違えだけど無理だろうな。となると、信長の兵力を半分くらいまで削ってくれることを願おう。今川義元さん、お願いします。


 そんな事を考えていると行軍速度が一気に落ちる。どうやら、先頭の部隊が目的地に到着したようだ。


 ◇

 ◆

 ◇


 清須城を視界に収めたところで、軍勢を一旦停止させて百地丹波からの報告と一戦交える事になった場合の準備を進める。

 もちろん、俺も戦の準備に余念がない。


 具足の確認を終え、鉄砲を雨から守るため油紙に包んでいると、前方から稲葉一鉄殿と氏家卜全殿を先頭に数名の国人領主が騎馬で駆け寄るのが見えた。

 途中まで油紙に包んだ鉄砲を近くの兵士に任せて彼らを迎えると、稲葉一鉄殿が下馬するなり、切り出した。


「清須城へ向かわせた使者はまだ戻りませんか?」


 稲葉一鉄殿の背中を押すんじゃないだろうかと錯覚する勢いで、下馬した国人領主たちが彼の後ろに集まる。

 表情を見れば分かる。開戦の号令を要求しに来たな。


 こちらは九千の軍勢。翻って、清須城には一千の兵士しかいないんだ、そりゃあ、今すぐ攻め掛かりたいよな。ましてや、彼らは長年に渡って尾張と戦を繰り広げてきたんだ。

 だが、ここでいたずらに兵士を減らす訳にはいかない。


「使者はまだ戻っておりません。まもなく戻る頃ですので今少しお待ち頂けますか――」


 俺はそこで一旦言葉を切り、稲葉一鉄殿とその背後に並ぶ、不満げな様子の国人領主を見回して、さらに続ける。


「――このまま使者が戻らなければ清須城攻めとなります。使者が戻っても清須城と一戦交える可能性があるので、念のため戦闘準備を怠らないようにお願いします」


 ここへ向かう前に国人領主たちを抑えていたのだろう、稲葉一鉄殿が祈るような視線で俺に語り掛ける。


「清須城が無血開城となった場合、次は信長ですな。これはさすがに戦となるでしょう」


 稲葉一鉄さん、本当に板挟みの立場だなあ。『戦に出てきたのに一戦もない』ということで、稲葉山城攻略で手柄を上げられなかった国人領主たちから突き上げを喰らっているんだろうな。

 仕方がない、ここはサービスしておくか。


「信長は桶狭間で今川と一戦した後で清須城に戻ってくるでしょう。兵数は多くても五千。これを清須城で待ち伏せて討ちます――」


 力強く言い切ると、国人領主だけでなく稲葉一鉄殿や氏家卜全殿まで目を輝かせる。


「――清須城を奪取した後で北尾張を手中に収めるための戦が続きます。むしろ当面はそちらの方が大切です。信長を討てるに越した事はありませんが無理をしないようにお願いします」


「もちろんです。竹中殿っ!」


「ここまでの竹中殿の軍略、見事としか言いようがありません。これからも期待しております」


「そうですな、後日の北尾張平定に兵力を温存すべきですな」


 稲葉一鉄殿の背後から聞き分けのいい返事が次々と聞こえてくるが、誰も本気で言っていないのは目を見れば分かる。どいつもこいつも戦をする気満々だ。

 これは対信長戦である程度の損害は覚悟した方が良さそうだ。


 俺が国人領主たちに笑顔を向けていると、善左衛門が駆け寄ってきた。


「殿、百地丹波が戻ってまいりました」


「待っていたっ、通せっ」


 百地丹波が戻ったとの知らせに国人領主たちが一斉に息をのむ。


「百地丹波、ただ今、清須城より戻りました」


 俺の言葉が終るのを見計らった様に善左衛門の背後から現れるとその場に平伏する。


「どうだった? 林秀貞は約定通りに竹中家へ臣従すると言ったか?」


「はい、無血開城するとのことです」


「ただし、無血開城する前に殿と話し合いをしたいとのこと」


 何だ、それ? 土壇場になって気が変わったのか? 或いは自分を高く売り込むつもりか?

 考え込むと、周囲の視線が俺へと注がれた。


 ここで怖気づいてはしめしがつかない。ここは上に立つ者としての度量、器を見せるところだ。

 即答しよう。


「分かった。清須城の城外、五百メートルのところに会談の場所を設ける。そこで双方二名ずつの護衛を伴って話し合いをしよう――」


 会談はあくまで一対一。随行する二名は護衛という位置づけにすることで、竹中家の家中だけで人選が出来るようにする。

 そして、国人領主たちが口を出す前に釘を刺す。


「――護衛を家中の者から豪の者を二人選び、会談は私が赴きます。皆さんには万が一戦となったときのために備えておいてください」


 今度は俺が祈るような気持ちで稲葉一鉄殿を見つめる。

 この軍勢の中から会談に臨む要員を選ぶとなれば、俺以外は稲葉一鉄殿と氏家卜全殿が同席するのが妥当だ。それをあえて竹中家の家中の者だけで行く。


「分かった。会談は竹中殿にお任せしよう――」


 稲葉一鉄殿はそう言うと背後を振り返り、


「――我々は万が一の場合に備える。竹中殿の救出と清須城攻めだっ!」


 国人領主に向けて言い放つ。

 俺はその様子を見届けると再び百地丹波へと向きなおる。


「今話をした会談の件、書状にするので清須城へむけてすぐに使者を出せ――」


 平伏して『畏まりました』と、使者に赴く気満々の百地丹波へ向けてさらに続ける。


「――今回の使者はお前ではなく配下の者に任せろ。百地丹波、お前は私の護衛として島清興と共に会談に同行しろ」


 俺の言葉に百地丹波が驚いて顔を上げた。目は大きく見開かれ、たった今自分が聞いた言葉が信じられないといった様子だ。

 それは竹中家配下の武将たちもほとんどが同じような反応を示した。


 それはそうだろう。

 竹中家が会談の矢面に立つとしても竹中の家中から選ぶとなれば、善左衛門と一門衆の誰かだ。それを新参者の島清興と忍びである百地丹波を選んだ。


 竹中家の内情、百地丹波の事を知らない他の国人領主たちはポカンとした顔で成り行きを見ている。


「百地丹波、返事はどうした?」


「はいっ、承知致しました。護衛として潜ませて頂きます」


「違うっ! 私は護衛として同席するように言ったのだ」


「しかし、私は――」


「俺の命令に異を唱えるのか?」


「いえ、決して、そのようなことは――」


「では、すぐに配下の者を使者として向かわせ、お前は俺の護衛として同席するのに相応しい恰好をしておけ」


 言葉に詰まったのか、無言で平伏する百地丹波から皆の注意をそらすように、国人領主たちに話しかける。


「聞いての通り、清須城の守将である林秀貞殿と会談する事になりました。会談の結果次第では清須城攻めとなります。気を引き締めて準備をお願い致します」


 その一言で、一斉に自分たちの持ち場へと戻っていく国人領主たちを見送り、光秀に声をかける。


「光秀、会談場所の準備を頼む」


「畏まりました。 鉄砲や弓矢で狙われないように周囲を陣幕で囲い、その上で忍びを潜ませましょう」


 分かっているじゃないか。お前はあれこれと考える事の出来る男だ。信じた俺の判断は正しかった。俺は『任せる』とだけ言い、光秀を下がらせた。


 護衛は島清興と百地丹波。それに忍びの者を周囲に潜ませる。

 林秀貞の配下に豪の者が居るとの話は聞かない。事前の調査でも忍びを使っている形跡はなかった。これなら余程油断しない限り俺が討たれる可能性は低い。そしてこちらは林秀貞をその場で討ち取れる。


 取り敢えず、打てる最善の策を用意して会談に臨む。

 後、何か忘れていることはないだろうな。

 

 こうして俺は、会談までのわずかな時間、打てる手立てを頭の中に列挙していった。

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