第40話 信清、追撃戦
勝幡城の偵察に放っていた密偵が興奮した様子で駆け寄ってきた。
「報告致しますっ。勝幡城の守将、織田信清が手勢を率いて出陣いたしました。勝幡城はもぬけのからですっ」
よしっ! まんまとこちらの策略に嵌まった。いや、策略という程の大それたものではない。
どちらかというとデマに踊らされたと表現した方が正しい。
その報告に稲葉一鉄をはじめとした諸将が色めき立つ。昨夜の稲葉山城奪取からの一連の軍事行動で興奮しているのは分かっているが、感極まって歓声を上げる者まで出た。
歓声こそ上げていなかったが、明らかに興奮した様子の氏家卜全殿が、騎乗したまま馬を寄せると前置きもなく進言する。
「竹中殿、勝幡城は落ちたも同然です。三百ほどの別動隊を差し向けて手中に致しましょう――」
氏家卜全殿の進言に周囲の武将たちの目に欲望が浮かび上がる。
「――私の配下を割いても構いません」
氏家卜全殿のその言葉に、他の国人領主からも申し出の声が次々と上がる。
拙いな。
気持ちは痛いほど分かるが、こんなところで勝幡城を押さえるために兵力を割くなんて愚の骨頂だ。
さて、この場の雰囲気を悪くしないで全兵力を清須城へ向けるにはどうするか?
そう思いを巡らせたところで明智光秀が口を開いた。
「殿、勝幡城は後回しにしても問題ございません。たとえ三百とはいえ貴重な兵力です。まして、氏家様の精強な兵を無人の城に割くのは大きな損失です。ここは兵力を分散させずに清須城へ急ぎましょう」
ナイスだ、光秀っ! さすが信長が重用しただけのことはある。まるで俺の心を読んだかのような光秀の言葉を利用させてもらおう。
俺は光秀の言葉に静かに首肯して氏家卜全殿に語り掛けた。
「氏家殿、勝幡城は後でゆっくりと取りに行きましょう。丸根砦に向かった織田信清を追撃し、清須城を落とす。これが本命です――」
清須城で戦闘が発生する可能性は低いが、桶狭間に勝利して戻ってきた信長と戦闘となる可能性はある。
そのとき、信長はどの程度の兵力を残しているのか……
「――場合によっては丸根砦と鷲津砦の兵と合流して引き返してきた信長の軍勢――合わせれば五千に届くかもしれない軍勢との戦になります。氏家殿の力、是非ともそこで活かしていただきたい」
そこへ稲葉一鉄殿が続いた。
「いや、竹中殿の計略が的中して思わず勝幡城が転がり込んできたので私も浮足立ってしまったようだ――」
美濃三人衆の筆頭である稲葉殿の快活な笑いに続くその言葉に場の雰囲気が和らぐ。
「――氏家殿、ここまで上手く事が運んでいる。竹中殿の計画通りに進めようじゃないか」
「そうですな。稲葉殿の言われる通りです。私も事がうまく運びすぎて浮かれてしまったようです。こういう時こそ慎重にならないといけませんな」
氏家殿のその言葉に続いて国人領主たちから笑い声が漏れた。
そのタイミングで俺が再び皆に語り掛ける。
「せっかく清須城の話題になったところ申し訳ありませんが、その前に織田信清を敗走させましょう。織田信清の兵は少数です。本格的な戦闘ではなく一当てして敗走させればそれで充分でしょう」
織田信清、もしかしたらこちらに寝返るかも知れない。だが、今回の本命は別のところにある。俺はさらに声を大きくする。
「――今回の尾張攻めの第一目標は清須城の奪取ですっ! いたずらに兵を損失させないようにお願い致します」
俺のその言葉を合図に稲葉一鉄を筆頭に兵士たちが一斉に出発準備に入った。
出発準備を進める者たちをよそに百地丹波を呼び寄せる。
「百地、もう分かっていると思うが林秀貞への使いを頼む。我々が到着したら『無血開城せよ』と伝えてくれ」
「承知いたしました」
言い終えるや否や俺の前から百地丹波が姿を消した。
さて、林秀貞は事前の調略でこちらへ寝返る約束は出来ている。問題は土壇場で裏切られる可能性だ。
やっぱり、織田信長が桶狭間で勝利したのを知ったら揺らぐよなー。
となると、時間との勝負。そして、のこのこ戻ってきた信長を騙し討ちっていうのが理想だな。さて、騙し討ち出来なかったときはどうするか……
「殿、出発準備が整いました」
善左衛門の声が俺の思考を中断させ、目下の目標である織田信清を敗走させることと、清須城の奪取に改めて意識を向けさせた。
「よしっ、これより全軍で織田信清を追い払う。そしてそのまま清須城へと向かうっ! ――」
一拍おいて、一際大きな声で号令すると一気に騎馬を駆けさせた。
「――続けーっ!」
◇
◆
◇
威勢よく先頭を駆けたのはほんの一瞬の事。すぐに隊列の中央付近に埋もれる。
この身体――竹中重治自身は文武両道で槍や剣術、馬術も高い水準で修めているが、俺自身は前線で槍働きをするようなメンタルは持ち合わせていない。
俺に代わって槍働きをする人材は集めたし、今回は敵に倍する兵士を揃えてもいる。危険を冒す必要はどこにもない。
それを肯定するように隣を走る善左衛門と島清興が声を掛けてきた。
「たとえ敵がいなくとも先程のように先頭を駆けるような真似はお止めください。この状況で殿が打ち取られたら美濃そのものが瓦解します」
言っていることは正しいのだが、どこか引っ掛かる。俺の心配よりも美濃の心配をしているように聞こえてならない。
まあ、悪気は無いのは分かっているのでここはスルーしよう。
そんな気配りに欠けた善左衛門に続き、島清興が殊勝なことを言う。
「戦場での槍働きはお任せください。殿は前に出る必要はございません、勝利を我々が掴んでまいります。殿はゆるりと構えて報告をお待ちください」
俺は馬蹄に掻き消されないよう、大きな声で返す。
「すまない。二人とも頼りにさせてもらう――」
その俺の言葉を遮るように大声が響き、
「前方に軍勢っ! 数は少数です。織田信清の軍勢と思われますっ」
その報せに兵士たちの雰囲気が変わった。
碌に戦場を経験していない俺でもすぐに感じることが出来るほどに緊張しているのが分かる。
「善左衛門っ! 任せるっ!」
「承知致しましたっ! 清興はここで殿をお守りしろっ!」
善左衛門はそう言い残すと光秀を伴って馬を加速させると、先頭を走る稲葉一鉄殿の下へと向かう。
すると、善左衛門が到着したかどうかというタイミングで、前方から甲高い金属音と兵士たちの叫び声が聞こえてきた。
「清興、どうやら始まったようだな」
「はい。ここからではよく分かりませんが、敵の数と聞こえてくる声や音の様子から、一方的な追撃戦になっているようです」
俺の言葉にそう答えると、島清興は配下の一人に前方の様子を見てくるように指示を出した。
九千対二百、村井貞勝が擁する二百の兵士も岩倉城に釘付けだ。敵に援軍が無い以上、迎撃戦を展開する方がどうかしている。
俺なら刃を交えることなく全軍を挙げて撤退する。
金ヶ崎での信長の撤退もそうだが、生きて再起を図った武将は逃げるときは、何をおいても逃げる事を最優先させている。
不利な状況で踏みとどまって戦った武将でいい目をみたヤツは少ない。
そんな事を考えていると前方で
おい、まさか信清を打ち取ったんじゃあないだろうな?
まあ、是が非でも配下に加えたい武将ではないが、居たらいろいろと利用価値がありそうなので、出来れば逃げて欲しかった。
「織田信清の軍勢、撤退っ! 敵を蹴散らしましたっ!」
前方から誰のものとも分からない声が響き、織田信清を蹴散らしたことを報せる声が届く。
「追うなっ! 信清の首は不要だっ」
「隊列を立て直せー」
「すぐに清須城へ向けて出発するぞっ」
それを聞いていた島清興だったが、自分の配下からの報告を受けて初めて口を開いた。
「殿、織田信清は打ち取れませんでした。味方の損害はほとんどありませんでしたが、敵も損害軽微にて撤退したとのことです」
「ご苦労だった」
島清興と報告をした配下の兵士に労いの言葉を掛けると、前方から善左衛門が馬を飛ばして駆け寄るのが見えた。
「どうした、善左衛門」
「織田信清は丸根砦へは向かっておりません。おそらく犬山城へ向かったものと思われます」
俺は善左衛門の報告に心の中でガッツポーズをした。
よしっ! 最良のパターンではないが次点といったところか。清須城を手に入れた後でゆっくりと調略をしよう。
「織田信清は放っておけっ。すぐに兵をまとめて清須城へ向かう」
俺の指揮下、稲葉一鉄殿を筆頭とした西美濃衆の軍勢は一路清須城を目指して行軍を再開した。
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