第32話 桶狭間の戦い(3)

 月明かりの下、稲葉山城から尾張へ続く街道を俺たちは馬を駆けさせていた。

 電撃戦、という訳ではないが機動力を重視した結果、騎馬と歩兵を完全に分けて騎乗した武将と兵士だけが先行している。足りない分は安藤守就殿からありったけの騎馬を借り受けた。


 奪取した稲葉山城をしゅうとである安藤守就殿とその手勢に任せて、俺たちは既に国境付近に迫っている尾張侵攻軍へ合流するためにさらに速度を上げた。

 稲葉山城奪取作戦の返す刀で桶狭間に出かけている信長の隙を突いて北尾張を奪う。


 俺の手勢は五百。自分でも竹中の石高でよくこれだけの手勢を集めたものだと感心する。やはり商売というのは大切だ。

 自前の五百に安藤守就殿から借り受けた一千と合わせて千五百の兵士。


 先行している西美濃勢は中核となる稲葉一徹率いる軍勢が二千、氏家卜全率いる軍勢が千五百、これに他の西美濃勢諸々で四千。総計九千の軍勢だ。


 この九千の軍勢で尾張の国境を抜けて美濃路を南下、清洲城を落とす。さらに桶狭間から戻った信長の生き残りを大高城、古渡城へと追いやる。

 うん、この軍勢だけじゃ無理だな。出来ても、清洲城を落として信長にダメージを与えるまでだ。それも信長が戻るまでに清洲城を落とせればの話となる。


 稲葉山城の奪取はまだ知れ渡っていない。稲葉山城から逃げおおせた武将や兵士はいないはずだから、これを知っているのは俺の作戦に乗った者たちだけだ。

 稲葉山城が落ちたことが広がる前に清洲城を落として決着させる。時間との戦いだ。


 改めておさらいすると酷い作戦だ。

 美濃半国と尾張半国を一両日で手中にし、戦の後の仕置きも含めも五日ほどで手に入れようというのだから無茶な作戦なのもうなずける。


 尾張攻略で手間取れば美濃の反対勢力が稲葉山城へ軍を差し向ける可能性が出てくる。

 安藤守就とその手勢一千が立て籠もっているのだからそう簡単に落城するとは思えないが、西美濃勢を中心とした俺に味方した勢力が揺れては困る。無用な隙は与えたくない。


 やはり時間との勝負か。

 最悪は本当に勝幡城と岩倉城までを落として後々犬山城などの北尾張を切り取る。


 俺が今回の『桶狭間の戦い便乗作戦』のおさらいをしていると、騎馬を駆けさせる音に負けないような大声で善左衛門が誰ともなく話しかける。


「いやー、こうして一つの戦場を後にして、もう一つの戦場へ向かっていると生きていると実感しますな」


「まったくです。こう身体の内側から湧き上がってくるものがあります」


 そんな善左衛門の言葉に十助が即答し、明智光秀が一瞬だけ俺へと視線を向けると再び正面を向き直り楽しそうに大声を上げた。


「稲葉山城奪取は殿の言われるように語り草になりましょう」


 語り草になるのは無謀な計画が成功したからだよ。そして、時をおかずに別の戦場、美濃と尾張との国境付近へ向けて馬を駆けさせている。どう考えても尋常な作戦じゃないものが立て続けだ。

 自分でもよく計画したと感心するよ。


 そんな俺の横を駆ける島清興が双眸を輝かせて実に楽しそうに声を上げる。


「明日には殿の名が美濃と尾張に、翌日には都に轟くでしょう。十日後には全国で殿の名が知れ渡ります」


 いや、そんなに早く知れ渡っては困る。稲葉山城を我々が手中にしたことが知れ渡るのは遅い方がいい。皆もそれは分かっているはずだ。分かっていてこの科白。

 どうやら、少人数での稲葉山城奪取が成功して皆が興奮状態にあるようだ。


 皆に水を差すわけにも行かず苦笑していると右京の声が響いた。


「前方から兵士っ! 味方です」


「稲葉殿たちと合流したらすぐに作戦会議を開くっ!」


 俺の言葉に呼応するように皆の返事が夜空に轟く。


 ◇

 ◆

 ◇ 


 俺は稲葉一鉄殿たちの先行していた西美濃勢と合流すると挨拶を早々に済ませて百地丹波の密偵からの報告を受けた。

 

「国境の備えはどうだ?」


「国境付近に軍勢はありません。清洲への道中にかすめる勝幡城におよそ二百、岩倉城に二百――」


 よしっ! 狙い通りに守備兵が激減している。その数ならたとえ籠城したとしても大丈夫だろう。

 だが、続く守将の名前に俺は言葉を一瞬失った。


「――勝幡城の守将は織田信清、岩倉城の守将は村井貞勝です」


 村井貞勝だーっ? 何でそんなところで小城を守っているんだよっ! 村井貞勝、桶狭間の戦い終了後に内部から織田信長を切り崩すに当たって、早期の引き抜きを考えていた武将だ。

 信長も信長だ、村井貞勝みたいな文官に城の守将なんて任せるなよなー。


 よし、決めた。


「筆だ、筆と紙を頼むっ! 村井貞勝に宛てて書状を書く」


 といっても俺が筆を取るわけではない。駆け寄ってきた光秀が祐筆代わりに書状を書く用意をすると、俺は書状の内容を語り始めた。


「岩倉城は攻撃しないので城の中で大人しくしているように。この戦が一段落したら厚遇で登用に赴くので、決死の突撃とか突破などという危険なことはするな。自分の命と兵士の命を大切にするように、そう書いてくれ」


 まあ、こんなものだろう。俺の『書けたか?』との問いに光秀がうやうやしく書状を差し出す。


「はい、このように」


 その書状は俺の言葉を丁寧な文言へと書き換えてあっただけでなく、俺の意を汲んだものとなっていた。

 書状には『約束通り』とか『身の安全は保障する』とか『他の武将を調略する助力のお礼』などの、まるで裏取引が行われていたばかりか積極的に協力をしたような文言が見える。


 さらに『他の武将たちも同様にこちらに寝返る予定である』、といった事が容易に読み取れる書状となっていた。

 しかも、そこに名を連ねている武将は調略などした憶えのない者たちばかりだ。やはり出来る男だ。光秀、お前は俺の右腕になれる。


「よく書けている。俺が口にしなかった考えも反映されていて実に素晴らしい。さすが光秀だっ!」


 俺はやや大仰に褒めるとその書状を岩倉城へ矢文として射るよう、数名の兵士に指示を出す。


「畏まりました」


 俺は兵士に書状を渡しながら『それと可能ならでいいから頼めるか』、そう前置きをして言葉を続ける。


「岩倉城だけでなく、領民にも不安を与えたくない。これから美濃の軍勢が通過するが既に村井貞勝殿と約定を結んでいるので、抵抗さえしなければ領民に手出しをしない旨も触れ回ってくれ」


 さて、これで清洲城までに発生する戦闘は勝幡城だけとなった。と思いたい。信じているぞ、村井貞勝。


 織田信清は犬山城にいるものと思っていたが廃城寸前の勝幡城へ入っていたのか。だが兵数は二百と少ない。犬山城に守備兵を置いてきたか。これは千載一遇のチャンスと考えよう。

 自然、俺の発する声も大きくなる。


「これより清洲城攻略戦の前哨戦として勝幡城を攻めるっ! 敵将は織田信清、守る兵は二百だっ!」


 俺の号令に周囲が沸き帰る中、小声で問う光秀に俺は大きくうなずくと近くにいた百地の手の者を呼び寄せる。


「それで城に攻め掛かる前に何か工作をしますか?」


 走り寄ると俺の足元にかしずく密偵に向けて偽の伝令内容を伝える。


「勝幡城へ偽の伝令を出す。内容はこうだ――――」


 織田信長が丸根砦への援軍に出た。そのまま今川軍と交戦となる可能性が大きく、美濃から侵攻があっても勝幡城への援軍は不可能である。

 よって、勝幡城は全兵力を以って丸根砦へ向かい織田信長と合流すること。


 そして、織田家の興亡がこの一戦にあると強調する。

 城内の非戦闘員――といっても女性や子どもを連れて来ているとは思えないが、非戦闘員は近隣の町や村に散って隠れるように伝える。


 それを偽の伝令として織田信清に伝えるよう指示を出すと、百地の手の男が深々と頭を垂れる。


「畏まりました。竹中様のため、命に代えてもやり遂げてご覧にいれます」


 大役であることは間違いないし、命の危険も確かにある。だがそこまで必死にならなくていいよ。

 俺はそんな真剣な表情をした偽伝令に向けて『いや、危険と思ったらすぐに逃げ出しなさい。命を賭けるなら別の機会に』という言葉を飲み込むと、『頼む』と一言だけ発した。


 入れ違うように密偵として放っていた百地丹波の手の者が駆け込んできた。

 

「伝令っ! 織田信長がおよそ三千の軍を率いて丸根砦と鷲津砦の援軍に向かいました」


 その密偵のもたらした知らせに周囲の者たちの視線が俺へと集中した。

 その表情を見れば分かる。たった今、勝幡城へと放った偽の伝令へ出した指示の中に『織田信長が丸根砦へ援軍に赴いた』とした。まさかそれが実際に起こるとは思っていなかったのだろう。


 俺が周囲の兵士たちの反応を観察していると善左衛門が密偵に問いただす。


「丸根砦と鷲津砦のどちらへ向かったのか?」


「申し訳ございません、その何れかに向かったとしか掴めておりません」


 どちらにも向かっていない。丸根砦と鷲津砦への援軍は家臣団へのポーズだ。信長の狙いは桶狭間の今川義元ただ一人。信長が出陣したということは義元の居場所を掴んだな。

 質問に窮する密偵に変わって善左衛門に語り掛ける。


「織田信長も丸根砦と鷲津砦のどちらに向かっていいかも分からずに出陣したのだろう」


「聞いたかーっ! 殿の言われる通り、敵は浮き足立っている。これは好機だ、手柄を立てる機会と思えっ!」


 その善左衛門の激に続いて辺りから歓声が上がった。その歓声に負けないようにと密偵が大声を張り上げる。


「清須城の留守居は林秀貞、兵数はおよそ一千っ!」


 その報告を聞いた途端、俺たちは――俺と百地丹波をはじめとする主だった者たちの間で視線が交錯した。そして『無血開城』、という言葉が俺の胸を去来する。


 いや、くな。清須城の前に国境だ。そして清須城へと至るルート上にある二つに城、勝幡城と岩倉城の攻略がある。

 自分にそう言い聞かせるが自然と口元が緩む。


 辺りを見回せば、普段口元を綻ばせるところなど滅多に見せないダンディな百地丹波までもが笑みを浮かべていた。

 百地丹波ですらそうなのだから表情豊かな善左衛門や島清興など推して知るべしだ。今にも飛び上がらんばかりの精神状態なのが手に取るように分かる。


 これは勝幡城に攻めかかる前に皆の気を引き締める必要があるな。

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