第29話 稲葉山城奪取(2)
久作のために用意された部屋は八畳ほどの部屋と六畳ほどの部屋の二間だけだった。これにお付の者たちの部屋がどこかにある。
「随分な生活費を取っている割には粗末なものだな」
部屋を見渡してそう言う俺に久作が病の床から困ったような顔つきで答える。もちろん俺の疑問というかクレームに対しての答えではない。
ちゃんと教えた通りに腹芸をしている。
「この度は直々のお見舞い、ありがとうございます」
「斉藤飛騨のやつ、許せないな。この部屋と待遇もそうだが、先程の件もそうだ。わざと兵士たちに取らせた、うちの家臣への傲慢な態度。さらには献上品に傷をつける可能性も考えない思慮の浅さ――」
久作をはじめとした家臣たちは、斉藤飛騨の一派が聞き耳を立てていると危惧しているようで顔色が悪い。
今この瞬間、平然としているのは俺と百地丹波の二人だけだった。
「――今日はいい機会だから斉藤飛騨の首を
快活に笑う俺とは対照的に周囲は引きつった笑みを浮かべていた。最も笑顔が固いのは光秀だ。光秀、心から笑えよ。いや、言わないけどな。
そんな他愛のない会話をしていると板戸の向こうからフクロウの鳴き声が聞こえたような気がした。すると、百地丹波が板戸をわずかに空けて何やら板戸を挟んで会話をしている。
そろそろ頃合か。
久作の病状を心配する振りをしている俺の傍らへ来ると百地丹波がささやく。
「殿、万事上手く事が運んでいるようです」
「具体的に頼む」
「一般の武士や兵士は食事と一緒に清酒を口にて、その大半が酔っているとのこと。守備兵にも食事で振舞われた清酒の噂を流し、今まさに清酒を守備兵が飲んでいる真最中です――――」
さらに続く報告では斉藤飛騨、長井利道、日根野弘就、日比野清美なども、供回りを含めて泥酔していた。
国主である斉藤龍興は食事を終えて居室に戻っており、供回りはわずかだそうだ。
「――合図と同時に織田信長の不意打ちだと城内に触れ回る手はずも整っています」
そう言い平伏する百地丹波の手を取り、大げさに褒めてみせる。こいつはこれから重用するからそのつもりでな、との思惑を込めてだ。
「よくやってくれたっ! これで逆賊斉藤飛騨とその一味だけでなく、土岐の名を
俺は部屋の中にいる家臣たちを見回して指示をした。
「――武装して斉藤飛騨とその一味、そして斉藤龍興を討つっ! 泥酔している者であっても容赦するな、非戦闘要員以外は全て討ち取れっ!」
真先に動いたのは百地丹波。すぐに板戸へと駆け寄ると外に控えていた手の者に指示を出している。
史実のように綺麗に奪取し、斉藤龍興を逃す訳には行かない。西美濃から稲葉山城までを一気に勢力化に置く。そして斉藤龍興を討ち、国人衆たちの拠りどころを無くして美濃を掌握する。
美濃国内の統一に必要な戦は多くても二回だ。それで済ませる。それ以上かけていては織田信長が息を吹き返しかねない。
全員が武装したのを確認して号令を下す。
「百地丹波の手の者が先導するっ! その者たちに付いて非戦闘要員以外は片っ端から討ち取れっ! 百地丹波は並行して織田信長の不意打ちだと触れ回れっ! 行けーっ!」
俺の号令一下、十六人の武将と百地丹波の手の者たち十人ほどが一気に駆け出した。
もちろん、俺もじっとしてなどいない。
二ヶ月前に行った悪党たちと破戒僧たちの住んでいた寺の襲撃がフラッシュバックする。
泥酔させて油断したところを、完全武装の一団で一気に叩く。こう言うと酷似しているが状況はこちらの方が酷い。何しろ悪党や戦闘経験のない僧侶ではなく相手は武士と兵士だ。さらにあの時とは比べ物にならないほどに少人数。
普通ならこんな戦いは挑まないよな。いや、こんなこと計画しない。史実の竹中半兵衛っていうのは本当に凄いやつだったと感心するよ。
城内での戦闘なので武装は三間半の長槍やボウガンは使わない。改良型の胴丸は当然使うが、武器は従来の槍と速射性を重視したショートボウ、そして鉄砲だ。
「構えーっ! 撃てーっ!」
善左衛門の号令に続いて鉄砲の音が城内に響き渡る。
酔いと混乱の中、急速に城内の兵士が減っていくのが分かる。
そんな中、俺は皆の後ろからゆっくりと城内を観察しつつ進んで行く。
突然、室内奥の板戸が歪んだと思ったら板戸の割れる音に続いて武装した兵士が飛び込んできた。飛び込んで来た兵士が奇声を発しながら刀を振り上げて俺へと迫るっ!
転がりながら距離を取って立ち上がろうと目論むがそうはさせて貰えない。
板の間を転がる俺を追って次々と刀が突き出され、振り下ろされる。今も俺の胴丸に刀がヒットした。いや、突き出された刀が胴丸に弾かれた。これ、改良型の鉄製の胴丸じゃなかったら死んでいたかもしれないな。
いや、感心している場合じゃない。死にそうなのは今も変わらない。右から左から振り下ろされる刀、それに加えて剣術もへったくれもなく突きが繰り出される。
まずいっまずい、このままじゃジリ貧でそのうち殺される。殺されないまでも怪我はするな。
「冗談じゃねーっ!」
転がりながら刀を振り回すと兵士の
俺もそう簡単に死なないが敵兵士もそう簡単には死なない。
実戦って負傷者こそでても意外と死なないのかもしれないな。
別に余裕があるわけではないのだが、そんなことが頭に浮かぶ。瞬間、敵兵士が転んだ。そして俺の手に残る手応え。どうやら滅茶苦茶に振り回した刀が敵兵士のつま先を切り裂いたようだ。右のつま先から凄い量の血が出ている。
それでも戦国の兵士、負傷したつま先で尚も追撃を再開した。
おいっ! まだ切り掛かってくるのかよっ!
敵の武装が槍でなかったのが不幸中の幸いだ。怪我を覚悟で部屋から外へと転がり出れば何とかなるか? 外へ転がり出れば少なくとも室内を転がるよりも距離が取れる。
俺は突き出される刀を、一際素早く転がって避けるとそのままの勢いで外へと転がり出た。
痛ーっ。転がり出た勢いで強かに背中を打った。だがそれでも何とか距離が取れた。
俺だって戦国に来てから毎日の稽古は欠かしていない。それ以上に竹中半兵衛が武芸に励んでいたおかげでそれなりに刀も弓も使える。
恐怖は感じるが不思議と頭が冴え身体が動く。あの雑兵、返り討ちにしてやるっ!
俺へと向かってきた兵士に向き直ると突然横から突き出された槍が俺へと向かってきた兵士の脇腹を貫いた。
「殿、ご無事ですか?」
島清興だ。
「すまん、助かった」
「殿は私の傍を離れないようにお願いします」
「そうするよ、頼む」
島清興にそう答えながら周囲に目を向けると、少なくとも俺の目の届く範囲の戦闘は終息に向かっていた。
もともと、短時間でけりが付く予定の奪取作戦だ。
俺が島清興の後ろに付いて周囲を観察していると百地丹波が素早く駆け寄ってきた。
「
「ご苦労、よくやってくれた。引き続き落ち延びる武将が出ないように警戒に当たってくれ。それと隠れている連中も探し出してもらえると助かる」
「承知いたしました。では、護衛に
百地丹波のその言葉と共に若い忍び三名音もなく現れた。
おおっ! 心強い。いや、最初からこうしておくべきだった。これは反省点として次に活かそう。
「三人とも、よろしく頼む――」
俺が残った三人の護衛に掛けた声が島清興の声にかき消される。
「島清興、斉藤飛騨守を討ち取ったーっ!」
そう叫ぶ島清興の槍先には酔いで顔を真赤にした斉藤飛騨が左胸を貫かれていた。
「大罪人、斉藤龍興を討ち取ったーっ」
誰の声だろう? 遠くで今回の最大のターゲットである斉藤龍興を討ち取ったとの声が上がった。本当なら勲功第二位だな。
続く声が殊勲者の名を告げる。
「明智光秀殿が斉藤龍興を討ち取ったぞーっ!」
まあ、そうか。顔を知らないと討ち取りようもないか。光秀なら斉藤龍興の顔を知っているから討ち取ってもおかしくないな。
俺は百地丹波の手の者から次々ともたらされる報告を受けながら計画通りに事が運んでいることに安堵する。
そして斉藤龍興の首級を確認するために声の方へと歩を進める。その途中もすぐに次の戦場である北尾張へと向かうための段取りの指示を出し続けた。
さあ、次は尾張の織田信長だ。もっとも本人は桶狭間に出かけて留守だろうがな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます