第28話 稲葉山城奪取(1)

 善左衛門が視線を山の上にそびえる城へ向けて感嘆の声を上げた。


「やはり大きいですな」


「ああ、大きいだけじゃない。攻め難い城だ。さすが斉藤道三が自身の居城として築いただけのことはある」


 稲葉山城、見るからに堅牢な城だ。まともに攻めてもそう簡単には落ちないのはすぐに分かる。

 史実では竹中半兵衛が策略を以って、わずか十七人で奪い取った。まあ、実際には城下の抑えなどにしゅうとである安藤守就の軍勢、およそ二千人を動員しての稲葉山城奪取だ。


 護衛兼荷運びとして同行している右京と十助が顔を強ばらせて稲葉山城を見上げる。


「さすがに緊張しますね」


「あれをこれから落とすのか」


 右京と十助のやり取りを伯父の杉山内蔵助が意地の悪そうな笑みを浮かべ、からかうように声を掛けると善左衛門が示し合わせたように追い討ちを掛ける。


「何だ、二人とも震えているのか? そんなことでは怪しまれるだけだ。いまさら二人くらい抜けても大丈夫だ引き返すか?」


「杉山殿、この二人では怪しまれる以前に稲葉山城の大きさを見て震え上がったと門番に小ばかにされるのが落ちでしょう。かえって一緒のほうが敵の目をあざむけます」


 さすがにこれには右京も十助もプライドを傷つけられたのか『武者震い』だと必死に抗弁している。そして抗弁する二人と適当にあしらう内蔵助と善左衛門とのやり取りが、俺たち一行にとってよい具合に緊張感をほぐしてくれた。


 そんな彼らに向けて俺は苦笑交じりに声を掛ける。


「心配しなくても成功するよ。準備は全て終わって、後は結果を出すだけだからね――」


 史実よりも三年何ヶ月か早い稲葉山城乗っ取り。この早さが吉と出るか凶とでるかは分からないが、準備は万全だ。少なくとも俺が打てる手は全て打った。

 条件は史実よりも揃っている。


 既に稲葉山城には百地丹波の手の者が十数人入り込んでいて、俺たちの到着を待っている。こちらも史実の竹中十六騎とは微妙に面子は違うが少数精鋭で腕の立つものを中心に揃えた。

 城下の押さえは史実通りにしゅうとである安藤守就の手勢、およそ二千。


 それだけではない。

 何しろ史実と一番大きく違うのは美濃三人衆の残り二人――稲葉一徹と氏家卜全が既に同調している。さらに西美濃勢も俺たちが稲葉山城奪取後の尾張侵攻の準備を整えて待機中だ。


「――どんなに大きな城も内側からの計略には弱いものだ。今回、私がそれを証明してみせる。数日後には私たちは語り草になっているよ。もちろん、よい意味での語り草だ」


 そんな大言壮語とも受け取れる科白せりふと共に同行している面子を見渡す。

 善左衛門、内蔵助、右京、十助といった史実の竹中十六騎の面子に交じって、島清興、百地丹波、明智光秀、斉藤利三といった新たに加わった者たちも含めて、ほとんどの者が驚きと畏敬のこもった目で俺のことを見ていた。


 そんな中、伯父の内蔵助と善左衛門が軽い口調の会話を交わしながら足の遅くなった一行をうながす。


「いやはや、竹中の家はとんでもない男を当主としたものだな。何とも頼もしい限りじゃないか」


「まったくですな。では稲葉山城を頂戴しに行きましょうか」


「そうと決まれば急ごうか、善は急げと言うからな」


「城内に入り込んでいる者たちも首を長くして待っていることでしょうな」


 二人の高笑いが収まるのを待って皆に稲葉山城の奪取など手始めでしかないとの意識を改めて植えつける。


「稲葉山城を頂いたら返す刀で尾張の半分を切り取りに行きます。今日からしばらくは忙しくなりますよ」


 しばらく、か。しばらく何てそんな時間は掛けられない。十日以内に決着させて次に備えないとならないからな。俺は自身の言葉に内心で苦笑する。


 織田信安が行っている尾張国人衆の調略、蜂須賀正勝に何やら手柄を立てるべく動いている怪しげな活動、そして引き続き百地丹波の手の者に行わせている織田信長配下の武将への調略。

 色よい返事が来ている者もいるが土壇場で手のひらを返されないとも限らない。慎重にならないとな。


 そして今川さんだ。ここで今川さんを失うのはあまりに痛手が大きいだけでなく、心情的にも『茶室』のメンバーが欠けるのは嫌なものがある。

 出来れば援軍を向けたいが無謀がすぎるか……


 思考の淵に陥っていると背後から島清興の声が聞こえた。


「殿、そろそろ稲葉山城の城門が見えてまいりました」


「全員、準備はいいな? 俺の合図があるまでは低姿勢でのぞむように。いいな?」


 現実に引き戻されてすぐに全員に訓示をするように声を掛けた。敵はこちらを侮っている。特に斉藤飛騨には前触れで、多額の薬代と慰労のための酒と食料を持っていくと伝えてある。

 俺たちの到着を、首を長くして待っているのは何も俺が潜り込ませた手の者だけじゃない。斉藤飛騨もその一人だ。


 さてと、史実通りの嫌なやつであることは前に稲葉山城を訪れたときに分かっている。

 申し訳ないが、貧乏くじを引いてもらおうか。


 ◇

 ◆

 ◇


 城門を潜ると、門番の他に数人の兵士を引き連れて斉藤飛騨が待っていた。その斉藤飛騨が偉そうな顔つきで口を開いた。


「その大荷物は何だ? ここは国主である龍興様の居城だ不審な物を持ち込ませるわけには行かない。検分するぞっ」


 高圧的な口調でそう言い放つと後ろに引き連れてきていた兵士がこちらの荷物に駆け寄ってくると、俺たち全員に緊張が走ったのが伝わって来た。

 ここで荷物を改められるのは計算外だった。


 兵士たちは俺の家臣を突き飛ばすようにして乱暴に荷物を開け始める兵士たちとうちの家臣との間で若干の口論が聞こえてきた。


「いきなり何をする、無礼であろうっ」


「何だ、お前その目つきはっ!」


「荷物を改めるのであれば我々が開けるので、それを確かめれば済むだろう」


「どけっ!」


「邪魔をするなっ!」


 下端の兵士が武士であるこちらの家臣に対して取る態度じゃない。それを斉藤飛騨はニヤニヤとした顔で見ていた。明らかにこちらを挑発している。


「待て、お前たち。検分を邪魔するな。ただし――」


 俺は斉藤飛騨ではなく、一介の兵士たちを睨み付けて語気を強める。


「――なかには斉藤龍興様への献上品もある。万が一のときは当時者である兵士本人に責任を取ってもらおう」


 俺の言葉に兵士たちの動きが止まった。

 

「龍興様への献上品だけでなく、斉藤飛騨殿への贈り物と城内の皆様への慰労の品も用意してあります。慰労の品は酒と食べ物です。乱暴に扱われて無駄にしてしまうのも忍びない。我々が開けるので兵士の皆さんはそれを検分するというので如何でしょうか?」


 何か言おうとする斉藤飛騨へ向けて、『慰労の品には先日斉藤飛騨殿へお贈りした清酒もございます。もちろん、個別に飛騨殿の分もご用意してあります』そう付け加えると斉藤飛騨の表情が和らいだ。


 そんな斉藤飛騨へあらかじめ用意した清酒の酒瓶を差し出し、それが何日か前に斉藤飛騨へ贈った清酒であることを耳打ちした。そしてささやく。


「数はまだまだ用意してございます。もちろんご迷惑を掛けした気持ちを上乗せした薬代もです。その薬代も――」


 視線を運んできた荷物に向けるとさらに声をひそめる。


「――あちらの荷物の中の一つです」


 俺の言葉に斉藤飛騨は小さく首肯すると大きな声で兵士たちに指示を出す。


「そうだな。龍興様への献上品に何かあってはいかん。お前たちは触らずに確認だけしろ。それと、竹中重治――」


 兵士から俺へと視線を移す。


「――そろそろ夕食の時間でもあるし、検分は手早く済ませるようにしろ」


「はい、承知しております。すべてを開けるのではなく幾つかを選んで検分頂くようにします」


 俺の言葉に無言でうなずく斉藤飛騨の姿を見ていた兵士たちは、夕食までに検分を済ませるよう手早く作業に移った。


 武具の類は二重底の下に隠してある。

 製造に成功したばかりの清酒も大盤振る舞いするために大量に持ち込んだ。夕食の席で振舞えば泥酔は間違いないだろう。


 俺はおどおどしながら、形だけの検分を続ける兵士と清酒の瓶を抱きしめてニヤついている斉藤飛騨を口元に笑みが浮かばないように注意しながら眺めていた。

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