第23話 竹中久作
北方城での会議前日。斉藤義龍様死去の報せが届いてすぐに久作と島清興、百地丹波を呼び寄せた。当然のように重光叔父上と善左衛門も同席をしている。
俺の居室――六畳ほどの小さな部屋に俺を含めた六人が集まり、ヒソヒソと小声で行われる話し合い。ロウソクの灯りに照らし出される五人を改めて見やるが、
一般的には単なる密談であって悪巧みなどではない。我ながら歪んだものの見方をするなと自嘲する。
議題は一つ、稲葉山城からの人質の要請への対応。これを利用させてもらう。
用件を察しているのだろう、緊張した様子の久作へ向けて重々しい口調で語り掛ける。悪意はないが雰囲気作りは大切だ。
「久作、斉藤飛騨より再三再四要請のあった稲葉山城への人質をお前に頼みたい」
「畏まりました。すぐに用意を致します」
ゆっくりと目を閉じて涙を堪えている様子を演出しようとした矢先、久作の迷いのない答えが返ってきた。
この時代の人質だ、俺が斉藤家を裏切れば即座に殺される。そして斉藤家を裏切る用意が進んでいた。それを知っていての即答だ。
竹中久作、若干十三歳。そして竹中半兵衛重治である俺の実弟だ。
つい二月ほど前に竹中重治として意識を覚醒させた俺には、久作と共にすごした幼少の記憶などない。それでも俺の無茶苦茶な頼みとそれを迷いなく受け入れる潔い姿勢に胸を打たれた。
この場で涙を流していないのは久作だけだった。
涙もろい重光叔父上と善左衛門はハラハラと涙を流している。そればかりか仕官して間もない島清興と百地丹波まで涙を隠そうとしていない。何となくだが、仕官したときのことを思い出すと島清興と百地丹波の二人も涙もろい部類に入るような気がする。
そんな彼らを冷静に観察しているはずなのだが、俺の胸の内と目にも熱いものが込み上げてきた。どうやら俺も自分で作り出した雰囲気に酔っているようだ。
俺は雰囲気に流されるまま、半歩踏み出すと久作の手を取って語り掛ける。
「久作、『安心しろ』とは言えない。だがお前をむざむざ見殺しにしたりはしない――」
俺のその言葉に久作が
稲葉山城への人質、これは俺が石鹸の製造販売を開始して程なく斉藤飛騨の名前で要請があった。ただ、この時点では人質が出せないなら『金銭で目こぼしをする』との添え書きがあった。
まあ、早い話が金で解決してもいいよという、賄賂の要求だ。
ところが、竹中家領内の開墾作業と揚水機や水車の設置が進むと話が変わってくる。人質と人質の生活費との名目での多額の金銭の要求が同時にあった。
生活費などは大名の人質なみの額だ。
そして安藤守就殿の娘、恒殿との結婚が決るとすぐに三度目の要請。そして四度目の要請は結婚して三日後に訪れた。斉藤飛騨からの使者が人質と金銭を要求する書状をもって現れた。
お祝いの言葉一つ無く人質要請だ。大体、義龍様でも嫡男の龍興の名でもなく斉藤飛騨の名で人質を要請するのが気に食わない。
腹は決まった。史実よりも早いが斉藤飛騨には消えてもらおう。いや、斉藤飛騨を筆頭に日根野、長井、遠藤といった抵抗勢力も一掃する。ついでに稲葉山城を頂く。
「――先ず、お前の生活費として斉藤飛騨の要請した金額の倍を用意しよう。最初だけでなく継続して斉藤飛騨へ毎月支払う旨の書状も用意する」
良い金蔓となれば斉藤飛騨も無茶はしないだろう。久作の身の安全を買うと思えば安いものだ。
「兄上、それでは――」
「まあ、待て。まだ続きがある――」
俺は泣きながら抗弁しようとした久作を押し止めてさらに続ける。
そもそも、斉藤飛騨に金を払うのは最初だけだ。来月には斉藤飛騨はいなくなってもらう。稲葉山城も俺のものだ。
「――稲葉山城には既に百地丹波の手の者が十数名入り込んでいる。身分は下は下男下女から上は部隊長までと幅広い。万が一のときはその者たちの手を借りて脱出しなさい」
すかさず百地丹波が『万事、抜かりなく』と準備が完了している事を短く伝える。
久作は涙を流しながら嗚咽をしたかと思うと、もの凄い勢いで平伏し感激を隠そうともせずに大きな声を発する。
「兄上っ、ありがとうございますっ!」
だから、まだ話は終わっていない。というか、もう少し声を落としてくれ。何よりも、密談の真最中なんだがなあ。
そんな久作の横では善左衛門が俺に涙を見せないように肩を震わせて顔をそむけている。善左衛門にしても話の全容を知っているのにこんなところで釣られてさらに泣いたりするなよ。
「いや、久作。まだ続きがある。というよりもこれからが話の本番だ。泣いたり大声を出したりせずに聞いてくれ――」
今回の作戦、この二人に多少なりとも演技を要求する配役にした事を少しばかり後悔しながら先を続ける。
「――私の指定した日にちに病気になった振りをしなさい。同時に随行させる家臣を私の下へ走らせて、お前が病気である事を私が知っても不自然でない状況を作る」
ここまでは了解したかとの私からの確認に久作が大きくうなずく。大任であることを理解したのか既に泣いてはいなかった。
「報せが届き次第、私は多額の薬代と見舞金、見舞いの品を持って稲葉山城へと向かう」
この薬代も見舞金も斉藤飛騨へと渡るものだ。よもや断られる事はないだろう。
「見舞いの品の中に武器と人を隠す。既に紛れ込んでいる百地丹波の手の者と呼応して城内より火の手を上げ、城門を開く。後は内側から稲葉山城を制圧するだけだ」
既に百地の手の者を紛れ込ませている分、史実よりも成功する確率は高いはずだ。
「そ、そこまでご計画されているのですね。さすがです、兄上っ!」
この場で計画の全容を知らないのは久作だけなので、驚くのはわかるが相変わらず大げさなやつだ。
史実どおり、安藤守就殿の手勢も城下の制圧に借り出す手はずとなっている。史実での成功を少しばかり時期を早めてトレースする簡単な作戦だ。
さらに今回は忍者という大きな加点要素もあった。失敗する可能性は少ないように見える。
問題は史実での成功を考えないと、もの凄く危ない橋でしかないという事だ。
その事は考えないようにして自信満々に計画の説明をする俺のことを、久作を筆頭に全員が尊敬の目で見ていた。久作以外の四人はこれに先駆けて二度ほど打ち合わせをしているのだが、毎回同じように顔を輝かせている。
先般、この計画の話をしたときの舅殿の輝くような笑顔を思い出してしまった。
この三人に同席した舅殿も、密談だというのに高らかに笑うと、まるでもう稲葉山城を落としたかのような口調で『さすが私が見込んだ婿殿だ』などと口走っていた。
眼前にある五人の輝くばかりの笑顔。無茶な作戦であっても信じて付いてきてくれるのは上に立つ者としては嬉しいのだが、皆の笑顔を見ているとその笑顔の明るさに反比例するように俺の胃がキリキリと痛む。
竹中半兵衛って肺を患ったのではなくて、胃潰瘍で死亡したのではないだろうな。
少なくとも上手く事が運んでも、この調子で進む限り俺の死因は胃潰瘍か心労からの心不全になりそうだ。
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