第22話 斉藤義龍

 祝言から十日余、恒殿とイチャラブの日々を過ごしているのだが、そろそろ周囲の目と態度が厳しくなってきた。

 その辺りの空気を俺以上に恒殿が敏感に感じ取って、俺にそろそろ仕事を優先するようにと進言してくる始末だ。それでも頑なに部下に仕事を丸投げにしていたある日、甘い生活を打ち砕く報せが届いた。


 斉藤義龍様死去。


 俺の知っている歴史よりも早く死亡するとは思っていた。先月あったときの様子からとてもじゃないが年内は持たないと思っていた。だが、桶狭間の戦い前に死亡するとは予想外だ。

 早いよ、死ぬの早すぎるよ、義龍さんっ! などと文句を言っても何一つ好転しない。


「本日未明、国主である斉藤義龍様が死去されました。竹中様には急ぎ北方城へお越しください、との事です」


 俺は顔面蒼白でそう告げた安藤守就殿からの使者に向かって短く『承知した』と伝えると、島清興と百地丹波、善左衛門他、十名程の護衛を伴って安藤守就殿の居城である北方城へと馬を駆けさせた。


 顔面蒼白だったのは使者だけではない。

 竹中家の家中も国主の突然の死去に騒然とし、その意味の大きさが分かる者たちは誰もが顔を青ざめさせていた。


 斉藤義龍死去。この情報が織田信長に伝われば目前に迫っている桶狭間の戦で、織田信長側は対美濃への備えを薄くする事ができる。間違いなく今川へ戦力を振り向けるだろうな。そうなると信長が勝利を収める可能性も出てくる。

 まずい。それだけは回避しないと。


 俺は馬を駆けさせながら百地丹波へ確認をする。


「丹波。北畠と尾張の小競り合いの演出状況をさらに踏み込んで、北畠の兵士に偽装した一団を俺の指定した時期にけし掛けさせることは可能か?」


 北畠と織田との小競り合いは上手いこと演出できている。双方とも出兵した覚えは無いのにお互いに攻め込まれていると信じ込んでいた。


「可能です」


「よし、では北方城での話し合いの後で詳しい話をしよう――」


 短く答えた百地丹波へそう告げると、続けて島清興へ向けて新たな指示を出す。


「――清興、本日の北方城での会議に俺と善左衛門と共に出席しろ」


 清興が護衛の一人のつもりで付いてきているのは知っていた。清興の戸惑いの表情が一瞬目の端に映るが、すぐに気を取り直したようで小気味よい返事が聞こえる。


「承知致しました」


 いい機会だ。今日の会議で清興を竹中家の侍大将として西美濃勢に周知させよう。

 問題は西美濃勢の中でも気弱な連中への対処だ。義龍が死去したからとここまで進めてきた対尾張戦の準備を無駄にはしない。尾張との戦に誘導するシナリオを組み立てながら北方城へと飛び込んだ。


 ◇

 ◆

 ◇


 北方城にて急遽行われることになった西美濃勢による緊急会議。主催は安藤守就殿、稲場一鉄殿、氏家卜全殿の美濃三人衆。

 西美濃勢の主だった領主がまだ到着していないのもあるが、三人は押し黙って周りの者たちに好き勝手に発言をさせていた。


 飛び交う危惧と不安、そして恨み言の数々。集まった西美濃勢が好き勝手に発言をしている。


「これで我々西美濃勢は龍興様の側近連中の捨石にされるぞ」


「斉藤飛騨たちは近江の六角や浅井との争いを軽く見ている」


「痴れ者どもがっ!」


 龍興の側近連中は確かに問題だ。だがもっと大きな問題がある。ほぼ内諾まで運んだ浅井との不可侵条約。これを白紙撤回させてはだめだ。対尾張への構想の一角が崩れる。


「そんなことよりも近江浅井家との互いに攻めないとの約束事はどうする?」


「そうだ。義龍様がいない今、斉藤飛騨や日根野、長井、遠藤といった連中が我々の行動を非難するのは間違いない」


「ああ、連中への対処の準備をした方がよいかもしれない」


「場合によっては近江浅井との交渉はなかったことにするしかあるまい」


 何とも情けない。突然の事に浮き足立っているのはわかるが、いまさら斉藤飛騨たちに擦り寄っても使い捨てにされるのが分からないのか。

 それに近江浅井との交渉を無かった事にすれば浅井も敵に回す。


 こちらが撒いた種だ。斉藤飛騨たちからの協力は難しいかもしれない。仮に協力してくれたとしても戦費負担はもちろんの事、戦に勝っても西美濃勢に得るものは無い。

 どうやらそれすらも判断できないほどにうろたえているようだ。


 そんな実りの無い会話が続く中、次々と国人領主たちが集まってきた。集まれば不安から愚痴の吐あいとなる。

 そんなうろたえて好き勝手話をしている領主たちに向けて安藤殿が口を開いた


「本日集まってもらったのは他でもない、国主である斉藤義龍様の死去にともなう我々西美濃勢の今後の身の振り方についてだ――」


 安藤殿のストレートな言葉に場が静まり返る。その静寂の中、静かに告げられる。

 

「――意見のある者は言ってくれ」


 こうなると先ほどまでの愚痴とは違う。正式な意見となると皆が尻込みをし、それぞれが譲り合うようにして視線を交わしていた。

 それでも、一人が話し出してからは早い。先ほどまで好き勝手に話していた内容が次々と言葉にされる。


 先ほどの愚痴や短慮な意見を聞いていた俺からすると特に目新しい意見は無かった。

 皆が述べる意見を適当に聞き流しながら、清興に向けてささやく。

  

「どうだ? 何か思うところはあるか?」


「この雰囲気はよろしくありません」


「足並みが揃っていないように見えるのか?」


「それ以前の問題です。龍興様への反意にとらえかねられないと戦々恐々としているのが伝わってきます」


 まあ、早い話がビビッているのだ。

 無理も無い。先日までは龍興へ逆らったところで美濃三人衆が働きかけ、義龍様が龍興との間を取り成してくれると思っていた。


 取り成してくれる人物がいなくなったばかりか、龍興の側近連中を抑止することさえできなくなったのだ。

 最悪は謀反人、逆賊との汚名を被せられる可能性がある。いや、このままだと目障りな領主たちは謀反人として処罰されるだろう。その筆頭は金を儲けている俺だ。斉藤飛騨に嫌われているのもある。


 だが、座して謀反人の汚名を着せられ殺されるのを待つつもりは毛頭ない。


 俺は安藤守就殿へ目配せをして発言の了解を得ると、一際大きな声で列席する領主たちに向けて語りだした。


「皆さん、斉藤義龍様が死去されたからといって少しうろたえ過ぎではありませんか?」


 俺の挑発にすぐさま何人かが反応する。


「竹中殿、口が過ぎますな」


「若造が口を慎め」


「商人の真似事をしている青びょうたんが何を言うかっ!」


 その後も何名かの国人領主たちが俺をたしなめるような言葉や単なる罵倒の言葉をなげかけた。この場にいたほぼ全員が俺の挑発に色めきたったが、実際に暴言を吐いたのは五名ほどといったところか。


 俺はこの場にいる者の中で最年少という事もあって『言葉が過ぎたのはお詫びいたします』と、神妙に頭を下げた後で続ける。


「私、竹中半兵衛重治。ここまで、皆さんのお話に耳を傾けておりました。何も思い悩むようなことは一つもありません――」


 そこで言葉を切って室内を見回す。俺の言葉に疑念を持っている者は見当たらない。


「――既に矢は放たれているのです。何しろ近江浅井との約束は既に結ばれています。さらに尾張への工作も織田信安殿を通じてほぼ完成をみています――――」


 斉藤龍興へ与することはもうできない、後戻りなどしようものなら斉藤龍興と西美濃勢の両方を敵に回すだけの事だ。それらを言外に語る。

 後戻りすることのデメリットの何と大きな事か。


 翻って突き進んだ場合のメリットは計り知れない。

 近江六角家を浅井家と共同で切り取る事ができる。尾張についても織田信安はもちろんのこと、今川家と手を結んでの尾張攻略がもたらす利益について語った。


「竹中殿の語りようでは尾張や近江の攻略が良いことずくめに聞こえるが、龍興様は健在です。尾張や近江に色気を出していては背後を突かれるだけではないのか?」


 大勢の領主たちが俺の言葉に耳を傾ける中、一人の領主が異を唱えた。

 当然だ。俺は近江と尾張を敵に回すことのメリットは語ったがデメリットは語っていない。それどころか当面の問題となるはずの美濃の支配者である斉藤家への対処には触れていない。


「別に謀反を起こすつもりはありません。そのあかしとして私は弟の久作を稲葉山城へと向かわせました。人質としてです」


 かねてから美濃三人衆を遠ざけていた龍興、というよりも斉藤飛騨を筆頭とした側近たち。安藤守就殿の娘と婚姻関係を結んだだけでなく、彼らからすると必要以上に金を儲けている俺は要注意人物としてマークされていた。

 再三に渡って要求されていた人質に応じる形で実の弟の久作に言い含めて稲葉山城へと送り出した。


「近江にしろ尾張にしろ、義龍様の下で進めていた事です。龍興様に代替わりをされたからといって即座に変更できるものではありません。それは取り巻きである斉藤飛騨たちも分かっているでしょう」


 分かっていてもそれを認めるとは思えない。あれこれと難癖をつけてくるのは簡単に予想できる。


「斉藤飛騨を筆頭とした側近たちへの対処は私と安藤殿で行います。最悪の場合、私、竹中半兵衛重治が責任を取りましょう」


 嘘だけどな。責任なんて取るつもりはない。


 だが、『責任を取る』という俺の言葉にその場にいた領主たちがしぶしぶと納得をした。ここで反論しても代案を求められるだろうというのは彼らもわかっていた。

 代案が無いから納得したというのが正しい気もするが、ともかく斉藤飛騨への対処はこれで俺に一任された形となる。


 続けて尾張について触れる。


「今川が戦の準備を進めています。相手は尾張の織田信長。今川家は二万人以上の軍団を引き連れての侵攻となるでしょう」


 手の者が集めた情報を総合するとそう結論付けられる、はっきり言い切ると美濃三人衆をはじめとした国人領主たちは静かになって俺の話に耳を傾ける。


「これに呼応する形で北畠が尾張へと侵攻します。こちらは小規模の侵攻なので織田を討つというよりもけん制の意味合いでの援軍です――――」


 今川家とは連絡を取り合っていることを明言した。そこに加えて北畠の援軍。さらに今川と北畠、尾張への調略。まるで俺が織田信長包囲網を構築しているかのように聞こえた事だろう。

 近江についても浅井との不可侵だけでなく勝手に六角への調略を行っているなどと勝手に想像を膨らませてくれていた。


 要は『今更後に引く事ができない状態である事。一蓮托生である事。』これを脚色して改めて聞かせる事で今日集まった者たちは腹を括る。

 まあ、この辺りは一度腹を括ったのが緩んだ程度だったのが幸いした。

 

 さて、広げた風呂敷をたたみにいかないとな。

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