第21話 祝言(2)
恒姫との顔合わせとそれに続く一通りの挨拶を終えたところで、俺と恒姫を残して全員が部屋から退出してくれた。
気を利かせたように見せかけたつもりらしい。
隣の部屋に恒姫のお付きの侍女や両家の家臣たちが潜んでいるのは知っている。いや、それどころか
先ほど白湯を下げに来た下女――百地の手の者がこっそりと教えてくれた。くノ一、実に有能だ。
そんな聞き耳を立てている連中の居るところで恒殿と会話をする気になれなかったので、俺は恒殿を伴って庭へと出ていた。
俺も女性に対して口下手だが恒殿も無口なようで、俺の後二メートルほどの距離を取ってうつむいたまま付いてきている。
俺が恒殿を振り返ったタイミングで風が頬を撫でた。
恒殿が自分の顔を隠すようにして額に垂らされた前髪を初春の緩やかな風が揺らす。その隙間から伏し目がちにしていてもわかる、大きな目と長いまつげが見えた。
慌てて前髪に左手をやり、顔を隠す恒殿へ声を掛ける。
「恒殿、寒くはありませんか?」
「大丈夫です」
恒殿――豊かな黒髪を後ろで束ねた十四歳の少女は遠慮がちにそう答えた。
三月も終わろうとする季節、陽射しのある場所は暖かい。だが、この時代の女性なので冷え性の可能性は高い。そう思って聞いたのだが、俺がバカだった。素直に『寒いので部屋に戻りたいです』とは言わないよな。
間抜けな言動を後悔している俺に恒殿が頭を下げて消えそうな声でささやく。
「あの、竹中様、この度は申し訳ございません」
「何かありましたか?」
「父が強引にお話を進めてしまったようで、そのう、私などと……結婚することになってしまい、申し訳ございません……」
今にも泣き出しそうな様子の恒殿から消え入るような声が聞こえた。
顔合わせのときからあった違和感の正体はこれか。父親である安藤殿も『気立てがよく、気の利く利発な娘』だと誉めていたが容姿については一言も触れていなかった。
成程、恒殿の容姿はこの時代の美醜の感覚からすれば美しいとは言い難い。色白でこそあるが、目鼻立ちがクッキリしていて彫りが深い。そして身長も十四歳で百五十センチメートルを少し超える程度ある。
先ほどから俺の視界に入らないように後ろを付いてきている。加えてうつむき加減だ。
どこかオドオドとして距離を取っているのは恥ずかしいのかと思っていたが、自分の容姿を気にしてのことだったのか。
平成日本で三十五年間も生きていた俺の美醜の感覚からすれば美少女だ。十四歳という若い美少女を嫁さんにもらえると一人浮かれていたが、彼女の気持ちをもう少し気遣うべきだった。
三十五年間独身。別に独身主義でもなんでもなく単にもてずに独身だった俺からすれば美少女に話し掛けるだけでも難易度は高い。
だが、ここは俺が頑張らなければいけない所だというのは分かる。『ここで頑張らないで、どこで頑張るんだっ!』俺は自身にそう言い聞かせると、意を決して彼女に語り掛けた。
「恒殿、私を見てください」
うながされる様に恒殿が顔を上ると彼女の隣へと移動した俺を見上げる。
「私は『青びょうたん』などと言われていますが結構背が高いのです――」
そう、俺が持っていた竹中半兵衛のイメージと違って、意外と背が高く筋肉もしっかりとついている。加えて女性のような容貌で、俺の感覚からすれば細マッチョのイケメンだ。
「――貴女がとても小さく愛らしく見えます」
恒殿はポカンとした表情で不思議そうに俺を見ている。
まだだ、まだ足りない。頑張れ、俺っ。
「安藤殿は私を『三国一の婿』と言っていましたが、私こそ『三国一の嫁を手に入れた幸せな男』です」
「そんな、からかわないでください。私が三国一などであるはずがありませんっ」
「恒殿、私が貴女のことを美しい、愛らしいと本心から思っているのです。貴女が否定しないでください」
「ですが、私はこんな顔ですし、そのう、背も……」
言葉が続かずに目を固く閉じた恒殿の肩を優しく抱き寄せると、彼女の顔を俺の胸にうずめさせる。
驚いたのか恥ずかしかったのかビクンッと身体を震わせたので、さらに強く抱き寄せて身動き取れないようにした。
「言ったでしょう、あなたの頭は私の肩までも届いていません。他の誰と結婚するのでもない、私と結婚するのですから背のことは忘れなさい」
「ですが――」
彼女のささやくような声でしぼり出された言葉を遮り、俺はさらに続ける。
「その大きな目も長いまつげも私は大好きですよ。見た目も性格も、少なくと今の私に見えている部分は歓迎するものばかりです」
それでも、恒殿からは頑なな言葉が発せられる。
「他のことなら信じます。ですが――」
俺はそれを遮って彼女に言い切る。
「分かりました。今はそれ以上何も言わないでください。三ヶ月で私の事を信じさせましょう」
「は?」
「私と一緒に暮らせば、私が如何に貴女のことを可愛らしいと思っているか、大切に思っているか分かります」
「こんな――」
彼女が発しようとした否定の言葉に力はなかった。それでもその言葉を最後までは言わせないように、力強く彼女を抱きしめて耳元でささやく。
「私の目には美しく可愛らしい姿が映っています」
平成日本では女性と話をする機会がそもそも少なかった。希に会話するときもいつも引け目を感じていた。
今の恒殿はあの時の俺と同じような気持ちなのかもしれない。
わずか十四歳の少女があの時の俺と同じような気持ち。
引け目を感じる必要なんてないのだと、俺が分からせなきゃ。頑張れ、俺っ!
抱きしめていた腕の力を緩めると顔を真っ赤にして今にも泣きだしそうな顔をして俺の事を見上げていた。
この時代、『愛しています』と『大切にします』とどちらがいいのだろう? 調べておけばよかった。
「私は貴女を誰よりも大切にします。誰よりも愛します。約束します」
「はい、よろしくお願い致します」
そう言うと恒殿はボロボロと泣き出した。
えーっ! ここで泣くの?
いや、うろたえるな、俺。ここでうろたえちゃだめだ。
泣き出した恒殿を再び優しく抱き寄せると、そのまま俺の胸に顔をうずめさせる。泣き止むまでの数分間、俺は『これでいいのだろうか?』、そんなことを思い悩みながら無言で恒殿の髪を優しくなでていた。
◇
◆
◇
翌日、柔らかな初春の陽射しの中で祝言が執り行われた。いや、翌日と翌々日の二日間に渡って祝言が行われた。
『二日もかかるなんて聞いていなかったぞ』俺のそんな抗議の言葉を取り合う者は誰一人おらず、祝言は粛々と行われる。
竹中家、安藤家は当然として、稲葉家、氏家家、そして、西美濃勢がこぞって祝いの挨拶に訪れて来た。
体調不良の斉藤義龍様の名代として使いの者は来ていたが、嫡男である龍興や彼に取り入っている連中は誰一人として訪れなかった。この様子だけ見たら美濃は既に真っ二つだ。
それにしても、偵察を兼ねて何人か送り込んでくると思っていただけに拍子抜けだ。
いろいろと悪戯心を満たす用意をしたのに……残念だ。今回の肩透かしの報いは近い将来受けてもらおう。
近江のけん制は浅井との不可侵と六角への調略で何とかなるだろう。問題はやはり尾張だ。信長からすれば真っ二つに割れた美濃はおいしく見えることだろう。
いよいよ以って、桶狭間の戦いを上手いこと利用して信長を弱体化しないと美濃は詰むな。
◇
◆
◇
新婚の俺たちにと用意された部屋に入ると恒殿が夜着に着替えて待っていてくれた。
「旦那様、お待ちしておりました」
三つ指ついているっ! 胸元からわずかな膨らみが見えるっ! 細く白いうなじが見えるっ!
恥ずかしそうに頬を染めてはにかんでいる。
おおっ! 可愛いっ! 化粧を落としたすっぴん状態だけど可愛い。いや、俺の感覚からするとこっちの方がいい。
俺の周りにいた生意気で高飛車でわがままな女じゃない。
今ほど戦国時代に転生して幸せを感じたことはない。
「すっかり遅くなってしまって、申し訳ない」
祝いに来た人たちの相手だけでなく、今後の近江と尾張への対応について話し合いをしていて遅くなった俺は、どことなく後ろめたさを覚えて頭を下げた。
「いえ、大勢の方々に祝福していただき幸せです」
「これからよろしく頼む」
その夜、俺と恒殿は仲良くなった。
◇
◆
◇
ふっふっふっ、次の『茶室』が楽しみだ。皆に自慢してやろう。そうだ、もっと自慢できるようにもっともっと仲良くしておこう。
俺の横で恥ずかしそうにしている恒殿を再び抱き寄せた。
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