第20話 祝言(1)

「殿、顔がだらしないです。もう少しキリッとして下さい」


 三月もそろそろ終わりに近づいている昼下がり、俺が真剣にもの思いに耽っていると善左衛門にたしなめられた。たしなめる善左衛門の口元も綻び、心なしか声も弾んでいる。

 そう、今日は嫁さんが来るというので俺は朝からにやけっぱなしだった。


「まあ、そう言うな。ここには俺とお前しかいないんだから」


 平成日本で三十五歳まで独身だったことを考えると夢のようだ。領主らしく厳しい顔をしようと思っても出来ない。自然と口元が綻ぶ。いや、自分でもにやけているのが分かるほどだ。


 安藤守就殿の二の姫――恒姫こうひめとの結婚が決まった。というか、明日の祝言へ向けて準備の真っ最中だ。

 家中の者たちはもちろん、嫁いでくる安藤家から来ている手伝いの者たちも忙しそうにしている。もちろん俺も妄想で忙し、もとい。桶狭間へ向けての構想で忙しい。


 俺を筆頭に皆が忙しくしているにもかかわらず、時間を作って善左衛門が来ていた。


「しかし、あっという間でしたな。安藤様がお話を持っていらしてから十日余、殿が乗り気なのは存じておりましたがここまで急がれるとは」


 当たり前だ。こういうのは勢いが大切なんだ。お互いの気持ちが変わらないうちに既成事実まで持っていかないとな。それに安藤家の戦力は貴重だ。ここで手放す訳にはいかない。

 突然、『やはりなかった事に』などとなったら目も当てられない。


 この場合の『お互い』とは婿の俺としゅうとである安藤守就殿であって、当事者である恒姫の気持ちは関係ないあたりが戦国時代だよな。

 もっとも、俺も恒姫の顔を知らないどころか年齢も聞いていなかった。


 安藤殿の『似合いの年頃の娘』との言葉から二歳くらい年下かな? などと勝手に想像していた。

 歴史の資料でも姉さん女房とか年齢の離れている幼な妻とは聞いていなかったから、ビックリするような年上とか年下ということはないだろう。


 得月院さんか。竹中半兵衛が死んだ後も生き残ったけど、あんまり長生きをしなかった憶えがあるんだが……どんな人だったかなあ。

 何れにしても竹中半兵衛同様に詳しい記録が残っていない人だったな。大体平成日本では本名も分かっていなかったはずだ。


 史実では竹中半兵衛が隠棲していたから、その間もずっと一緒にいて苦労したんだろうな。

 ようやく陽の目を見て活躍しだしたと思ったら病死だ。平成日本ならともかく、戦国時代に旦那に先立たれて独り残された女性が幸せだったとは思えない。


 真偽のほどは分からないが、嫁さんよりもしゅうとの安藤守就の方を大事にしていたとかって逸話も残っているくらいだ。半兵衛に愛されていたとは思えない。

 旦那は自分よりもしゅうとの方が大事で、その上早死にしてしまう。何とも不憫ふびんな女性だ。


 用事があって訪れた善左衛門の話を半ば上の空で聞き流していた。だが、あからさまに不機嫌な表情をしている俺の顔など見えないのか、上機嫌で善左衛門が独り言を続けている。


「これでお世継ぎが出来ればお家も安泰ですな」


 何が世継ぎだ。俺、まだ十七歳だぞ。十九年後の死を思い出させるような事は言わないで欲しいものだ。それに家の方は、少なくとも桶狭間の戦を乗り切ってからじゃないと安泰などという言葉は似合わない。

 一人感激している善左衛門に俺は必要以上に冷めた口調で問い掛ける。


「善左衛門、何か用があったんじゃないのか?」


「おお、そうでした――」


 膝をピシャリと叩くと急に居住まいを正して話しを続ける。


「安藤守就様ご一行が到着なされました。恒姫様もご一緒です」


 そういう大切なことはすぐに伝えろよ。


「承知した。すぐに恒殿に挨拶に向かうとしようか」


「殿、安藤様へのご挨拶が先です」


 ちっ、気付きやがった。腰を浮かせかけた俺に『予想していましたよ』と言わんばかりの善左衛門のしたり顔が映る。


「仕方がない、安藤殿の顔を見たらすぐに恒殿のところへ向かうとするか」


 そう言う俺に『ともかく安藤殿のところへお願い致します』


 などと会話をしていると家臣の一人が駆け込んできた。


「重光様が急ぎのお話とのことです」


 善左衛門と一瞬だけ顔を見合わせると、俺はすぐに通すように促した。


 ◇


「祝言を明日に控えているところ申し訳ありません――」


 重光叔父上は部屋に入ってくるなりそう前置きをすると、俺の前に腰を降ろして本題を切り出す。

 石鹸の売却で大量に金を入手できたことと、揚水機、水車の売却が決まったことを実に楽しそうに報告してくれた。横で聞いている善左衛門もほくそ笑んでいる。


「――思っていた以上の金が転がり込んできました。これならかなりの数の兵士を雇えます」


 そして最後に堺の商人の一人を小早川さんのところへ向かわせたことを知らせてくれた。


「よくやってくれました。感謝します、重光叔父上。兵士の雇用もそうですが、これで人材の勧誘や登用も捗ります」


 俺の礼の言葉に重光叔父上はニヤリッと笑うと声をひそめる。


「それと鉄砲ですが、二百丁には届きませんでしたが百五十丁確保できました」


 上出来だ。桶狭間の戦いは豪雨の可能性があるので鉄砲はあくまで予備戦力の位置づけだが、それでも手持ちの五十丁余とあわせれば二百丁を超える。一気に四倍以上じゃないか。

 この時代に二百丁を超える鉄砲を所持している勢力など他にはないはずだ。


「それで槍と具足の方はどうなりました?」


「それぞれ一千ずつ揃いました」


 信長が用いたという三間半の長槍と貸し出し用の具足の調達も問題なしか、順調だ。


「織田と北畠との小競り合いも上手い具合に引っ掛かったし、近江への工作も順調だ。後は織田信安殿の工作の進捗だな」


 今回の百地の働きは大きい。さて、蜂須賀正勝の方はどうかな。予定では二・三日のうちに報告があるはずだ。織田信安の工作と併せてどこまで織田を取り込めるかで次の手が変わる。


 俺が織田への内応に思いを馳せていると善左衛門が現実に引き戻した。


「そろそろ安藤様へご挨拶に行きましょう」


 俺は領内で進めている開墾と椎茸栽培などの政策についてまとめておくように重光叔父上に頼んで、善左衛門とともに安藤守就殿の待つ別室へと向かった。


 ◇

 ◆

 ◇


 本日何度目になるだろうか、部屋の中に安藤守就殿の笑い声が響き渡る。同席した俺と善左衛門はもちろん、安藤殿に同行した安藤家の家臣の二人も笑顔を引きつらせていた。


「いや、『三国一の婿殿よ』と稲葉殿にも羨ましがられてなー」


「それはまた過分なお言葉を頂いたものです」


 上機嫌な安藤殿にそう返すのが精一杯だ。

 それにしても、嫁ぐ娘に涙する姿でも見られるかと期待したが、俺の目の前にいるのは娘の結婚で浮かれている父親だ。


 今回の西美濃勢の取りまとめと近江・尾張への工作で西美濃での俺の株は一気に上がっていた。

 さらに領内の施策の数々。そのほとんどはいまだ外へ漏れていないが、販売を開始している石鹸と揚水機や水車、ツルハシ、スコップは西美濃勢の知るところとなっている。当然、多額の金が流れ込んできているのも知れ渡っている。そりゃあ、株も上がるだろう。


 いつまでも上機嫌の安藤殿に付き合っていても面白くない。俺は史実の半兵衛とは違う。しゅうとよりも嫁が気になる。


「安藤殿、そろそろ恒姫殿にご挨拶をしたいのですが――」


「ほう、気になるか? 恒のことが気になるのか?」


 俺の言葉を途中でさえぎり、ニヤリと笑うと満足そうにうなずいている。


 何を言っているんだ、この親父。気になるに決まっているだろ。

 こっちは三十五年間独身どころか、結婚をあきらめていたところに若い奥さんがそちらから飛び込んできたんだ。しかもまだ顔を見ていないどころか年齢も知らない。いろいろな意味で気になるにきまっているだろっ!


 もちろんそんなことは口にできない。


「ええ、もちろん気になります。ここに来て焦らすとは安藤殿もお人が悪い」


 俺の柔らかな笑いを安藤殿が高笑いでかき消す。


「そうか、そうか。では恒のところへ行くとしようか」


 そう言うと俺たちを先導するようにして部屋を出て行った。

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