第16話 千客万来(2)
蜂須賀正勝は今回の引き抜きが斉藤家からの誘いではなく竹中家からの誘いと知っていたくプライドが傷ついたようだ。
そんな彼を
「――――という感じで国主である義龍様の健康が思わしくない。ここでもし何かあれば美濃は西と東で割れる。仮に今川家と西美濃勢が呼応したとしよう。織田が尾張を維持し続けるのは難しい。そして先ほど話した今川の侵攻だ」
一応、オブラートに包んだ上にぼかして話しているが、尾張と美濃の情勢、そしてこちらの言わんとしている事は伝わったようだ。
いや、それ以上かな。話を聞いている最中の蜂須賀正勝の反応を見ていた限りでは俺の話した事以上に勝手に深読みをしているようだ。
この時代、情報の価値が低いというよりも価値のある情報が入手できないという方が正しい。先ずまともな情報が入ってこないのだ。
そこへ、自国の内情だけでなく隣国とはいえ尾張の内情に詳しく、さらに遠方にある今川家とも共謀しようとしている俺がいる。果たして彼の目にどのように映ったのか。少なくとも途中からは押し黙って考え込むようにして俺の話を聞いていた。
すっかり落ち着きを取り戻した蜂須賀正勝が意地の悪そうな笑みを浮かべて聞いてくる。
「話は大体分かった。俺が竹中殿や西美濃勢の思惑を斉藤龍興の側近や尾張に漏らしたとしたらどうする?」
「困る」
「それだけか?」
俺の答えがよほど予想外だったのだろう、強面のおっさんが口を開けたままポカンとしてこちらを見ていた。
本当は滅茶苦茶困る。だが、内心の焦りを表に出さないように殊更ゆっくりとした口調で力強く言い切る。
「ああそうだ。困るが私のやることは変わらない。西美濃勢をまとめて美濃を制し、今川家と力を合わせて尾張半国を制する――」
俺の言葉を吟味するように、再び黙り込んでしまった蜂須賀正勝に向けて俺は話を続ける。
「――蜂須賀殿には今すぐこちらへの臣従を表明して頂かなくとも結構。美濃と尾張の情勢を見ながら決めてくれ」
「それでいいのなら、俺の方は構わない。だが、それでは竹中殿に何の利もないのではないか?」
「私には大きな利がある。蜂須賀殿を配下とする事が出来る。むしろ利がないのは蜂須賀殿ではないかな? 臣従が遅れれば遅れるほど我が家中での立場が悪くなる」
「ほう、大した自信だな」
「ああ、もう準備は整っているからな」
もちろん大嘘だ。準備を始めだしたところだ。それも次回以降も『茶室』が開催されることを前提とした準備だ。『茶室』の開催はあてにせずに計画を進めるつもりだったのだが、つい頼ってしまう。
これで『茶室』が開催されなかったら詰みそうだな。
俺の不敵な笑みともの言いに何か感じるものがあったのだろう。蜂須賀正勝はその外見通り豪快に笑うと『話に乗ろうっ!』そう言い切ってさらに言葉を続ける。
「ただし、俺が話に乗ったのは当面はここだけの秘密だ」
失敗したら知らん顔を決め込むのかよ。したたかだなあ、戦国武将。
「分かった、それで構わない。代わりと言っては何だが、一つ頼まれて欲しいことがある――」
興味深げに身を乗り出す蜂須賀正勝に向けて俺は声をひそめる。
「――尾張へうわさを広げて欲しい。詳しいうわさの内容や広げて欲しい時期は追って知らせる」
信長にはせいぜい風評被害、もとい。情報工作で苦労してもらおうか。
「では、また来るのでしばらく部屋で休んでいなさい」
そう告げると、蜂須賀正勝が平伏して口にした『
◇
◆
◇
蜂須賀正勝との会談で予定以上に時間を費やしてしまった。
百地丹波が到着した時間から考えたら四時間近く待たせたことになる。戦国時代に転生してから一ヶ月近く、これまでこんな長時間待たせた事もなければ待たされた事もなかった。
俺は内心で『怒っていませんように』と願いながら百地丹波の待つ部屋の戸を開けた。
「百地殿、大変お待たせ致しました」
そう言いながら俺が部屋に入ると一人の男が部屋の隅で平伏していた。入る部屋を間違えていなければこの平伏している男が百地丹波のはずだよな?
俺は戸惑いを覚えながら男に話しかける。
「貴方が百地丹波殿で間違いありませんか? それと顔を上げてください」
遅れた気まずさと相手の低姿勢に、つい俺も丁寧な言葉で話しかける。すると男は平伏したまま肯定の言葉を述べて顔を上げた。
この男が百地丹波か。眼光こそ鋭いものはあるが全体的に落ち着いた印象を受ける壮年の男性だ。
俺は百地丹波に部屋の中央へ進むようにうながし、自分は重光叔父上と善左衛門を伴って上座へと進む。
腰を降ろしながら眼前にいる百地丹波を見やる。
伊賀忍者――
なんだか無口そうだな。こちらから水を向けるか。
「百地丹波殿、遠いところをよく来て下さいました。それと、直接私と話がしたいと聞いているが、どのような話だろうか?」
「使者殿からお話はお伺い致しましたが――――」
なるほど、使者から聞いた条件があまりに好条件すぎて信じられなかったということか。
百地は貧しい土豪だ。そして彼らが住んでいる土地の領主として国主から認められていない。国主からすると戦力を割けないのをいいことに不法占拠している
さらに戦場での働き。
この時代、忍者という言葉はないが実際の戦場での彼らの働きは武士とは大きく隔たりがあった。夜襲や暗殺、諜報活動がほとんどで武士のように表立っての槍働きはしていない。
いや、させて貰えないというのが正しい。端的に言うと冷遇されており、国主や周辺の領主どころか一介の武士からも蔑まれていた。
そこへ俺が提示した条件――彼らからすれば破格の条件を持って使者が訪れる。誰もが耳を疑い、次いで俺を疑った。
だが、疑っているだけでは
「――――百地殿をはじめとして一党を武士として迎えたい。待遇は他の武士と変わらない。だからといって百地殿の得意とする戦い方も否定しない。むしろそちらで役に立ってもらいたいくらいだ」
「我らの価値を認めてくださると……」
嗚咽こそ聞こえないが、言葉を詰まらせ目には涙を浮かべている。そして外からは押し殺したような嗚咽が複数聞こえてきた。
一人じゃなかったのか。用意がいいじゃないか。
もし騙されていたら報復するつもりだったのかもしれない。そうなると一人で来るわけないよな。
「百地殿、くどいようだが私は情報と情報操作、それらを含めた事前工作に重きを置いている。もちろん夜襲や暗殺も歓迎する。たとえるなら、戦をして敵味方合わせて二千人の死者を出すよりも暗殺で解決できたなら、それは敵兵一千の首級をあげ味方の兵一千の命を救ったのと同じ価値だろう」
「つまり、暗殺を成功させた者の手柄と考えてくださると?」
然程表情を変えることのなかった百地丹波が身を乗り出し、目を大きく見開いていた。ここまでの話の流れから大きな期待を持ったのだろう。
「違うな――」
百地丹波の期待を俺はたった一言で打ち砕く。そして失望を顔に浮かべた彼に向かって『あくまで一例の話だ』そう前置きをして穏やかな口調で続ける。
「――暗殺を成功させるにあたり事前に情報が必要となるだろう。潜入の手引きや必要な物資の供給、暗殺者が仕事をし易いように手助けする者。どれほど多くの協力者が必要だ? 暗殺の成功はそれら全てが結集したものだ。手柄の大小はあるだろうが関わった全ての者たちの手柄と私は考える」
「それは戦においても同じことだ。事前の情報収集や工作した者、手助けした者も正しく評価する」
今、百地丹波が望むのはこれまでの自分たちの苦労に共感し、やってきた事を認めてくれる者。そして今後はそれらを評価し彼らに豊かな生活を与える者だ。『人は己の望むことを信じる』ユリウス・カエサルの言葉だったな。
半ば茫然とした様子で涙を流している壮年の男。絵面としては見ていて楽しいものではないが男前な分蜂須賀正勝に泣かれるよりはましだ。
「百地丹波、一党まとめて私の下へ来いっ! 今すぐに十分な知行は約束できないが俸禄の方は納得のいく額を用意しよう――」
俺の勢いに気圧されたのか、涙を流している自分に気付いて顔を隠すためかは知らない。話の途中で百地丹波が勢いよく平伏し何かを伝えようと嗚咽交じりに声を出すがそれを無視して俺は話しを続けた。
「――今すぐ返事をする必要はない。二・三日私の領内を見てから里へ戻れ。少なくとも今の領民たちと同じだけの生活は約束する」
事前に知らされているが、百地丹波一党の生活水準は低い。
加えて領民に金が落ちるように様々な政策を進めている。領民の暮らしは近隣でも相当に高い生活水準だ。
「それには及びません。既に竹中様の領内のご様子は道々拝見致しました。我々からすれば夢のような暮らし振りです――」
平伏している上に嗚咽交じりの声で聞き取りづらいと思っていたら、いきなり顔を上げると涙を流しながら俺が望んだ最良の答えがその口から告げられる。
「――百地丹波とその一党、たった今から竹中様のために命を掛けて仕えさせて頂きます」
俺は百地丹波に駆け寄るとその手を取る。
「よく決心してくれたっ! 働きに期待する」
よし、これで大まかなピースは揃った。
尾張内部からは蜂須賀一党と織田信安。西からは北畠。東からは今川家が大軍で押し寄せる。そして北からは俺たち西美濃勢だ。上手く行けば織田信長とて堪ったものではないだろう。
さて、これで次回の『茶室』での話題は十分だ。今から待ち遠しい限りだ。
いや本当、開催してくださいね、『茶室』。
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