第13話 安藤守就

「殿ーっ! 殿ーっ!」


 屋敷内に善左衛門の大きな声と慌しい足音が響いている。毎度のこととはいえよく響く声だなあ。とはいえ、今日はいつになく慌しい。何かあったのか?

 俺の居場所は分かっているだろうからまもなくその板戸が勢い良く開けられるはずだ。


 パンッ!


 予想した通り、俺の居室の板戸が勢いよく開け放たれた。飛び込んできた善左衛門の瞳は大きく見開かれ息が荒い。明らかに心拍数が上がっている様子だ。


「大変でございます。すぐにお支度をしてください」


 だから、何が大変で何の支度をすればいいんだよ。

 俺は火鉢の前から動かずに湯漬けを手に座ったまま、開け放たれた板戸を恨めしそうに見やると善左衛門に問い掛ける。


「落ち着きなさい、善左衛門。どんな大変のことが起きたんだ? それに支度と言われても、私だってお前の考えを見通せる訳ではないんだ、戸惑ってしまうよ」


「安藤守就様がいらっしゃいました」


「さて、特に約束はしていなかったと思うが何の用だろうか? 使者の方には暖かい湯漬けでも出して少し待ってもらいなさい。私もこれを食べたら行くから」


 美濃三人衆の一人で有力勢力だ。俺がコンタクトを図ろうとしていた人物の一人でもある。土岐氏、道三、義龍と主君を渡り歩いている柔軟な思考と先見の明のある人物だ。確か晩年は信長に追放されるんじゃなかったかな。

 俺が落ち着き払ったもの言いをしたからか、善左衛門も幾分か落ち着いた様子で口を開いた。


「使者ではなく安藤守就様、ご本人です。それに真っ昼間から湯漬けを食べられるなど、殿くらいなものです」


 本人だとっ! 何でそんな偉い人がこんなところにのこのこやって来るんだよ。


「では、白湯などを――」


 俺の言葉を遮っていつもの響く声が発せられる。


「既に安藤守就様だけでなく、お付の皆様にも白湯をお出ししてあります。殿は直ぐにお支度をお願い致しますっ!」


 俺は急ぎ身支度を整えると安藤守就が待っている部屋へと急ぎ向かった。


 ◇


 前触れなどというまどろっこしいものを出さずに安藤守就が待つ部屋へと駆け込むようにして引き戸を開ける。


「お待たせ致しました」


「いやいや、こちらこそ事前に約束もなく訪ねてしまい申し訳ない」


 にこやかに微笑む気のよい感じが漂う初老の男性がそこにいた。


 ◇


 部屋には安藤守就と従者らしき男が一人。こちらは俺と善左衛門の二人。

 遅れてきたことと来客が安藤守就ということもあって奮発した。白湯ではなくお茶を出している。そのお茶をのんびりと飲んでいるのが安藤守就だ。表面的な挨拶だけで未だに用件を聞けていない。


 このまま相手のペースでずるずると時間を過ごしたくなかったのとこの緊張感に耐えていたくなかったのとで俺の方から切り出した。


「安藤殿、本日はどのようなご用件でしょうか?」


 俺は忙しい。湯漬けを食べ終わったら領内の視察に出かける予定だった。そこへ突然の来客。本来なら追い返すところだが相手が俺の会いたかった人物ひとり、安藤守就とあってはそうは行かない。


「うん、そうだな。何から話そうか――」

 

 のんきに口を開いたと思ったらそう口にして快活に笑っている。


「――ときに竹中殿、家中は落ち着かれましたか?」


 快活な笑い声が消えたと思ったら突然声音が変わった。つられるように俺も居住まいを正して答える。


「お陰さまでようやく落ち着きました。とは言っても今までフラフラしていたので、今になって毎日のように領内を視察しております」


「はははは、視察ですか。他国からも随分と人を集めているようだが、あまり派手にやると要らぬ詮索をされるのでお気をつけなさい」


 うわー、バレているよ。よく見ているな。まさかうちの領内に密偵とか放っているんじゃないだろうな。


「まったくです。何事もほどほどがよろしいようですね。まあ、今回の件は私も家督を継いだばかりで、家中や領内の者たちにいいところ見せようと少し調子に乗りすぎたかも知れません」


 適当に話を合わせて、忠告のお礼を付け加えた。


「何々、これも年長者の務め――」


 そう言って楽しそうに笑うとまた声音を変えた。ただし今度は妙に穏やかだ。


「――ではそろそろ本題に入ろうか」


 今の忠告というかクギ刺しは本題じゃなかったのか。俺は冗談めかして警戒していることをほのめかす。


「本題……ですか? 今のお話が前置きとなると、これは怖いですね」


「そう畏まらんでください。今日は竹中殿によいお話を持ってまいりました」


 来た来た。年長者が若年者を捕まえて『いい話』というのは若年側からすれば絶対に断れない悪い話なんだよなあ、俺の経験からすると。

 警戒して黙っていると安藤守就は実に楽しそうに口を開いた。


「私の娘を嫁にもらって下さらんか」


「は?」


「え?」


 突然のことに俺と善左衛門の声が重なる。そして、呆けている俺たちのことを面白そうに見ながらさらに続ける。


「義龍様の了解は頂いてきている。何も心配することはない」


 そうだ、思い出したっ! 安藤守就は竹中重治のしゅうとだ。確か娘は得月院。半兵衛が歴史の表舞台で活躍したのが短かったのもあってか得月院の資料もほとんどなかったはずだ。

 俺よりも先に立ち直ったのは善左衛門だ。いきなり隣で平伏して叫び出した。


「おおっ! 何とめでたい。ありがとうございます」


 浮かれている善左衛門はこの際放置しよう。

 平成日本では三十五歳で独身だった俺としては嫁さんがもらえるなんて夢のような話だ。それこそ跳び上がらんばかりの気持ちを抑え付けて真意を探ることにした。


「安藤殿、私はまだ家督を継いだばかりの十七歳の未熟者でございます。しかもご存知のように『青びょうたん』と噂される男。娘さんの婿にはおよそふさわしくないでしょう」


「『青びょうたん』か。本当にそうであれば、野盗まがいの小勢とはいえ浅井や織田の兵を何度も退けられんでしょう――」


 安藤守就はそこで一旦言葉を切るとひとしきり楽しそうに笑ったあとで口元の笑みも隠そうとせずに続ける。


「――それに新たに開墾した田畑を見せてもらいました。見たこともない農具を使ってもの凄い速さで開墾をしていいましたな。それに川よりも高い場所に水を引く道具。おそらく、あのせきも私の知らない面白い秘密があるのでしょう」


 上機嫌で笑いながら『我が領内にも是非導入したいものだ』などと口走っている。

 しっかりと偵察していやがった。まあ、娘婿の身辺調査とも言えないこともないか。だがさすが美濃三人衆の一人だ、侮れない。

 

「安藤殿は『青びょうたん』を根も葉もない噂と一蹴されましたが、世間はそうも行かないでしょう。『青びょうたん』を婿に迎えたなどご迷惑になりはしないかと心配です」


 美濃三人衆の一人である安藤守就を舅とできるのはありがたい。戦力が一気に膨れ上がるだけでなく農業など実験施設を倍増できる。

 対織田戦略にばかり意識が向いていたが先ずは足元を固める意味でも上策かもしれないな、この結婚。


「何を言うか。来年には先見の明のある男よ、と私の噂が国内に広がっていることだろう」


 安藤守就はそう言うとまた快活に笑い出した。


 まあ、国主である斉藤義龍に話が通してある以上断ることもできないんだろうな。


「そこまでご評価頂きありがとうございます。このお話、謹んでお受けいたします。では、日取りなど細かなことを取り決めたいと思います。ですが、なにぶんこのようなことに不慣れでして――」


 そこまで言うと、安藤守就が片手を挙げて制して鷹揚に言う。


「細かなことは後日取り決めればよい。今日のところは娘の『こう』との結婚を了承頂いたということで十分としよう」


 安藤守就の言葉に、いままで俺の横で顔を輝かせていた善左衛門が辛抱できないといった様子で口を開いた。


「では、両家の繁栄を願って今夜は酒宴をご用意させていただきます」


 まるで自分のことのように満面の笑みでそう言うと、隣室に控えていた小姓を走らせた。

 普段はとんと気が利かないくせにこういう時だけは気が回るな。


 その夜は安藤守就一行を迎えての酒宴となった。

 日取り、桶狭間の戦と重ならないようにしないとな。

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