第12話 報告(2)

 自分でも上出来だと思ったのだろう、善左衛門が上機嫌で再び両手を炬燵に入れて背中を丸めている。

 そんな彼に向かって『ところで』と思い出した様に切り出す。


「先ほどの石鹸の販売とは別で、堺の商人、特に外国の商品に強いところと幾つか渡りをつけたいと頼んだ件はどうなっている?」


「重光殿が堺へ赴いております。まもなく戻られるころかと」


 叔父上に丸投げしていたのかよ。どうりで叔父上が見当たらないと思ったら犯人はお前だったのか、善左衛門。


「分かった。叔父上が戻ったらすぐに報せてくれ」


 俺はそう言いながら彼の前に紙の束を積み上げると一番上に置かれた紙を見た善左衛門の表情が曇る。

 叔父上が不在だったためにほとんど俺一人でまとめることになった資料だ。ちなみに一番上にある資料の表題には『尾張への対応と近江への対応』と書いておいた。


「この様なご相談事は私以外の適任者にされる方がよろしいかと思います」


「善左衛門一人に負担を掛けるつもりは無いのだが、相談相手にと目論んでいた叔父上が見つからなくてな――」


 俺の言わんとしていることを察したようだ。今し方まで曇っていた表情がもの凄く嫌そうな表情に変わっていく。心情が顔に出るのに年齢は関係ないようだ。

 叔父の重光をあらかじめ確保しておかなかったのは俺の落ち度で、八つ当たりに近い気もするが人事不足の竹中家ではやむを得ないことだと諦めてもらおう。そんな風に自分に言い聞かせると、俺は善左衛門の心情は一先ずおいておき、話を続けた。


「――と言うことで、少々軍事だけでなく外交と国主様への進言について相談に乗って貰いたい」


 目下、美濃は尾張を最大の敵としているが、幾つかの豪族や国人衆は近江の六角や浅井とも小競り合いを続けている。まあ、そのほとんどがあちらからの一方的な嫌がらせで、本格的な戦には発展しそうにはなかった。

 そして、この竹中家も浅井から嫌がらせを受け続けている豪族の一つだったりする。


 近江と戦に発展しない理由は簡単だ。尾張の織田信長が手強い。さらに先代の道三が信長に宛てたという例の手紙もあって、国主である斉藤家が織田信長を敵視しているからだ。

 それは良いのだが放置しておくと史実通りに信長が今川に勝利してしまい、美濃の立場は悪化するばかりなのは目に見えている。そんな未来を少しでも改善するための相談だ。


 嫌そうな顔をしながらも資料に手を伸ばそうとする善左衛門を穏やか口調で制止する。


「今それに目を通す必要はない――」


 これから話をするために下調べをした情報をまとめたものだ。こうして目に見える形で積み上げられると話に説得力も増すだろう。もちろん、話の途中で必要となる資料は幾つかある。そして俺は世間話をするように軽い口調で話を切り出す。


「――なあ、善左衛門」


「何でしょうか」


「尾張の織田信長って強くないか?」


「少なくとも弱くはありませんな。弱ければ斉藤義龍様がとうに打ち滅ぼしています」


 善左衛門は『何をいまさら』と言いたげな顔をしていた。


「織田信長は北畠をけん制しつつ今川からの侵攻を防いでいる。その間にも美濃へちょっかいを出している」


 俺の知っている歴史では今川義元から見れば吹けば飛ぶような弱小大名のイメージだったのだが決してそんな弱小なんかじゃない。隣に住んで初めて分かる隣人の恐ろしさ。

 何といっても尾張国内を統一したのが大きい。せめて弟の織田信行でも存命なら内部から切り崩す手もあっただろう。今の状況で内乱誘発は難しい。織田信安が国主である斉藤義龍様の下にいるが果たしてどの程度利用できるものか。


「先代の斉藤道三様が娘婿に選ばれたくらいです。当然といえば当然です」


 だよなー。何で弱いとか思っていたんだろう、俺……

 尾張には津島と熱田がある。そもそも信長の父親である信秀は朝廷に四千貫文も献金していたとかいうし、石高以上に兵士は動員できるはずだ。


「これで近江の六角や浅井、甲斐の武田と同盟を結ばれたら美濃は詰むよな?」


 実際に信長は来年辺りに妹の市を浅井賢政に嫁がせるはずだし、確か武田晴信にも贈り物などをしていた記憶がある。

 やはり桶狭間の戦いで信長が勝利するのは不味い。東は松平元康との堅固な同盟で憂いがなくなる。あとは北畠を適当にけん制しておけば美濃に集中できる。そして浅井との同盟だ。


「さすがにそこまでの事が出来るほどではないでしょう。何と言ってもようやく尾張一国を統一したところです。それに一門の織田信安は斉藤義龍様のもとで所領を取り返さんとしております」


 概ね歴史通りなのだが、微妙に違うところがある。そもそも、俺が永禄三年1560年の二月に家督を継いでいること自体おかしい。

 それに斉藤義龍だ。今の段階で病状が悪化しておりかなり危ない状態だ。


 俺の知っている歴史自体不確かな部分も多いし、それ以上に俺の知識が怪しい。加えて明らかに歴史にない事が起こったり早めに起きたりしている。

 記憶にある史実をなぞって適当なところで自分に都合が良いように立ち回るというアバウトな基本戦略が崩れた。これは慎重に動かないと身動き取れなくなる危険性がある。


「織田信安はさておき、国主殿――義龍様の容態はどうだ?」


「芳しくありません。既に実権は嫡男の龍興様に移っている上、日根野様や斉藤飛騨守様らが周りを固めております」


「美濃三人衆は?」


「お三方とも義龍様のおぼえがよろしいので……」


 なるほど、現時点で既に遠ざけられているのか。そうなると桶狭間の戦いで史実通りに織田信長が勝利すると、義龍の存命中であっても美濃包囲網を完成させて仕掛けてくる可能性があるな。

 いや、その前に美濃三人衆や俺のように龍興に遠ざけられている者たちへ内応工作をしてくるかもしれない。


 桶狭間で信長が勝利したなら……安売りになるが早々に誘いに応じるのも手か。或いは一歩進んでこちらから接触を図るか。まあ、それは最悪の手段だな。


「なるほど。このまま義龍様が回復せずに龍興様に完全に実権が移ったと仮定しよう。竹中の家は陽の目を見られなくなるな」


「その辺りはこれからの働き次第かと」


「いやー無理だろ。どう頑張ったところで日根野や斉藤飛騨守を初めとして、長井、遠藤と龍興の周りには有象無象が集まってきている。俺の入り込む余地はないな」


「何を弱気なことを言われます。武家は手柄次第です」


「どうだろう、この際だから織田の領地を少し切り取るか」


 桶狭間の戦いを利用すれば出来そうな気が少しはする。と言うか、最善でもそれくらいだ。それも竹中単独ではできない。どこかの勢力を味方に引き入れる必要がある。義龍様の下にいる織田信安あたりを利用しての尾張勢調略を進言してみるか。

 そもそも『茶室』で話し合った『信長を俺が討つ』とか『義元を拉致してくる』とか『義元を逃がす』などというのを俺がやるのは、申し訳ないがやはり無理だ。


「何を言われますっ! 国主様の了解もなしにそんな事できるはずがありませんっ!」


 国主ねぇ。気にしなければならないのは、正解には龍興の取り巻きだろう。

 それに竹中家が斉藤家に被官したのは三代前。家中を見渡しても斉藤家に忠誠心を持っている者の方が少ないくらいじゃないのか? 俺に至っては斉藤家ととっとと縁を切りたいくらいだ。


「国主の義龍様はご病気だ。おそらく長くはない。それに織田から仕掛けてきたなら迎撃はしなければならない。追撃した結果、領地切り取りということになるかもしれない」


「先ほどから随分と織田家のお話をされていますが、我々としては浅井家も警戒すべき相手です。それに六角家も忘れてはなりません」


「浅井は遠からず六角と争うよ。久政は暗愚だが息子の賢政は優秀だ。それに今川だっていつまでも織田と国境で小競り合いなんてしていられないだろう。近々決戦があるはずだ」


 浅井と斉藤とで不可侵条約が結べれば浅井は対六角に集中するはずだ。俺としても浅井への備えを考えないで済めば、桶狭間は無理としても味方さえいれば尾張にちょっかいを出せる。

 信安を利用することを無理だとか決め付けずに前向きに検討すべきじゃないだろうか?


「またそのようなことを――」


「まあ、それはいいとしてだ。西美濃の情勢をもう一度詳しく教えてもらえないか?」


 反論しようとする善左衛門を制してこの話題を打ち切ると、次の懸案事項へと話を切り替えた。善左衛門から西美濃の状況のレクチャーを受けながら当面の戦略について思いを巡らせる。


 桶狭間の戦で今川に勝利してもらう。

 或いは最低でも松平元康を独立状態にさせない。桶狭間の戦で信長が手に入れた最大の武器が松平元康だ。これの阻止を最優先に考えよう。


 次に六角と浅井だ。今年の夏に浅井が六角に勝利して頭角を現す。そして浅井と斉藤は敵対関係に発展。こちらは阻止できないとしても手は打ちたい。

 先に浅井と不可侵を結ぶように義龍様へ進言しよう。斉藤と不可侵が結べれば浅井が六角に勝利するのは間違いない。上手くすれば恩も売れるし後々の同盟も可能かもしれない。

 うーん、難しそうだな。


 織田信安を利用して尾張勢の調略が出来ないもだろうか?

 こちらもダメもとで進言しよう。


「――――とまあ、西美濃としてはやはり近江との小競り合いに頭を悩ませております。そして今後戦に発展するのを警戒しております」


 善左衛門の説明に俺は大きくうなずく。


「ありがとう。早速西美濃の氏家殿、安藤殿、稲葉殿にお願いに上がるとしよう」


「またそのような無茶なことを――」


「諦めずにやれる事をやろう。必要なら揚水機や水車の技術を渡してもいい」


 そんな俺の言葉に目を白黒させて説教をする善左衛門をよそにさらに思案を巡らせる。


 美濃三人衆同席で国主に進言できればベスト。


 恐らく俺の進言は聞き入れられないだろう。国主の義龍が興味を持っても龍興の周辺にいる連中が間違いなく反対する。美濃三人衆が一緒ならなおさらだ。

 俺の進言は近江に頭を悩ませている西美濃勢にとっては魅力がある。それを邪魔する連中に良い感情は持たないはずだ。


 西美濃勢が俺の思惑通りに動いてくれないまでも、同調してくれればそれで十分だ。

 俺にとって一番足りないピース。兵力を持った味方ができる。そうなると今更だが桶狭間の情報を必死に集めていたのが悔やまれる。どうせなら尾張の情報収集にもっと力を注ぐべきだったな。

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