第5話 鉄蔵

 美濃の二月は寒い。

 とはいっても気候の穏やかな日がない訳ではない。


 今日がまさにその気候が穏やかな日だ。

 護衛を兼ねた家臣二人と善左衛門ぜんざえもんを引き連れて領内の視察を行っている真最中だ。


 驚いた事に馬を難なく乗りこなせた。

 そればかりか剣術や槍術など、馬術だけでなくこれまで竹中半兵衛重治たけなかはんべえしげはるが修めた技術は俺もそのまま使う事が出来た。

 

 竹中半兵衛の知識や智謀はなくても、技能や体術だけでもそのままだったのは僥倖ぎょうこうだ。

 俺とくつわを並べるように善左衛門が馬を寄せてくると前方に見える領民たちの居住地の一角を指して言った。


「殿、あの煙を吐いている一番手前にある建物が刀匠とうしょうの家です。その斜向かいにあるのが大工職人です」


 善左衛門の示す先はまだ一キロメートル以上あった。


 職人たちの住居は固まっているのか、それは助かる。

 俺は同行している家臣二名に向かってすぐに指示をだした。


十助じゅうすけ、刀匠の家へ先に行って、私が到着したらすぐに話が出来るようにしておきなさい。詳しい事は直接会って話しますが『作って欲しい物がある』と伝えるように――」


 そう言って十助を送り出すとそのかたわらにいた右京に向かって一枚の図面は渡す。


「――右京うきょうは大工職人の作業場へこれを持って先に行ってなさい。刀匠との打ち合わせが終わったらそちらへ向かう」 


 右京も畏まった挨拶をしてすぐに馬を駆けさせた。走り去る右京から、隣でくつわを並べている善左衛門へ視線を向ける。


「善左衛門、開墾かいこんを希望した者たちはどれくらい集まった」


 俺は川原や山中で暮らす貧しい者たちや農民でも次男、三男などの土地や田畑を継げない者たちに向けて、自分たちで開墾して出来た田畑を貸し与える計画を打ち出している。


 開墾した土地の半分を貸し与える。

 残る半分は一旦俺のものとして、そのうち入植者を募る予定だ。


「殿に言われた通り、農民の次男や三男だけでなく、川原に暮らす者や山中に暮らす者たちにも声を掛けました。百名以上の希望者が集まっております」


「それで、内訳はどうなった?」


「全体の半数が川原に暮らす者たちです。その次に多いのが農民の次男や三男で最後が山中に暮らす者たちです」


 川原に暮らす者はほとんど希望してきたようだな。予想はしていたが山中の暮らしからの変化を嫌ったか。


「それで十分だ。人材の確保の方はどうなっている?」


 戦国時代に名を残す優秀な武将であっても、この時代ならまだ安い俸禄で仕えていたり在野だったりする。

 そんな不遇な武将のスカウトと、領地内にいる名もない手ごろな武将のスカウトを善左衛門に頼んであった。


 遠方の武将への使いはまだ使者もたどり着いていないかもしれない。

 だが他家に仕えていた領内の武将や他国であっても、近隣の武将なら何らかの結果が返ってきてもいい頃だ。


「はい、先のお家騒動で主家を追われた者たち、その縁者たちが集まりました。こちらも百名を超えております。殿が名前を挙げた他国の者への使者はまだ帰っておりません」


 道三どうさん義龍よしたつの家督争いの負組か。

 予想よりも数が多いな。

 適当に将来の雇用を約束して開墾組に回すか。


「視察が終わったら二・三日に分けてその百名余りと直接会って話をしたい。段取りをつけてくれ」


 大声で『かしこまりました』と俺の命令を承諾する善左衛門に、『内密』の命令である事を念押しして指示を出す。


「桶狭間周辺の地理に詳しい流民をこちらへ引き込んで欲しい。数はそうだな、最低でも十名は欲しい。引き込んだ流民には開墾をさせて農地を与える約束をして構わない」


 念のため、流民にこだわる訳ではないこと。

 農民でも商人でも構わないので、桶狭間周辺の領地に詳しい者を引き込むように付け加えた。


 だが、現時点では桶狭間の戦に直接関与する具体的なプランが思い浮かばない。

 西美濃から桶狭間の戦いにちょっかいをだすのは地理的に難しいよなあ。


 桶狭間の戦いにどう関与するか頭を悩ませながら馬を進めた。


 ◇


 刀匠の工房は他の職人や弟子たちも仕事の手を止めて静まり返っていた。

 いきなり領主が訪ねてきたんだ。仕事どころではないだろう。


 まあ、こちらとしては鉄を打つ音が響く中で話をしなくてすむので助かる。


 俺たちは板張りの部屋へと通された。

 粗末ではあるがそれでもここではまともな部屋なのだろう。


 板張りの部屋の上座に俺と善左衛門、そして主人である刀匠の三人で向かい合っている。

 男は領主である俺を前にして緊張しているのか、落ち着きなく目をキョロキョロさせ身体は小刻みに震えていた。


 緊張をほぐすのと今後の付き合いもあるし、先ずはフレンドリーに冗談から入るか。


「どうした、震えているようだが酒毒か?」


「め、滅相もございません! 仕事一筋です!」


 しまった、逆効果だったか。


 慌てて平伏し、いっそう身体を震えさせている刀匠。

 そんな彼を憐れむように見ている善左衛門に小声でたしなめられた。


「殿、気の毒な事はなさらないようにお願いします」


 善左衛門の小言は一先ずスルーして話を進めるとしよう。


「私は竹中重治。お前の名前を教えてくれないか?」


「は? はい、吉次郎と申します」


 ありふれた名前っぽいな。これから農民や流民、大勢の人たちと会うと忘れてしまいそうだ。


「吉次郎、お前の名前は今から『鉄蔵てつぞう』だ」


 新しい名前に戸惑ったのかぽかんと口をあけてこちらを見ているだけだ。

 微動だにしない。

 面白そうだからそのまま見ていたい気もしたが、こちらも急いでいるので正気に戻ってもらおう。


「どうした? 鉄蔵。不服か?」


「い、いえ、滅相もございません。ご領主様から直接お名前をもらえるなんて思ってもいなかったので驚いていました」


「よし。では鉄蔵、依頼だ。ここに描いてある道具を急ぎで造って欲しい。数は二百。出来上がった物から順次納めてくれ」


 数枚の紙を鉄蔵の前に並べる。

 そこにはツルハシとスコップの絵と鉄と木を用いる部分や簡単な補足説明を書いたものだ。


「ご領主様、これは新しい武器でしょうか?」


 まあ、領主が依頼するものだし武器と考えてもおかしくないか。


「有事の際には武器としても使えるが本来の利用用途は開拓作業だ。今、農民たちに新たな田畑をひらかせようと計画している。そのために絶対に必要な道具だ。それをお前に頼みたい」


「分かりました。ですが先程急ぎで二百と言われましたがどれくらいの日数を頂けるのでしょうか?」


 探るような視線とどこか己の不幸を呪うような雰囲気を醸し出して、恐る恐る聞いてきた。

 間に合わなければ罰せられるとでも思っているようだ。


「出来るだけの数を三日後に。半数の百を十日後に。すべて納めるのに二十日だ」


 俺の依頼に今まで黙って横に座っていた善左衛門があのよく響く声で真っ先に反論した。


「そ、それはさすがに無理です」


「まあ、待て。全てを鉄蔵の工房で作成する必要はない――」


 俺は善左衛門を押し止めると鉄蔵に向かって再び口を開く。


「――鉄蔵、お前が中心になって領内の刀匠、鍛冶師をまとめ上げ、手分けをして私の要望に応えてくれ。働き次第だが代金とは他に私のところからの頼む武器や農具を任せてもいいと思っている」


 俺の言葉に鉄蔵の目の色が変わった。

 おそらく鉄蔵の頭の中では考えもしなかったような未来が急速に膨らんでいるのだろう。


 驚いているのか欲を出そうとしているのか判断が難しい。

 鉄蔵からすぐに答えが返ってこなかったので、俺は少し意地悪をしてみる事にした。


 鉄蔵に向けて穏やかに話し掛ける。


「難しいようならそう言いなさい。たとえば――」


 そこで一旦言葉を切ると、わざとらしく腕を組んで少し思案する振りをして続ける。


「――全ての刀匠と鍛冶師に個別に依頼を出して、よい品を早く納めた者ほど代金をはずむという手もいいかもしれないな」


「おお! それは良いお考えです。刀匠、鍛冶師にも平等ですし不満も出ないでしょう」


 俺の揺さぶりに何の下打ち合わせもなしに善左衛門が大声で同意を示す。

 すると鉄蔵の顔色がすぐさま変わった。


「お受けいたします。必ずご期待に応えさせて頂きます!」


「そうか。よろしく頼む」


 そう伝えると俺たちは斜向はすむかいにある大工職人の家へとすぐに向かった。

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