第6話 木蔵

 俺たちが次に訪れたのは大工職人の自宅兼工房だ。

 先に図面を渡してあった事もあり、話は非常にスムーズに進む、予定だったのだが……現実は厳しい。


 俺の描いたあまりにも適当な図面に本職の大工はついて来られずに、あーでもない、こうでもないと二時間ほど掛けてようやく理解してもらえる始末だった。

 やはり一枚の紙に二つの絵図を描いたのは失敗だったようだ。


 今後はもう少し人に理解してもらえる絵図を描く必要があると痛感した。


「――――ここまでの説明とこの絵図で分かってもらえた事と思う。細部の構造をどうしたらいいかは私も分からない。そこはお前たち大工職人の腕と工夫を見込んでの依頼だ。よろしく頼むよ、木蔵」


 新たに『木蔵もくぞう』と名を与えた、与平と木蔵は顔を引きつらせて今にも泣き出しそうだ。

 今、木蔵のなかでは葛藤があるのだろう。


 二十代前半。その若さで領内の大工職人をまとめて、なお俺の依頼をこなす。

 先程の鉄蔵に依頼したものよりもハードルは高い。


 依頼したのは『踏車ふみぐるま』――いわゆる足踏み式揚水機ようすいきと『水車』の二つ。

 しかも細部の構造は素人の俺には分からない。


 そこは大工職人で協力し合い工夫するように伝えている。

 その辺りの人付き合いと取りまとめを含めての依頼だ。


 自分の眼前に広がる可能性――明るい未来と責任の重さに悩む若者。

 この領地の将来、ひいては俺の将来は君たちのような若者に掛かっている。


 是非、頑張って欲しい。

 そんな未来を担う若者に善左衛門の容赦のない言葉が大音量で響く。


「返答はどうした! 木蔵!」


「はいっ、お請けいたします」


 ビクリッと身体を震わせてそう言うと木蔵は勢い良く平伏した。どうやら腹をくくったようだ。

 そんな木蔵に俺は優しく声を掛ける。


「木蔵、難しい事を依頼しているのは私も分かっている。失敗したからといってとがめ立てはしない。木蔵自身はもちろん、一緒に仕事をする職人たちも、だ。約束しよう――」


 そこで一旦言葉を切ると木蔵は平伏していた顔を上げ、驚きを浮かべた顔を俺に向けている。

 いや、木蔵だけではない。


 一緒に話を聞いていた弟子や彼の奥さんも同様に驚きの表情で俺の事を見ていた。

 よし、この雰囲気なら問題なく聞いてくれそうだ。俺はそんな彼らに向けてさらに続ける。


「――仕組みの確認をするために試作品を作成する費用はそれが失敗作であっても私が持つ。だから失敗を恐れずに少しでも早く完成させて欲しい」


 特許の概念はないが、これを機会に広げるとしよう。

 当然、特許は領主である俺のものだ。開発の派生で出来たものも全て所有権は俺となる。


 また、開発・作成に関わる労働力へ対する対価にも触れない。

 あっさり開発に成功すれば成果物――『踏車』と『水車』の買い取りで十分だろう。


 もし長引くようなら援助金などの名目で資金提供すれば勝手に恩義を感じてくれそうだ。

 退出際も単なる領主からの依頼ではなく自分たちの未来が拓ける依頼だ。


 木蔵と彼の弟子たちはもとより、奥さんや子どもたちまで総出で俺たちに対してしきりに感謝を述べていた。


 ◇


 外に出ると控えていた右京に声を掛ける。


「待たせて済まないね。思ったよりも時間が掛かってしまった。それで次の用意はどうなっている?」


「はい。殿のご指示通りに猟師と山でキノコなどの採取をする者、そして城下町と村の女たちを集めました。今は庄屋のところにいます」


「ご苦労さん」


 右京に対して労いの言葉を掛ける俺の隣で善左衛門が渋い顔をしている。


 事前に相談したときに『領主が城下町や村の若い娘を大々的に集めるのは控えて欲しい』と言われたのを思い出した。

 俺は一言も『若い娘』限定などとは言っていない。


『猟師やキノコの採取をしている者、そして城下町や村の女たちを集めて話をしたい』と指示しただけだ。


 それなのにまるで俺が領内の若い娘を物色しようとしているような言い草だ。


 竹中半兵衛たけなかはんべえは『無欲』『清廉潔白』と伝えられている。

 だが善左衛門ぜんざえもんの反応を見る限り怪しいものがある。


 もしかしたら実像は違っているのかもしれない。

 右京に視線を向けると心得たように遠慮のない答えが返ってくる。


「村人の中には若い娘を家の中に隠している者もかなりおり、警戒をしているようでした」


「早速領民の信用を失ったようですな」


 善左衛門はまるで後を継いだばかりのバカ息子を嘆く老臣のように、『なげかわしい』などと聞こえよがしにつぶやきを付け加えている。


 負けねぇぞ。


 ここは汚名返上、名誉挽回のチャンスと考えよう。

 俺は善左衛門と共に右京の案内ですぐに庄屋へ向かう事にした。


 善左衛門の言葉に困った顔をしている右京へ話し掛ける。


「村人に警戒されてしまったか。それは彼女たちに申し訳ない事をした。早速誤解を解きに行こうか」


 そう、俺は何も若い娘を物色するために城下町や村の女たちを集めてわけじゃない。

 彼女たちに仕事を与えて領内の生産力を上げるために集めたんだ。


 ◇


 俺たちは庄屋の家に通されるとそのまま縁側へと案内された。縁側から中庭を臨む形で集められた人たちを見下ろす。

 集められた人たちは中庭に思い思いに座っていた。


 俺たちが縁側に姿を現すと中庭に集まっていた領民たち。

 主に女なのだが、彼女たちが一斉に俺たちへ向かって平伏をした。

 

 うわー、領民を地べたに平伏させて自分たちは家の中から見下ろすのかよ。

 なんとも気が引けるな。

 だが、そんな事は気にしていられない。俺はすぐに彼女たちに話し掛ける。


「今日は忙しいところ無理に集まってもらって申し訳ない。そうかしこまらずにずは顔を上げてくれ」


 フレンドリーに話し掛けたのだが皆の動きは重く表情は固い。

 猟師などの男たちは恐々とした様子ではあるが顔を上げていた。


 さすがに真直ぐこちらを見る事はないが、それでも伺うような、探るような視線を向けている。

 女たちは年若い者ほど顔を上げる事を躊躇とまどっていた。それでも何割かは顔を上げている。


 だが、中には泣きそうな顔している者や何かを恐れるように固く目をつぶっている者もいる。

 心情を確認するまでもない、『領主様の目に止りませんように』との心の声が聞こえてくるようだ。


 そして大半は顔を伏せたままでいる。

 それどころか、おそらく自分の娘なのだろう、まるで俺の目から隠すように自分の後ろに座らせている者までいた。


 横では善左衛門がこの光景を予想していたかのように、『やはりこうなったか』などとつぶやいている。

 仕方がない。本題に入る前に女たちの不安を払拭しておくか。


「誤解のないように先に言っておく。今日集まってもらったのは夜伽よとぎの相手を探しにきた訳ではない――」


 そこまで言うと、女たちに反応があった。

 周囲の者同士で互いに視線を交わしている。


『本当だろうか?』『信用してもいいのだろうか?』といった疑問が頭の中を駆け巡っているのだろう。

『そういうのは日を改めて行うので、そのときは身奇麗にしておくように』、とフレンドリーなジョークを言いたい衝動を、グッとこらえて本題を続ける。


「皆にやって欲しいもの、作成して欲しいものがある。もちろん賃金は払う」


 こちらは刀匠や大工と違って成功するかどうか不明な部分が多い。

 なので、成功報酬ではなく日雇いで賃金を払う事を皆に告げた。


 女性たちには軟石鹸なんせっけん作成の実験を頼む事にした。

 実験の主なものは配合比率と香りをよくするための追加化合物だ。


 幾つかのグループに分けて油脂ゆしの元となる動物を変えたり比率を変えたりする。

 そして香りを少しでもよくするためにハーブ類を配合する実験を並行して行ってもらう。


 動物性油脂は猟師に調達をしてもらう

 これもどの動物がよいのか分からないので数種類の動物性油脂を定期的に買い上げて女性たちに渡す事になる。


 次は栽培関係。椎茸、サツマイモ、ジャガイモだ。

 椎茸は野生の椎茸を探し出してからになる。それまでに軟石鹸の目処をつけて椎茸の栽培をする予定である事を周知した。


 出来ればサツマイモとジャガイモも椎茸栽培と並行して普及させたい。

 だが、こちらは種芋が外国からの輸入となるので堺で仕入れられるかがキーとなる。


 不確定要素があまりに多いのでこれは俺の胸のうちにしまったままだ。


「――――という感じで手探りとなるが何とか成功させたい。成功すれば市場価格で我々が買い上げる。皆にもこれまでにない収入になるので生活が豊かになるはずだ」


 最初は何をさせられるのか分かっていなかった人たちも、説明をして行くうちに分かってきたようだ。

 話を聞く姿勢や目の輝きが違ってきた。


 なんと言っても自分たちの生活が豊かになる可能性を領主が示したのだ。

 そしてそこに至るまでの費用も領主が持つばかりか賦役ふえきと違って賃金が出る。


 これは大きい。


 俺の話が収益の話題に差し掛かるころには、女たちも全員が無防備なくらいに顔を上げて話を聞いていた。


 よし、好みの容貌の娘はチェックした。

 別に何かをするつもりは無いが、取り敢えずチェックだけはしておいた。

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